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『春の陽ざし』

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冬青(ソヨゴ)
少しだけ色をつけてみた…
う〜ん…なんか落ち着かない。
いらない葉っぱが…。
消すことにしよう


今朝起きた時にはかなり寒く、屋根の上には雪がほんの少し積もっていた。
2階の窓から見下ろしたガレージの自動車の屋根にもうっすらと雪が見えた。
そのような朝をむかえた新年の4日目、やっと今日からいつもの“.日常“が戻ってきた。

年末はなんとなく気忙しく、気になりながら全く絵を描かなかった。
しかし、そろそろ描いておかなくては間に合わないと思いはじめ、
今日は特別な予定もなかったので、いつもの家事をすませた後の時間を”絵の時間“にした。
しかし、無理やりに描こうとしても描けるものではない。
冬青(ソヨゴ)のスケッチは簡単ではなかった。
焦れば焦るほど描けなかった。
描いては気に入らないと消し、決してはもう一度描き、また気に入らないと消す。
その繰り返しで疲れてしまった。

気分転換しようと、
いつものように「すてきなあなた 2」(暮らしの手帖版)を本棚から取り出しページをめくった。
本を片手に、好きなお菓子をつまみ紅茶やコヒー、時にはお茶を飲む。
そのうえCDから好きなピアノ曲が流れていれば、最高の気分転換だ。

ふと『春の陽ざし』という短いエッセイが目に留まった。
なかなか考えさせられる内容だったので、ここに書き写しておきたいと思う。



・春の陽ざし

陽ざしがもったいないほど、あかるく、あたたかく、刺すような風もふと吹くのを忘れて、おだやかさだけが、あたりを満たしています。一年のうちにも、こんな日和は、そう何度もないような日でした。
朝のおせんたくも、部屋の掃除もすんで、FMラジオだけ、低くつけてあります。台所にも陽がさしこんで、洗ったお皿や小鉢を光らせています。レースのカーテンごしに、さっと通ったのは鳥のかげ、水をのみに来たのか、雀のさえずりがにぎやかです。
私は座って、目をつぶりました。そして、そのとき、ふっと気がついたのです。
もう長い、長い時間をついやして生きてきたけれど、まだ、私の前にも時間がある、それも大きな海のように…… そう思ったとたんに、なにか胸のなかがふくらみました。その時間のつづく限り、私はさまざまなことが、まだできるのです。
勉強も出来ます。手仕事もできます。旅をすることもできますし、人にやさしくすることも自分をいたわることも、なんでも出来るのです。
そう思うと、急に張りが出てきました。いままで先のことといいますか、未来のことなど、なにも考えずに生きてきたようでした。若いときは、未来、将来のことを思うと、気の遠くなるような思いがして、結局その日その日のことだけを考えて、すごしてきました。もう若くない年になって、ようやく、未来を、時間を大切にしなければ、ということにはじめて気がついたのでした。
これから残りの私の人生も、ちょうど、今日のようにあたたかく、心地よいものでありますように。



「もう若くない年になって、ようやく、未来を、時間を大切にしなければ、ということにはじめて気がついたのでした。」

本当にそうだなぁ。
これから先の時間、一日一日を大切にしなければなぁ。
つい最近、祖母(76年)や父(89年)母(80年)の生きた時間を考えはじめたとき、
初めて自分の残りの時間を意識し、いまを精一杯生きたいと思ったばかりだった。
だからか、おもわず書かれた内容にうなずいてしまったのだった。




by PochiPochi-2-s | 2018-01-04 22:30 | 読書 | Trackback | Comments(6)
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今年も今日を入れてあと2日。
お正月の準備に今日は一日台所で過ごした。
朝からぽかぽかと暖かかったので、台所にいても寒い思いはしなかったのがありがたかった。

お昼頃からお正月用にローストビーフを焼いていた。
その時ふっと昔読んだ本のタイトルが頭をよぎった。
タイトルは、『大晦日のローストビーフ』(秋山ちえ子・著、文春文庫)。
手元にあるこの本を、いつ、何を思って買ったのかは今となっては覚えていない。
しかし何度も何度も読み返したらしく、表紙はかなりヨレヨレになっている。
この本には忘れえぬ人々との出逢いを語った23の美しい物語が収められている。
その中でもこの本のタイトルになっている『大晦日のローストビーフ』は、印象深く、
コックになった長男の巣立ちをめぐる母親と子供の交流が描かれているので、
いつまでも心に残る作品である。

