句集 『春隣』(石橋玲子・著)
2019年 01月 28日
良い句を拝見させていただきました。
拝見しながら・・・ホトトギスの俳句だと、すぐにわかりました。
子供の頃からホトトギス、玉藻が側にありましたので・・・
私の生まれた阿蘇の山奥の小さな町、小國というところは、俳句の盛んな土地で、子供の頃から俳句が身近にありました。私が小学2年生の頃、高浜虚子先生、星野立子先生、高浜年尾先生、お若くて美しかった稲畑汀子先生、ホトトギスの名だたる先生方が小國にいらっしゃいました。親戚の家で、朝に夕に、句会が開かれたことを覚えております。
虚子先生に頭を撫でられたことも、よくよく覚えております。母もホトトギスの同人でした。
懐かしくて、ついついコメントしました。
おはようございます。
お返事が遅くなり、ごめんなさい。
もうちょっともうちょっととベストの各パーツをつないでいるうちに
時間がたってしまい……です。その割には???です…
コメントを読ませていただいてoshibana 様と俳句の関わりを知り、
驚きました。すごい環境だったのですね。
お母様がホトトギスの同人だったのなら、oshibana 様も俳句を詠まれるのでしょうか?
石橋さんも九州福岡の出身で、小さい頃に福井に疎開したそうです。
私は俳句も短歌も全くできず好きな俳句や短歌を少しだけ知っているだけですが、
最近はちょっとだけ興味があります。(読むだけです)
母は晩年よく短歌を詠んでいました。
和歌山には西行の生誕地があり、その周辺では歌を詠むことが盛んです。
西行同好会(?)なるものもあります。
なぜ母が歌を詠むようになったかはよく知りませんが、亡くなる直前まで詠んでいました。
西行の歌が好きでした。
私は若い頃は西行よりワーズワースやブラウンングが好きでしたが、今は俳句や和歌も
いいなぁと思います。詠める人が羨ましいです。
石橋玲子様は、福岡の方ですか・・・その後、福井へ・・・
福井にも、素晴らしい俳人が、大勢おられますね。虚子先生の小説の中にも出てこられます。
才能も感性も、大変豊かな女性なのですね。
お母上様は、和歌を作っておられたのですね。和歌は・・・とても難しいと、感じています。
私は、小学生の頃から、俳句は作っておりますが・・・母曰く「あなたは詩人では無い」そうです。(父似?)
結婚して、ここが俳句を作る環境ではありませんでしたから、やめました。母は、私を鍛える事を諦めて、
叔母(母の妹)を鍛えました。叔母は今、88歳、元気です。星野立子、星野椿先生の「玉藻」で勉強していましたが、
玉藻の選者が変わって、成績が落ちたと、嘆いております。
近頃は、新聞の俳句欄を読んだり、人様の句集を読んだりするだけです。
おはようございます。
押し花の名刺、すてきでしたね。
いいなぁ〜としばらく眺めていました。
英語を一緒にしていた時は、ほんとうに華やかな感じの人で、お喋りが大好きでした。
終わった後、みんなで喫茶店に行きしばらくお喋りするのが楽しかったです。
やはりoshibana様も俳句を詠んでられたのですね。
俳句を詠むには“詩人であること”が必要なのですか。
あのようなすてきな押し花作品をつくれる人が詩人でないはずはないと思うのですが。
いつかもう一度俳句を詠まれることはないのでしょうか。
お母様が鍛えられたという叔母さまも最近はもう俳句を詠まれないのですか。
成績に関係なく自分の楽しみで俳句を詠むということはなさらないのかしら。
俳句の世界について全く素人の私の言葉、もし失礼にあたるならお許しください。
これからもどうぞよろしくおつきあいください。