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もう秋?

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早朝4時半。
目が覚めた。
空はまだ暗く、辺りがほんのりと明るくなり始める。
蝉が遠く、裏山の上の方で鳴き始める。
その鳴き声がだんだん近くなってくる。
そして急に、庭で大合唱になる。
あれっ?
カナカナとツクツクボウシだけになってしまった。
そういえば、ここ2、3日前から夜になると虫の音が聞こえ始めている。
庭のハナミズキの葉もまだまだ紅葉と呼ぶにはほど遠いが、少しづつ変わり始めた。
昼間は相変わらず暑い日々だが、朝夕はかなり涼しくなった。
時には寒いと感じる日もある。
季節は移り、もう秋なのかもしれない。
ふっとそのように感じた朝だった。

今日もきれいに矢絣朝顔が咲いている。
毎日一輪か二輪。
その清々しい、美しさに心が安らぐ。

※ 元同僚Kさんと梅田でランチ。久しぶりに夕方まで梅田界隈を楽しんだ。


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道路に面した朝顔



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オープンガレージの奥(玄関前)の朝顔




by PochiPochi-2-s | 2017-08-17 23:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)

男の作る梅ジャム

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「着いたよ。空は曇ってるけど、空気はそんなに湿ってないわ。
道はもう乾いてるから、タイヤは滑らへんと思う。ありがとう。気をつけて帰るわ」

朝のいつもの二人の"携帯会話"。
昨夜は雨が降っていた。

もう一年以上続いている主人の自転車トレーニング
夏場は暑いということで早朝に切り替え、朝6時前に家を出る。
往復約1時間ほど。行きは坂道を下るが帰りは登らねばならない。
よく続くなぁ〜と。
心の中で秘かに拍手を送っている。

「さあ、作るわ」
朝食の後、主人は今年も梅ジャムを作り始めた。
これも彼が長年続けていることの一つ。
すると決心するまで時間がかかるが、一旦始めるとよほどの理由がない限り止めることはない。
東京に住む義妹が大好きなジャム。彼女の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。

もうずいぶん前のこと、10年以上も前になる。
ある時、飲み終わった梅酒の瓶の底に残った梅を見て、彼は言った。
「この残った梅、どうにかならんの? そのまま捨てるのもったいないやん」
「う〜ん、できるとしたらジャムやと思うけど…
でも、ジャム作りの好きなNさんに聞いても、『作ったことはない。いつも捨てている』
て言ってたよ」
「そんなぁ。もったいない話やなぁ…」

その会話からしばらくして 梅酒に使った梅で作るジャムのレシピを偶然見つけた。
「作ってみよう」
言い出したのは主人だった。
それまでジャムなど作ったことがない人だった。
私がレシピを読み、説明をする。
その横で、彼は一生懸命言われた通りにジャムを作った。
梅の実から種を取り出すのがいちばんめんどうで手間がかかる。
しかし、彼は 黙々とその作業をこなした。
火の加減、砂糖の分量(レシピの砂糖の分量からどれくらいまで砂糖の量を減らせるか)
残した梅酒は最後に入れる等、ちょっとしたコツを教えながらの作業は、素直な生徒相手に楽しいものだった。
出来上がった梅ジャムは香り高く、独特の味でなんとも言えずおいしかった。

その時から毎年必ず彼は梅ジャムを作り続けている。
最近では完全に独り立ちし、手助けの必要はない。
私の役目は、最後の味見と感想だけになってしまった。
でも不思議なことに、ジャムはこの梅ジャムしか作らない。
どういう訳かはわからないが、他のジャムは作りたくないようだ。
横目で眺めているだけで決して作ろうとはしない。
どうしてだろうか?

