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プラハ回想

朝起きると、主人が、CDをかけていた。
スメタナの交響詩『我が祖国』
曲は、私に「プラハ」への旅を思い出させた。

《スケッチ旅行記・モルダウ川》
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《モルダウ(ブルダヴァ)川》
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ずいぶん昔、当時、フルートを習っていた小学校5年生の長男が、
「我が祖国・第2曲モルダウ」を、毎日 一生懸命練習していた。
その年の発表会で吹く曲だった。
印象的だった。

その時以来、そのメロディーが、嬉しい時 悲しい時 いつも私の心の中を流れる。
「チェコとはどういう国なのだろうか?」
「モルダウ川とは、どのような川なのだろうか?」

私とプラハとの初めての出会いだった。


《プラハの春》
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1997年、春江一也著「プラハの春」が出版された。
偶然この本を見つけ、さっそく購入。夢中になって読んだ。

1968年、『プラハの春』と呼ばれるチェコスロバキアの自由化運動を、旧ソ連が
戦車で侵入、弾圧。この事件を背景に、若き日本人外交官と東ドイツ女性との間で
生まれた恋愛の運命を描いている。

「プラハの春」という言葉は知っていたが、実際には どういうことなのかは
全く知らなかった。チェコという国を知るにつけ、ますます この国に のめり
込んでいった。

プラハは美しい町だった。モルダウ川はゆったりと流れ、西岸にはプラハ城、東岸にはさまざまな歴史的舞台となった旧市街や新市街があり、“百塔の街”とも呼ばれて
いる。人々は、その長い歴史のほとんどの時代において、小国であるが故に大国の
狭間で侵略され、弾圧され、苦しい時代を過ごしてきた。しかし 民族の誇りを
失わず、忍耐強く、自らの言葉と文化を守り続けてきた。その人々の苦しみや哀しさ、時には楽しいことも全てを見つめ、呑み込み、留まることなく、静かにゆったりと
流れてきたモルダウ川。

「人々の心の支えとなってきたこの川を、いつかきっと見てみたい」

2011年の8月15日。夢が実現した。

モルダウの他にぜひ見てみたい場所があった。


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《バーツラフ広場》


「絶望の淵にある民族を解放するため、焼身自殺という手段を取ることにした。…
8月を忘れるな」

1969年1月16日、午後2時過ぎ。カレル大学学生、ヤン・パラフは、遺書を残し
バーツラフ広場、聖バーツラフ一世騎馬像の元で、焼身自殺をした。
3日後に死亡。軍事介入から約5ヶ月後。20年後、1989年12月、モスクワでの
ワルシャワ条約機構会議でプラハの春への介入は誤りであったと認められた。

当時いったい誰が想像できたであろうか?
わずか20年後に ソ連の崩壊が起こるとは。

「未来がわからない、見ることができないから、私たちは現在を必死に生きる。
それ故、一人一人の人生、生き方に価値があり、尊いのだ」と、思う。



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曲が終わった。

ふっと我に帰り、思い出から現実に戻った。
いつかもう一度、プラハの街を再訪し、ゆっくりといろんな場所を訪ねたい。

さあ、朝食!





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by PochiPochi-2-s | 2014-11-01 22:38 | 旅行 | Comments(0)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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