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『戦場から妻への絵手紙』- 終戦の日 -

《昭和17年10月、夫Yに召集令状がきた。戦車隊に入隊であった。
その時夫は四国での滑空訓練に参加して留守だった。結婚後1年10ヶ月目のことである。
現役では、皇居をまもる近衛一聯隊の兵隊であった。
昭和10年で初年兵として入隊2ヶ月余りで当時の2・26事件にかり出され、雪の中の靖国神社の大鳥居の前で反逆兵と刺し違えて殺されるところだったと、当時のことをいまでもよく話す。
戦争当時は、県の青年学校に勤務していた関係で色々な乗物(自動車・グライダー・サイドカー等)の運転免許を取っていたので、戦車隊49部隊に応招されたのだろう。
……………》

昭和63年3月2日の日付で書かれた、今は亡き母が遺した戦争体験記『太平洋戦争を体験して』はこのような文章で始まっている。
その後父は昭和18年4月18日未明、南方に向けて門司港から出航した。
輸送船は対馬丸であった。後に分かったのだが行き先がハルマヘラ島であった。
無事目的地に上陸した時、偶然出会った従兄弟(輸送隊長)に出会い、
いずれ東京に帰った時に妻宛に出して欲しいと頼んだ手紙がある日東京から届き、分かったのだった。

今日は戦後73年の終戦の日。
政府主催の全国戦没者追悼式のテレビ中継を見、黙祷を捧げた。
来年4月末に退位を控えている天皇陛下にとっては、今年の終戦の日は天皇として迎える最後の終戦の日である。
「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いをいたしつつ」
今年のお言葉の中に盛り込まれた新しい表現が、戦没者を悼み、平和を願い続けた天皇陛下のお気持ち、思いを表しているのだろうと新聞記事は伝えていた。


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戦没者追悼式のテレビ中継を見ながら、思い出していた本があった。
前田美千雄追悼画文集・『戦場から妻への絵手紙』高澤絹子 編 (講談社)
ずいぶん前に購入した。

昭和20年8月5日頃マニラ東北の山中にて戦死として推定される前田美千雄さんが、
出征以来戦地から妻絹子さんにあてた約500通もの絵手紙をまとめ出版された画文集である。

この本を初めて手にとった時、掲載された絵と文章から受けた衝撃は忘れられない。
いったいどのような気持ちで絵を描き、ハガキの文章を書いたのだろうか。
私の母が遺した体験記から想像される父と母の強い絆、その時の二人の気持ちがこの本の絵と文章とに重なり、
おもわず胸がいっぱいになったのだった。

この本の中から何枚かの絵と文章をここに紹介したいと思う。

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戦地からのエハガキこれが先ず第一便。予想した通り画題があり過ぎて何を描いてよいやら迷ってしまう。迷った揚句がこの花。花の名は知らず。上陸してまず目についたからという意味で描いたことにして置こう。つまり第一印象というわけだ。その第一印象を先ず第一にお前に描き送る。ことがらは簡単だが、内にひそんだ意味は決して簡単ではない。強烈な太陽の下に咲く花は、さすがに強烈な色をしている。僕も又強烈な意志を持って生活を貫こうとしている。決して心配せぬように。

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左から
白い花(昭和19年6月24日)・バナナ(昭和19年6月13日)
・黄色い花(昭和19年7月5日)・鳳凰樹(昭和19年5月15日)

「こんなつらい時代だからこそ
せめて、ゆとりの心だけは
忘れずにいよう」
いつもそう言っていた彼が
美しい花の絵を送ってくれるたび
切なさがむねにつまりました。
(妻・高澤絹子さん)


