<   2016年 10月 ( 22 )   > この月の画像一覧

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今日は10月最後の日。
午前中は晴れ、午後から曇り、夕方には雨が降り出すというめまぐるしく変わった
天気にように、今日の私もかなり忙しかった。
午前中は水泳、昼食後すぐユーパックの荷造り(弟の奥さんミキコさんへの誕生祝い)と発送、その後夕方まで描きかけのヤマリンドウを描く。

途中、気晴らしに手に取った「すてきな あなたに 4」のなかに、
ヴェルレーヌの「落葉」を見つけ、懐かしさに思わず感慨にひたった。
10代の頃、この詩に憧れ、フランスに憧れ、フランス語を習いたいと思ったことも
あったなぁと。

「落葉」

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。

げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。

(ポール・ヴェルレーヌ 、上田敏・訳)

この詩が取り上げられた短いエッセイは、次のような文章で始まっていた。
〈気がついてみると、夜が長くなっています。あんなに太陽が燃えていた夏も、今はもう、うしろ姿しか見えません。こんな季節に、読みたくなる詩集があります。…………… 秋の気配がしはじめると毎年のように本棚からとり出す一冊。そのなかから、気に入りの一篇を書き抜いてみました〉

ほんとうにそうだなぁ。
気がつくと、昼間 日差しがいつの間にかリビングの壁まで届くようになっているし、夕日の沈むのが早くなり夜が長くなっている。
紅葉はまだまだだが、「ああ秋なんだ」とこの詩であらためて確認したような気になったのだった。


by PochiPochi-2-s | 2016-10-31 23:10 | 読書 | Trackback | Comments(12)

『主婦卒業』

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ああ、いいお天気だ!
やっと秋の青空になったゎ。
朝から気持ちが明るくなるようないいお天気だった。

「夕食準備しんどいから明日か明後日、
鯛めし、お煮しめのような野菜の煮物、ひじきのなど作ってくれたら嬉しいわ」

先週のある日の夕方、会社帰りの娘からメールがあった。
今月初め、二人目を妊娠した、予定日が5月初め頃と連絡をもらっていた。
結婚して5年目にやっと授かった第一子、リョウちゃん。
二人目はもう無理かな、リョウちゃんは一人っ子かなと半ば諦めかけていた。
40才目前の出産になる予定だ。
つわりも終わりなんとか元気に会社通いをしているが、
旦那さんが1週間の海外出張でリョウちゃんの保育園の送り迎えなど全てを
自分一人でこなさなければならなくなり、疲れるとのこと。
彼女にしては非常に素直な"手伝ってほしいメール"だった。
「さあ、出番だわ。 でも、これじゃ何時までも"主婦卒業"にはならないなぁ〜」
ふっとそう思ったのだった。

"主婦卒業"
懐かしい言葉だった。

定年退職をした時、主人が言った。
「これからまだ3年間再任用の期間があるが、一応これで気持ちの区切りがついた。
あんたも長い間ご苦労さんやったなぁ。
仕事に忙しく、お義母(ばあ)ちゃんのこと、家庭のこと、子育てのすべてを一手に
引き受けてくれて嬉しかったし、どれだけありがたかったか。
3人の子供がそれぞれまがりなりにも自分のつきたい仕事につけ、
それなりに一生懸命働き、平凡だが仲良く暮らしていけてるのもあんたのお陰や。
続けたかった仕事を途中で辞めさせてしまって申し訳なかったが、
これからは自分のやりたいこともあるやろうし、家事その他で手伝える部分はできる
だけ手伝うからいちおう"主婦卒業"ということにしたらどうやろうか。
誰に遠慮することもない。やりたいようにすればいい」

