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『沈黙のひととき』

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いよいよ咲き始めた野ばら・モーツァルテム


ショッピングモールに行く用事があり、その後本屋さんに寄った。
何時ものごとく立ち読みをと雑誌のコーナーに行くと、「婦人之友」6月号が棚にあった。
手に取り、先ずは「こころの深呼吸」(海原純子・文)を読む。
今月の題は『沈黙のひととき』

音楽なしでは生きていけない筆者が、音のないひとときがないとやはり生きていけないという
書き出しで始まっていた。
彼女には「沈黙のひととき」と命名した時間があり、その時は音楽もかけないし、テレビもつけない。ベランダに座って、ただ風が頬をなでるのを感じたり、運河の水面が揺れて光るのをながめたりするという。

彼女は書いている。
沈黙のひとときにどっぷりつかっていると、呼吸がゆったり落ちついていることに気づき、こわばった肩や背中が緩んでくるのがわかり、まわりの木々や空や運河と一体になっているような感覚になる。こんな時間は私の宝物だ。
だから時々、人は何故、そんな素敵な沈黙のひとときを音で埋めつくそうとするのだろう、と思う。見るわけでもないのにオンにするテレビ、聞くわけでもないのに流しているラジオ。もし音がなかったら、もっとくつろげるのにと、よく思う。

その後、沈黙がこわくてしゃべり続ける、彼女が通っているスポーツクラブのインストラクターの話やタクシーで流されるビデオCMの音などについて書き、「一緒に黙って空を見上げていても、気づまりではない人や猫たち。黙っているほうが互いの心を感じあえる相手、そんな友をもつのが幸せだと思う」と結論づけていた。

“沈黙がこわくてしゃべり続けるインストラクター”という言葉に思い当たることがある。
絵の教室は和やかな雰囲気で始終誰かが話をしている。
しかし、時には「静かな時間が欲しいなぁ」というのも正直な気持ちではある。
しゃべりながら絵は描けない。家に帰ってからもう一度描きなおすことも多い。
先日、教室が一瞬シーンと静かになり、みんな黙々と描いていた時間があった。
その時、あるひとりの人が言った。
「ねぇ 先生。Tさん(長期欠席中)のおしゃべりが懐かしいですね。
こんなに静かだと気持ちが悪くて絵が描けない。賑やかなほうがいいのだけれど」
唖然とした。
でも、そのひと言で教室は再び始まったおしゃべりで溢れた。
「この雰囲気がいいのよね」
彼女のひと言が、私には、どこか遠くの方で聞こえていた。

家で描くときはCDをかけている時が多いが、真剣に描いているときは何もかけず、
ただひたすら黙々と描いている。そんな時間も好きだと最近わかった。

できるだけ「沈黙のひととき」を持てるようにしたいなぁと思ったのだった。


* * *

今日の夕食
男の手料理・サーモンとマグロの握り

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by PochiPochi-2-s | 2018-05-15 23:25 | 思い | Trackback | Comments(10)

心弾む朝


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思い出のチーズケーキ
(以前の写真から)



朝早くうれしいメールに気がついた。
ニュージーランドに帰ったグレンからだった。
彼は、以前、主人の勤めていた高校のALT(英語補助教員)で、何故かわが家が気に入り、
よく遊びに来ていた。
私も彼が喜ぶだろうからと、彼の大好きなローストビーフを作りチーズケーキやフルーツゼリーを作ったものだった。自家製の梅酒の美味しさに感激し、私から作り方を聞き出し、“グレン酒”なるものを作っていたこともあった。
ニュージーランドに帰り、4年ほど前、一度シェリーを連れてわが家に遊びに来てくれたこともあった。
思えば楽しいことがたくさんあったなぁと、懐かしさで胸がいっぱいになった。

Hi S ko, I hope you and I Sensei are well. Shelley and I went out for dinner and
had a lovely dessert. It reminded me of the amazing cheesecake you would
make for me years ago. I hope you are both well. Best wishes from Shelley
and I.