今日できあがったジャムとてもおいしかった。
梅は2kg(2瓶分)もあったのでたくさんでき、明日からの朝食が楽しみだ。
早速東京にも送ってあげよう。

朝の楽しい一時だった。



by PochiPochi-2-s | 2017-08-16 23:44 | 趣味 | Trackback | Comments(8)
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「あれッ、この写真の青年、知ってるわ。確か家に本がある。
わがいのち月明に燃ゆ・一戦没学徒の手記』(林 尹夫・著)
ずいぶん昔、学生の頃に読んだ本やわ。まだ本棚にあるはず」

一昨日だったと思う。
毎日デジタルのニュースの欄に、「遺稿ノート・死を目前にした学徒、検閲をくぐった京大生の遺稿、恋愛観・生への執着あらわ」という記事を見つけ、思わず一気に読んだのだった。

大学に入ってしばらくたった頃、友人の一人からこの本を紹介され、夢中になって読んだ記憶はある。「きけわだつみのこえ」、五味川純平「人間の条件」、尾川正二「極限のなかの人間 ・ 極楽鳥の島 」も確かその頃読んだと思う。
あの頃はみんなよく本を読んでいたなぁと、その頃を思い出した。
もう50年近く前のことである。

林尹夫さんは、長野県出身で旧制三高を卒業後、1942年に京都大学文学部史学科に入学。1943年12月 学徒出陣し、1945年7月28日、夜間哨戒飛行中に米軍機の攻撃を受け、四国沖で消息を絶った。
遺稿ノートは1940年4月6日の高校時代から始まり死の直前まで書かれた4冊が残されている。
1967年、お兄さんの林克也氏によってまとめられ「わがいのち月明に燃ゆ 一戦没学徒の手記」として出版されたのだった。

ずいぶん久しぶりに私に目の前に現れたこの本を再び手に取り、少し読みなおしてみた。
「あまりにも多くの、将来を嘱望されたであろう優秀な若者達が戦争で亡くなった。
こんなことは二度とあってはならない。戦後72年間、私たちの世代は、親たちの世代とは
い、憲法9条を守ることで、世界史的に見ても稀な、奇跡的とも思われる平和な時間を過ごすことができた。二度と戦争をしてはいけない。国民の努力で奇跡的に続いたこの平和を、これから先も絶対に失ってはならない。」
心に深く思った。

「◯◯コ、戦争が終わってからまだ16年しか経ってないんや…」
戦後72年目の今年もまた、政府主催の全国戦没者追悼式のTV放送を見ながら、
父の言葉を思い出していた。
父がこの言葉を言ったのは、当時もTV放送されていた全国戦没者追悼式を見ていた時だった。
去年も確か同じことを書いたが、当時小6(12歳)だった私には、「まだ16年し」というこの言葉に込められた父の気持ちはわからなかった。しかし、その言葉を言った時の父の声の調子、大きさ、雰囲気など、普段の父からはとても想像できず、印象的だったのを今でも覚えている。
戦後89歳で亡くなるまで、戦争の話はほとんどしなかった父であったので、尚更この言葉が
私に強烈な印象を与え、今でも耳に残っている。
また、この年の翌年の3月、私の小学校卒業式でのこと。卒業生父兄代表で挨拶にたった父が、「本日は」の言葉のあと感極まり何も言えなくなり、長い(と私には思われた)沈黙の後ただ一言「ありがとうございました!」と講堂全体に響き渡るような大声で言い、深々と頭を下げ、自分の席に戻ってきた。
その父の姿も忘れられない。
その時も父がどのような思いであったのだろうかは分かるはずもなかったが、今なら少しは分かるような気がする。