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僕のたのしみは改めて言う必要もないが、このエハガキを描くことに先ず第一指を屈する。
戦地のことだから、又暑いことだから、七(しち)めんどうな堅苦しい本などは読んでも頭に入るわけでもないし、かと言って小説ばかり読んでいるのも馬鹿馬鹿しいし、無駄話では又何も意味ないし、飲み食いはその場限りのものだし、習字はちょっと簡単に始められないし、と考えてくると軍ムの余暇の楽しみはこのエハガキ制作に勝るものは絶対ない。戦地の記録はたとえそれがどんな片々たるものでも、召された者のみが為し得る尊いものだ。この片々たるエハガキもたまりたまれば、何時かは僕の人生の歴史の何頁かを示すことになるのだと思うと楽しい限りである。


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南の海の印象。船が南へ近づくに従って海の色もだんだん変わって来る。海の色はと言えばすぐ藍色を思い出す。いわゆる青海原で、勿論南の海もそうであるが、しかし唯青海原と言っただけではまだまだ感じが薄いようである。それは丁度、海を全部濃い青インキで充したような、指を触れれば指がまっさおに染まってしまうのじゃないかと思うような物凄い青さである。そんな色をしているところは深さも物凄く、いわゆる底知れぬ深さであるに違いない。その海を見てからもう◯◯(原文ママ)日になる。早いものだ。(昭和19年6月23日)

(妻)
もし戦争がなかったら
一緒に美しいものを眺めて
同じ思いを分かち合えたのに……。
離れ離れになっていたからこそ
毎日の些細な出来事も伝えたい。
私は一心にペンを走らせました。


この絵と文を見た時、私の父もまた輸送船から同じ思いで南方の海を眺めていたのだろうなぁと感慨深いものがあった。

戦後73年。以前このブログで書いたのと同じ言葉の繰り返しになるが、世界史的に見ても稀な、奇跡的とも思われる平和な時間を過ごせてきた私たちの世代。私たちは、天皇陛下のお言葉の中にあるように「国民のたゆまない
努力」と憲法9条を維持することで、いまある平和な世の中を次の世代に伝えていかなければならないとの思いを今日また新たにした。




Commented by hanamomo08 at 2018-08-15 23:04
こんばんは。
秋田は今ものすごい雨です。
母は終戦記念日、たくさんの人たちの涙かな~といって先ほど眠りました。

>世界史的に見ても稀な、奇跡的とも思われる平和な時間を過ごせてきた私たちの世代。私たちは、天皇陛下のお言葉の中にあるように「国民のたゆまない努力」と憲法9条を維持することで、いまある平和な世の中を次の世代に伝えていかなければならないとの思いを今日また新たにした。
本当にそう思います、平和な日本がこのままずっと続きますようにと祈らずにはいられません。

お母様の書かれた体験記貴重なものですね。
八月に入ってからラジオでもたくさんの体験記を聞きました。皆さん必ずおっしゃるのは『戦争は絶対にしてはだめ』です。

絹子さんの言葉が胸に迫りますね。
もし戦争がなかったら

一緒に美しいものを眺めて

同じ思いを分かち合えたのに……。
いま私たちができることが出来なかったのはすべて戦争をしたからなのですね。
Commented by PochiPochi-2-s at 2018-08-16 16:48
☆ hanamomoさん

こんにちは。
昨夜の雨、大丈夫でしたか?
今日もかなり雨が降っているのではないですか?
そうですね。
あの戦争で亡くなった人たちが今の世の中を見たらどう思うでしょうね。
お母様が言わた「たくさんの人たちの涙かな〜」におもわず「そうかもね」
と返したいです。

戦争だけは絶対に駄目ですね。
「教え子を二度と戦場に送らない」と誓った母や父たちに世代の大半は
向こうに世界に行ってしまいました。
しかし、私たちはあらゆる手段を講じてなんとしてもこの平和を守らなければ
と思っています。
中東やアフガニスタンの惨状を見ていると、戦争の惨さ、虚しさ、悲惨さを感じます。
平和ほど尊いものはないと思っています。
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by PochiPochi-2-s | 2018-08-15 21:48 | 思い | Comments(2)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s