「お義母さん、今まで頂いた古くなったお守りをどうしたらいいのかしら?
神社に返納できるのですか? もしできるのなら、頼んでもいいでしょうか?」
お正月に長男家族が来た時に、お嫁さんが言っていた。
その後、忘れ物を届けに長男の家まで行った時、古いお守りを預かってきていた。
北野天満宮
昨日、主人は言っていた。
起きてみると天気はよかったので、
京都北野白梅町にある北野天満宮まで自動車で出かけることにした。
国道171号を走って約1時間半ぐらい。ちょうどいいドライブ。
北野白梅町に近づくと大文字が見えてくる
嵐電・北野白梅町駅終点は嵐山
北野白梅町は主人にとって懐かしい場所。
主人の父は京都で生まれ育った人。
木材を扱い、大阪で店を構えたが、
無理がたたって身体を壊し、主人が生まれてから2年半後に亡くなった。
戦争中一家は北野白梅町のすぐ近くにある等持院という所に疎開していた。
戦後すぐに、この場所で主人は生まれ、
一家が大阪に出るまでのしばらくの間、ここで育った。
義母や姉たちの会話の中によく出てきていた北野白梅町や等持院、北野天満宮。
何の縁もゆかりもない私でも懐かしく思うのだから、
主人にとっては、ほんとうに懐かしい響きのする場所なのだろうと思う。
彼の記憶の中には全く影も形もない等持院という場所、そこにあった家。
父親の記憶、父親の面影、匂いなど 何一つ覚えていないという。
彼には、母親や姉たち、時には親類の人たちの話の中に出てくる父親像しかない。
父親との別れの時期が、2歳半ではあまりにも幼すぎた。
「大阪に出る前まで、父親はこの北野天満宮の氏子であったらしい」
今日帰り際、主人はポツリと言った。
「あゝやはりこの場所を懐かしく思うのだなぁ」
そう思った。
ハルちゃんとアサヒちゃんの勧学のお守り2つ、リョウちゃんの健康のお守り
(干支守り)、長男のための厄除けのお守りと、たくさんのお守りを買い、
今年も健康で過ごせますようにとお願いをして帰ってきた。
古いお守りの返納所ももちろんあった。
きちんとお礼を言って返納し、心なしかほっとしたのだった。
私も、やはり日本人なんだなぁと思った日だった。
正面の門の飾られた今年の干支・猿の絵
宮司が描いた干支の絵
門を入ってすぐのところにある牛の像
白梅が3分咲きぐらいだった少し早い気がした
自分の治したいと願う場所を摩りながら願い事をすれば願いが叶うという牛の像
たくさんの人の願いを聞き入れてか、黒光りしている
境内の桜の木
帰り道の淀川の河原(自動車の中から撮影)
同じく、淀川の河原