この物語は次にような文章ではじまっている。
我が家の正月料理には「ローストビーフ」がおせち料理としておさまりかえる。これは、長男が毎年12月31日に自分で焼いて届けてくれるもので、、牛のロース、3キロか4キロの「ローストビーフ」は、見事というより他はない。
30日になると、白い金巾の布で包んである包丁を出して明日にそなえる。クレソン(西洋水ゼリ)、ホースラディッシュ(西洋ワサビ)を用意する。お皿はどれにしようかと大皿を出して見比べる。楽しいひと時だが、「ローストビーフ」がしっかりと届くまで私の心の中にかすかな不安がゆれ動く。これが届かないと、長男の生活に異変が起こったような気がするからだ。
12月31日の夜、「ローストビーフ」を切るのは誰にもやらせずに自分でする。一切れずつ心をこめて切る。肉の繊維の中に肉汁がほどよくもどってよい色を見せる「ローストビーフ」は、私の心の中に、過ぎてきた長男とのかかわりあいの日々を思い出させてくれるものであり、一年のしめくくりにふさわしいこととと思っている。

学校の勉強が性に合わなかった長男を、なんとか人並みにと思い、叱ったり、おだてたり、はげましたり、絶望して泣いたりした日々をくり返したあと、自分の子供の教育を真剣に考えるようになったこと。また、教育に公式があるはずはない、教育は一つ一つの命が持っている宝探しである、学校で見つけ出せない宝を持った子もいるはずだから、勉強の出来ない子が「ダメ」な人間というのはおかしい、いつか学校以外に生活の中で宝は探し出されるはずであると考えるようになったことなどが書かれている。
その後、長男は高校を出てコックになり、料理をやりだすと見違えるように生き生きしだした。学校の時は一度も見たこともない光景に家族は唖然とし、彼の宝は料理をする才能だったかもと思うようになった。5年後、彼は勤務先のレストランで認められ、ビフテキやローストビーフを焼くことができる“ストーブ前”の仕事を任された。その年の暮れの31日、彼はお歳暮として自分で焼いた「ローストビーフ」を母親に差し出した。しかし、その後、思い込んだら一直線の性格の彼が、職場での人間関係からノイローゼになったり、ノイローゼの症状から回復しだした頃70年安保の闘争に加わろうしたりする。母親は心配したり打ちのめされたように感じたり、錯乱状態のようになる。しかし、母親は最後には はっきりと母としての意見を言い、子供と真剣に向かい合う。その結果彼は安保闘争には参加せず、その前年の1969年の12月31日、自分で焼いた「ローストビーフ」が暮れのお歳暮として母親に贈られた。彼による二度目のローストビーフで、第一回目から4年の歳月がたっていた。

この物語のことを思っていた時、次男からのずいぶん久しぶりのメールがあった。
「ハル、アサヒ、リョウちゃん、エイちゃん、ケイスケ君たちに僕からと言ってお年玉をあげてほしい。お金は後でお母さんの口座に振り込むから悪いけど立て替えてほしい。お正月は年末年始の特別電車運行の応対の当番が当たってしまったので今年も帰れない。お兄ちゃんお姉ちゃんによろしく言っておいてほしい。仕事と忘年会で忙しくカレンダーが遅くなってしまってごめん」

兄や姉に比べ、次男は何事もゆっくりとのんびりと育ったので、母親にとっては小さい時からなにかにつけて手のかかる子であり、心配することが多かった。私には、この物語の長男が私の次男とある意味重なるように思われるのである。
この物語のように、母親というのはこんなものかもしれないと思った。
子供の成長が嬉しくてならない反面、ふとしたことが心配になり安心できない。
それだけにこの物語が強く心に響いたのかもしれなかった。

次男からのメールを見て、
「まあ今までいろいろとあったあのとっくんが何と成長したことか!」
と思うと、感慨深いものがあった。
喜びが大きいと、苦しかった時のことは忘れ、嬉しかったことだけが残る。
不思議なものである。

『大晦日のローストビーフ』
いつまでも心に残る物語である。



by PochiPochi-2-s | 2017-12-30 23:10 | 読書 | Trackback | Comments(10)

『さむがりやのサンタ』



「今日はクリスマス・イヴやけど、日曜日やからいつものように泳ぎに行く?」
朝食時、日曜日午後の水泳を”ルーティーン化“しつつある主人からのひと言。
「ええッ、こんな日にまで泳ぎに行くの?」
「とりたててこれといった用事もないし。行くのいや?」
そこまで言われたら……。
行くことにした。
クリスマス・イヴに水泳。
これもいいかと。

