カテゴリ:絵画( 17 )

東山魁夷の絵を見に

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東山魁夷『清晨』
(購入した絵葉書より)



「次の土曜日か日曜日に東山魁夷の絵を見に行こうか?」
2、3日前に主人に誘われていた。
BBプラザ美術館で開催されている美術展のパンフレットがおかれていた。
『自然と人間 〈日本画との対話〉』
「おもしろそうな企画だなぁ。しかも 兵庫県立美術館の近く。行ってみたいなぁ」
そう思い、その時パンフレットを貰ってきていた。
土曜日のBS「エルキュール・ポワロ」はどうしても見逃せなかったの(大のポワロ
ファン!)で、日曜日に三宮でランチ、その後JRで灘駅まで引き返しBBプラザ美術
館へということになった。

パンフレットには次のように書かれていた。

〈日本画との対話〉と題した本展覧会では、自然と人間、その存在との関わりの探求をテーマに、………………………………………………………………………
日本画は、日本の風土や日本人の美意識、精神性によって育まれてきた絵画です。
多くの日本画家たちは、歴史に培われた伝統を受け継ぎながら、常に新しい表現を
切り開き、自然や自身との葛藤を繰り返しながら、今日に至っています。
今展では、四季折々の美しい自然に自らとの接点を築き、
その中に在る人間の存在を描き出してきた画家たちによる珠玉の作品群を紹介いた
します。
私たちの心に寄り添い、時に自己との対話の機会を与えてくれる日本画の世界を
お楽しみいただければ幸いです。

会場は春夏秋冬と分けられ、それぞれの季節を代表する絵が展示されていた。
よく知っている画家、あまり知らなかった画家15名の作品約30点。
全てこの美術館のコレクションだということであった。
一点一点見事な作品ばかりで見ごたえはあった。

小倉遊亀「古つぼと花」・ 東山魁夷「五月の山」「清晨」・ 山本大慈「牡丹」
加山又造「夜桜(春宵)」・ 平山郁夫「法隆寺」「東大寺南大門」
上村淳之「鶴」2点 「鴫」2点・ 奥田元宋「秋山雨収(奥多摩湖)」「遠山白雪」
などが印象に残った。(残念ながら写真撮影禁止なので、ホームページからどうぞ)
中でも、やはり東山魁夷の「清晨」と山本大慈の「牡丹」、上村淳之の「鶴」「鴫」
には魅了されてしまった。
しばらく絵の前にジーっと立ったままで動けなかった。
見入ってしまった。

東山魁夷は学生時代から今日に至るまで一番好きな画家。
何故好きなのだろうかといつも考えるのだが、よくはわからない。
好きだということに理由はいらないような気がする。
ただ、彼の描く絵の色調が好きなのかもしれない。
それと彼の書く文章が好きなのだと思う。
絵を見ていると、今までに彼によって書かれた文章を思い出す。
たとえ そのとき見ている絵と何ら関係のない事がらであっても、
文の中で書かれた彼の絵に対する考え方、表現方法などを思いだす。
「風景との対話」は、それこそ就職した年に買い、その時以来何度も読み返した本。
初めて貰った給料で、当時としては分不相応な高価な画集も買い、
うれしくて 毎晩 アパートで一人楽しんでいたのを思い出す。
この『清晨』をじっと見ていると、さまざまなことが心をよぎった。
そして、何だか静かな、清らかな、優しい気持ちになったのだった。

山本大慈の「牡丹」には、それこそ、心の底から見とれて。しまった。
絵の前から動くことができなかった。
その透き通るようなやわらかな花びらの描き方が、何ともいえず魅力的だった。
オーガンジーのような、向こうが透き通って見える透明感のある描き方。
優しいひらひらとした花びらの表現。
どうしたらこんな風に描けるのだろうかと、感動するとともに考え込んでしまった。
「もしこんな風な描き方ができれば、蝋梅の花も上手く描けるのになぁ」
出るのはため息ばかりだった。
諦めきれず、何度も何度もその絵に前に戻っては見入っていた。

上村淳之の「鶴」と「鴫」各2点。
その上品さと、野生の鳥の持つ目の鋭さに惹かれてしまった。
キリッとした、注意を払ういい目線だった。
地面を覆った雪の描き方も。
ああこんな風に描くのかと、ここでも見とれてしまった。

平山郁夫の「法隆寺」の絵も心に残った。
やはりあの独特の青い色が何とも魅力的だった。

日本画の良さがだんだんと分かってくるような年齢になってきたのかもしれない。
今使っている透明水彩絵の具とはまた異なる顔彩のもつ優しい色彩に魅かれる。
静かなそれでいて深みのある優しい色。
日本の風景、風物を描くのに適しているのかもしれないと思った。
先日の小磯良平記念美術館で見た洋画家たちの描く洋画(油絵)とはまた違った、
心の隅まで染みいるような優しさに包まれた時間だった。

