和歌山へ

昭和20年8月9日午前11時2分。
長崎に原子爆弾が投下された。


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和歌山・加太の海
(友ヶ島)



今日は71回目の長崎の「原爆の日」
長崎市の平和公園で平和記念式典の様子をTVで見たかったが、
昨日に続き、今日は和歌山へ出かけた。
父・母・祖母が眠る菩提寺のお墓まいりに。
お盆のお墓まいり(14日夕方)にはまだ少し早いが、
誰よりも先にきれいな花をお墓に供え、父、母、祖母とお墓で話をしたかった。
天気も良く高速を使ってのドライブは、快適だった。

いつものことだが、和歌山へのドライブでは つい父や母の思い出話になってしまう。
今日は特に、昨日の天皇陛下のお言葉のこともあり、主人と私の2人の話は、どうしても戦争中の父母たちの気持ちに関する話題や天皇陛下の考えになってしまった。

穏やかな優しい父だったが、ただ一回だけ声を荒げて私や母に言った言葉があった。
「ワシの前で軍歌を二度と歌うな。聞きたくもない」
当時大学のクラブで男子学生たちがよく「同期の桜」を歌っていた。
仲間意識を高めるために。
夏休み合宿を終えた後帰った実家で、私もつい口ずさんだのだった。
その時の父の形相と声の調子は未だによく覚えている。
小6の夏、終戦記念日の戦没者慰霊祭の様子をTVで見ていた父がポツリと言った。
「タエコ(母の名前)、あの戦争が終わってから まだ16年しか経ってないんや」
小学校の卒業式当日、卒業生父兄代表で挨拶をすることになっていた父、
「本日は…」その後の言葉が続かなかった。
しばらくの沈黙の後、講堂に響き渡るくらいの大声で「ありがとうございました!」
その一言だった。
今から思うと、辛かった戦争を生き抜き無事復員、その後やっと生まれた初めての
我が子の卒業式。万感胸に迫り、何も言えなくなってしまったのだろうと。

小学校の教員であった母はいつも言っていた。
「二度と教え子を戦場に送らない」
昭和15年師範学校を卒業し国民学校の教師になった母。
戦後辛かったのは、生徒に墨塗をさせなければならなかったことだと言っていた。
そして、さらに辛かったのは、自分が教え戦場に送った生徒のほとんどが戦死してしまったことだと。
自分が師範学校で習い、正しいと信じ全く疑うこともせず生徒に教え、
彼らを戦場に送った。そして彼らのほとんどすべてが戦死してしまった。
その辛さは計り知れないものがあったことだろうと、今になってよく解る。
母は、父が無事復員した時すぐに一度教師を辞めている。
(その後生活を支えるために、復職したが)

今この時期での、重い意味のある天皇陛下のお言葉。
その一言一言の言葉の端々に浮かび上がる天皇陛下のお気持ち、考え。
どのような気持ちで、言われたのだろうかと。二人の間で意見は尽きなかった。
『国民統合の象徴としての天皇』が国民の理解を(政府にではなく)国民に求めた。
このことの持つ意味は大きいと思った。

ここ2〜3年の間に、
日本の社会は大きく方向転換しようとしているように思えてならない。
そんな中、戦後71年、父母の世代の悲惨な経験とその後の努力の結果もたらされた
この平和を改めて考え、我々世代もまた維持するよう努力しなければならないと思う
和歌山へのドライブであった。

お墓からの帰り、ふと思いつきで" 加太周り"で帰ろうと思った。
もう何十年も行っていない加太。
海を見たかったこともあり、懐かしい思い出もたくさんある加太の海。
大川峠の真下ににトンネルができており、
あっという間に大阪方面に抜けれたのにはびっくりした。
相変わらず美しい海に心は満たされ、気持ちも穏やかになったのだった。


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加太
(地図はウェブサイトから拝借)
友が島は、晴れた日我が家の2階ベランダからも見える



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淡島神社

ここで食べる焼きサザエの味は格別のものだった


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加太漁港

ここの桟橋から小さな船に乗って
友が島によく遊びに行った





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友ヶ島
遠くに淡路島



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海岸から地島を見る



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加太海水浴場




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山の上に国民宿舎
天空の湯と呼ばれる温泉がある
この宿からの眺めは最高!
お料理もおいしい



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大川峠の真下に掘られたトンネル

まるで長野の安房トンネルのように
あっという間に大阪方面に通り抜けた
昔の峠までの
くねくね曲がって登った道が懐かしい
峠にあった砲台跡はどうなったのだろうか?



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途中、道の駅で売られていたイケスで泳ぐ鯛
養殖、一尾1800円
海釣りでうまく釣れなかった人が買って帰るのだろうか?