この話を私から聞いて、友人たちは皆一様に驚き、主人の言葉に懐疑的であった。
その言葉の裏によからぬことを考えているのではないかと言う人もおり、
「主婦卒業してはどうか=あんたは役立たず」だと言う人もいた。
"チャンス到来"とばかりに主人の言葉を素直に受け止め喜んだのは、私だけだった。
当時やりたいことはまだまだたくさんあった。
あれもこれもと嬉しくていろいろと挑戦したものだった。
彼は何も言わず、私が今までしてきた家事の一部を分担してくれ、
私のすることを黙って見ていた。
しばらくは有頂天だったが、ある日ふっと気が付いた。
「こんなことしていたらあかんわ。私のやることがなくなってしまうじゃない」

今では"完全なる主婦卒業"ではないが、
家事分担も上手くいき、彼の方が上手な分野は彼に気軽に頼めるようになった。
けっこういい感じにいっている。
「"完全な"主婦卒業ではなく、"部分的"主婦卒業といきたいなぁ」
最近ではそう思うようになった。

娘から頼まれたもの、それ以外の喜びそうなものを嬉々として作り、
翌日の夕方、待ち合わせの時間に持って行ったのはいうまでもない。

主婦であることの喜びもまた良しと思うこの頃である。



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by PochiPochi-2-s | 2016-10-30 17:26 | 思い | Trackback | Comments(6)
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午後から雨の予報。
やっと重い腰を上げ美容院にゆく気になった。
夏の初め あまりの暑さにパーマの予定をカットに変え、そそくさと帰ったのだった。
美容院にゆくのはその時以来だ。
待ち時間の楽しみは、そこに置かれている本の中から普段買わない雑誌を見つけ、
パラパラとページをめくり、心に響く記事を見つけること。

「少しお待ちください」と言われ席に着くと、
今日はこの雑誌・Clasism(クラシズム)が目についた。
「うん? 今までこの雑誌、見たことないなぁ」
『心にひとつ、あなたの庭を』
表表紙に大きく書かれているこの言葉。
魅力的で、庭好きのわたしの心をつかむのは簡単だった。

庭特集で、庭つくりに関する提案、おすすめの庭園、庭についてのエッセイ等、
読みたい記事が満載。
なかでも、
法然院貫主梶田真章さんの「庭と私」という題名の短文に心魅かれた。
ゆっくり読みたかったので、明日必ず返却するという約束でこの本を借りてきた。
ここにその全文を書き写しておきたいと思う。


「人はすべての生き物の一部である」
ということを私はよくお話しします。人は人間社会の中だけで生きていると思いがちですが、実はそれはとても狭い世界しか見ていないのです。だから、私たちは時に閉塞感や息苦しさを感じるのではないでしょうか。「人は地球という星に暮らす生き物のほんの一部である」ということを気づかせてくれるのが、庭という存在だと私は思います。
かつて人の暮らしに庭という概念がありませんでした。野山を駆け巡って食べものを探し、土地を耕して農作物をつくる、そんな暮らしだったでしょう。奈良時代の遺構に庭が発見されていますので、そのあたりから人は庭というものをつくるようになったようです。
現代では高層マンションという新しい住居の形が登場し、庭と親しむ暮らしから離れつつあります。たとえ庭があっても、日々忙しく過ごし、庭に触れる機会がないという人も少なくないでしょう。
暮らすための「住居」と働くための「仕事場」を行き来する毎日、これがほとんどの現代人の生活スタイルではないでしょうか。庭はちょうどその中間に位置していて、行き来の間にちょっと立ち止まれる場所、人間社会の周りにはもっと広い世界があることを教えてくれる存在なのではないかとおもうのです。
庭でもベランダでもいいのです。草を抜く、植木に水やりをするなど植物の世話をするひと時、私たちは自然との深い繋がりを感じることができるのではないでしょうか。これを仏教では「縁」といいます。
現代社会では次々と新しいことを考え、常に変わることを求められます。しかし、庭に立って周りを見渡すと、そこには生きものたちの変わらぬ命の営みが繰り返されています。春に芽吹き、花を咲かせ、やがて花は枯れ、実を結ぶ。これらの営みは、庭に立つ時、私たちは大いなる命の循環に立ち戻ることができるのです。「変わらなくてもよいこと」が、この世にはあるのだということを教えてくれるようです。
毎日の散歩道でも、庭いじりでも、一輪の花をいけることでもいいのです。それがきっと一人ひとりにとって大切な"わたしの庭"になるのだと思います。
さて、当寺の山門を入りますと、両側に白い盛り砂があります。白砂壇(びゃくさだん)というもので、水を表わしており、この間を通って心身を清めて浄域に入ることを意味しています。ここを通りながら、たとえばご自分が属している会社の役職といった鎧を外し、素の人間に戻って本堂に辿り着き、一人の人間として仏様に向き合うようになっています。そこで自分を見つめ直し、力を蓄え、また肩書きを纏って、現世に戻っていくのです。
この寺もまた、自分の庭として感じていただければとても嬉しいです。


