"Auld Lang Syne"
2015年 03月 06日
Should auld acquaintance be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance be forgot
And auld lang syne?
忘れがたき古き友よ
思い出すことがなくとも
忘れがたき古き友よ
どれだけ時間が経とうとも
……………
お父様は私の父と同じ年周りでしょう。
父は停車場司令部にいて兵隊さんが通過する列車に必要な物を手配する事務の仕事をしてました。
招集されて炊事当番をしてる時に上官に呼ばれ事務につくように命令され戦地の経験がなく終戦になりました。
写真を見ると痩せこけた白い顔の兵隊さんでした。
終戦の処理が終わるまで長くとどまって帰宅はだいぶ後だったと聞きました。
PochiPochiさんのご一家の様に一目あって最後のお別れと、同じような経験をした家族は数えきれなかったでしょう。
この国の指導者は経験した事を学んでません。
戦争にしても原発にしても、未来の人の為に私たちは何をしなければいけないか考えたいですね。
本当にそうですね。
今のままでは、「宇宙戦艦ヤマト」や「風の谷のナウシカ」のような世界
になってしまうようで恐ろしいです。
手塚治虫の「火の鳥」に登場してもらって火の粉を日本中に撒き散らしてほしい
気がします。もう一度、歴史を初めからやり直すように。
父や母の世代の苦しみや辛さを無駄にしないためにも、何をしなければなら
ないのかをよく考え行動しなくてはと思います。
父は大正4年生まれ、母は大正8年生まれでした。
私は、二人が結婚してから8年目に初めて生まれた子供です。
両親が同じぐらいの年だったのですね。
少し驚きました。
私の両親は、昭和16年に結婚したのですが、父は東京に、
母は和歌山にと、それぞれの仕事のため別れて暮らし、
結局は終戦後、結婚して8年後に、初めての子どもの私が
生まれました。
私の父も、戦争に関しては、ほとんど何も話しませんでした。
ただ母には よく話をしていたようで、その話を母から聞いたり、
また母が書き残した小冊子から知ったりしました。
「同期の桜」「海ゆかば」の軍歌は「聞きたくもない」と言ってた
のを覚えています。
平和であることの幸せを、感じています。