短いメッセージだったが、まだあのチーズケーキの味を覚えていてくれたこと、そして時にふれ思い出してくれることの嬉しさに心が弾んだ。
今日はきっとうれしい、楽しい一日になるだろう。

これから出かけます♪



by PochiPochi-2-s | 2018-05-11 07:48 | 思い | Trackback | Comments(0)

桐の花

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もらってきた桐の花



昨日はいつも乗る電車に乗り遅れ、絵の教室にギリギリ間に合った。
机の上には、ヤマボウシ(白とピンク)、オニグルミ、ヒナゲシ、キンポウゲ、ヤブデマリ、
ジャケツイバラなどたくさんの花があった。
さて何を描こうか。
ちょっと躊躇した。
「 I さん、そこの机の横のバケツに中に桐の花が入ってるけど。
もし描きたかったら、その花にしたらどうや」
先生から声がかかった。
言われた方を見ると、桐の花が2枝、バケツの中に入っていた。
ここ2週間、藤の花を描きながら、できたら桐の花も描きたいなぁと思っていたところだった。

桐には思い出がある。
卒業した高校には大きな桐の木があった。
正門を入ると、図書館の前にその大きな、古い桐の木がまるで両手を広げるかのように
精一杯枝を張り、堂々と立っていた。校名と校章はこの桐に由来してる。
学校のシンボルだった。
春夏秋冬、私達生徒はこの木の下で、談笑したり、本を読んだり楽しい時間を過ごしたものだ。
しかし何故か花の記憶はない。
若いってそんなものだろう。花なんて関心がなかった。
それ以外のことに夢中で過ごした高校生活だった。

次に思い出すのは、
震災前のJR神戸線灘駅の構内、線路脇に植えられていた1本の桐の木である。
いつの頃だったか忘れたが、偶然この木を見つけ、満開の桐の花を見たのもこの駅構内だった。
JR神戸線は私の生活圏にはあまり関係がなく、いつもよく使う電車の線ではなかったが、
常に気になる木で心の隅にある木であった。
神戸明石大震災で甚大な被害を被った神戸。
灘駅も古い昔の駅舎から新しい駅舎にすっかり様変わりし、線路脇の桐の木もなくなって
しまった。
今では時々この駅を利用するが、その都度、昔のあの桐の木を思い出す。
線路横の満開の桐の花が目の前に浮かびあがる。
懐かしさと寂しさを味わうのは私だけだろうか。

絵を習い始めてずいぶん経ったある時、先生が桐の花を教室に持ってきてくれた。
描きたいなぁと思ったが、花の形がとりぬくく、色も難しくどう描いてよいのか全くわからず
諦めたのだった。
描いてみようと思ったのは、その時からまた何年か経っていた。
おもいっきて描いた桐の絵。今でも大切にとっている。
それから何度か描いたが、昨日また描くことになり、
教室の2時間はスケッチだけであっという間に終わってしまったのだった。

明日は中学時代の恩師A先生を訪ねる予定があり、朝早くから出かける。
その準備で何かと忙しかったが、スケッチだけでも仕上げておこうと、少しでも時間があると
スケッチをしていた。
さて、どのような絵になるのだろうか?


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by PochiPochi-2-s | 2018-05-10 23:30 | 思い | Trackback | Comments(6)
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新緑の候・庭のケヤキ


昨日はその前日の夜中からかなり雨が降っていた。
教室に入っていくと、雨のためか先生が持ってこられた花は数が少なく、何本かあったアザミの花がもうすでに描きたいと思った人たちのもとにいってしまっていて何を描こうかと迷った。
ふとバケツに入れられたたくさんのフジの花が目に入った。誰一人描こうとは思わなかったようだ。フジの花は今までに何度も描いているが、結構時間がかかり難しい。しかし、誰も描かないのなら今年もまた描いてみるのもいいかなと思い、私だけが描くことになった。

週末は忙しい。
今日のうちに下絵を完成させておこうと、午後時間ができたのでいつものようにCDをかけ、
絵に向かった。描いているうちにいろんなことが次から次へと心に浮かんでくる。
昨日のpalletさんkazeさんのブログに載せられていた『タンポポの綿毛』の写真をふと思い出していた。大好きな画家・堀文子の「タンポポ」の絵(綿毛のタンポポ)も思い出していた。
いつかこんなタンポポの綿毛を描きたいなぁ。
描けるようになるだろうか。