食事が終わって片付けている時、
ふっと「自分の子供の頃のクリスマスってどんなだったのだろうなぁ」と思った。
私にはクリスマス ツリーを飾った思い出もないし、
この日にサンタさんからのプレゼントをもらった思い出もないなぁと。
昭和20年代から30年代にかけての時代。
しかも周囲は田んぼや畑ばかりで、町の中のようなデパートやきれいなお店もなかった。
クリスマスの飾り、クリスマスソングなど見たことも聞いたこともなかったように思う。
クリスマスよりもお正月。
”♪ジングルベル“よりも”♪もういくつ寝るとお正月“の歌の方が馴染みがあった。
そんな時代だったのかもしれない。

ふと京都(市内)生まれ大阪(下町)育ちの主人に聞いてみた。
「子どもの頃、ジングルベルが鳴り、きれいに飾られたお店があった?
クリスマスツリーを飾ったことある?サンタさんからのプレゼントもらったことある?」
以外にも返事は「あった」だった。
やはり都会と田舎では違ってたのだなぁと思った。
私のクリスマスは、町のお城の近くにあった高校に通い始めた時からはじまった。
通学のために乗った市電は町一番の繁華街を通っていたからだった。
クリスマスの時期になると、デパートはきれいに飾り付けられていた。
キラキラと輝き、きれいだった。
今でもよく覚えている。
大学生になり、大阪や神戸で友達たちと一緒に過ごすクリスマスは、それこそ華やかだった。
振り返ってみれば明るく輝く楽しい時間だったなぁと思う。


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子ども達が小さかった頃クリスマスが近づくと、
特に、本が好きだった娘がこの本を持ってきて、お父さんに読んでもらうのが好きだった。
なんとも言えないユニークな可愛らしい性格とその絵。
子供たちは3人ともどの子もこのお話がほんとうに好きだった。
文字が少なく、言葉は面白く短い。
描かれた絵は美しい。
サンタのおじいさんのモノマネをしながらおもしろおかしくジェスチャーを交えて読み進める主人の読み方にみんな大笑い。
そのうちにページを開くと、子供達は目を輝かして、時には覚えたセリフをお父さんと一緒に言い、同じジェスチャーをしておおふざけにふざけながら楽しんだのだった。
今振り返ってみると、楽しくもおもしろい幸せな時間だったなぁと。
サンタさんからもらいたいプレゼントを聞き出すのがちょっと大変だったなぁと。

この本はいまリョウちゃんの大好きな本。
先日もお母さんに読んでもらって大喜びしていた。
娘の読み方、サンタのおじいさんのセリフの喋り方は、当時の主人とそっくりだった。
へぇ〜と、またまたびっくりし、心の中でひとりひそかに大笑いしていた。
彼女もきっとその時の楽しかったことを思い出して読んでいるのだろうなぁ。
親子2代に渡って共通の絵本があるのは幸せなことかもしれない。

水泳のあと、デパートに寄り大好きなイチゴフレーズのショートケーキを2つ買った。
二人でゆっくり音楽を聴きながら静かにクリスマス・イブを過ごしたい。

メリー クリスマス!



by PochiPochi-2-s | 2017-12-24 19:54 | 読書 | Trackback | Comments(4)

『雪のブローチ』

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「まあ。 なんて美しい!」
本を手に取り、ページを開いたまま、しばらくの間じっと見つめていた。
目がそこに吸い込まれていくようだった。
まるで雪が空から結晶になってどんどん降ってくる、その中にいるような感じがした。

「暮らしの手帖」91(12-1月号)の表紙をめくった最初のページに、
このたくさんの雪のブローチの写真が掲載されていた。
児童文学者・松岡享子さんが今夢中になって作っている『雪の結晶をモチーフにしたブローチ』なのだそうだ。

2ページ目の下に作り方に説明が載っていた。
≪ 古着のセーターの端切れに刺繍糸で模様を刺し、ふとん綿を詰める。芯は丸く切った牛乳パック。ピンをとめつけたフェルトをあてて縫いとじる。≫

