太陽光線のありがたさ - 雛祭りに思う -
2016年 03月 03日
弥生三月三日。
例年なら楽しいはずの雛祭り。しかし、朝から補修工事の一つ、高圧洗浄による屋根の洗浄が始まった。
その機械の発する高い、耳障りな、うるさい音。さぞかし近所迷惑だろうと、事前のご近所への挨拶にもかかわらず気がきではなかった。とんでもない雛祭りの日の始まりであった。
《庭のリュウキンカ》
「めっちゃ寒いわ。たった一か所のシャッターを下ろすだけでこんなに部屋の温度が変わるものなん?それも、南側全部じゃなく一部分だけやのに…。あと3枚の硝子戸からは太陽の光が入ってきているのに…まるで北向きの部屋にいるみたい。寒いし冷えるわ」
主人も私も朝から部屋の中で震えていた。もちろんストーブをつけてはいたが、部屋の中にいても身にしみる寒さだった。屋根の洗浄のついでにシャッターも洗浄するからと言われ、
朝からリビングのシャッターを一か所だけ降ろしていた。
リビングは南向き。南面に向いて硝子戸が4枚とはめごろしの硝子戸が1枚。
前にウッドデッキがあり、天気の良い日は部屋の中は暖かく、昼間はストーブがいらないくらいである。
「たった一か所のシャッターが遮る太陽光線の量なんてたいしたものではない」
洗浄が始まる前は、そう軽く考えていた。しかし、足場を組み、家全体が薄い網のような防水の布で覆われ、更に丸一日中シャッターを降ろすということで、太陽光線が届きぬくいことは確かであるが、昨日まではこれほど寒いとは思わなかった。たった一か所のシャッターで、これほどの温度差ができるなんてと、改めて太陽光線がいかに暖かく、大切でありがたいものかということを思い知らされたのだった。
途中で一度買い物に出かけた時感じた暖かさ。家の外はとても暖かかった。今日は昨日、一昨日とはうって変わり、特に暖かかった。それだけに一層家の中の寒さが身にしみたのだった。
忘れがたい雛祭りの日になった。
生きている喜びを感じられるように生活したい
by PochiPochi-2-s