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堀文子「タンポポ」

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綿毛を見るといつも手に取り、ふっと息を吹きかけたくなる。
昨日も絵の帰りに、道端でタンポポの綿毛を何本か見つけ、手に取りふっと息を吹きかけた。
その飛んでいく様子がなんともおもしろく何度も何度も息を吹きかけたのだった。
「ああ旅立ちの時だなぁ」
そう思いながら再び息を吹きかけていた。
ほんの一時、無邪気に綿毛を吹き飛ばし、心もすっきりした。


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原種アネモネの綿毛

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同じく


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原種アネモネ


下絵を描くのに疲れ庭に出てみると、
花の終わった原種アネモネの綿毛が風に吹かれ飛んでいた。
あの可愛かった花がこのような綿毛になるとは。
買った当時は思いもしなかった。
それからもう何年経っただろうか。
年々株は大きくなり、花がたくさん咲くようになった。
今年も花のあまりない時期に十分楽しませてくれた。
綿毛は風に乗り遠くまでふわふわと飛んでゆく。
芽を出し育った場所からは動けない植物の種を守る方法の1つである。
今年もこの原種アネモネの綿毛は遠くまで飛んでいくのだろうか。

こんなことを考えながら下絵を描いていた。
なんとかできたかなと思ったのは夕方5時過ぎ。
少しほっとした。

さて今年の藤の花の絵はどのような絵になるだろうか?




by PochiPochi-2-s | 2018-04-26 23:15 | 思い | Trackback | Comments(2)
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ふざけるSpice


今日は天気予報どおり朝から晴れ、気温がぐんぐん上がった。
こんな日は部屋の掃除と次男の部屋の不用品を片付け、不要なものは自動車に積み、山の中に
あるクリーンセンターまで運んだ。暑いとはいえ山の中はまだまだ心地よい風が流れていた。
最後の山桜もまだ少し残っていた。
薄い柔らかい、新芽の緑色の中に淡いピンクの名残の山桜の花びら。
所々に山の藤も満開になって咲いていた。
ドライブウェイを自動車で走りながら、窓から入ってくる爽やかな風と窓外に見える柔らかい
新緑の色でおおわれたこの時期限定の山の様子に魅せられていた。
ふっとなんの脈絡もなく、昨夜のアンジーからのメールを思い出していた。

昨夜パソコンを開けたらアンジーからのメールが届いていた。
ずいぶん久しぶりと読み進めるうちに、「あらっ、そうだったのか」と知ったことがあった。
アンジーはウールアレルギーだったのだ。
そうとは知らずに、
去年のクリスマスプレゼントにと毛糸のネックウォーマーを編んで送っていた。→
全く知らなかったとはいえ悪いことをしたなぁと。

彼女はメールに書いていた。
今年の冬は天気は安定しなかった。ほんの数日だけ寒いというようなものではなかった。
しかし、気温 −10℃のような寒い日にスパイスと散歩をする時には、あなたが私のために編んでくれたとってもすてきなネックウォーマーをしていたわ。でもね、私はウール・アレルギーなのでとっても寒い日にしか身につけられないの。シンガポールに住んでいた頃はウールアレルギーではなかったので、ドイツに住むようになる前にはたくさんウールのプルオーバーを買い込んでいたのよ。しかしこの冬はそのプルオーバーのうちの一枚さえも着れなかった。ここでは、大抵の家や、レストラン、その他の店ではとっても暖かく暖房しているので、ウール製品を身につけていると、途端にむずがゆくなるの。とても残念だわ」

このメールを読んでドイツのメミングさんや息子さんの家を思い出した。
アンジーの家と同じようにセントラルヒーティングで、温風が室内の壁の床に近い部分から噴き出してくる屋外はとても寒いが、屋内は暖房が効いてかなり暖かく半袖でも十分なのだろう。
日本とかなり事情が違うように思う。
暑い国で生まれ育った人が、寒い国の暖房が効いた家に住むことで引き起こされたウール・アレルギー。服を選び、着ることが大好きな彼女にはとっても残念なことだろう。

まあ、とっても寒い日には愛犬スパイスと散歩にあのマフラーをしていけるだけでもいいっか!
“the lovely scarf”といって気に入ってくれているらしいから。
最初からスパイスとの散歩の時にと思って編んだマフラーだから。
しかもウール・アレルギーということをさりげなく知らせてくれたことが嬉しかった。

