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興味津々 -「熊野まんだら街道」(神坂次郎) - (追加有り)

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連日日本各地で猛暑日が続くなか
よく訪問させてもらうunburroさんのブログで興味を持った記事・熊野 [一]〜 [六]に触発され、
長い間読みたいとは思っていたがそのうちに忘れ読まずにいた本・「熊野まんだら街道」(神坂次郎)が
手元に届いた。
この本は、以前父に関するを書いた時、北ドイツ在住の、当時ブログ発信をしていたsternenliedさんが
私へのコメントで紹介してくれた本だった。
この本の題名に触れ、興味があったらどうぞ読んでくださいと勧められたのだった。



この本の作者は、神坂次郎。
和歌山市出身の作家で大正12年生まれ。陸軍の軍人。
なぜか大正4年生まれの父の経歴を思い出させる。

「まえがき」は次の文章で始まる。
熊野は、かつて日本のなかの異郷であった。奈良や京の都の近くに位置しながら、都の文化とは相対する異文化を保ち続けてきた。
古くから熊野が謎(なぞ)の国、神秘の国と称(い)われたのも、そんなところからきているのであろう。
もともと熊野とは隠国(こもりく)の意であり、祖霊のこもりなす根(ね)ノ国、女神イザナミが赴いた黄泉(よみ)の国であった。中世、蟻の熊野詣(もうで)といわれるほどのおびただしい貴紳衆庶が足裏に血をにじませ遥(はる)かな山河を踏み越え熊野にむかったのもそこがこの世の外の異郷あの世であり、聖なる冥府(めいふ)であったからだろう。
人生に傷つき、絶望したとき、中世の人びとは心に熊野を念じ、熊野三千六百峰の果てにある熊野三山(本宮、新宮、那智大社)を目指した。京から往復およそ一ヶ月。南海の涯(はて)山重なり行く道はるかなりと「三宝絵詞(さんぽうえことば)」にいう熊野への道は、俗塵にまみれた過去の自分をその“死”の国に葬り新しく甦ろうとして辿る還魂蘇生(かんこんそせい)の黄泉還り(よみがえり)の道でもあった。………

作者がはじめて熊野を歩いたのは昭和二十年代の後半だったと書かれている。そのとき以来父親から命じられた仕事の関係で二十年以上、熊野は作者神坂さんの仕事場であった。
それゆえ熊野にはさまざまな思いがあるという。

本を開くとまず最初に次の『熊野まんだら街道MAP』が綴じられている。

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堺から始まる地図(番号は章を表す)は、和歌山市を中心に北部は私がよく知る地名が多い。
特に、
紀州街道、孝子峠、加太、和歌山市、和歌ノ浦、下津、有田、湯浅、由良、日の岬、御坊、南部、田辺、白浜。
また紀三井寺、根来寺、粉河寺、高野山金剛峰寺、道成寺など小さい時から父や母、祖母などとよく訪れた寺々。
思わずこの地図に見入ってしまった。

この本を再びよみたいと思うきっかけになったブログ友の記事を読みならいつも思っていたことがあった。
和歌山県はそれぞれの地域性があっても一つである。しかしよくよく考えてみれば、知っているのは和歌山市を中心として北部だけであり、南部に関してはほとんど知らず、時々TVで見る南部の人たちはかなり北部の人たちとは異なると思うようになった。特に、世界遺産になって以来取り上げられることが多くなった熊野を中心とする南部に関しては全く異なると思うようになった。

そして神坂氏の、あとがきに書かれている次のような記述に出会い、納得した。

和歌山県は五つの国から成り立っているとよくいわれる。
それらの説によると、第一の国というのは紀ノ川流域の伊都(いと)、那賀(なが)、海草(かいそう)の三郡と和歌山市、海南市。第二は、有田川流域の有田郡、湯浅町や有田市。第三は、御坊市を中心にした日高川流域地帯。第四は富田(とんだ)川流域の田辺市周辺。第五の国は、古座(こざ)川から熊野川に沿って新宮市を軸にした地域。これら5つの国が、それぞれ独自の生活圏をもち文化をもっていた………と説(い)うのである。
が、そこまで細分して考えることはないにしても、おおざっぱに紀伊半島を北と南と、そしてその真ん中にある中紀との三つの国と考えてもいいようだ。つまり、和歌山県人とか県民気質とかいうのは、この三つの国に住む人びとの三つの総和ということになるであろう。

さらにこのあとがきの記述によれば、紀州人が日本史に与えた影響は大きいらしい。
“日本の味”というべき味噌、醤油、鰹節を開発。捕鯨法や鰯網漁法を習得。江戸と大阪を結んだ菱垣廻船、尺八、虚無僧等々。また知らなかったことだが、明治新政府がモデルとしたのは紀州藩の郡県制度、国民皆兵の軍隊だったらしい。

目次は、
古熊野の道を歩く (まえがき) 、Ⅰ 泉州から紀州まで、 Ⅱ熊野路を往く、紀伊半島わが旅(あとがき)。1〜158の各章。
各章はそれぞれ短文だが味わい深い。特に”紀州人“の私には興味深い章が多くある。
まず最初に読んだのは:、(33)「紀州ことば」。
「和歌山弁には敬語がないと司馬遼太郎が言っている」というある人の、ブログ友のブログへのコメントが気になったからであった。

この章の最後に次のような文が書かれていた。
もともと敬語というのはインティマシー(親密さ)の問題で、京都のように他所者(よそもの)への応接が多い地や、薩摩のように階級観念のつよい国に発達した語なのだ。その点古来から土豪たちが各地に割拠し、家康をして“政治し難き国”と歎(なげ)かせた紀州に発達したことばは仲間意識がつよくて自由でくったくがない。誰にでもヘイ・ユウと呼びかけられるアメリカ語のような陽気さがある。