最初は、雪の結晶の写真家、ベントレーの一生を描いた絵本の挿絵を参考に刺繍をしたそうですが、すぐに空想上の雪の結晶を刺すようになったらしい。
彼女は言っている。
「雪の結晶は、ひとつも同じ模様がないときいて、私もそんなふうに刺そうと思うようになりました。もしかしたら、ちょっと似ているのはあるかもしれませんが。最初のひと針を刺したら、あとは手の動くままに。すごく楽しくて、昨日もひとつ作ったら指先に火がついて、いくつもできてきました」
1年かけて100個を作りため、チャリティーバザーに出品。
売り上げは、東日本大震災で被害のあった陸前高田の支援活動にあてているという。

松岡さんは、『くまのパディントン』シリーズや『しろいうさぎとくろいうさぎ』(娘が大好きだった絵本)の翻訳者で、『なぞなぞのすきな女の子』の作者。また東京子ども図書館の創設者の一人でもある。子どもたちにお話を話して聞かせる活動をしている。

6年前の2011年6月、復興に協力してほしいという声を受けて陸前高田に行き、打ち合わせのため偶然訪れた小友小学校で子どもたちと出会い、お話をした。この事がきっかけとなりその時から、松岡さんと子どもたちはお話の力で結ばれた6年間を過ごしてきたという。
毎学期、子どもたちにお話をし、学期の終わりには全校生徒ひとりひとりに好きな本を選んでもらい、本にその子の名前を書いて贈る。震災で大切にしてきた本を失った子も、徐々に自分の本が増えていく。
松岡さんにとっても、お話を通していっしょに時間を過ごした子どもたちにとっても、共に過ごした時間は、大切な、貴重な、宝物にような時間だっただろうと思う。

松岡さんは、6年前初めてお話を語った時に、これから10年はこの小友小学校でお話を続けようと心に決めたそうです。体が動くかぎり、あと4年は通うつもりだという。
雪のブローチの売り上げは、子どもたちに手渡す本のお代になるそうです。

雪の結晶のブローチは、このような松岡さんの温かい心がこもっているからこそ
なお一層美しく、見る人の心を捉えるのだろうと思った。

一昨日偶然立ち寄った本屋さんで出会った「暮らしの手帖」の最新号。
この写真と記事で思わず買ってしまったが、
これから時間のある時やゆっくり過ごしたい時にこの本を開くことになるだろう。
読みたい記事がたくさんあったのが嬉しかった。


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松岡さん愛用の裁縫道具
手作りらしき針山がかわいい。





by PochiPochi-2-s | 2017-11-29 23:32 | 読書 | Trackback | Comments(4)

風工房

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「わあ、美しい編み込み模様。あらっ、この本、風工房さんの本やわ」
先日絵の帰り、ちょっと見たい本があったので、いつもの書店ではなくもう少し大きい紀伊国屋川西店に立ち寄った。その時まっ先に目についたのだった。
さっそく手にとってしばらく立ち読みをしてしまった。

『風工房』
私にはとても懐かしい名前である。
小さい頃から編み物は大好きだった。
祖母が東京土産に買ってきてくれた、当時流行りの大きなミルクのみ人形。
母にもらった残り物の毛糸でその人形の冬用のセーターやワンピースをよく編んでいた。
その頃はメリヤス編みとガーター編みしかできなかったが、それでもおもしろがってよく編んでいたものだった。そのうちにだんだんと縄編みができるようになり、アラン模様のセーターを編むのが好きになった。模様の図面を見るのが好きなのかもしれなかった。
子供たちが学校に行ったあと、本屋さんで編み物の本を立ち読みするのも楽しい時間で、今年は何を編もうかなぁと思いながらいろいろと考えるのも好きだった。
数多くある編み物の本に中に、「デザイン・風工房」という名前を見つけたのはそんな頃だった。風工房というちょっと変わった名前。他のセーターとは少し違った感じのする、編んで見たいなぁと思うデザイン。興味を引かれたのはいうまでもないことだった。

立ち読みしている間にこの本がほしくなりつい買ってしまったのだが、あらためてページをめくってみると、興味深い項目がたくさんあった。
風工房の成り立ち。デザインすること、編むこと。編み物でつながる旅と人。
特に編み物や毛糸を通しての旅や人とのつながりが書かれている章に興味がある。
「旅をして自由になる」という言葉にも惹かれる。
少しづつ時間を見つけゆっくりと読んでいきたいなぁと思う本であった。

しかし、まずはアンジーへのネックウォーマーを編み上げなくては。



by PochiPochi-2-s | 2017-11-25 23:37 | 読書 | Trackback | Comments(4)
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「あらッ、いいなぁ〜。
昔よく買っていた山渓のフラワーカレンダーやアルパインカレンダーみたい。
どのページを開いても山の写真を見ることができるし、
その写真を見ながらいろんなことに想いを馳せることができる。
きっと秘密のひとり時間を楽しめる!」

