飛び上がらんばかりだった電話
2018年 08月 10日
この句は心に浸みています
良かったですね
声って変わらないものですね 声と口調
何年もあって居なくても分かりますものね
お訪ねになったらお喜びの事でしょうね
A先生、とても嬉しかったでしょうね。
お電話をかけるということは心がだいぶ元気になっている証拠ですね。
ゼリーを食べるときもきっと PochiPochiさんを思い出してくださるでしょう。
おはようございます。
この時代、いつも“ショーコちゃん”でしたから、
現在の姓はピンとこなかったのでしょう。
はがきのやりとりをしているのにねぇ……。
仰るように声、喋り方は変わらないから最初の一声で
ああやっぱりと思ったらしいです。
9月半ばにともう計画が進んでいます。
会えれば嬉しいのですが。会えることを願っています。
美味しいものが贈り届けられるこんな状況を母はいつも夢にぼたもちと言っていましたよ
先生も嬉しかったことでしょうね。何十年経っても教え子の記憶のとどまっておられる先生冥利の尽きますね。
前の記事を拝読して、素晴らしい先生!と思いました。
何十年たってもこうして生徒さんと交流のあること、素敵ですね。
私も恩師と電話で話したばかりですが、嬉しいものですね。
雪になる前に、会いにいこうと思いました。
こんばんは。
「夢にぼたもち」と言うのですか? 初めて聞きました。
この先生は特別ではなく、みんな同じようにいい先生たちでした。
田舎の学校で、一学年110人ぐらいの小さな中学校でした。
先生の数は校長先生、教頭先生、事務員さん(1人)、用務員さん(1人)を入れても
15人。当然各教科の先生の数は足りず、1人2教科を教えてられました。
英語と音楽、社会と英語、技術家庭と英語のように。体育ですら第一免許は
社会の先生でした。先生方はほとんどみんな和大の教育学科を出ていたので、
教職免許も第一(専科)と第二の2つを持っていました。
中3の時だけ第一免許を持つ先生が各教科を受け持ってましたよ。
それと国語と数学だけは第一免許を持っている先生が受け持っていました。
私の1年の時の英語の先生は本来は社会科で、2年の時の英語の先生(今回のS先生)は
本来は音楽専科でした。今だったら到底許されない事だろうなぁと思います。
でも、楽しかったし、先生方も生徒もみんな顔見知りでよく知っていました。
生徒は何しろ小学校から一緒で、今で言う小中一貫の学校と同じで す。生徒が変わらず
学校の場所だけが変わったのでした。下手すれば幼稚園から一緒という人も半数
ぐらいいましたから。
幸せな時代でした。
こんばんは。
前の記事も読んでくださってありがとうございます。
本当に心に残るいい先生なんですよ。
今度は事前に連絡して会いに行こうと思っています。
電話で昔の話をできる人が周りにいなくなったと言ってられたので、
思いっきり昔の話をして楽しんでもらおうと思っています。
9月中頃にどうだろうかと言う計画が進みつつあります。
haruさんも恩師に先生にぜひ会いに行かれるといいなぁと思っています。
先生は大喜びされると思いますよ♪