昨年も一昨年も終戦の日のブログに残したが、
母の書き遺した文章をもう一度ここに残しておきたい。
私は今年、この文章を書いた時の母の年齢と同じ年齢になった。


【昭和63年3月2日の日付で書き遺した母の「太平洋戦争体験記」最終ページから】

これを書いている間にも、テレビで中国残留孤児の放送が流されている。
未だに戦争の傷跡は消えないまま残っている。
あの人たちの傷跡は深すぎる。
そして私にも、昭和17年10月のある雨の日に、○○小で日直をしていた私のところに廊下をコツコツと歩いてきた母が、一枚の紙切れを出して夫の招集を告げた時から否応なしに引きずり込まれた戦争の、暗くていやな思い出は尽きない。
戦争はいやだ。絶対に、再び繰り返すことがあってはならない。
これだけは、体験を通して孫子の末まで訴えたいと私は思う。
平和の有難さをしみじみ感謝しながら、明日の雛祭りに備えて私の68年前の内裏様、38年前の娘のお雛様を飾りながら、いつまでも明るい時代が続くよう祈るものである。

いくたびか 巡る春にも 年老いし
野梅の花にも 銀の雨降る


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2017/8/14 早朝の空





by PochiPochi-2-s | 2017-08-15 23:17 | 日記 | Trackback | Comments(4)
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襖絵の雀


本棚を見ていてふっと一冊の雑誌(2013年出版)が目に入った。
手に取り 何気なくいつものようにぱらぱらとめくると、
優しい、しかし力強さも感じる雀の絵に目が釘付けになった。

京都・妙心寺退蔵院方丈襖絵プロジェクトで
女性絵師村林由貴さんによって壽聖院本堂の襖絵に描かれた雀の絵である。
彼女は、この襖絵のために、50mに及ぶ練習画の巻物に428羽も雀を描き続けたという。
「最初は図鑑を見て雀を描いていたが、最後は意識しないでも自然に、自由自在に描けるようになった」と、彼女は言っている。

また、完成した襖絵の説明には次のように書かれている。
「練習画の最初の頃は、音楽で言えばフォルティシモの連続のような荒削りで力強い筆致だが、
襖に直接、下描きなしで描く頃にはピアニシモで、繊細な調べ、いわば幽玄の美とでもいうべき枯淡の風情を表現できるまでに変化した」


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練習の雀の絵


改めて練習画の絵の写真を見て思った。
「なるほどなぁ。練習に次ぐ練習が必要なのだろう。
それにしても人間の能力ってすごいなぁ。
努力の結果、こんなにすばらしい、人の心を捉える美しい絵が描けるようになるのだから。
最後には意識しないでも自然に、自由自在に描けるようになるのだから」


【むらばやし・ゆき】
1986年兵庫県生まれ。
京都造形芸術大学情報デザイン学科卒業後、
同大学院芸術研究科修士課程修了。
2011年3月、
退蔵院方丈襖絵プロジェクトの公募で選抜され、
退蔵院のお抱え絵師になる。



2014年8月14日にブログを始めてまる3年が経ち、今日から4年目が始まった。
続けられるだろうか?
最初は不安に思いながらのスタートだった。
緊張しながらもなんとか続けることができ、ブログ友もできた。
3年前には考えられなかった世界が広がっていくように思えるのは嬉しくてならない。
絵師の村林由貴さんのされた努力のように私も見習って、
これからの一年間もできうる限り続けていけたらと思っている。

去年も書いたことだが、同じことをここにもう一度書いておきたいと思う。
《"決められたことを決められたようにする"ということが一番苦手な私であるが、
日々 思ったこと、感じたこと、起こったことなどを、できるだけ毎日このブログに残そうと努力した。
振り返ってみると、もうすでにそうだったかしらと忘れていることが多いのに驚く。
「記録をとっておくのも大事なことだなぁ」
正直な話、今更ながらにそう思ったのだった。》






by PochiPochi-2-s | 2017-08-14 23:45 | 思い | Trackback | Comments(12)

咲きました!

