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小さな町(アンダルシア・1987年)



昨日のことだった。

「あっ、三岸節子さんの絵だ。
懐かしいなぁ。もう一度見たいなぁ」

何時ものように買い物帰りに近所の書店に立ち寄り、雑誌のコーナーで気に入っている雑誌をパラパラとめくった時だった。

その雑誌は、「ザ・女の一生」という特集記事で三岸節子さんを取り上げていた。
タイトルは、
『三岸節子の描くこと生きること
いのち炎のごとく』。
思わずのめり込んで立ち読みしてしまった。

もうずいぶん前のこと、偶然立ち寄った絵画展で彼女の絵に出会い、その色彩、特に強烈な赤に衝撃を受けた。しばらくその絵の前に立ち尽くしていた。何か心をぎゅっと掴まれるような感じがしたのだった。


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《使われなかったチケット》



その時以来、彼女の絵が何時も心のどこに引っかかっていた。
ある時、
「そんなに好きなのなら、これで行って見てきたら?」と言って、
当時親しくつきあっていた友人がこのチケットをくれた。
しかし、その頃の私は何かと忙しく、たった6日間という短い期間に、
彼女の絵を見に行く時間的ゆとりはなく、そのままになってしまったのだった。

チケットを見れば、会場は大阪北浜にあった三越デパートの7階である。
その三越も今ではもう大阪の北浜にはない。
ずいぶん昔の話である。
おそらく20年以上も前の話。
しかし、よほど彼女の絵を見に行きたかったのか、諦めきれなかったのか、
このチケットは大事に本の間に挟まれていた。
そして、ごく最近、偶然にも 引っ張り出した本の間から出てきたのだった。
この春、御影にある香雪美術館で久しぶりに三岸節子絵画展が開催されていたのも知らなかった私に、「もう一度見に来てくださいね。心のゆとりを持って生活してください」とこのチケットが言ってるように思われてならなかった。


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(アルカディアの赤い屋根・カディスにて 1988年)


「お母さん、マイレージが貯まったけど、使える期間中は忙しく時間的余裕がないの
で、お母さんにプレゼントしたんやけど。お父さんは仕事があるだろうし。札幌に来るといいと思う。昼間は実験で忙しいけど、夕食なら一緒に食べれるし、何よりも私が一緒でなくてもお母さん一人で十分遊べるやろう?」

当時北大生で大阪ー札幌を飛行機で行き帰りしていた娘からの嬉しい提案だった。

宿泊先は娘のアパート。
行きたいところはたくさんあった。
一日は小樽、一日は日高温泉(札幌からの1日バスツアー)などに行き、
一人の楽しい時間を過ごした。
3日目、「今日は何をしようかな」と札幌駅まで歩いてきた時に、
「三岸節子絵画展」のポスターがインフォメーションの壁に貼られているのが
偶然目にはいった。

「あらっ、行って見たいなぁ。三岸好太郎美術館で開催されているのか」
三越での絵画展を見逃した悔しい気持ちがその時まだ心のどこかに残っていたの
だろう。すぐにその日の予定はたった。


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(花・1985年)


衝撃的だった。

また彼女の強烈な赤色に出会った。
何故だかわからないのだか、心がざわつくような赤。
人の心の奥底まで入り込み、強烈な印象を残す赤。

やはり、しばらくの間 その絵から離れなかった。

夫の三岸好太郎は夭折の天才画家と言われているが、
惹かれたのは奥さんの三岸節子の絵の方だった。


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(さいたさいたさくらがさいた 1998年)


特集記事を書いた記者は次のように書いている。
「大地に根を張った太い幹から、天を覆うように枝々が伸び、今、あふれんばかりに咲き誇る桜。なんのてらいもない、どっしりとしたおおらかさに、絵の前に立つ者までも気持ちが晴れやかに広がってゆく。そこには長い歳月を生き抜いてきた者だけがもちうる、つきぬけた明るさがあった」

19歳で結婚し、夫三岸好太郎と死別するまでの10年間の結婚生活。
生活の苦労が全部彼女の肩にかかっていたという。その後、1968年63歳でやはり画家になった息子黄太郎一家と南仏カーニュに移住。そこでの生活を始める。20年余りほどの滞在後1989年に帰国。1999年94歳で死去。彼女の94年の生涯は、彼女の言葉を借りれば まさに“時々刻々戦いぬいた”生涯で、炎のごとく情熱的に生きたのだ

彼女の絵の赤色は、その情熱の色、心に燃やし続けた炎の色かもしれないと思った。

今日このブログ記事を書いていて、
「いつか三岸節子記念美術館でゆっくりと彼女の絵を見たい」
と密かに願っている私がいるのに気がついた。

(尚、ブログに載せた絵は、雑誌とwebから拝借しました)



# by PochiPochi-2-s | 2016-07-04 16:01 | 絵画展 | Trackback | Comments(4)
2〜3日前からヤマユリの蕾が急にふっくらとし始めていた。

「あらっ、もうすぐ咲くわ。
今年も 去年のようにヤマユリの絵を描けるかなぁ」

今朝いつになく早く起きたので庭に出てみると、
ヤマユリの花が咲いていた!
去年は咲いたのが7月13日だったから10日も早く咲いたことになる。
嬉しくて、絵に描きたくて、写真を撮るのも忘れて切って花瓶に活けてしまった。
午後から早速スケッチを始めたが、なかなか思い通りにいかない。
花の形が難しく、描いた花の絵はバランスが悪い。
明日もう一度再挑戦と早い目に諦め、スケッチブックをしまってしまった。

明日は上手く描けるかなぁ?


