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句集 『春隣』(石橋玲子・著)

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「序」より

何をもて 花に応えん 吉野山

写生はなにも自然だけを
描写するのではなく
心の中のつぶやきも
写生である
「俳句は存問の文学」
であるように
玲子さんは心に過る瞬間を
的確に捉えるセンスが
抜群である。
出会いを大切にすると
いう心掛けからくるものだろう

(水田むつみ ・「田鶴」主宰)




* 存問 (そんもん) : 安否を問い、慰問するという意味で使われる。
俳句では、慶賀、弔意、またはある出来事についての感慨を詠むこと。
広義にはその土地の風向、歴史など一切に対する親愛の情をも含む。
( Website 「俳句用語集」より)





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花の章

待つといふ心を揺らす花の沙汰

はじまりぬ心そぞろな花の日々


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初花の当てあるごとく歩きけり

初花のもう咲きさうに咲きさうに

何はとも吉野の花を見るまでは

ひととせを昨日のやうに花に逢ふ


♧ ♧ ♧


昨日のこと。
前日の朝からちらちらと舞っていた雪が夜中も降り続いていたのか、
翌朝起きた時には 庭にも、デッキの上にも、木の枝や自動車の屋根の上にも、
ほんの少しだけだが雪は積もっていてあたり一面白い世界になっていた。
心が弾み、歌まで歌ってしまった。
そんな日の午後、
雪はもうすっかり消えていたが、2階のファミリールームの本棚に懐かしい一冊の本を見つけたのだった。

句集『春隣』
6年前友人の石橋玲子さんが自分の詠んだ俳句の句集を自費出版し、その記念に私に贈ってくれた句集である。
彼女が俳句を詠んでいたなんてそれまで聞いたこともなかったので、
郵送されてきた本を手に取り、彼女が詠んだ俳句を読んだ時、とっても驚いたのを今でもはっきりと思い出す。

彼女と知り合ったのは今から30年ほど前。
大阪の某女子大学英文科の出身者でつくる英語グループに入れてもらった時だった。
私にはなんの関わりもなく、知り合いも全くいないグループだったが、
当時たまたまこのグループの存在を知り問い合わせてみたら、入会OKという返事だったので参加したのだった。
長男も長女も小学校高学年になり、自分ひとりの自由になる時間が少しでき始めた時だった。
子育てで好きだった英語から遠ざかり、自分でペーパーバックをコツコツと読みひとりで楽しんでいたとはいえ、誰かと英語を使って喋りたかった。
まだ手のかかる幼稚園入園前の次男がいたが、当時近所に住んでいた2番目の義姉が、親切にも2時間ぐらいなら預かってあげると言ってくれたので、おもいきって次男を義姉に預け参加したのだった。

グループは大阪市の南、住吉にあった某女子大の旧学舎を使っていた。
その場所は当時住んでいた家から近かったが、交通の便が悪く、自動車で通った。
アメリカ人やオーストラリア人、時にはカナダ人の先生の指導で思いっきり英語を使える2時間は思っていた以上に楽しいものだった。
何よりも子どもから離れ、思う存分楽しめる自分ひとりだけの時間は何事にも換えられない貴重な時間だった。
時は流れ、場所が大阪の南、住吉から大阪の北、梅田に代わっても、このグループは続いていた。

石橋さんはその某女子大出身で、グループの中心メンバーの一人だった。
卒業の翌年結婚し、その後ご主人の海外赴任で何年かの海外生活も経験し、帰国後英語講師をしていた。
メンバーの中では人一倍おしゃれで明るい性格の女性で通っていた。
英語はよく知ってるし、話すのも上手だった。
私よりひと回りちょっと年上の、優しいお姉さんにような感じの人だった。

そのグループで何年みんなと英語を楽しんだのだろうか。
私は40歳代だった
いまの家に引っ越したのを機会にこのグループをやめたのだが、
私がやめてから少し経って、メンバーの諸事情でグループも解散したとは聞いていた。
しかし、石橋さんが当時俳句を詠んでいたという記憶もないし、聞いたこともなかった。
私のお礼の葉書への彼女からの返信で、彼女が俳句を詠むようになった経緯を初めて知ったのだった。

私がやめる何年か前から、体調が優れないとは聞いていた。
グループが解散する頃 その体調が悪化し、英語にもあまり興味を持てなくなったという。
英語に代わる何かを探したくて俳画を始め、しばらく俳画を描いているうちにその俳画に自分の俳句を添えたくなったらしい。もともと彼女の祖父が俳句を詠み、小さい頃から俳句に慣れ親しんでいたこともあったという。
平成12年より独学で俳句を学び、「朝日俳壇」「NHK俳壇」に入選。
以後、「ホトトギス」に入会、「田鶴」に所属、平成23年に「ホトトギス」同人となる。
小さい頃から文学好きで文章を書くことが好きであった少女が、最後にたどり着いたのが俳句を詠むことであり、楽しんでいるうちにその才能が花開いたのだろう。