【法然院貫主梶田真章】
1956年、「浄土宗大本山黒谷金戒光明寺の塔頭「常光院」に生まれる。80年、大阪外国語大学ドイツ語学科卒業。84年、法然院31代貫主の就任。境内に「共生き堂(ともいきどう)=法然院森のセンター」を設立し、自然環境と親しむ活動を行う。アーティストの発表の場として寺を開放するなど現代における寺の可能性を追求している。


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庭という概念が少し変わったように思った。
もっと自由に、もっと広い範疇で考えればいいのだなぁと。
さて、あなたの"心にひとつの庭"は?


by PochiPochi-2-s | 2016-10-28 22:52 | 読書 | Trackback | Comments(2)
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少しだけ色をつけてみたヤマリンドウ


昨日は絵の教室の日。
いつもより少し早い目に教室に着いた。
先生は今回もたくさんの花を持ってきてくれてはった。
ヤマリンドウ、サンキライ、ヒヨドリジョウゴ、ミヤマアキノキリンソウ、ヤマボクチ、ツルリンドウ、アキチョウジ、マムシグサの実、リュウノウギク、センブリ等。
これらの秋の花を見ていると、
何故か自然と描きたいなぁという気分になったのは自分ながら不思議だった。
曇りのち晴れ。
気分転換ができていたようだった。

「久しぶりにヤマリンドウを描きたいなぁ。花の色が難しいが…」
構図を考えスケッチをしただけで、2時間はあっという間に終わってしまった。
しかし、この2時間は楽しい2時間だった。

今日は昼食後少しだけ色をつけてみた。
「葉の置き方は多分これでいいが、花は4つより3つの方がいいだろう。
少し花の向きを変え、スケッチをし直さなければ…
花の色は難しいなぁ。
どのようにしたらこの紫がかった青色がでるのだろうか」
いつの間にか絵の中に入り込んでしまっていた。
色々を考えながら試し塗りをする時間がたまらなく好きな自分がそこにいた。

「あっ、やっぱり好きなんだ」
そう思うと嬉しくてならなかった。




by PochiPochi-2-s | 2016-10-27 23:08 | 習いごと | Trackback | Comments(6)
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昨日は忙しい一日だった。
所用でお昼前から夕方まで大阪市内に出かけ、午後4時半頃帰宅。
そそくさと軽い夕食を終え、午後6時過ぎの電車に乗り西宮芸術文化センターへ。
フライブルグバロックオーケストラのコンサートだった。
7時開演の10分前に滑り込みセーフ。
なんとも忙しなかった。

いったいこのコンサートホールに今まで何度通ったことだろう。
クラシック音楽、特にオーケストラの演奏が特別好きというわけでもなかったが、
主人が好きなので誘われるままにいっしょに通い始め、
今では私もなんとなく「好きかな」と言えるようになってきた。

今回のオーケストラは、フライブルグバロックオーケストラという名の世界最高峰の古楽オーケストラである。バロック音楽とは1600年頃から1750年頃までのヨーロッパの音楽のことであり、「バロック」とは「いびつな真珠」を意味し、それまでの「ルネッサンス音楽」にあった均整感を打ち破ったものとして名付けられたと言われている。パンフレットには、「細やかな音楽の振幅の中に、多様な感情の揺らぎがほとばしります」と書かれている。

