朝起きると、雪がちらついていた。お隣の屋根は、雪で真っ白。
出かけると、駅前で 2〜3人の 若い振袖姿の女性に出会った。「ああ、今日は成人式。雪がやみ、晴れてきた。よかったなあ〜」
「大学の卒業式に着る振袖を買ったから。楽しみにしておいて。奮発したわ」40年以上も昔、お正月休みが終わった頃、当時住んでいた下宿に 母から電話がかかってきた。
「成人式の時、振袖を買ってやれず、悔しい思いをした」と、それまで何度も聞かされていた。
当時、私の周りでは 着物より洋服(スーツかワンピース)の方がベターという雰囲気があり、洋服で出かける人が多かった。洋服で颯爽と歩く姿がカッコよかったのを覚えている。でも、母は違った。“母親としての思い” があったのだろう。
卒業式当日、振袖を着た私を見て、母がどんなに喜んだことか。今でも思い出すと、胸が熱くなる。
お雛様の時もそうだったと聞いたことがある。
終戦直後ではないが、田舎で まだまだ物のない時代。毎年、一組みづつ、内裏様から買ってくれたらしい。「お父さんとふたりで 娘のために買い揃えていくのが嬉しかった」と、
よく言っていた
。父と母の思いの塊のような私のお雛様だった。
毎年、雛祭りの歌を歌いながら飾ってくれたことを懐かしく思い出す。
「モッちゃん(娘の愛称)、高校の卒業式にこの振袖を着る?お母さんのやけど」「うん、着るわ。この着物好きやから」
《古いアルバムから・向かって右端》
長男と長女の通った府立高校には制服がなかった。
何を着ていってもよかった。自由だった。大学紛争のあおりで、紛争が高校にまで飛び火し、学校側と生徒が話し合った結果だった。
勿論、卒業式にも、何を着ていってもよかった。服装規定はなかった。2学年上の長男は「大学の入学式にも着るからスーツがほしい」と言い、お父さんと、 生まれて初めて 男二人で デパートに買いに行った。嬉しそうな長男の顔、今でも鮮明に覚えている。
学校は大阪の天王寺区にあったので、外国籍の子も多く、女子はスーツか貸衣装の羽織袴、外国籍の子はチマチョゴリ、チャイナドレス等民族衣装が多いと聞いていた。私は、秘かに、娘には ぜひ 私の着物を着せたいと思っていた。
兄の学年では、振袖を着ていた女子は 5〜6人いたが、娘の学年は、娘1人だった。陸上競技部の仲間は、目が飛び出るくらいびっくりしたらしい。特に男子が。「すごい人気で、頼まれて、男子一人一人とツーショットで写真を撮ったわ」と、翌日 彼女は 少々得意げに話していた。
後日、何枚かの卒業式の写真を見て、母が大喜びをしたことは言うまでもない。その時の母の顔、様子を 懐かしく思い出す。
娘はこの振袖が大好きで、その後もよく着てくれた。成人式、大学学部の卒業式、兄や従兄弟の結婚式、友人の結婚式等に。母が大奮発して買ってくれた振袖は、母娘の二代にわたって大活躍した。
今では、すべて 懐かしい 良き思い出。
“成人式おめでとう!これから先も幸多い人生でありますように”
心の中で、そっと祈った。