絵を描くのに疲れテレビをつけると、
『日本の「運命」について語ろう』をとりあげ、著者の浅田次郎さんにインタビューをしていた。
彼はあるインタビューで次のように答えている。「僕らの世代以降は、歴史を正しく教わっていません。近現代は授業でやらなかったし、最近は高校の日本史が選択科目になっている。従軍慰安婦も靖国神社も、何のことかわからない人が多くなってしまいました。でも、そういう基礎的な知識が欠如していたら、外国人とつきあえないし、外交もできません。ぼくはこれまで欠落した150年の日本の歴史を勉強して小説を書いてきましたが、そこでこぼれた話をお伝えしてきた講演録が今度の本です」
また、テレビの番組の中でのインタビューで彼が強調していたのは、「戦後70年の今、歴史、特に幕末から現代に至るまでの150年間の近現代史を学び、“日本人が忘れてしまったもの・失ったもの”が何であるかを考えなければならない」ということだった。
戦後生まれの全人口に占める割合は、実に8割。番組のインタビューの中で、ある20代の若者に「戦争について何か知っていますか?」と尋ねると、「いや、あまり知りません。戦争は遠い過去の出来事。歴史の中に出てくるような」と答えた。知らないことが恥ずかしいとも思わないような感じだった。
浅田次郎氏は言う。「自分の『座標』(基点)を確立するためにも歴史を学ばなければならない。私たちは、今まで“きちんと”歴史を学んでこなかった。日本史の授業はいつも明治の初めで中途半端に終わった。日本史の授業はきちんとされていないので“日本を知らない日本人”ばかりになってきている。歴史を知ることにより、自分を知り、自分の基点を確立できる」
彼が言う日本人が失ったものとは、1. 和の精神2. 未来を考えられない
彼は言う。「和の精神とは、狭い国土・社会の中で、個の利益よりも衆の利益を大切に思い、他人を攻撃せず、他人に迷惑をかけない(かけてはいけない)ことであり、また、今よりも未来に重点を置くことである。しかし、現在は、“個の幸せ”、“今”を何よりも大切にするようになってしまった。
未来のことを考えるより、今現在のことしか考えなくなった。受験のために学問をするのではなく、学問のための学問をしなければならない。そうすれば、人間のペースを取り戻すことができ、精神的に豊かになる。幕末から現代までの近現代史を科目として教えるなければならない」
浅田次郎氏と同世代の私にはよくわかるインタビュー内容であった。全く同感。特に歴史教育について。
「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる」というワイツゼッカー氏の言葉をまた再び思い出した。
日本の最大の失敗は 「戦後学校教育で、日本の近代史を教えなかったこと」だと思う。
「何故日本は第二次世界大戦に突入していったのか?」この重要な点を顧みず、反省もないまま未来に向かって進むことはできないのではないだろうか。過去を知って初めて未来について考えられるのだと思う。
『1945年のクリスマス』・『マリコ』・『永遠の0』・『Fall of Giants』・『Winter of the World』・『終わらざる夏』・母の書き遺した小冊子『大平洋戦争を体験して』等、今まで読んだ本を思い出した。歴史教育の欠如の大きさを改めて思い知る日であった。
戦後70年の今年も、天皇陛下と皇后陛下が慰霊の旅に出かけられる。訪れる場所は、パラオ。激しい戦闘があった場所で生き残った兵隊はごく僅かだったらしい。現在もまだ生きておられるお二人を皇居に招待されお話を聞かれたという。
私たち国民も戦後70年の歩みをじっくり考えるときだと思う。