今回のプログラムでは、バロック時代のドイツ音楽を代表する「音楽の父」と呼ばれるヨハン・セバスティアン・バッハ(1685 -1750)の作品とイタリアのバロック音楽を代表するアントニオ・ヴィヴァルディ(1678 - 1741)の作品を選んだ点も面白く興味深かった。二人の作曲家の作品の相違がはっきりと分かり、どちらも楽しめたのは幸せだった。

また今回の演奏は古楽器(ピリオド楽器、作曲家が生きていた時代に使われていた楽器)での演奏で、バッハに関しては現存するヴァイオリン協奏曲4曲を一挙に演奏した。
目を閉じ、耳を澄まして聴いていると、いつの間にかリューベックやドイツ北部の街
の石畳のシーンが心に浮かび、気持ちはそこに飛んでいっているようであった。あとで主人に聞いてみると、彼の場合はハイデルベルクの街が心に浮かんだという。ヴィヴァルディの曲ではやはり二人ともベネチアのあの華やかな街の雰囲気が心に浮かん
だ。バッハのヴァイオリン協奏曲は日頃からCDでよく聴いている曲だったのも嬉しく、同じ曲を生演奏で聞けることの素晴らしさを味わうことができたのもまた嬉しいことだった。

✳︎ youtubeで同じ曲目での演奏を探してみたが見つからなかったので、
他の曲だがこのオーケストラの雰囲気がわかるだろうと思いここに貼り付けてみた。








【プログラム】

ヴィヴァルディ :歌劇「オリンピアーデ」RV725より 序曲
J.S.バッハ : ヴァイオリン協奏曲 第1番イ短調 BWV1041
J.S.バッハ : 2つのヴァイオリン協奏曲 ニ短調 BWV1043
ヴィヴァルディ : 弦楽のための協奏曲 イ長調RV158
J.S.バッハ : ヴァイオリン協奏曲 第2番ホ長調BWV1042
J.S.バッハ : 3つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 BWV1064R

* アンコール曲
コレッリ : 合奏協奏曲op.6-1よりラルゴ
ヘンデル : 合奏協奏曲op.6-10より アレグロ

by PochiPochi-2-s | 2016-10-26 23:07 | 音楽 | Trackback | Comments(6)

絵を描かなかった

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久しぶりにのんびりと歩く。
近所のコスモス畑から遠くに梅田のビル群を望む。

中央左寄りの高い建物はアベノハルカス(天王寺・阿倍野)
梅田と阿倍野はかなり離れているのに
写真で撮るとその距離感が写らないのに驚いた。
まるで横並びのよう。
ビル群の向こうに薄っすらと見えるのは
金剛葛城かな。



「今回は絵を完成させるのやめとくわ。たまにはこんな週もあっていいだろう」
先々週の週末に、自分で自分に言った。

絵の道具はいつも目の届くところにあったが、たった一度描こうとした以外
まったく触りもしなかった。
忙しかったこともあるのだが、何となくやる気が起こらなかった。
先生にはちょっと申し訳ないのだが、
不思議なことに、実に晴れ晴れとした気持ちで過ごせた。
何かから解放されるとはこういうことなのだろうか?

考えてみれば、今まで絵を描かなかったのは、何回かの長い旅行期間中のみ。
その旅行も2013年の夏、友人のリさんに会いにカーディフ行ったのが最後。
あの2週間のイギリス旅行以来、長い旅行はしていない。
この3年間、一度も休まずに教室に通い、絵を描き続けていたことになる。
強制されているわけでなく、好きなのだからと思っていたが、
やはり心の底でなんとなく無理していたのかもしれなかった。

予定のなかった日は、
庭の草花の世話をしたり、植え替えをしたり、土を入れ替えたり、偶然出会った紅玉でもう一度りんごジャムを作ったり、アップルパイを焼いたり、あちこちの整理整頓をしたり、のんびりと散歩をしたり、庭でお茶したり、編みかけのベストをゆっくりと編んでみたり、jarippeさんのブログで知ったほしかった本を買ってみたり…

ああ、楽しかった!