その他にもの庭のこと、ガーデニングのこと、庭の片隅に作っている畑のこと、もうすぐ友人夫婦といくアイルランド旅行のこと等、いろいろと書いていたが、何よりも私がどのように過ごしているのかが一番気になるようだった。

もう一度ウルムに飛んで行きたいなぁ。
あの赤ちゃんドナウの川縁をおしゃべりしながら歩きたいなぁ。
窓外の美しい景色を見ながらそう思っていた。

次男の部屋がすっきりしたのは嬉しかった。




by PochiPochi-2-s | 2018-04-20 16:31 | 思い | Trackback | Comments(6)
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今日は朝から天気が悪かった。
夕方には雨が降るだろうとの天気予報が当たり、きっちり夕方から雨が降り始めたのだった。
他にもすることがあったが、今日は絵が描きたかった。
買い物から帰った後は、「さあ、続きを!」と描きかけのコバノミツバツツジの絵に向かった。

この花の色は難しい。
「紫系の色は選んだ一色の濃淡だけで描き、他の色を混ぜてはいけない」
先生はよくそう言われる。
その言葉が頭の隅っこをかすめる。
紅紫から薄い紫色にかけての色だなぁと思いながら、
この花の色に近い絵の具の色を水で溶いては試し塗りをする。
慎重に色を選ぶ。
さあこれでいこうと決め、昨日は薄く色をつけてみたのだった。

今日はもう少し重ね塗りをして色を濃く塗ってみようと試みた。
しばらくは何も考えずに黙々と塗っていた。
「あれッ? なんか変な感じ… 色が違ったかな。
あれほど試し塗りをしたのに。やっぱり紫系の色は難しいわ。
もう一度色を落として塗り直しかなぁ……」

午後の全ての時間を絵に当てたのになぁと悔やまれたが、気に入らない色では続けようという
気持ちにもなれない。
少々がっくりきたが、またやり直すということで、絵の道具を片付けることにしたのだった。
絵を描くのは時間はかかるなぁ…。
今日に午後の時間は一体何やったのだろう。
無駄な時間だったかもしれない。
上手くいかなかったので悔しい思いをした午後だった。

* * *

途中で、絵筆の手を止め休憩した時、いつものように海原純子さんの短いエッセイ・「こころ
の深呼吸 」(88)を読んだ。題は『今、この時』

海原さんは年に一回、沖縄に行きたくなり、突発的に出かける。だいたいは一泊の旅だという。
大抵の人は「なんてもったいない。せっかく行くんだからなるべく長くいないと、飛行機代が
もったいない」というらしい。
しかし、彼女は言う。
休みの取れない人にとっては、ここぞ、と言う時を見つけて行くので、「たった一泊、されど
一泊」となる。海からの風を肌に感じて深呼吸したその瞬間、体にたまった疲労がさっと飛んで行くのを感じる。長く休める時を持っていたら、その一瞬を得ることができないと。
「今、この時」と言う感覚は、先のばしにはできない。「今、そうしたい」は、心と体の叫びのようなもので、それをのがしてしまう方がもったいない。

また、ちょっと時間ができたときに泳ぐのも好きだという。
朝一番で泳ぎに行ったり、夜泳いだりすることもある。時間にして10分から30分ほど。
大抵の人は、「たった10分しか泳がないのに、出かけて着替えて髪を洗って乾かすなんて、
時間がもったいない」というらしい。
しかし、彼女は言う。
「たった10分、されど10分」短い時間でも「今泳ぎたい」と言う時に、身体をのびのびと伸ばして泳ぐと疲れが消えていく。

最後に海原さんは次のように結論づけている。
時間ってなんだろう。時間を「もったいない」と判定する基準は何だろう。
今、それをしたい、という体や心の声をしっかりときいて行動すると、時間の質が上がる。
それが時間を大切にすることだと私は思っている。
「いま、この時を大事にすると人生の質も上がるように思う。

* 今日は絵を描きたいと思い、黙々と絵を描く時間は決して無駄な時間ではないのかもしれない。




by PochiPochi-2-s | 2018-04-17 23:26 | 思い | Trackback | Comments(6)
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教室唯一の男性、Hさんに貰ったセッコク
挿し芽ででつくらしい♪