昨日のNickさんのブログでこの本が紹介されていた。
アップされていた写真を見、説明されている文章を読んでいるうちに、
どうしてもこの本を手元に置きたくなってしまったのだった。
すぐにアマゾンで調べ、注文した。
嬉しいことに、今日出かける直前に届き、早速持って出かけたのだった。
持っているだけで、何だか心楽しくハミングが出てきそうだった。

ああこの山。あああの山。あの時はこうだったなぁ。いつも笑い声があって楽しかったなぁ。
快晴だったなぁ。横なぐりの雨だったなぁ。台風の大雨だったなぁ。
疲れてふと足元にみたチングルマやハクサンフウロ ……

山や高山植物の花の写真を見、登山道・地図コースタイムや山小屋・施設情報をみていると、
何故だかわからないがワクワクしている自分に気がつき、思わずひとりクスッと笑ってしまったのだった。

これから きっと楽しい時間が増える!

※ 9/24 追記
Nickさんの説明によれば、高山植物136種の内、39種はNickさんの写真だそうです。
画像の提供者は8名で全員素人ということです。


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More もうひとつの楽しみ
by PochiPochi-2-s | 2017-09-23 23:36 | 読書 | Trackback | Comments(4)
「頑張ってセンニンソウの絵を仕上げなくては…」

午後、いつものようにセンニンソウの絵を取り出し、描き始めた。
この細かい、白い花を、"センニンソウらしく"描けるだろうか?
ずーっと、そのように思いながら書き足しては消し、消しては書き足している。
エイッと諦め、放ってしまえば簡単なのだが、そうすることが悔しくてできない。
失敗でもいいから、納得するまで描き続けたい。
「しつこいなぁ〜」
我ながらあきれ果ててしまった。


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※ (9/12 朝、この写真と取り替える)



気分転換に花屋さんに行きたくなった。
「あら、可愛い」

半耐寒性多年草
耐寒性 -7℃位
春〜晩秋 、草丈30cm

ちょうど植木鉢が空いていたから、デッキに飾るのにいいだろうと購入した。
まだしばらくは十分楽しめるだろう。
明日植え替えてあげよう。
花びらが何とも言えず可愛いし、小さい花の色も好き。

夕方もう一度センニンソウの絵に取りかかった。
きっとこの新しい花がエネルギーをくれたのだろう。
明日一日で完成するかなぁ。

🍀

久しぶりに吉野弘の詩を読みたくなった。

四つ葉のクローバー

クローバーの野に坐ると
幸福のシンボルと呼ばれているものを私も探しにかかる
座興以上ではないにしても
目にとまれば、好ましいシンボルを見捨てることはない

四つ葉は奇形と知ってはいても
ありふれて手に入りやすいものより
多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる
その比喩を、誰も嗤うことはできない

若い頃、心に刻んだ三木清の言葉
《幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか》
を私はなつかしく思い出す

なつかしく思い出す一方で
ありふれた三つ葉であることに耐えきれぬ我々自身が
何程か奇形ではあるまいかとひそかに思うのは何故か




by PochiPochi-2-s | 2017-09-11 23:46 | 読書 | Trackback | Comments(2)

海の色

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芦屋沖から見る大阪湾の海
遠くにかすかに友ヶ島、淡路島が見える


「あらっ、今日はプールの水がきれいだわ。9月に入り水を入れ替えたのかな」
プールに入ろうとした時に、水のきれいさにふっとそう思った。
クロール、背泳と泳いでいる間に、先日読み、このブログに書いた東山魁夷『日本の美を求めて』の中の「自然と色彩」の章を再び思い出していた。

この前は日本の風景の色彩についての部分を引用したのだったが、
今日思い出したのは、それに続くの日本の海の色彩について書いている部分だった。
「私はここで日本の海の色彩についても語らなければならない」
この文で始まっている。

東山魁夷は少年期を神戸で送っており、須磨の海岸で泳いだり淡路島で夏を過ごしたという。
その時の海の様子を次のように描いている。

夜明けの空が水平線の近くで茜色に染まり、万物の生命の象徴としての太陽が、若々しく生まれ出る荘厳な一瞬。磯近くは澄んだ緑色に、遠く沖のほうは青く塗り別けられた海面を、しろい縞模様を幾段にも描いて波頭が打ち寄せてくる真昼。空も海も透明な薄紫に沈んで、宵の明星が刻々と輝きを増す砂浜の静寂。暗黒の沖に点々と漁火が並び、渚に砕ける波が燐光を放つ夜 ー それらは今でも生き生きとした情熱となって私の中に残っている。

