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《雨のデッキから》

朝起きると雨。夜中から降っていたらしい。

「今日は一日雨。どのようにして過ごされているのだろう。
お元気だろうか。 体調は大丈夫だろうか」

雨が降ると、いつも思い出す人がいる。
中学時代の恩師、A先生。
一生忘れられない、心に残る人である。
黒いスカート、黒いセーターの上に、鮮やかなオレンジ色のカーディガン。
にこやかな笑顔。明朗快活。優しいけれど、はっきりとものを言う。和歌山弁。
印象深い先生だった。

「この文章の段落は、どこできれるのかな」
「そう、ここやね。段落の切れ目は」
「でも、なんで?」
「理由は?」

先生の授業は、おもしろく、いつもワクワクしていた。
私の興味を最大限に引き出してくれ、授業に熱中させてくれた。
国語が大好きになったのは、この時、中学二年生の時だった。
当ててほしくて いつも右手をピンと伸ばし、「ハイ、ハイ、ハイ」と。
本を読むのが大好きになった時だった。
漢字辞典と国語辞典の使い方を教えてくれたのも、先生だった。

先生が素晴らしいのは、授業だけではなかった。
当時、昭和30年代後半の日本には、まだまだ 貧しい生活を送る人たちが大勢いた。
私の友達の一人も、そのような状況にあった。
時々、彼女から聞く話の中に、
『先生が、密かに自転車で彼女の家を訪ね、
食べ物を援助したり、父親と弟と彼女だけの家族を励ましたりしていた』
ということがあった。
また、進路決定の時も 必死に駆けずりまわり、
夜間高校に通わせてくれる職場を探してきてくれたとのことだった。
当時の彼女の生活環境を思い浮かべた時、どんなにか嬉しかったことだろうと、
半世紀経った今でも、胸に迫るものがある。
その後、彼女は幸せな結婚をし、現在、 何不自由ない生活を送っている。

常に、生徒にとって 最上のことを考え、熱心に行動してくれる先生だった。
時代が、そういう時代だったのかもしれないが…

いつの頃からか、時々、気まぐれに、先生と葉書のやりとりをするようになった。
細々とした日常生活のこと、読んでいる本の感想、習っている絵のこと 、
旅の記録・感想、興味あること、これからやりたいと思っていること等々、
書きたいことは、無尽蔵。
50円の葉書が、いったい どれくらいの回数 往復したことだろうか?
80歳を過ぎた今も、先生の文書は、簡潔で、温かい。ユーモアがいっぱい。
常に、 私を励ましてくれる。

私は、幸運にも、“ほんとうに素晴らしい先生”に巡り合ったのだと思う。

残りの人生を、毎日、お健やかに、楽しく過ごされることを願ってやまない。

中欧やイギリスへの挿し絵つき旅行記が、無事完了したのも先生の励ましのお蔭。
感謝!


# by PochiPochi-2-s | 2014-11-09 12:09 | 思い出 | Trackback | Comments(0)
最近、時間があると読む本のなかに、『心に残る人びと』(文藝春秋編)がある。
私のなかの、『心に残る人びと』を書いてみたいと思う。

🍁

「晩秋の季節となり朝夕めっきり冷えるこの頃です。先日は…
夏には山小屋での慰霊祭に参加させていただき感無量でございました。…」

今朝、他の件で 必要な書類を探しているときに、
この手紙が、 はらりと 私の手元に舞い落ちた。
開けてみると、大学時代 所属していたクラブの同期生のお母さんからの、同期のみ
んなへの手紙、長野県にあるクラブの山小屋での慰霊祭への招待に対するお礼の手紙
だった。10年以上も前のものだった。

心は、すぐに、学生時代に戻った

同期の友の名前はT君。
入学後、初めて行われた錬成合宿中に、もう一人の同期の友・Y君と2人が
熱射病で亡くなった。思いもよらぬ不幸な事故だった。
「あまりにも悪条件が重なりすぎた」と、いまだに思う。

🍁

入学当時、大学は、大学紛争のため封鎖中だった。
しかし、確か7月初め頃、新入生だけで 学校の近くでキャンプをすることになった。

夕方から 三々五々集まり、テントを張り、夕食を作る。
目的は、新入生だけの“親睦会”という名の “ 飲み会 + だべりんぐ”
上級生からの差し入れもあり、食べ物、アルコール類を含む飲み物は十分だった。

夕食後、キャンプファイヤーを囲み、話は尽きなかった。

私を含め、生まれて初めて経験する人が多かった。
親元から離れ、自由を享受し、青春を謳歌していた。
ほどんど全員、一睡もせず、夜明けまで 熱く語り合った。
満天の星の夜空。いまだに鮮明に思い出す。

