昔から北海道には縁があり何度も訪れた場所ではあったが、
この北の果ての2島にはなかなか足を伸ばせず、ただただ憧れる場所であった。
『花の浮島・礼文島』
この呼び名が限りなく私の興味をそそる。
北の果ての島にはどのような花が咲くのだろうか。
北アルプスや南アルプスに咲く高山植物のような花なのだろうか。
知っていたのはレブンアツモリソウとレブンウスユキソウ(エーデルワイス)のみ。
この2島への旅行を決めた頃から、
利尻・礼文に関する本を何度も何度も読み写真を眺める日が増えていった。
心の中では『花の浮島礼文島』のイメージがどんどんと膨れ上がっていった。
そんな時だった。
私の礼文島のイメージに違った面が付け加えられた。
幼なじみK君と小中合同の同窓会(村には小学校も中学校もそれぞれ一つしかなかった)で
実に同窓だった高卒以来68年ぶりに出会ったのだった。
その彼が、私が利尻礼文に行くと知るとすぐに、礼文島で発見された縄文人の人骨の復元
写真をメールで送ってきてくれた。
考古学、歴史が好きで、特に縄文時代、古墳時代、戦国時代、明治時代が好きだという。
博物館や美術館に無料で入れるからとわざわざ通訳案内士の資格をとった変わり者(?)。
礼文島では香深にある郷土資料館を訪ねたらしい。
その時、礼文島で発見された縄文人の人骨を復元した女性の像と、最近東京の科学博物館で
出会ったと嬉しそうに書かれていた。
船泊遺跡から出土した特に保存状態の良い骨からDNAを解析し復元例えば、「女性/血液型はA型/40代/髪は巻き毛(ちぢれ毛)/目の色は茶色」等
その一枚の写真が私の興味をそそった。
俄然 礼文島という島の誕生とそこに住む人の歴史を知りたくなったのだった。

共に「利尻・礼文 花と自然の二島物語」(杣田美野里・宮本誠一郎 著)(P 8〜9、P90〜91)
読んでみてほんとうにおもしろいと思った。
そして縄文人が、現代の私たちが想像できない豊かな(?)生活をしていたのだということが
よく分かり、興味がさらに深まった。
しかし残念なことに、郷土資料館は宿泊したホテルのすぐ近くにあったが、団体ツアーゆえスケジュールが決まっていたので、入館できる時間が合わず立ち寄ることが
できなかった。
しかし、
幼なじみK君から送られてきた一枚の写真が私の礼文島へ興味の幅を広めてくれたのは
確かなことだった。
『花の浮島』だけではなかった礼文島。
そのことを知り、心に思い浮かべながら花ガイドと共に歩いたハイキングは
さらにすばらしいものなった。
バスは、まず第1番目の場所、スコトン岬に向かった。