最近は年一回の年賀状の交換だけで終わっているが、
あれから20年あまりたった彼女とぜひ一度出会って心ゆくまで話をしてみたいものだと思った。
彼女は今年83歳になる。私が知っていたのは60歳頃の彼女である。
どんな素敵な高齢の女性になっているだろうか。
想像するとなぜかこころ楽しい。

あとがきに嬉しい言葉を見つけた。
『この句集を出すに当たり、金婚を迎えました夫が何くれとなく支えてくれた事にも感謝を申し添えさせていただきます。』
かつての私が知っていた頃の彼女がこのような言葉を言うなんて信じられない気持ちだったが、
何はともあれ、夫婦ふたり仲良く協力してこの句集ができたのだと思うと嬉しさでいっぱいだった。
私たちがよく聞かされていた“夫”が、時間の経過とともに“何くれとなく支えてくれる夫“に見事に変身していた。
すばらしいことだと思ったのだった。

仲良きことは美しきかな (武者小路実篤)








Commented by oshibanayoshimi at 2019-01-29 06:49
おはようございます。
良い句を拝見させていただきました。

拝見しながら・・・ホトトギスの俳句だと、すぐにわかりました。
子供の頃からホトトギス、玉藻が側にありましたので・・・

私の生まれた阿蘇の山奥の小さな町、小國というところは、俳句の盛んな土地で、子供の頃から俳句が身近にありました。私が小学2年生の頃、高浜虚子先生、星野立子先生、高浜年尾先生、お若くて美しかった稲畑汀子先生、ホトトギスの名だたる先生方が小國にいらっしゃいました。親戚の家で、朝に夕に、句会が開かれたことを覚えております。
虚子先生に頭を撫でられたことも、よくよく覚えております。母もホトトギスの同人でした。
懐かしくて、ついついコメントしました。
Commented by PochiPochi-2-s at 2019-01-30 12:09
☆ oshibanayoshimiさん

おはようございます。
お返事が遅くなり、ごめんなさい。
もうちょっともうちょっととベストの各パーツをつないでいるうちに
時間がたってしまい……です。その割には???です…

コメントを読ませていただいてoshibana 様と俳句の関わりを知り、
驚きました。すごい環境だったのですね。
お母様がホトトギスの同人だったのなら、oshibana 様も俳句を詠まれるのでしょうか?
石橋さんも九州福岡の出身で、小さい頃に福井に疎開したそうです。

私は俳句も短歌も全くできず好きな俳句や短歌を少しだけ知っているだけですが、
最近はちょっとだけ興味があります。(読むだけです)
母は晩年よく短歌を詠んでいました。
和歌山には西行の生誕地があり、その周辺では歌を詠むことが盛んです。
西行同好会(?)なるものもあります。
なぜ母が歌を詠むようになったかはよく知りませんが、亡くなる直前まで詠んでいました。
西行の歌が好きでした。
私は若い頃は西行よりワーズワースやブラウンングが好きでしたが、今は俳句や和歌も
いいなぁと思います。詠める人が羨ましいです。
Commented by oshibanayoshimi at 2019-01-30 12:44
こんにちは。
石橋玲子様は、福岡の方ですか・・・その後、福井へ・・・
福井にも、素晴らしい俳人が、大勢おられますね。虚子先生の小説の中にも出てこられます。
才能も感性も、大変豊かな女性なのですね。
お母上様は、和歌を作っておられたのですね。和歌は・・・とても難しいと、感じています。

私は、小学生の頃から、俳句は作っておりますが・・・母曰く「あなたは詩人では無い」そうです。(父似?)
結婚して、ここが俳句を作る環境ではありませんでしたから、やめました。母は、私を鍛える事を諦めて、
叔母(母の妹)を鍛えました。叔母は今、88歳、元気です。星野立子、星野椿先生の「玉藻」で勉強していましたが、
玉藻の選者が変わって、成績が落ちたと、嘆いております。

近頃は、新聞の俳句欄を読んだり、人様の句集を読んだりするだけです。

Commented by PochiPochi-2-s at 2019-01-31 10:12
☆ oshibanayoshimiさん

おはようございます。
押し花の名刺、すてきでしたね。
いいなぁ〜としばらく眺めていました。

英語を一緒にしていた時は、ほんとうに華やかな感じの人で、お喋りが大好きでした。
終わった後、みんなで喫茶店に行きしばらくお喋りするのが楽しかったです。

やはりoshibana様も俳句を詠んでられたのですね。
俳句を詠むには“詩人であること”が必要なのですか。
あのようなすてきな押し花作品をつくれる人が詩人でないはずはないと思うのですが。
いつかもう一度俳句を詠まれることはないのでしょうか。
お母様が鍛えられたという叔母さまも最近はもう俳句を詠まれないのですか。
成績に関係なく自分の楽しみで俳句を詠むということはなさらないのかしら。
俳句の世界について全く素人の私の言葉、もし失礼にあたるならお許しください。
これからもどうぞよろしくおつきあいください。
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by PochiPochi-2-s | 2019-01-28 17:27 | 思い出 | Comments(4)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s