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道路に面した壁の矢絣朝顔


2つ、咲きました!
その清々しさに うれしくて 心が弾む♪

早速 出会った、ラジオ体操帰りのTさんに報告。
しばらく立ち話。
女性はこれができるから嬉しい。

Yさん、ありがとう。
まずは報告まで。

※ 8/14 朝追記
昨日echalotelleさんとpalettoさんのお二人にいただいたコメントの中の言葉、
『ミルキーウエイ』『こちらにも植えられていた』と『外国の朝顔の葉っぱ』に、
もしやと思い調べて見ました。

やはり、西洋朝顔でミルキーウェイという名前でした。
ミルキーウェイは天の川の意味。そう言われればそんな気がするかなぁ。
育て方の説明を読むと、私はどうもしてはいけないことばかりしていたようです。
特に、日照時間、肥料などで。 詳しくは → ここ
でも、とにかく咲いてくれて、美しい花が見れてよかったです!

『矢絣朝顔』という名前をつけたのはどのような人なのかしら?
この名前もピッタリなのでおもしろいなぁと。

※ 更に追記(8/14)
今朝もラジオ体操帰りのTさんとの立ち話をし、
ふともう一度朝顔の起源を調べてみる気になった。
起源はアジア。
日本には、遣唐使が中国から種を薬として持ち帰ったらしい。
この花ほど世界に広まり品種改良されたものはないという。
詳しくはこのサイト読んでください。
また「朝顔の園芸史」というサイトもありました。→
読んでみるとおもしろいです。
朝顔一つでこんなに興味が湧き、いろいろ調べるきっかけを作ってくださった
ブログ友・ゆすらうめさんに感謝です。
ありがとうございました。


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ガレージ奥、玄関前の壁の矢絣朝顔


追記 (8/14)

またこの朝顔は花を開いてから時間が経つと
模様の色が青みがかった紫から赤系の色に変わると知った。
今朝(8/14)8時前にもう一度咲いている花をとってみた。

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色の変化がわかるだろうか?
興味津々です。




by PochiPochi-2-s | 2017-08-13 09:47 | 植物・昆虫・動物 | Trackback | Comments(8)
「あれッ?流れる風がいつもと違う。
わずかに、ほんの少しだけ肌に感じる冷たさがちがう…
もう秋なのかな?」

朝水遣りをしていた時、山から流れてくる風、空気の中に何かしら冷んやりとしたものを感じ、季節の変わり目を思った。
日中はまだまだ暑く、気温は30度を超すが、朝夕はめっきり涼しくなってきている今日この頃である。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる (古今集・藤原敏行朝臣)

ふとこの短歌が心に浮かんだ。
「風の音」ではないが 「風の流れ、冷んやり感」にそう思ったのだった。


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お昼ご飯を食べ終わった時、頭の上で何かごそごそと音がするのを感じ、ふと天井を見上げた。

「あれぇ〜、トンボが天井に…」

庭からトンボが飛んできて、床のフローリングの上で池と勘違いをし、卵を産み付けるような
格好をしているのを毎年見かけるが、天井で同じような格好をしているとは!
白い天井が池のように見えたのだろうか?
日中の暑さに少しだけ涼を取りに来たのだろうか?

「ねえねえ、オニヤンマかな? シオカラトンボかな?」
「いや違うで。オニヤンマにしたら大きさが違うし、シオカラトンボなら色が違う…」

カメラを取り出し、望遠で撮ってみた。
調べてみると、う〜〜ん,難しい。
ヤマサナエかな? ウチワヤンマかな?

主人の友達のトンボ博士のKさんがいたらなぁ。すぐに聞けるのに。
※詳しくはここを→

しばらくして再び上を見上げると、もうそこにはトンボはいなかった。
ほんの一瞬だったが楽しい時間をもらったようで、なんとなく心が安らいだように感じたのだった。

もう秋がそこまで来ているのかなぁ。


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More 矢絣朝顔かも
by PochiPochi-2-s | 2017-08-12 23:43 | 植物・昆虫・動物 | Trackback | Comments(4)
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「できるだけ早く仕上げなくては。
この暑さ、花もすぐに萎れてしまう」
昨日今日と、暑い盛りの午後、黙々と下書きスケッチをした。

「教室での2時間はいったい何だったのだろう…」
そう思うほどほとんど全てを描きなおした。
でもまだあと一ヶ所だけ花をどう置くかで迷っている。
色も少しだけつけてみた。
う〜ん、難しい。
なんとなく気に入らない。バランスの問題かな?
また描きなおすことになるのだろうか?