私は、海のそばで生まれ、育った。
小さい頃の遊び場は、いつも砂浜の波打ち際だった。
海に沈む夕日が好きで、夕方になるとよく見に行ったものだった。
東山魁夷の描く海の風景は、そっくりそのまま私の中の海の風景と重なるように思う。

彼は美術学校を卒業して間も無くの頃、ヨーロッパに旅し、2年間の留学生活を送っている。
船で約2ヶ月をかけて行き、再び2ヶ月をかけて帰国したという。
東支那海、南支那海、インド洋、紅海を経て地中海へ。 更にマルセイユで船を乗り換え地中海からビスケー湾、英仏海峡、北海を経てエルベ川を遡ってハンブルグへ。
帰りはナポリから乗船し、再び同じコースを辿って帰国した。

「海の色は天候や時間に大きく左右されるのは言う迄も無いが、それでも、その国なり地方固有の色調があると思わないではいられない」
この章の中でそのように言っている彼が日本の海の色について特に感じたのは、
留学を終えて帰国した時であったという。
殊に、船が瀬戸内海へ入ってきた時、「これが日本の海の色だ」と思ったと書かれていた。
日本画の色彩に、古来、最もよく使われている群青緑青という絵の具の色、
群青に緑青を混ぜることによって得られる微妙な色感の色だと思ったという。

小さい時から慣れ親しんでいる海や、今まで行ったいろんな海を思い出した。
太平洋側の海、日本海側の海、北海道や九州の海、またドーバーをフェリーで渡った時の海の色やバルト海の海の色、ハワイの海の色、サンフランシスコの海の色、カーディフやトーキーで見た海の色、スペインで見た地中海の海の色、ナポリ周辺の海の色など。

言われてみればそうだなぁ。
瀬戸内海の海の色が日本の海の色かもしれないと、私もまた思ったのだった。
(東山魁夷も私も関西育ちだからかもしれないが)

静かな、穏やかな海の色。
何かあると必ず見に行きたいと思う海の色。
じっと眺めていると心が安らぎ、いつの間にか気持ちが平静になっている海の色。
いつも心に浮かぶ海の色。
この色が群青と緑青を混ぜた色なのか。

さあもうひと泳ぎ。
「水泳が楽しくなってきた」とこの私が思うなんて信じられるだろうか?
3年前全く泳ぐことができず、水泳教室で苦労していたことが信じられない。
なんでもやってみるものだなぁと、嬉しくなったのだった。




by PochiPochi-2-s | 2017-09-10 23:07 | 読書 | Trackback | Comments(2)

「真夏の雪」

先週5日連続で「関口知宏ヨーロッパ鉄道の旅」(NHK BSプレミアム)が放送されていた。
偶然にも最初に見たのはドイツ編だった。
ブレーメンの街の光景が画面に映し出されていた。
懐かしく思い、ついそのまま最後まで見てしまったのだった。
電車を乗り継ぎ、北ドイツのブレーメンから南ドイツのバイエルンアルプスまで旅をする。
様々な人たちと出会い、話し、笑う、楽器を奏でる、歌を歌う。
そして旅の途中で頭に浮かんだ音、メロディで作曲をし、作詞をする。
旅の終わりには見事に曲が完成している。

途中トルコからギリシャにかけての番組は見ることができなかったが、
スペイン編、イギリス編、最後のスイス編は思わず見てしまった。
それらの国々や訪れた街・場所等は、私もかつて旅した国々・街・場所であり、懐かしく思い出す景色、出会った人々、彼らとの会話等がたくさんあった。また、番組の中で関口さんが感じたこと考えたこと等よく理解でき、思いを同じくすることも多かった。


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車窓に雪が… (2010/06/17)


スイス編を見ていた時だった。
番組の途中、冬でもないのに(服装からすれば夏だと思われる)雹が降ってきた場面があった。
その場面を見た瞬間ある景色を思い出した。
夏だのに一瞬雪が舞った景色だった。
サンモリッツからベルニナ線に乗り終点のイタリア・ティラノを往復した時のことだった。
行きは気持ちよく晴れ、快晴。車窓からの景色は言葉も飲み込んでしまうほどの絶景。
車両は天井までガラスの展望車だった。
同じ車両に乗っていた観光客は皆一様に大きく目を見開き、この瞬間を見逃すまいと必死の様子だった。写真を撮るカメラのシャッター音だけが鳴り響いていた。
終点のティラノに着くまで絶景ポイントを通過するたびに、車内はこの光景の繰り返しだった。