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ヤマユリの蕾(昨日)


花瓶に入れたヤマユリを床の上に置き、
花の置き方を考えてみた。
どのような花がいいのだろうか。
正面から、真横から、花の中が少し見える等。

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# by PochiPochi-2-s | 2016-07-03 22:27 | Trackback | Comments(9)
「ズッコケ家族の旅」は いよいよパリを離れスイスへと向かう。
初めてのスイスに対する期待と不安に胸いっぱいだったことを
いまでも時々思い出すことがある。

スイスとの縁は深く、この旅行から実に20年後の6月半ば、再びスイスを訪れることになるなどその時には夢にも思っていなかった。そしてそれから8年後の、やはり6月半ば、もう一度スイスを訪れている。後の2回は、ドイツの友人を訪ねたあと立ち寄った私一人の旅であり、一度目はツェルマット、二度目はサンモリッツがおもに訪れ
たい場所であった。

また次の本は其々スイスに関する本で、何度も読み返した心に残る本である。
・佐貫 亦男(さぬき またお) 「アルプへ五十年」
・ヘルマン・ヘッセ 「わが心の故郷 アルプス南麓の村」
・新田次郎 「アルプスの谷 アルプスの村」
・犬飼道子 「わたしのスイス」


* * * * *


一、" Le Cisalpine "(アルプスの彼方)

7月23日(金)、12時30分、「ル・シザルパン」(列車名) は定刻発車した。生まれて初めて見るヨーロッパの風景 ー 期待と不安を乗せて一路スイスへ向う。親切なイタリア紳士の通訳で首尾よく4席を確保できたことは、実に幸運だった。
列車の乗り心地は最高。横2席プラス1席。席間のスペースはゆったりしている。ダークグリーンの座席は深々と腰かけれる豪華なもの。


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「ユーレイルパス」は全欧(英国を除く) の全線「一等」に乗車できる。日本の国鉄グリーン車よりも設備、スペースの点で優れているようだ。(もっともいまだかつて「グリーン車」に乗車したことはないが。)
フランスでは、TEEよりTGV(新幹線)に人気があるとのこと。しかし、TEEもなかなか捨てたものではない。
「日本の国鉄はダイヤに厳格」とよく言われる。そのことが定評であるかのように言われ、私もそう思ってきた。が、欧州列車も「時刻表」通り運行するのをみて、いささか「偏見」を打ちくだかれたようだった。


映画「鉄道員」(1958年、伊)のシーンによく出てくる駅 、 鉄骨造りの大屋根(ドーム)が列車もプラットフォームも覆っている ー そんなリヨン駅を出発して2時間。
ディジョンまでの車窓に見る景色は地平線の彼方まで緑の畑、牧草地、放牧場が広がった明るくのどかなものだった。
所々に干し草が整然と固められ定間隔で置かれてある。牛、羊がのんびり草を食べる様子に旅の疲れも休まる思いがした。

二、Lausanne (ローザンヌ)

列車は、ヴァロルブ駅に着いた。フランス・スイス国境の駅だ。パリから約4時間で「外国」である。
列車内にスイスの「入国審査官」が乗り込んできた。パスポート検閲、旅行目的、日程等簡単な質問を英語でする。
" Bon voyage ! " (ボン・ボワージュ「よい旅を」)とニッコリ笑って子供達の頭を撫でた「審査官」の表情、振る舞いには、「国境」という重圧は微塵にも感じられなかった。今までの緊張が解けて心休まる思いがした。
再び列車は走り出した。平原から山間への景色のうつり変わり、緑がより深くなってきた。車窓にポツリポツリ。水滴が長く尾を引く。雨が激しく降り出した。山々が霧の間に見え隠れする。鮮明には見えないが、山の傾斜地、緑に囲まれて、木造の小屋(chalet シャレー)が見える。写真に見るスイスそのものだ。


5時19分、ローザンヌに到着。学生時代に読んだ「武器よさらば」(E・ヘミングウェイ作)のラスト・シーンに出てくる雨のローザンヌの描写。
主人公ヘンリーが、戦争の難を避け、恋人キャサリンと二人で過ごす平和な日々。スイス山中での生活。ローザンヌでの出産と死。ヘミングウェイの簡潔な文章が綴る名作のシーンを想い出しながらプラットフォームに下りる。
「スイスに行こう」とパリで思いたった時、最初に浮かんだ地名がローザンヌであった。
"What track does the train for Montreux leave from?"
"????........"
"Quelle est la voie le train pour Motreux de depart?"
(ケレ ラ ヴォア ル トレン プウル モントレー デ デパルト 「モントレー行きは何番線ですか」)
『6ヶ国語会話』で即席に引いた会話文。さぞ聞きづらかっただろう。それでも親切に答えてくれた駅員さん。見知らぬ人の好意がこんなにも嬉しいものとは。
ダークグリーンの車体、“SBB CFF”の記号、スイスの国章を側壁につけた列車が入って来た。
普通列車は満員。約30分の乗車後、モントレーに着く。
どの駅にも花が植えられてあり、まるでお伽の国のようだ。(続く)


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《アルバムから》
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TEEの中で仲良くなったアメリカ人の女の子ともっちゃん(娘)
マイ メロディーちゃんの「迷路遊び」をする
もっちゃん(娘の愛称)の得意な分野



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車窓から・ディジョン駅




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車窓風景(フランスの農家)




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車窓風景(フランス)
星草が丸く束ねられ一列に並べられている




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車窓風景
スイスに入った
この頃から雨が降り出す





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モントレー駅プラットホーム



# by PochiPochi-2-s | 2016-07-02 19:16 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(10)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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