ストレリチア(極楽鳥花)
2020年 08月 04日
大好きなお父様との大切な思い出・・・
大事に読ませていただきました。
胸がいっぱいになり言葉がみつかりません。
・・・・。
ストレリチア、きっとお父様もご覧になっていますね。
可愛い10歳のPochiPochiさんと会ったような気持ち。
お父様のまなざしが優しいですね。
ストレリチアが庭で育つとはやっぱり暖かい土地なのですね。
私は生け花の教材で来るたびに悪戦苦闘していた花です。
いっぱいあれば生けようもありますが、一本~二本のこの花をどんなふうに活けたらいいのかわかりませんでした。
この頃スイカを食べるたび、PochiPochiさんのお父様との思い出がよみがえります。
こんばんは。
読んでくださってありがとうございます。
母よりも父をよく思い出す。
何故でしょうね。
父が大好きな花でした。
花そのものを好きだというよりも、この花を眺めることで
何歩のハルマヘラ島で過ごした時間、仲間を思い出していたのではないだろうか
と今になって思います。
こんばんは。
ありがとうございます。
活発なお転婆でした!
父との写真は意外と少ないのですよ。
多分カメラマンはいつも父だったのではないかと思っています。
だから貴重な(?)写真です!(笑)
優しい父でした。
まあ!
momoさんはこの花を生け花にいけていたのですか?
難しかったでしょうね。
まさか生け花の教材にあるとは、考えもしなかったです。
和歌山は暖かいですよ!
そうですか。
夏休み = 畑 = 西瓜・父
毎日毎日飽きもせず、畑の井戸で冷やしたスイカを食べていました。
もう一つは出荷していたサツマイモの水洗い、木箱詰め、夕方の木箱
の釘打ちを思い出します。
私が横枠を釘でうち、底の釘を父が打つのです。
だから私、金槌で釘を打つの大好きですし、上手ですよ!
夫より上手いかも。手を出しませんが…(^^)
父上様の思い出の花が極楽鳥花・・・植えておられたのですね。
ストレリチアをお庭に植えるなんて・・・想定外です。
お花屋さんでしか見たことのなかった花です。
お庭で育てるなんて、全く、思いもつきませんでした。
このはなを押される先生もおられますが、この花は、大きな顔にしか入りませんから、私は、敬遠しています。
一度、押して見なければなりませんね・・・
私も、父と写った写真がほとんどありません。大人しい、口数の極端に少なかった父でしたから。
それなのに、宿題は、いつも父がしてくれましたし、夏休みの図画も工作も、父が作ってくれました。
鉛筆削りも、勉強机の整理整頓もです。
小学校の教師だったのに、よくぞ、そんなことをしてくれたと、今になって思い出すと、変な父でした。
おはようございます。
yoshimiさんもこの花を知ってられたのですね!
まあ当然といえば当然ですが…
父は庭に植えていました。
和歌山は暖かいので冬でも大丈夫です。
西宮の大谷美術館(阪神香櫨園近く)の庭にも植えられているそうです。
絵の先生が言ってました。
たしかに。
絵の先生が描かれた白黒のストレリチアの絵が↓に。
一度みてください。
https://lmhar.exblog.jp/27834109/
まあ!先生だったのに?
yoshimiさんが可愛くてしかたがなかったのかも。
わが家ではいつも父は撮る人でした。
で、写真が少ないのかも。
お父様との写真にはプロペラ機が写っていて、映画のワンシーンのように物語が溢れていますね。
大人になるまで飛行機を見た事がなかった私に比べ、本当に都会育ちのお嬢さんだったのですねー!
こんばんは。
まあ、LAの家の庭にたくさん咲いていたのですか!
この花はおそらく父にとっては楽しかった(?)ことも悲しかったことも辛かったことも
いろんな思い出が詰まった花なんだろうなぁと今になって思います。
いや、都会育ちではなくまるっきしの田舎育ちでした。
こうやって写真には写っているのですが、行ったという記憶が全くないのです。
神戸港で大きな客船の前でも写真を撮っているのですが、それもまったく記憶が
ないのです。
伊丹に行ったのは多分、戦争前父がここでグライダーの格好訓練をしていたのでしょう。
グライダーの操縦免許や大型自動車の免許も持っていたようです。
この時期富士五湖めぐりの旅行もしています。
富士山の須走で頂上から駆け下りるという訓練を軍隊でしていたと聞きましたから、
この旅行も懐かしい場所を訪れるから参加したのでしょう。
戦後10年余り経ち、少しホッとした頃だったのでしょう。
ほんとねぇ。プロペラ機が写っていますね。
それとこんな間近で飛行機を見ることができたのだなぁと。
ロープで区切っていますものね。(笑)