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トンネルをぬけると大川村
すぐに大阪方面へ続く海に出る
多奈川発電所が見えてくる




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もうすぐいつものロータリーへ
いよいよ大阪方面に向かう




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霞む関空

天気が良すぎて関空が霞んでなかなか見えなかった
車中から望遠でなんとか撮影する
対岸の六甲山が霞んでしまって全く見えなかった



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バブル崩壊で一棟しかできなかった関空ゲートタワー
りんくうパパラの観覧車も止まったまま

ここから再び高速に。



# by PochiPochi-2-s | 2016-08-09 23:15 | お出かけ | Trackback | Comments(6)

真夏のコンサート

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昨日の午後、連日最高気温を書き替えるような酷暑の中、コンサートに出かけた。
場所はいつもの、兵庫県立芸術文化センター。
阪急西宮北口駅に直結しているので、最寄りの駅から30分もあれば到着できる。
でも、このうだるような暑さの中の外出は考えただけでもぞっとするものだった。

チケットを買ったのは2月か3月だった。
しかも、4月の公演と8月の2回分の通し券だった。
"割引料金が適用される"という点にのみ思考が働き、"8月のこの暑さの中での外出"
など全くもって頭になかったのは、今更ながらとは思うものの 我ながら呆れ返える
ことだった。

コンサートは午後3時きっかりに始まった。
今回も、そのタイトル「モーツァルトの旅」に沿って、
モーツァルトのザルツブルグ時代に書かれた曲3曲だった。
ゲスト演奏家は菊池洋子(ピアノ)さん。

4月の公演で、指揮者ユベール・スターンの指揮者ぶりはだいたいわかっていた
また、PACオーケストラメンバーたちとのやりとり、そこに溢れる彼の人間味も
魅力の一つだった。
いつの間にか彼の指揮するPACオーケストラの演奏に聴き入っていた。
また、菊池洋子さんのピアノの音色は軽やかで優しい響きのするものだった。

コンサートが終了した時には、さすがにうだるような暑さも消え去っており、
どちらかと言えば、心地のいい微風が吹いていた。
演奏を楽しめた満足感で帰途につけたのは嬉しかった。
途中乗り換え駅の十三は、淀川花火大会を見物に行く浴衣を着た若い女性たち
で溢れていた。若さというエネルギーが駅のいたるところに満ち溢れていた。


【プログラム】

1) 交響曲 第29番 イ短調 K.201
2) ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 K.271 「ジュノム」
3) 行進曲 ニ長調 K.215 March in D major K.215
&セレナード 第5番 ニ長調 K.204 Serenade No.5 in D major K.204


# by PochiPochi-2-s | 2016-08-07 22:56 | 音楽 | Trackback | Comments(4)
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《立秋の日の朝の空》



もはや立秋。
時は立ち止まりもせず、どんどん流れていく。

8月に入ってから、連日、最高気温が塗り替えられている。
昨日はなんと大阪・豊中市(私に住む町に近い)で38.1℃だった。
体温よりはるかに高い。
クラクラときそうな温度であった。

例年どおり、午前8時から始まる平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに
平和祈念式)のTV放送を見て、黙祷を捧げた。

朝からすでにかなりの暑さだった。
71年前のこの日もかなりの暑さだったことだろうと想像される。
その暑さの中で、広島の町は原子爆弾を投下され、一瞬にして瓦礫の町になって
しまった。被爆した人たちの苦しみはどれほどのものであっただろうかと。
想像を絶するその惨憺たる光景を思い、胸が張り裂けんばかりになった。
たまたま勤労奉仕で広島郊外に行くため電車に乗っており、九死に一生を得た
高校時代の物理の先生の話を今年もまた思い出した。

昨年は戦後70年の記念の年だったからなのだろうか、
新聞、TV、雑誌等でが 広島長崎への原子爆弾投下や戦争に関する事柄を
早くからとりあげ、私たちの目に触れ耳にする機会も多かった。
しかし、今年は一転してかなりの静けさである。
70年と71年で、それほど大きな差があるのだろうか。
「いったいどうなっているのかしら」と心の中で秘かに思うのだが、
不安は隠せない。あまりにも静かすぎると。
また影絵作家・藤城清治さんの平和への想いの影絵を再び思い出した。
そして思った。
なぜ日本は「核兵器廃絶への共同声明」に署名をしないのだろうか。
世界の先頭に立って、核兵器廃絶への署名をするべきだろうと。

これから夏本番というこの時期。
カレンダーの上ではもう秋。
時は刻々と流れてゆくが、
立ち止まってこれからのことをじっくりと考えたいと思うこの頃である。



# by PochiPochi-2-s | 2016-08-07 11:37 | 思い | Trackback | Comments(8)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s