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今日は気温が高く、
生地が少し柔らかくなりすぎた。
まあまあの出来かな。
出来上がるまでの時間に幸せを感じる。



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jarippeさんのブログで知った『身近な雑草の愉快な生きかた』
ついでにもう一冊『身近な野の草 日本のこころ』
アマゾンで見つけ購入した。
これからぼちぼち読んでみたい。
花や虫の絵も気に入っている。



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みんなのブログを見て
私もやってみようと始めた超簡単糠漬け。
私でもできるんだと嬉しくなった。
やっと美味しくなってきた。
セロリ、オクラがお気に入り。



by PochiPochi-2-s | 2016-10-24 23:39 | 習いごと | Trackback | Comments(14)
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「わぁ 嬉しいわ。
これでやっと最後まで読める!」
探していた逢坂剛「燃える蜃気楼」(上・下)がなかなか見つからず、
やっとアマゾンで見つけ注文した本が届いたのだった。

この夏は異常に暑く、本などじっくりと読む気もしなかった。
しかしどういう風の吹き回しだろうか、
"秋到来"の言葉を聞くと、じっくりと腰を据えて本を読みたくなってきた。

読みたい本はたくさんあるが、まず最初に読みたいのは逢坂剛のイベリアシリーズ。「イベリアの雷鳴」「遠ざかる祖国」(上・下)はこの夏までに読んでいた。
この3冊には、スペインを舞台に、1939年秋のドイツ軍によるポーランド侵攻から
1941年の真珠湾攻撃までが描かれている。

今回読みたいと思っている「燃える蜃気楼」は、真珠湾攻撃に端を発した日米開戦からの12ヶ月間の物語。しかし この物語の舞台はスペインであり、そのスペインは当時世界的戦時下にありながらも中立を保っていた国だった。そして興味深いのは、主要登場人物がスパイであるということ。一般市民でもなく、戦争をしている戦闘員でもない、スパイがこの物語の中心人物である。日独伊陣営と英米を中心とする連合国陣営の情報員がお互いに交錯する中立国での情報戦が描かれている。しかも、主人公二人、北都昭平とヴァジニア・クレイトンは互いに敵対する国、日・英のスパイであり恋人である点である。おもしろいはずがない。私にとっては、一度読み始めると、中断するのが難しくなるほど夢中になる本である。

戦後生まれの団塊の世代に属する私は、長い学校生活の中で少なくとも3度日本史を習ってきている。しかしどの時も授業で習ったのは明治時代の初めまでであり、日本の近代史、現代史は学校で習った覚えはない。「時間が足りなかったから、あとは各自自分で学習しておくように」。毎回、先生はどの先生もそのように言って一年間の授業を終わった。それゆえ、"何故第一次世界大戦が起こったのか"、"その時の日本の立場はどうであったのか"、"その時の世界情勢はどうであったのか"、"戦争の結果、敗戦国のドイツの状況はどのようなものになったのか"、"日本はどのような立場になったのか"、"何故再び第二次世界大戦が起こったのか"、"その時の世界情勢はどうであったのか"、"日本は何故第二次世界大戦に突き進んでいったのか"など何一つ知らずに大人になってしまった。日本国憲法にしても同じである。たまたま教養課程の必修科目だったから受講しただけのことであった。今になって思えば、"意図して教えなかった"、"意図して教えることを避けた"としか思えないように思う。