「僕は、ここに入るまでに2浪もしたんや。両親は文句も言わず、僕を支え、
励まし、一生懸命 応援してくれた。親にめっちゃ苦労かけてるので、思いっきり
勉強して、一日も早く恩返しをしたいんや」

彼の言葉が、印象的だった。深く 私の胸の奥まで 響いた。

翌日 帰り道、下宿まで送ってくれる時、彼は 再び 言った。
「もうすぐ祇園祭やなぁ。この祭り、大好きやねん。みんなで一緒に見に行こうや」

この後すぐに、彼は亡くなった。

彼の故郷で行われたお葬式の時の御両親の姿を、終世 忘れることはないだろう。
「逆縁」
御両親の慟哭する姿が、いまだに脳裏に焼きついている。
御両親の無念さ、侘しさ、哀しみを思う時、
「T君・Y君の分まで一生懸命生きよう」と心に誓った。

飾られし遺詠は久に会いたるを喜ぶ如くほほえみて見ゆ
賛美歌を合唱する中しめやかに白菊つぎつぎ供えられゆく
幾人か同期の友の尋ねくるる心根嬉しく涙こぼるる

手紙に書かれていた、T君のお母様の読まれた歌の一部分。
息子の死から33年経ち、やっと心にけじめをつけることができたと書かれていた。

今 思えば、彼とは、時間にして、ほんの1〜2日分ぐらいしか話していない。
しかし、彼の姿、夜を徹して話した彼の言葉、彼の人生への真摯な態度、考え方等は
当時の私に強烈な印象を与え、いまだに、私の心の中でしっかり生きている。

ほんの一瞬だったが、強烈な光を放った人だった。

あれから40年以上経つが、まだ、祇園祭に行く気にはならない。


《庭の晩秋の風知草》
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いつか絵に描いてみたい。


# by PochiPochi-2-s | 2014-11-08 16:22 | 思い出 | Trackback | Comments(0)
「わあ〜、いつも通りに素晴らしいなぁ」
「細かく、丁寧に描いてる」
「なぜ、こんなに生き生きと描けるのだろうか?」
「白黒なのに、まるで色が浮かびあがってくるようやわ」
「影の描き方が、細かいなぁ」

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毎年恒例の、絵の教室の先生・片山治之氏の『野の花展』
今年も、梅田・茶屋町画廊で、今日から始まった。11日(火)まで。

早速、仲のよい友だちと待ち合わせ、先生の絵画展へ。
いつ見ても、見るたびに、魅了され、見惚れてしまう。

絵は、白黒、時々グレー。
白い紙に花や木、木の実、草等を、デッサン。
白を残し、バックを墨汁で塗りつぶす。
でも、“色を感じる”。
いったい、どういうことなのだろうか?
いつも見るたびに、不思議に思う。

撮影禁止により、来年度のカレンダーから。

《ささゆり》
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《ホトトギス》
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《コスモス》
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「この描き方は、偶然 思いついたんや。私独自のものです」
以前、先生は、そのように言っていた。
昔、新聞社に勤めていた経験から思いついたらしい。

習い始めてから、もう10年以上は経つ。
私たちの描くのは、白黒ではなく、ごく普通の、色のついた水彩画。
教室では、絵の具、色鉛筆、クレパス等、何を使ってもオッケーとのこと。
私は、長年 透明水彩絵の具を使っている。
しかし、デッサンもさることながら、今だに、色の塗り方で苦労している。
「透明水彩は、本当に難しい」 私の偽らざる気持ち。

《丁寧に心を込めて描くこと》
昨日、正倉院展で見た「鳥毛立女屏風」やその他の絵、書、細工に至るまで、
実に“丁寧”に、描かれ、書かれ、作られていた。
すべてに、心がこもっていた。作者の魂が込められているように感じた。
気迫に満ちていた。

片山先生の作品にも同じことを感じる。
それ故、見る人に、そこに描かれていない色まで感じさせるのだろう。

また、デッサンが、すばらしい。
どうしてこのような構図が思い浮かぶのだろう?