「まさか 同郷とは! しかも隣の中学校出身とは!」
思ってもいなかったことが今日の絵の教室のおしゃべりで判明した。

「昨日、あのバイパスを通ってまた和歌山まで行ってきたわ。
最終的には市内のお城の東、屋形町まで通っていたよ。
もう深日のロータリーを通ることもないし孝子峠を超えることもない。
時間がすごい短縮になると思う」

右隣に座る、釣り好きでよく加太に釣りにゆくOさんにそう言った時、左隣から声が聞こえた。
「和歌山に行ってきたって、実家ですか?」
3月から絵の教室の仲間になった唯一の男性Hさんの声だった。
「そうですよ。母親の御墓参りに。もうすぐ祥月命日やから」
すると、予想もしなかった言葉が返ってきた。
「僕も和歌山やけど、和歌山のどの辺り?」
「う〜ん、加太の2つ手前。加太線やわ」
「ええっ! 僕、松江やねん」
「あらッ、松江小学校で母は長い間教壇に立っていたわ」

それからだった。
Hさんはスケッチしている手を止めて、小声でボツボツと話し始めた。
お互い驚くようなことばかりだった。
わかったのは、
年齢は私より2歳下。隣の中学校卒。高校は同じ。学年は一つ飛んでいる。つまり1年生と3年生。ひょっとしたら廊下ですれ違っていたかもしれない。山登りが趣味。特に南アルプスが好き。退職までは教師だった。

最初見学に来た時、何となく先生だったのじゃないかなとは思っていた。
主人の元同僚にそっくりでそんな気がしたのだった。
彼の座席を決める時、たまたま空いていた私の隣を勧めたのも、Hさんともっと話をしてみたいと思ったからだったが、まさかこんなに近くで生まれ育った人だったとは思ってもみなかった。

世間は広いようで狭い!
おしゃべりのあと、黙々とコバノミツバツツジのスケッチをしながらそう思っていた。

女性ばかりの中に男性が混じるのは大歓迎。
話題の範囲は広がる。
男性と女性では思考方法が違うので、話を聞いていてもおもしろい。
いつまでも止めずに続けてほしいものだと願っている。


More まあ嬉しい、自分で作ったの?
by PochiPochi-2-s | 2018-04-11 23:27 | 思い | Trackback | Comments(4)

92歳の花咲か爺さん

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きれいに咲いた源平咲の花桃の花
(真ん中の松がちょっと邪魔なんだけど…)


「きれいやなぁ。みごとやわ。
毎年この花に会うのが嬉しくてわざわざこの通りを通るんよ。
Oさんのおっちゃん、もう90歳を超えてるのに、ひとりでよう世話をしてはるなぁ。
よほど花が好きなんやな。きれいに植えてはるもんなぁ」

近くに住む人たちが朝に、昼に、夕方に、この花を見るためにわざわざこの通りを通る。
Oさんの家の前で立ち止まり、この花を見上げる。
「今年もまたみごとな花を見ることができた!」と喜こぶ。
彼らの嬉しそうな話し声が聞こえる。
毎年この時期の、この辺りの風物詩になっている。

裏山の桜の花が満開になる頃、この源平咲の花桃の花も満開になる。
一本の木でみごとに白とピンクに咲き分ける。
門の上には黄色い花(レンギョウ?)を咲這わせて咲かせ、塀に沿っては、一列に並べたプランターにピンクのマラコイア プリムラ マラコイデス(西洋サクラソウ)を植え、
みごとに咲かせている。
サクラソウもかためて植えると華やかな感じになる。
地域を走るコミュニティバスを降り、山の方に向いて歩き始めた途端にこの花が目に入る。
ちょうどこの写真のように。
誰が見ても、92歳になる高齢の男性がたったひとりで手入れをしているとは思えないだろう。

毎朝の水やり。花後の花柄とりや何本かある植木の剪定までをも全て自分でする。
梯子に登っている姿は若々しくとても90歳過ぎには見えない。
私の家の斜め向かいに住んでいて、花とおしゃべりが大好きなおじいさんである。

私も花の世話が大好きだが、いったいつ迄できるだろうかと最近は少々不安になる時もある。
そんな時、このOさんの姿は、私にもうちょっと頑張ってみようと思わせてくれる。