今、たとえ小説の世界であるにせよ、春江一也著「プラハの春」のように(この本で、チェコの歴史がよくわかった)、この本もまた、史実を背景として第二次世界大戦へと動いてゆく時代のヨーロッパ情勢、各国の思惑、スパイの情報戦などが描かれており、自分の少ない知識を総動員して"ああそうだったのか"、"ああそういうことなのか"と考えながら読むことのおもしろさは何物にも変えがたく興味深いことこのうえない。同じ意味でイギリスの作家、ケン・フォレットの作品「Fall of Giants」「Winter ofthe World」「Edge ofEternity」の3部作もまた読むと第一次世界大戦前後から冷戦時代までの主にヨーロッパ情勢がよく理解できる。しかし、このような小説を通してでしか知ることができないことを残念に思うし悲しくもある。

まあそれはさておき、「燃える蜃気楼」の続きの「閉ざされた海峡」も手元にある。
今夜から再び胸躍る小説が読めるかと思うと嬉しくてならない。

なお、私の逢坂剛の本との出会いは、「カディスの赤い星」であった。


by PochiPochi-2-s | 2016-10-23 17:39 | 読書 | Trackback | Comments(6)

絵の具

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昨日の午後やっと落ち着いて描ける時間ができたので、ひとり絵を描こうとした。
いつもなら描き始めるとすーっと絵の中に入っていけるのだが、昨日は違っていた。
先週久しぶりに会った友人の話が心に重くのしかかりまだ尾を引いていたのだった。
昼食後それとなく話し始めた彼女の話は、前々から分かっていたことなのだが、
私には深刻な話でその直前に見た作品展の彼女の絵がどこかへ吹き飛ばされてしまったような気がしたのだった。

手元の絵の具を見ながら、
いつのまにか 彼女との出会い、絵の具にまつわる話を思い出していた。

友人Hさんとは、私が通っている絵の教室で知り合った。
もうずいぶん昔のことになる。
最初の日、どこに座ろうかと緊張し戸惑っていた私に、「ここに座ったら。空いているよ」と、誰よりも先に親切に、明るく声をかけてくれた人が彼女だった。
仲良くなるのに時間はかからなかった。
知っている人がひとりもいない教室に行くたびに彼女は話しかけてくれ、絵を描くということに全く何の知識もなく、ただ花の絵を描きたいという気持ちだけで通っていた私に、スケッチの仕方や色の塗り方を親切に教えてくれたのだった。
その頃の私には、先生は遠い存在だった。
初めてのこと、初めての場面ではいつも気後れのする性格だからかもしれなかった。

その頃から教室にとても美しい色で絵を描く人がいた。
絵の具はイギリス製の透明水彩絵の具・『Winsor & Newton』 だった。
当時 外国製の絵の具は 私の住む周辺ではほとんど見かけることもなかった。
「いったいどのような絵の具なのだろう。どこで買うことができるのだろうか?」
その絵の具が、珍しく、興味深かった。
聞けば、パイロットのご主人のロンドン土産だと言っていた。
『Winsor & Newton』という名前だけが耳に残った。

「いつかロンドンに行くような機会ができたら、一番最初に画材屋さんに行って
このWinsor & Newtonを買いたね」
絵の具の名前は、彼女と私の合言葉になっていた。
再び海外旅行に行き始めたのはこの時から何年か後のこと。
ロンドンはまだまだ憧れの地であり、この絵の具もまた憧れの絵の具だった。

「私、東京転勤になった娘家族と一緒にしばらく東京に行こうと思ってるの」
ある時 Hさんから突然打ち明けられた。
知り合ってから5、6年は経っていた。
彼女のお陰で私も少しはまともな絵が描けるようになり、もう少し頑張って続けてみようと思い始めた頃だった。
「東京でも、やめずに花の絵を描き続けてほしいなぁ」
お世話になったお礼に、何か思い出深いものをプレゼントしたかった。
ちょうどその頃、やっとのことで梅田の画材屋さんでこの絵の具を見つけていたが、あまりにも高価で私にはもったいないなぁと思い、いつも眺めては諦めていたこの絵の具をプレゼントしようと、すぐに思い立ったのだった。
大胆にも、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで2セット購入した。一つをHさんにもう一つを私にと。お互いにこれからも頑張って絵を描きましょうと約束をした。