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車窓に雨 ( ティラノ → サンモリッツ)


行きは車窓からの景色を堪能した。
しかし、ティラノの街を散策した後、再び帰りのサンモリッツ行きに乗車する頃には天気は急変し、雨が降り出した。山国はこんなものだろうと思ったものだった。帰りはずーっと雨だったので、片道だけの人には気の毒な景色だった。雨ゆえ、ゆっくりと雨の景色を眺めたかったので、一等車の乗車券を持っていたが帰りは二等車で帰った。

電車が路線の最高地点(2253m)にあるオスピツィオ・ベルニナ駅に近づいた時だった。
急に雪が舞い散ってきた。
高度が上がると同時に気温が低くなり、雨が霙に変わり、霙が雪に変わったのだった。
そのちょっと前から少し肌寒くは感じていたが、まさか雪になるとは!
気がつくと、車内には暖房が入っていた。思いもしなかったことだった。
車掌にたずねてみると、この路線ではよくあることだとの返事が帰ってきたのだった。
その後高度が低くなるにつれ、再び車窓からの景色は雨になった。

TV画面を見ながらその雪の景色を思い出していた時、もう一つ頭に浮かんだものがあった。


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新田次郎「アルプスの谷 アルプスの村」(新潮文庫)。
その本の中にやはり「真夏の雪」という章があった。
その中で彼は、真夏の最中にサンモリッツで雪に降られた経験を書いている。
そして雪の中ピッツ・ナイールへロープウェイで登り、その展望台で見た霧の中に見え隠れする山の景色から、スイスの画家セガンティーニの絵を想い、セガンティーニが暮らし、彼のアトリエがある村マローヤを訪れたこと、そこで感じ思ったこと等が書かれている。

いつだったか忘れたが、この文庫本を見つけ夢中になって読んだ時があった。
2010年、友人のアンジーとメミングさんを訪ねて再びドイツに旅行に行くことに
なった時、この本を思い出し、もう一度読み耽ったものだった。
日本ではおそらく見ることができないだろうセガンティーニの三部作をぜひとも見たい、マローヤの村を訪ね、新田次郎がしたもと同じようにマローヤ峠からの景色を眺めたい、彼のアトリエを見たい、お墓にも行ってみたいと思い、アンジーの住むウルム(南ドイツ)からメミングさんの住むハンブルグ(北ドイツ)への移動の途中に、サンモリッツでの滞在を付け加えたのだった。
楽しく、心弾む時間だった。
あの時からもう7年が経った。
懐かしく思い出していた時、番組が終わった。

(※ 今日は夕方からアサヒちゃんの誕生会)





by PochiPochi-2-s | 2017-08-19 13:58 | 読書 | Trackback | Comments(8)

懐かしいリューベック

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ホルシュテイン門(2002年6月撮影)



水泳教室のある月曜日の午後は疲れきって何もする気になれない。
グタッとしてソファーにもたれ本を読んでいた。
東山魁夷『泉に聴く』

彼の書くエッセイは好きでよく読む。
ぼんやりとなんとなく読んでいると、突然「リューベック」という文字が目に入ってきた。
この題で書かれたエッセイだった。
「北方の門へ」、「広場にて」、「ブッデンブロークの家」、「追想の港」、「バルト海」、「北の水都」と副題のついた文を読み進めていくうちに、2002年ハンブルグ郊外に住む友人メミングさんを訪ねて初めて一人でヨーロッパに行った時のことを思い出していた。
子供たちが大きくなり、主人は仕事があったので休めず、不安がいっぱいの、全くの一人旅だった。彼女の家に宿泊させてもらい、そこを起点に自分の訪れたい街に、電車を使い日帰りで行くという計画だった。勿論滞在日数の半分ぐらいは彼女たちと一緒に過ごしたのだったが、行ってみたい街はたくさんあった。ハンザ同盟の盟主として実権を握り「ハンザの女王」と呼ばれていたリューベックもその中の一つだった。