近所で評判の花咲か爺さん。
来年もまたこの素晴らしい花桃の花が見れますようにと願っている。



《今日の夕食》

ムサカ
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茄子が残っていたので
久しぶりにムサカを作った。
とろけるチーズの味がなんともおいしかった。




by PochiPochi-2-s | 2018-04-03 22:09 | 思い | Trackback | Comments(9)
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咲き始めた啓翁桜


明け方ふと眼が覚めると雨の音が聞こえていた。
「天気予報どうりやわ。今日一日雨なのかなぁ」
いつの間にかまた眠ってしまっていた。
今朝いつもの時間に起きると、雨は激しく降り続いていた。
降る雨を眺めていると、ふと蓬莱峡のことが心に浮かんだ。
もう50年近くも経っているというのに。いまだにことあるごとに心に浮かぶ。
「彼らに恥ずかしくない生き方をしなくては」
再びそう思い、朝の用意を始めた。
庭では啓翁桜がちらほらと咲き始めている。
満開になる日も近いだろう。


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一昨日、絵の教室の帰り、何時ものようにいつもの本屋さんに立ち寄った。
デパートに寄り、地下のスーパーや手芸屋さんにより、最後に本屋さんに立ち寄る。
おきまりのパターンだが、今のところ気に入っている。
教室が終わってからの約一時間、ひとりで気ままにふらふらといろんなところに立ち寄る。
こんな時間が楽しくてつい心が弾んでしまう。

「あらッ、この絵。 牧野富太郎のスケッチだ」
立ち寄った本屋さんで婦人雑誌を手にとりパラパラとめくった時、偶然目にとまった。
植物学者・牧野富太郎の特集記事を掲載していた。


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2年ほど前、ひょんなことから思いつき買った本。
絵の教室で、先生はこの牧野富太郎氏のことをよく話される。
一度その植物画をじっくりと見たかったので購入したのだった。
本が届き、開いてみると………。
真っ先に「ジョウロウホトトギス」の絵が目に飛び込んできた。
黄色のジョウロウホトトギス。
スケッチの仕方、色の塗り方、そして何よりもその絵全体から受ける楽しそうな雰囲気に魅かれてしまった。


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右:ジョウロウホトトギス


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桜のスケッチ


この植物画集には 桜のスケッチのページがあった。
「まあ!」
その言葉しか出ず、あとはじっと見つめるだけだった。
その線の細さ、細かさ、繊細なまでのスケッチ。
しかしこのスケッチでもまたスケッチ全体から受ける”楽しさ“を感じたのだった。
桜の花ひとつひとつが、生きている楽しさを歌っているように感じたのだった。
明るさ、伸びやかさ、それでいて緻密、繊細。
「ああこんな絵が描けたらなぁ」
何時間でも飽きずに眺めることがができるスケッチだなぁと、完全に魅了されてしまった。

この、偶然手にとった婦人雑誌には牧野富太郎氏の次のような言葉が書かれていた。
「私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます。あるいは草木の精かもしれんと自分で自分を疑います。ハ、、、
牧野富太郎氏は、日本の植物分類学の基礎を築き、植物学史に大きな足跡を残した世界的な植物分類学者である。彼は全国を踏査し、約2500種の植物を発見した。そして植物の特徴を文章よりわかりやすく表現、記録できる植物図作成をした。鋭い観察力と精密な天性の画才で発見した植物を正確に忠実に写生した。

興味深い文章があった。
(当時、実際の色を出せる絵の具が日本にはなかったので、イギリス製の最高級品ウィンザーニュートンの絵の具を使用しました。〉
以前、湖水地方にあるピーターラビットの作者ベアトリス・ポターの住んでいたヒルトップを訪れた時にも、このウィンザーニュートンの絵の具をベアトリス・ポター愛用の机の上に見つけたことを思い出した。
私の愛用の絵の具もこのウィンザー&ニュートン。
なんだか嬉しく心が弾んだ。

一昨日絵の教室から持ち帰った桃の花のスケッチをしながら、牧野富太郎氏の植物画集を思い出し、「楽しそうな絵を描きたい。桃の花が歌っているような絵を描きたい」と心だけが先走っているのだが。
さて、どのような絵になるだろうか?