今でもHさんはこの時私がプレゼントしたWinsor & Newtonを使ってくれている。
よく使う色は度々買い換え補充するが、ケースは当時のままである。

先週聞いたHさんの話は私の心に重くのしかかったが、
「まあ物は考えよう。これからの人生、この絵の具にようにさまざまな色があっていいのではないか。ひとそれぞれ、各自の思うように生きてゆけばいいのではないか」
と、思い出の絵の具を眺めながらそう思ったのだった。
ほんの少しだけ気持ちが楽になった。
しかし、絵は描けなかった。

黄昏に向かう夫婦の在り方の難しさを考えたここ数日だった。


by PochiPochi-2-s | 2016-10-21 13:17 | 思い | Trackback | Comments(6)

夕陽

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(10/3の夕焼け)


先週 森武生さんの随筆「夕陽」(ゆうひ)を読んだ。
以前私がブログに記事を書いた 随筆集「メスとパレット」の著者である。

今回の随筆は、若い頃、山に登っていて何回も出会った印象的な夕陽についての文章から始まり、途中で両親の人生の黄昏についての文章に移行、最後は自分の黄昏への道について書いている。
この随筆の中で一番惹かれたと箇所は、
やはりご両親の黄昏について書かれていた部分であった。

森氏の母は、人生の後半40年をパーキンソン病と雄々しく闘い続けた。彼女の天職である日本料理の師範と仮名文字の書道師範にとっては、パーキンソン病は致命的であったがそのことを苦にする風も見せず、いつも明るく振舞っていた。病がだんだんと進むにつれ、歩行不可能になり発語も不自由に。たまに両親を訪ねると、母だから言える言葉をいつも言っていた。「武生、元気… 患者さんにやさしくするのよ… 外で喧嘩しちゃだめよ…」と。母親と姉妹のようであったお姉さんが献身的にお母さんの世話をしていたが、そのお姉さんが自分の家に帰ったほんの少しの間に眠るように息を引き取った。斜陽になりつつはあったが、最後まで家族の太陽であったという。

森氏の父の黄昏は、妻の介護を行うことと、南京事件の真相を明らかにすることに費やされた。90歳近い身での献身的な妻への介護には頭が下がった。碁とゴルフを純真に楽しみ、最後まで頭ははっきりしていた。彼も誤嚥性肺炎から3ヶ月程寝たきになったが、その最後も看護師の見回りの5分間の出来事で、誰も見ていないという。

随筆を読みながら、父と母、高齢の知り合いや友人、近所の高齢の方達等を思い出していた。

父の戦後の生活は、以前にも書いたように、まるで神様からのプレゼントであるかのような穏やかな生活だった。誰かと競争することもなく、他人を出し抜いてトップに躍り出たいという欲望もなく、金儲けに邁進することもなく、ただただ毎日を淡々と生きていたように思う。今在ることを喜びながら生きていたように思う。花や木が好きで、小動物が好き、小さい子供が大好きでよく近所の子供の遊び相手をしていた。優しい目をした人であった。小さかった私はそのような父が大好きで、いつも父の後について歩いていた。父の最後は見事であった。亡くなるその日の朝までどこといって悪いところもなく元気で、介護もなく頭もはっきりしていた。しかし、最後の日はいつもと違い、少し調子が悪いと、同居している弟に病院に連れて行ってもらった。土曜日の朝のことだった。翌日は日曜日なので 念のため入院し、様子を見ましょうかということになった。体調はすぐに元に戻り、その日は一日中元気でよく話していたという。夜11時過ぎ看護婦さんが見回りに来た時も冗談を言って笑っていたらしい。父の様子が突然おかしくなったのは、その直後だったらしい。本当にあっという間の出来事で、子供3人の誰にも会わず一人で亡くなってしまった。
母が先に逝ってから4年。最後まで何一つ文句を言わず、ニコニコと笑顔で、しかし背筋を伸ばして淡々と生きていた。私の大好きな父だった。