彼はこのエッセイの最後に町の様子を次のように描いている。(昭和46年出版『馬車よ、ゆっくり走れ』)
【昔、バルト海の女王と呼ばれたこの町は、長い間、その余光によって照らされていた。第二次大戦で受けた大きな傷痕は、市民の、大変な努力で、よく癒されているが、東西ドイツの分割によって辺境の町になってしまい、広大な背後地を失った。しかし、やはり、歴史の年輪が重厚な雰囲気となって漂い、心に残る多くのものを持つ町である。私達は、真直ぐにホテルへ帰らずに、古風な街灯のともる家並みを、ゆっくり歩いて、聖マリア教会のそばを通り、広場へ出た。市庁舎や教会の塔に当てられた照明が、夜霧で散光されて、すべての建物に夢幻的な雰囲気を与えている。広場には人影はなかった。】

東山魁夷のエッセイで描かれているリューベックの街の様々な場所やシーン、そこに住む人々との会話の場面などが、私を再びリューベックの街に連れていったのだった。
懐かしい思い出が再び目の前に浮かび、赤煉瓦の古風な駅に着いた時の高揚した気持ち、ホルシュテイン門をくぐった時の喜び、聖マリア教会の塔にのぼり街を一望した時の感動、教会の建物の大きさ、そのまるで地中深く根を張っているのではないかと思えるほどドッシリとした存在感のある建物に圧倒されたこと、石畳の道路の美しさ、そこから中世の時代の人たちに生活に思いを馳せたこと、市庁舎前の広場で日向ぼっこをして時間を過ごしていた老人たちとした立ち話、市庁舎の建物の美しさに目を見張ったこと、帰り際たまたまお土産に買ったマジパンをメミングさんが大喜びしたこと、自分の夕食を減らしてまでもマジパンを食べたがったこと(このマジパンは一年に一度、クリスマスに親しい人たちの間でプレゼントされるものらしい)、トーマス・マンのブッデンブロークの家までの道のり、そしてその中を見学したことを話した時メミング夫妻が何故か大喜びをしたこと等、次から次へと懐かしい思い出の場面が浮かんできたのだった。

また、東山魁夷は、このエッセイの中でリューベックの町への想いを次のように書いている。

【これらの小説は、マンの自伝的な要素が多く含まれ、共にリューベックを舞台にしている。殊に、『トニオ・クレーゲル』の中では、この町の「北方の港町」としての感情が、強い郷愁を含んだ音楽的な諧調で奏でられている。
私は青春の日に、それらを読んで、深い共感を味わうと共に、いつのまにか、リューベックの雰囲気、町並み、路地が、心の中に描きこまれていたのである。それは勿論、現実のリューベックではなく、マンの郷愁としての町であり、私にとっては、殊に、霧の中の幻想のようなものであった。
以前、ドイツに留学していた時は、私はこの町へは来なかった。私自身、ここに郷愁を感じる年齢ではなかったからであろう。それからずっと後のことである。若い日々が、遥か彼方に沈み去った後で、私は再びこの小説を読み、深く心を打たれたことがある。私にはもう一つの町のイメージが二重になって、背後に浮かび上がってくるのを感じていて、そのために、一層感じ方が強かったのであろうか。この北の港町とは、風土的には全く異なった環境にあるが、私にとっては故郷としての意味を持つ、瀬戸内海の港町、神戸である。】(エッセイ「リューベック」より)

もう一度、『トニオ・クレーゲル』を読みたくなった。
そして、この町を訪れたくなった。

もうあの時から15年も経った。
私も彼女もまだまだまだ若く、溌剌としていた。
もう一度近いうちにぜひ会って心ゆくまで話をしたいと思っているのだが、
なかなか重い腰を上げられないでいる。

『光陰矢の如し』

「過ぎゆく時間を大切に毎日を一生懸命生きていきたいなぁ」と改めて思い、
「さあ!」と夕食の支度にとりかかったのだった。
何故か元気になっていた。
思い出に元気をもらった日だった。


それにしても水泳は疲れる。
苦手意識の方がまだまだ先に立つからだろう。
水中での呼吸が苦手で、レッスンの最後に「何を泳いでもいいよ。ダウンだから」と言われると迷わず背泳を選ぶ私を先生はいつも笑うのだが、こればかりは仕方がない。


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街の全景(絵葉書から)


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駅舎 (2002年撮影)


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市庁舎(webサイトから拝借)



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聖マリア教会の上からのリューベックの町(2002年撮影)




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チケット





by PochiPochi-2-s | 2017-06-12 23:46 | 読書 | Trackback | Comments(4)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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