ふとテレビをつけた。
今日は「山の日」らしい。
その言葉で、心は遠い昔に飛んだ。
大学に入り、クラブで初めて連れて行ってもらった山は 南アルプスだった。
北沢峠にテントを張り、甲斐駒ケ岳と仙丈岳をピストンした。
大学紛争の煽りで夏合宿はなし。それに代わる簡単な登山だった。
2年生の時の夏合宿も何故か再び南アルプスだった。
夜叉神峠から入り、鳳凰三山、早川尾根と歩き、
最後は再び甲斐駒ケ岳と仙丈岳のピストンで終わった。
久しぶりに 仙水峠という名前を思い出した。


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甲斐駒ケ岳
(ウェブサイトから拝借)


あの高い山の上を重い荷物を背負って黙々と歩いた懐かしい日々を思い出していた。
一歩づつ一歩づつ足を前に進めていけば必ず目的地に辿り着く。
そういうことを、美しい景色とともに、言葉ではなく、身体で学んだ日々だった。
快晴の赤石岳山頂。360度、遮る物のない、美しい景色。
生涯忘れないだろう。


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夏合宿を終えて
クラブの山小屋で


テレビを消し、気持ちは 再び絵に戻った。
夕方までには ぼや〜とした形のようなものが見えるようになった。
さて、どのような絵になるのだろうか?


More ジェノベーゼパスタ
by PochiPochi-2-s | 2017-08-11 23:03 | 趣味 | Trackback | Comments(10)
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キツネノカミソリ


一昨日、教室に入っていった途端、このオレンジ色のかたまりがが目に飛び込んできた。
「あっ、キツネノカミソリ」
花の色がなんとも魅力的。
去年はウバユリを描いたから、今年はこのキツネノカミソリを描いてみたい!」
しかし、2時間ではとてもスケッチしきれなかった。

今日、フローリングの拭き掃除のあと、昨日から気にかかっていたスケッチにとりかかった。
主人が出かけ全くの一人だったので、CDをかけスケッチをした。
いつの間にか絵の中に入り込んでいったが、その一方、いろんなことが心を過ぎってもいった。
広島・長崎のこと、沖縄のこと、読み終えた「モルダウ河の淡い影」のこと、小説「プラハの春」のこと、かつて行ったプラハ旅行のこと、その町での様々なシーン、最近返事かなかなか返ってこなくなった高齢のA先生のこと、戦争のこと等々。
そして、いつの間にか『むのたけじさんのすばらしい文章』を思い出していた。
昨年のブログにも書いたが、もう一度ここに載せたいと思った。
残念なことに、むのさんは 去年の8月に亡くなられた。