いつかこのような絵を描いてみたい。

絵画展の後、4人で、ランチ。中華料理。飲茶つき海老チリセット。
おいしかったし、おしゃべりも楽しかった。

梅田の地下街にある tools に立ち寄り、絵の具のスペアとスケッチブックを購入。
「さあ、私も頑張るぞ!」
気持ち新たに、足取りも軽く家に向かった。

心の中を爽やかな風が流れていた。

# by PochiPochi-2-s | 2014-11-06 22:00 | お出かけ | Trackback | Comments(1)

第66回・正倉院展

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いいお天気だったので、奈良まで遠出をすることにした。
阪奈道路を通って、約2時間のドライブ。

目指すは、奈良国立博物館。
第66回 正倉院展。
今年は特に、「天皇皇后両陛下傘寿記念」と銘打った正倉院展。
特別に、貴重な品が多く出展されている。
毎年必ず来るというわけでもないが、今年は、ぜひ見たいと思っていた。

まず最初に、ボランティアの人たちによる 30分間の解説を聞いた、
映像を見ながらの説明なので、見どころや、見る時のポイントなどがよく分かった。
こういう活動は、見学者にとっては、本当にありがたい。

以下、館内での撮影は禁止なので、絵葉書から。


〈鳥毛立女屏風と桑木阮かん(弦楽器)〉
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右・ 聖武天皇が愛用した6枚セットの屏風。
寝室に飾ったらしい。
木の下にいるふっくらとした女性が描かれている。

細い線一本で、これほどの立体感、ふくよかさを出すことができるとは!
その技術の高さに、驚くのみ。

左・ 円形の胴にさおがついた、4本の弦を持つ楽器。桑などの材料で作られている。
東大寺の法要で使われたらしい。楽器名は、中国・晋の思想家で琵琶の達人・阮かん
にちなんでつけられている。


〈人勝残欠雑張(左)と鳥獣化背方鏡(右〉〉
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左 ・現在の年賀状のようなもの。
人勝は中国・六朝時代、絹や金箔を人や、動物の形に切り、屏風にはったり
髪飾りにした贈り物。長生きや子孫が栄えるよう願いがこめられている。
この風習が奈良時代に日本にも伝わった。

右・ 正倉院に納められた中で、唯一の四角い鏡。
中国・唐より日本に伝わる。
模様は、獅子型のつまみを中心に、6頭の獅子と葡萄のつるや
葉をデザインしている。一般には「海獣葡萄鏡」と呼ばれている。

葡萄の房や葉のデザインが、実に、気の遠くなるほど細かく、また精巧で
見ていて惚れ惚れするほど素晴らしい表現。
「いつまでも見ていたい」と思うほど、すべての表現が生き生きとしている。


〈白瑠璃瓶(ガラスの水さし)と衲御礼履(儀式用の靴)〉
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左・ ガラスで作られた瓶。現在のイラン周辺で作られ、中国・唐の時代にシルクロードを通って、日本まで伝えられた。

右・ 聖武天皇が東大寺の大仏完成を祝う儀式で履いたものとみられている。
左右同形。外側は牛革、内側は柔らかな鹿革。銀製の金具に、真珠・水晶・色ガラスなどをはめている。豪華なつくり。

ただ惚れ惚れするのみ。


〈伎楽面 崑崙〉
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儀式の時に、この面をつけて踊りを奉納したと言われている。

確か、安芸の宮島の厳島神社で、このような面をつけて踊りを奉納している
場面をテレビで見たことがある。

他にもたくさんの宝物が出品されており、
時間のたつのも忘れ、人の多さも気にならないくらい 見入っってしまった。

書の素晴らしさにも心を打たれた。
なぜ、どのようにしたら、このような素晴らしい字をかけるのか。
一字一字の美しさ、形の良さははもちろん、全体のバランス、乱れのなさに
惹きこまれた。細字でこのように書けるとは!驚くばかりだった。

豊かな文化に触れ、
心豊かになれる時間を過ごせた。
日本の伝統文化の素晴らしさを、改めて、再確認したように思う。

最後に、春日大社にお参りしてをして帰ることにした。
七五三の参拝の人たちや、多くの外国からの観光客で賑やかだった。
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奈良公園は、紅葉が始まっており、ナンキンハゼの真っ赤な葉と白い実が
殊の外、美しかった。

たくさんの鹿も、多くの観光客に鹿せんべいをもらい、満足気な表情。

奈良はいつ来ても、本当にのんびりしていて、ゆったりと時間が流れているように
思う。また近いうちに、来たいと思う。
唐招提寺や薬師寺等、行きたいところがいっぱい。

楽しい一日だった。


# by PochiPochi-2-s | 2014-11-04 21:54 | お出かけ | Trackback | Comments(4)
「あっ、きれい! 滝に小さな虹がかかってる」

《箕面大滝》
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朝から青空。
11月3日は、天気の特異日。やはり晴れた!