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by PochiPochi-2-s | 2018-03-16 14:19 | 思い | Trackback | Comments(8)

心に残る絵手紙

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昨日お昼過ぎからの激しく降った雨も今朝はやんだが、雨はまだ降りそうな気配がする。
昨夜テレビで「春バテ」という言葉を聞いた。
「夏バテ」なら知っているが「春バテ」とは、春の激しい寒暖差や春特有の環境の変化、ストレスが原因となり起こる自律神経の乱れから起こる症状であり、「だるさ」、「イライラ」、「やる気が出ない」などの症状だという。
最近なぜか体調が思わしくないのもひょっとしたらこの「春バテ」かもしれないと、
気持ちを切りかえようと久しぶりに美容院に行った。

「あらっ、この絵手紙。蕗の薹の絵だ。描き方がいいなぁ」

手渡された婦人雑誌(「家庭画報」・3月号)の表紙ををめくった時、目に留まった。
「心を伝える絵手紙/小池邦夫」のコーナーだった。
東北に住む高村光太郎が東京に住む遠い親戚に宛てた絵手紙だと説明されていた。

妻智恵子の死後戦争が始まり、人道的詩人と言われていた高村光太郎が、戦時中戦意高揚を目的とした戦争賛美の詩を作る。戦後そのことを悔い、岩手県花巻市郊外の山間に身を引き、62歳から69歳までの7年間もの長い懺悔の謹慎生活をしたという。そしてその地で、心の中に生きている智恵子と暮らしたという。

この絵手紙は、たぶん、その頃に書かれたものであろう。
蕗の薹の絵も味わいがあっていいなぁと思うが、文章も季節感のあるいい文章だと
思った。

ボ(オ?)テガミが届きました。
東京はもう春になった由、
こちらはまだですが、
雪の下からフキの花が出てきました。
此辺ではバッケと言ひます。

ふと秋田在住のブログ友momoさんの言葉、「蕗の薹、こちらではばっけといいます
を思い出した。

毎年この時期、必ずと言っていいほど蕗の薹の絵を描いている。
自分でもどうしてだかわからない。
蕗の薹を見ると、途端に描きたくなるから不思議だ。
最近も絵の仲間の一人がわざわざ土の中から掘り起こし、根つきの蕗の薹を持ってきてくれた。
そしてその蕗の薹を見た途端に描きたくなり、今年もまた”今年の蕗の薹“を描いたのだった。

どうして描きたくなるのだろうか?
そのなんとも言えないくらいに魅力的な色。
春を思わせる萌黄色の薄皮のような何重にも重なる薄い苞の中からそおっと出てくる、
やはり同じ萌黄色の小さい小さい花の塊り。
魅せられてしまう。

蕗の薹をどうやって描いたら私の気持ちを表現できるだろうか。
蕗の薹をどのように画面スケッチしようか。
最近はどの花でもすぐにスケッチせずに、しばらく考えて過ごすことが多い。
その”考えている時間”が、絵を描いている時間と同じくらいに好きなのだと
思うようになった。

『雪の下からフキの花が出てきました』
萌黄色の苞に包まれた蕗の薹はこの時期、春を知らせる花なのだろう。
この色、この蕾の愛くるしい形が春がきたことの喜びを表しているようだ。
絵手紙に書かれたこの言葉は、寒い厳しい長い冬を過ごしやっと春がやってきたという
東北地方に住む人たちの嬉しさが言い表されているように思う。
私の住む大阪は東北に比べるとかなり暖かい。
蕗の薹が雪の下から出てくるとはおよそ想像もできないが、
先日のmomoさんのブログにも雪の下の蕗の薹(ばっけ)や春の雪にいけたばっけの写真が
載せられていた。
春が近づいたと思われる頃に雪の下に蕗の薹を見つける。
その喜びはどれほどのものであろうか。
初めてわかったような気がした。

気持ちをきりかえるためにふと行った美容院で手渡された雑誌。
そこに掲載されていた絵手紙との偶然の出会い。
なんとも嬉しい心が弾む出会いだった。



by PochiPochi-2-s | 2018-03-09 13:46 | 思い | Trackback | Comments(8)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s