101歳のジャーナリストのメッセージ
憲法9条を平和への道しるべに
むのたけじ

今、私は病院のベッドの上にいます。ほんの2ヶ月前までは、体調を崩す心配などほとんどしていませんでした。100歳を超えていますから、いつどうなってもおかしくないと思ってはいましたが、自分の体の機能がこんなにも衰えてしまったと気付いたときは、やっぱり悲観しました。
でも、死ぬっていう気はしなかったな。命の問題をたえず話してきた人間として、「自分で生きようとする目的と意思があれば立ち直れる」と思っていました。今回ばかりはなかなか自信が持てなかったけれど、1週間くらい前から「大丈夫だぞ、生き返るぞ、まだしばらく働けるぞ」という声が、どこからか聞こえてきたんです。
そのとき一番力になったのは、同じ思いで世の中を変えようとする、たくさんの仲間
がいることでした。倒れる数日前の5月3日、私は東京有明の憲法集会で、約5万人の
参加者を前にマイクを握って話をしました。あの場所で、「戦争を絶滅させよう。
憲法9条こそが人類に希望をもたらす」と、国民の一人として、残りの人生をどう
生きるか約束した。それがとても自分を支えたんだな。
非常に悲観すべき状態にありながら、他方では激しく励まされていたのです。そして、なんとか復活できると思えるまでに回復しました。
戦後、日本に新しい憲法ができたとき、当時の多くの国民は9条を「戦争で迷惑をかけた国々へのお詫びになる美しい旗印」だと受け止めました。その一方で9条は、連合国からの、「国家として認めない」という罰則でもあったわけです。「軍隊を持つな、戦争をやるな」というのは、現代国家としては死刑判決に等しいものでした。光明の絶頂と暗黒のどん底が同時にあるようなものですよ。
しかし、実際に憲法9条を守ることで、日本はこの70年間戦争をしなかったし、他国の人もだれ一人戦死させませんでした。それをしっかり受け止めることが、日本人の持っている賢さじゃありませんか。9条こそが平和への道しるべとなることを、もう一度、多くの人たちにかみしめてもらいたいのです。
私の体は弱ってしまいましたが、ジャーナリストとしての頭の働きはまだ成長を続
けています。長く生きていれば経験が増え、過去には見えなかったものも見えてき
ます。
今、日本は大きく変わろうとしている。その動きが始まってしまったことに、国民はみんな気づいているでしょう。だから私も黙ってはいられません。また元気を取り戻し、みなさんと語り合う場所にもう一度立ちたいと思っています。
(2016年6月18日談)


【むのたけじ】
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(「明日の友」から拝借)

1915年秋田県生まれ。東京外国語学校スペイン語科卒業。
朝日新聞の従軍記者としてインドネシアへ。
'45年週間新聞『たいまつ』を創刊。'78年の休刊後も著作や公園で活躍。
近著に
『日本で100年、生きてきて』
『むのたけじ100歳のジャーナリストからきみへ』
などがある。








by PochiPochi-2-s | 2017-08-10 23:50 | 思い | Trackback | Comments(6)
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台風も過ぎ、朝から青空。
水遣り、掃き掃除ののちに、洗濯物を干した。
青い空のなんときれいなこと!
気持ちまで晴れ渡るようだった。

あらっ?
水遣りをしている時に気がついた。
朝顔の花がひとつ咲いていた。
しかし……
思っていた花ではなかった。
でも、よく見てみればこのきれいな色!
今日の空のような澄み切った青い色に心を奪われた。
もう少し待てば、思っている花が咲くかもしれない。
蕾もたくさんついていることだし 気長に待ってみよう。
そう思わせてくれるようなきれいな青い色だった。

今日は「長崎原爆の日」
絵の教室に出かける前の一時間、10時30分から始まった長崎平和祈念式典の放送を見、黙祷を捧げた。
今日の式典の中で、田上市長、被爆者代表深堀好敏さんの平和宣言スピーチには心うたれ、心の底から拍手を送りたいと思いました。
勇気ある行動です。

2人の平和宣言・平和への誓いをここに載せておきたいと思います。

残念なことに、祈念式典後記者会見で安倍首相は、国連で採択された核兵器禁止条約について「条約は我が国
のアプローチと異なるものであることから、署名、批准を行う考えはない」との方針を改めて述べたそうである。

同じ核の傘の下にいるオランダがこの条約制定のための会議に参加し、署名した 反対票を投じた。
(8/10 訂正と追加)
NATO(北大西洋条約機構)に加盟するほとんどの国がアメリカの圧力で会議には参加せず、棄権した中で、オランダは唯一参加し反対票を投じた。日本は参加もせず、賛否の意思表示もしなかった。

オランダができ、唯一の被爆国である日本が何故できないのだろうか?
オランダは国民の政府(国)への働きかけが強く、政府は国民の意思に逆らえなかったと聞いている。

被爆者の人たちの運動、政府への働きかけだけにたよるのではなく、私たちもみんなで力を合わせて
政府に核兵器禁止条約の署名、批准を強く、真剣に働きかけ、求めなければならないのではないだろうか?