和歌山市海草郡で生まれ育ったが全く知らなかったことが多く、今更ながらこの本をもう一度じっくりと
読みたいと思った。
紀伊半島の風土、人間性に興味がわいたのだった。
もっと早くに読んでいればよかったと少々後悔している。













Commented by jyariko-2 at 2022-06-30 15:10
てんてんてんまり てん手まり・・・・
紀州の殿さまお国入り 赤いミカンになった気ななった気な・・・♪
紀州というところは赤い蜜柑がなるところなんだなーって思ったものです
Commented by milletti_naoko at 2022-06-30 19:36
熊野というと参詣が思い浮かぶのですが、四国の八十八ケ所巡礼やスペインのサンティアーゴ巡礼に通じるものがあるのだろうかと思っていたら、なんとイザナミが行くことになった黄泉の国で、祖霊がこもるとされた場所であり、それゆえの巡礼に皆が向かっていたのですね! 旅をするということは、特にかつては命の危険もあり、新たな自分となって、さまざまな知識も得て戻ることであったのはヨーロッパ中世の巡礼も同じですが、巡礼の意図に最初から、還魂蘇生があったとは。

和歌山は、かつて夫と日本を旅行したとき、高野山に行きたいという夫の希望があったので、白浜など周囲の他の町も訪ねたので懐かしく、お話興味深いです。
Commented by PochiPochi-2-s at 2022-07-01 21:06
☆ jyarikoさん

こんばんは。
今日も暑かったですねー。大阪は最高気温38.4度でした😰

そうですね。
でも、この歌は意味深でかなり怖い話らしいです。
紀伊半島は北と南ではかなり住む人の性格も文化も違うようです。
この本、おもしろいです。

Commented by PochiPochi-2-s at 2022-07-01 21:24
☆ milletti_naokoさん

こんばんは。
今日も暑かったです‼︎
大阪は38.4度。耐え難かったです。
そちらはいかがでしたか?

そうらしいです。
そして「還魂蘇生」。私も驚きました。
単なる熊野詣でだと思っていたのですが。まあ。この「還魂蘇生」が当初からの目的
だとすれば、多くの人が往復1ヶ月をかけ京都から熊野にやってきた理由がわかります。
それほど世情が厳しく、過去の自分を捨てもう一度(人生を)やり直したいと思う人が
多かったのでしょうね。

まあ、そうでしたか!
もしこの本を読む機会があれば、ご存知の場所がたくさん出てきておもしろいかも。
高野山はいかがでしたか?
私は2〜3歳の頃から父や母、祖母などに連れられてよくお参りしました。
今は世界遺産になったこともあり、かなり美しく整備されたしたようですが、
昔は鄙びたいい所でした。
Commented by unburro at 2022-07-03 10:54
おはようございます!

リンクしていただき恐縮しております。
ダラダラと、いつ終わるのか分からない旅日記…ですが
ちゃんと終わらせなければ、と良いプレッシャーをいただきました(笑)

和歌山だけでなく、奈良県、三重県を含む熊野路、紀伊半島という場所は、
本当に複雑で意味深い、不思議なところだとつくづく思います。

もちろん、日本列島のそれぞれの地域に、一般的な教科書では習わないけれど
それぞれに重要で、深く濃い歴史や文化があるわけですが、その一端を知った時、
私は、いつも京都や東京を中心にして語られる日本の歴史の不完全さ、を思います。

神坂次郎の「熊野まんだら街道」からの抜粋の、敬語の話もうなずきながら読ませて頂きました。
京都で敬語が発達した理由にも納得です。敬語って、敬う気持を表現するための言葉ではなく、
立場や関係性を分かりやすくするための道具としての言葉、なのだと思います。
京都人にとって言葉は、矛でもあり、盾でもある武器的要素が強いですね。
距離を測りながら使うことが、大事…ややこしいことです(笑)

私が出会った熊野の人々は、皆さん開放的で、初対面なのに本音で話してくださる、素敵な方々でした。
だから、短い旅でも、深く広い場所を巡った気持になったのだと思います。

「熊野まんだら街道」中古本をポチッとしました。
到着が楽しみです!
Commented by PochiPochi-2-s at 2022-07-03 23:24
☆ unburroさん

こんばんは。
いやいや、楽しみなブログです。
いつまでもお待ちしますからぜひ完結させてください。(^^)

本当にね。今更ながら自分が生まれた場所であるにもかかわらず
全く知らないことが多いのに驚きます。この際、今まで名前だけは知っていたが
全く興味がなかった南方熊楠について神坂次郎が書いた本も読んでみようと思いました。
“南方”という姓は和歌山には多いです。中学校や高校の同級生に何人かいます。

日本史が東京、京都が中心で書かれているのは、おそらく時の権力者たちがいた場所が
京都・東京だったからではないでしょうか。話はちょっとそれますが、例えば天気予報、
大雨や台風で大騒ぎをする時は大抵は東京が直撃される恐れのある時だけ。大阪から見れば
何をそんなにと思うのですが……。今でも中心は東京なんですね。

京都人の言葉や態度は、他所者の私には難しい。
褒め言葉も時には嫌味や批判になっているとか、襖絵にも意味深んな図柄があるとか。
例えば梅に鷹。「お帰りください」の意味だと聞かされびっくりでした。言葉は本当に難しいと思います。

ふふふ。私も古本で購入しました!
この本は紀州生まれの私にとってとても面白いです。
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by PochiPochi-2-s | 2022-06-30 12:51 | 読書 | Comments(6)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s