「さあ、行くぞ!」
近くの箕面大滝まで、主人と二人で歩くことにした。
家から往復約一万歩。川沿いに歩くのは、実に、気持ちがいい。
二日続きの雨の後の連休最後の日。大勢の人が、紅葉を見るために歩いていた。

途中、何時ものように、龍安寺のお堂に寄り、家族みんなの健康を祈る。
本尊は、6つの手を持つ如意輪観音。
6つの手は、それぞれに意味を持つ。
《 よく考える。希望。続ける。人格の向上。清らかな。動じない 》
他に阿弥陀仏、毘沙門天などが安置されている。

《如意輪観音》
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途中から、山道の方を歩くことに。
アップダウンが多く、少々きついが、より山の中を歩いているという気になる。
川を渡ってくる風、木々の中を抜けてくる風、木漏れ日。
本当に気持ちがいい!

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滝の前は、大勢の人でいっぱい。賑やかだった。
一人の人、カップル、家族連れ、友達たちと…
みんな楽しそうに写真を撮ったり、お弁当を食べたり、おしゃべりしたり…
私たちも持参のおにぎりを食べ、ちょっと休憩。

帰りは、もう一つのなだらかな方の道を帰る。
喋りながらのんびりと、景色を楽しむ。
何時ものごとく、途中の山本珈琲店で、いつものコーヒー豆を購入。
楽しみ!

紅葉にはまだ少し早く、ほんの少しだけ黄色くなり始めていた。
見頃はまだまだ先。12月初め頃だろう。

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家に帰ると、歩数計は12600歩を表示していた。

よく歩いた。

いいウオーキング日和だった。

# by PochiPochi-2-s | 2014-11-03 21:36 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

プラハ回想

朝起きると、主人が、CDをかけていた。
スメタナの交響詩『我が祖国』
曲は、私に「プラハ」への旅を思い出させた。

《スケッチ旅行記・モルダウ川》
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《モルダウ(ブルダヴァ)川》
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ずいぶん昔、当時、フルートを習っていた小学校5年生の長男が、
「我が祖国・第2曲モルダウ」を、毎日 一生懸命練習していた。
その年の発表会で吹く曲だった。
印象的だった。

その時以来、そのメロディーが、嬉しい時 悲しい時 いつも私の心の中を流れる。
「チェコとはどういう国なのだろうか?」
「モルダウ川とは、どのような川なのだろうか?」

私とプラハとの初めての出会いだった。


《プラハの春》
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1997年、春江一也著「プラハの春」が出版された。
偶然この本を見つけ、さっそく購入。夢中になって読んだ。

1968年、『プラハの春』と呼ばれるチェコスロバキアの自由化運動を、旧ソ連が
戦車で侵入、弾圧。この事件を背景に、若き日本人外交官と東ドイツ女性との間で
生まれた恋愛の運命を描いている。

「プラハの春」という言葉は知っていたが、実際には どういうことなのかは
全く知らなかった。チェコという国を知るにつけ、ますます この国に のめり
込んでいった。

プラハは美しい町だった。モルダウ川はゆったりと流れ、西岸にはプラハ城、東岸にはさまざまな歴史的舞台となった旧市街や新市街があり、“百塔の街”とも呼ばれて
いる。人々は、その長い歴史のほとんどの時代において、小国であるが故に大国の
狭間で侵略され、弾圧され、苦しい時代を過ごしてきた。しかし 民族の誇りを
失わず、忍耐強く、自らの言葉と文化を守り続けてきた。その人々の苦しみや哀しさ、時には楽しいことも全てを見つめ、呑み込み、留まることなく、静かにゆったりと
流れてきたモルダウ川。

「人々の心の支えとなってきたこの川を、いつかきっと見てみたい」

2011年の8月15日。夢が実現した。

モルダウの他に是非見て見たい場所があった。


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《バーツラフ広場》


「絶望の淵にある民族を解放するため、焼身自殺という手段を取ることにした。…
8月を忘れるな」

1969年1月16日、午後2時過ぎ。カレル大学学生、ヤン・パラフは、遺書を残し
バーツラフ広場、聖バーツラフ一世騎馬像の元で、焼身自殺をした。
翌17日死亡。軍事介入から約5ヶ月後。20年後、1989年12月、モスクワでの
ワルシャワ条約機構会議でプラハの春への介入は誤りであったと認められた。

当時いったい誰が想像できたであろうか?
わずか20年後に ソ連の崩壊が起こるとは。

「未来がわからない、見ることができないから、私たちは現在を必死に生きる。
それ故、一人一人の人生、生き方に価値があり、尊いのだ」と、思う。

1969年、私は大学1年だった。


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曲が終わった。

ふっと我に帰り、思い出から現実に戻った。
いつかもう一度、プラハの街を再訪し、ゆっくりといろんな場所を訪ねたい。

さあ、朝食!





# by PochiPochi-2-s | 2014-11-01 22:38 | 旅行 | Trackback | Comments(0)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s