母の晩年は糖尿病との闘いだった。糖尿病からくる眼底出血、突発性難聴、心筋梗塞等様々な症状に悩まされていたが、いつも明るく、歌を詠むのを楽しみ、頭を上げて前ばかりを見て生きていた。最晩年の2年間は ICU→個室→普通病室(4人部屋)の繰り返しだったが、倒れても倒れても復活し、また元の普通の生活を2ヶ月でも3ヶ月でも続けるという強い意志の持った女性(ひと)だった。本当の強さを教えてくれた。

自分の生き方をしっかりと持ち人生の黄昏を生きている人は何も自分の父や母だけではない。見回せば、私の周囲にはたくさんの人たちがいる。ドイツの高齢の友人メミング夫妻、中学時代の恩師A先生やS先生。S先生は結婚5年目にご主人を癌で亡くされたが二人の娘を立派に育て上げ、今なお80歳近い年齢にもかかわらず、娘から要請があれば阪和道・近畿道の高速を使い和歌山紀の川市から豊中市まで自動車でやってくる。どこからこんな元気が出るのだろうかと思えるほど華奢なひとだが、彼女もまたしっかりした生き方を持ち、黄昏を素敵に生きている。

さて私の黄昏への道はこれから始まる。(いやもう、始まっているかもしれないが)
どのような黄昏への道を歩むことになるのだろうか。
たくさんの素晴らしいお手本を参考に、じっくりと考えてみたいと思っている。

最後に再び森武生さんの随筆「夕陽」から。

山梨の山小屋の夕陽は美しく荘厳である。夕方に近づくにつれて、雲は灰色から真紅になり、最後の光が南アルプスの稜線に沈むと稜線のスカイラインが突然金色に輝き始める。そして東の空は見たこともない薄紫に色を変え、そしてまた、あっという間に金色の稜線も紫色の空も黒と灰色の中に埋もれてゆく。山の夕陽、大コンチェルト終章である。


by PochiPochi-2-s | 2016-10-19 22:50 | 思い | Trackback | Comments(8)
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夕方家に着き、郵便ボックスを覗き込むと、郵便局の不在連絡票が入っていた。
誰からかしら?
取り出して見てみると、差出人は アンジーだった。
しかも registered (書留)。
「えッ? 今頃何を送ってきたの? しかも、書留で…」
早速郵便局に連絡し、最終便での再配達を頼む。
夕食も終わり、のんびりとしていた時に荷物が届いた。
なんと、驚いたことに"クリスマスプレゼント"だった!

I know it will be early when you receive this gift.
For the whole month of November, we will bein Singapore.
So it will be too late to send it out.

同封されていたカードにはこのように書かれていた。

「11月にはフランツと二人で久しぶりにシンガポール(彼女の母国)に行くの。
そのあと台北に行って弟家族と母に会う予定。リユニオン(reunion・再会)なの」
とは、以前から聞いていた。
しかし、そのことがクリスプレゼントのどう関係するのかなんて考えもしなかった。
全くもって予想外の出来事だった。

「ふふふ、まったくもう、アンジーらしいわ」
心の中でひとりそうつぶやいたのだった。

プレゼントは、チョコレートとローション(らしい。タグによれば)。
彼女のことを考えながらもう一度きれいに箱に詰め直した。
クリスマス当日にプレゼントを開けようと思う。
あと2ヶ月余。その時が楽しみだ。

生まれ育ったシンガポールでの知人、友人たちとの再会や
台北での家族(弟夫婦・母)との再会。
11月は、彼女にとってきっと忘れがたい思い出深い月になることだろう。
アンジーの、楽しい明るい話し声が今にも聞こえてくるようだ。



by PochiPochi-2-s | 2016-10-18 23:18 | 日記 | Trackback | Comments(4)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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