ウォーキングガイドのヘレンさんとふたりで、ヒースの咲くムーアから嵐が丘の舞台となったトップ・ウィスンズまで歩き、その後、その辺りに点在する西ヨークシャーの村々を歩き回ったんだった。あの時から何年経つのだろう。2013年の8月の始め
2週間ほど前、いつものように買い物帰りに立ち寄った本屋さんに入るやいなや、
このタイトルが目に飛び込んできた。
雑誌 mr partner (ミスター・パートナー) の特集記事のタイトルだった。
今年は『ジェーン・エア』の作者、シャーロット・ブロンテの生誕200年の年に当たり、この西ヨークシャーの片田舎にあるハワースでさまざまなイベントが行われるという。
思わず手にとり、パラパラとページを繰ってみた。
懐かしい風景、建物、西ヨークシャーの村々がそこにあった。
たくさんの写真や、興味深い特集記事が掲載されていた。
これらの写真を見、書かれた文章を読んでいると、
ウォーキングが記憶の中から鮮明に浮かび上がり、再び胸は高鳴った。
「世界中で、シェイクスピアに次いで読まれているイギリス文学は何ですか?
作者は誰ですか?」
友人のラヴィニアに会うために行ったロンドンでの現地バスツアーを利用してシェイクスピアの生地、ストラッドフォード・アポン・エイボンを訪ねた時、イギリス人の男性ガイドがツアー客に尋ねた。日本人は、私ともう一人、若い女性の二人。あとはカナダ人、アメリカ人が多かった。イギリス文学の好きなカナダ人女性は次から次へといろんな作家の名を挙げていったがなかなか当たらなかった。そんな中、ふっと私の心に浮かんだのが『嵐が丘』や『ジェーン・エアー』の作者ブロンテ姉妹、エミリー・ブロンテとシャーロット・ブロンテ。でも、「まさか…。私が好きなだけだろう」と思い躊躇して、その質問に答えず黙っていた。正解は、まさしく、その『嵐が丘』や『ジェーン・エア』であり「ブロンテ姉妹」だった。そんなに世界中で読まれているのかと、正直驚いたものだった。また、なぜそんなに世界中の多くの人たちに読まれるのだろうかと思ったものだった。
ハワース村への旅行から遡ること4年、2009年の秋のバスの中でのことだった。
では、自分はどうなんだろうと振り返ってみると、
学生時代、『嵐が丘』も『ジェーン・エア』のともに好きな小説で、どちらもそのストーリーに惹かれ繰り返し読んだ。また映画も何度も何度も見に行った。
確か英文学専門のゼミの女性の教授と映画についてよく話したものだった。
彼女は特に『ジェーン・エア』が好きなようだった。
まだ見ぬイギリスに憧れ、いつかヨークシャーという地に行ってみたいと思いながら
これらの小説を読み、映画を見に行ったのだった。
この特集記事では、今はブロンテ博物館となっているブロンテの生家、ブロンテ一家住んでいた当時のヨークシャーやハワース村の様子、ブロンテ一家の生活、家族の人間関係、『嵐が丘』の作者エミリーとアンの創作活動等について書かれている。読むにつれて、もう一度あのヒースの丘を歩き、『嵐が丘の』の小説でアーンショーの家とされてきた廃墟のトップ・ウィズンズで椅子に腰掛け、眼下に一面に広がるヨークシャーのムーアと村々を眺め、流れる風を感じたいと思った。
視界を遮るものは何もなく、地平線の向こうまで見渡せる景色を眺め、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込みたいと思った。
この雑誌は もう一度あの忘れがたい時間を与えてくれたハワース村に私を引き戻してくれたのだった。