絵の教室でキツネノカミソリのスケッチをしながら、もう一度祈念式典のTV放送を思い出していた。
誰一人としてこの式典のTV放送を話題にしなかったのは不思議だった。
72年も経てば、広島・長崎は遠いのだろうか?
オランダ国民との意識の差を感じてしまった日だった。

帰ってから次のサイトを見つけたので、参考までにここに載せておきたいと思う。
戦争を考えるきっかけになればいいと思う。




by PochiPochi-2-s | 2017-08-09 23:28 | 思い | Trackback | Comments(8)
昨日は、朝から晩まで台風5号の進路に振り回され、疲れきった一日だった。
片付けたり、整理したりしようとは思うのだが、なんとなく台風の進路が気になり落ち着いて何もできなかった。
こんなに心配した台風はここしばらくはなかったので、過ぎてみれば気疲れのする一日だった。


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「ずいぶん久しぶりやけど、アベノハルカスまでドライブに行かないか?
東洋亭でランチを食べるのはどう?」

朝食時、主人から誘われた。

う〜ん……。
何時もなら二つ返事で即OKするのだが、明日は絵の教室で出かけるし来週は友人と梅田でランチの約束がある。
でも、「断るのもなぁ〜。仲良くするにこしたことはない」
そう思いなおし、「行くわ」と返事した。

国道171号から新御堂に入り、東天満の交差点を右に折れ、谷町筋を天王寺まで走る。
大阪を北から南に一直線に走り抜けることになる。
新御堂に入った途端に雨が降り出した。
まあ、いいさ。雨のドライブもまた良し。
家を出てからずーっと喋り続けている。
「何をそんなに喋ることがあるの?」
誰かに話せばそう聞かれそうだが、喋ることはたくさんある。
私にとっては、一番安心して喋ることができる相手かもしれない。


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JR天王寺駅横のアベノハルカスに着くころには、空はすっかり晴れていた。
久しぶりの天王寺・阿倍野界隈。
長年住み慣れたよく知っている、馴染みの場所はいつ来てもすぐにその場の雰囲気に溶け込める。
ガチャガチャした雰囲気なのだが、それがまたほっとする要因にもなる。
人間の心って不思議なものだと思ってしまう。

さあ、13F東洋亭へ。
エレベーターを降りた途端、外は雨で煙っていた。
遠くに見える金剛山葛城山は雲の中。
ちらっと見えていた二上山もすぐに雲の中へ。
しかし、どういうわけか金剛葛城に続く、その北側に続く生駒山周辺は晴れているようで、はっきりと姿が見えていた。
大阪南部は雨、奈良市の方は晴れということだろう。


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金剛山(右)・葛城山(左)


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生駒山


評判の東洋亭
噂どおりのおいしいハンバーグランチだった。
アルミ箔に包まれた熱々のハンバーグステーキ、皮ごと焼いたポテト一個、
丸ごと一つのトマトサラダ + パンかご飯。
美味しさと満腹感。
幸せなひと時だった。
子供達が小さかった頃、こんな二人だけの時間は持てなかった。
今時間だけはたっぷりある生活。
これからも二人の時間を大切に過ごしたいなぁとひそかに思った。


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レストラン正面
(ウェブサイトから拝借)


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トマトのまるごとサラダ
湯むきされたトマトにドレッシング
トマトがおいしいと思った。



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ハンバーグステーキ
(写真を撮るのを忘れ、ウェブサイトから拝借)


More エイちゃんの笑顔
by PochiPochi-2-s | 2017-08-08 23:32 | お出かけ | Trackback | Comments(2)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s