いい一日を過ごせたなぁと、満足して電車に乗ったのだった。

※ シニア料金が適用され、入館料200円。(65歳以上を証明するものを提示)



帰りに買った一筆箋
小倉遊亀さんの『古つぼと花』
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More ⑴もう一つの絵画鑑賞 ⑵ もう少し頑張った
by PochiPochi-2-s | 2017-01-30 16:18 | 絵画 | Trackback | Comments(2)
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荻須高徳《モンマルトルからの眺め》
1950年



一昨日のブログにも書いたが、
1月17日、毎年神戸で「1・17のつどい」が三宮の東遊園地で一日中開かれる。
毎年この日はなぜか気持ちが落ち着かず、去年は午後からのこの集いに参加した。
今年は? やはり神戸方面に行きたかった。
それではと、以前から見に行きたいと思っていた美術展に出かけることにした。

「パリに生きる パリを描く」-M氏秘蔵コレクションによる -

三宮の手前、六甲アイランドにある小磯記念美術館へと車で向かった。
雪も止みこの日は朝から天気が回復し、ドライブにはちょうど良い天気と距離。
車で出かけた。


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《子供のための鑑賞ガイドより》


《"芸術の都"として世界中の人びとを魅了し続けてきたパリ。日本の画家たちも、19世紀末頃より留学先や制作旅行先として次々とパリを目指し、多くの名作が同地で生まれました。》

美術館入り口でもらったパンフレットにはこのように書かれていた。

会場には藤田嗣治(レオナール・フジタ)、児島虎次郎、梅原龍三郎、安井曾太郎、小野竹喬、佐伯祐三、荻須高徳、小磯良平、鴨居玲などのパリを描いた作品が展示されていた。パリに憧れ、パリに渡った洋画家たちの作品だった。

子供のための鑑賞ガイドのパンフレットには、
パリのどんなところにひきつけられたかという画家のことばが載っていた。
《荻須高徳 》
シャンゼリゼやオペラ座などの豪華な大通りよりもどうしてもモンパルナスの人間臭い裏町にひかれます。
《藤田嗣治》
屋根のすぐ下の部屋はといえば大抵画室になっている。あそこにもここにも画室が見える。あれだけの画室でその主人がいずれも夢中になって画を描いていると思うと、私などは必死に勉強しなければ…。
*荻須高徳と藤田嗣治はパリに長く住み続け、裏町の風景をたくさん描いた画家。
《石井柏亭》
パリに居ると、何しろいい絵が見られるのが第一喜ばしい。そうして自分でも画を描かずにはいられない様な気がする。
《佐分眞》
フランス人は、のどかな心を持っている。パリの美しさはさる事乍ら、またフランス人の豊かな心持ちが吾等エトランジェーをあの土地に安住させてくれる大きな原因だと思う。
* エトランジェー : 外国人のこと

二部屋に分けて展示されていたかなりの数の画を見て回って最後に思った。
このパンフレットの言葉のとおりだと。
多くの芸術家たちはみなパリに憧れ、パリはまた彼らの心を魅了し、虜にする。
パリという街はそれだけの魅力にあふれた街なのだろう。

1982年夏に初めて、旅の初めとイギリスの渡る前の2回訪れ、
その美しさに圧倒された街。
「もう一度ゆっくりと滞在し、好きな画を見て回りたい」
パリに憧れ、パリに行った日本人画家たちの描いた、彼らの気持ち、情熱のこもった
画を見て回り、"もう一度パリに行きたい"という気持ちを強くした。
この日はそんな気持ちを抱いた日だった。


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《パンフレットより》


佐伯祐三の描いたパリ
オーヴェル風景
(購入した絵葉書より)
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尚 ここに展示された絵と資料は、
関西在住のM氏が30年にわたり集めた秘蔵コレクション70点を中心に笠岡市立竹喬美術館、稲沢市荻須記念美術館、神戸市立小磯記念美術館の所蔵品を加えた計約100点
である。
見応えのある美術展だった。
また個人的には、
油絵より水彩画の方に、より惹かれるものを感じた美術展でもあった。


More まあ、きれい!
by PochiPochi-2-s | 2017-01-19 17:06 | 絵画 | Trackback(1) | Comments(4)

片山先生の『野の花展』

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《アセビ》
片山先生の今年のカレンダーから

「わぁ!すごいね。今年も。
なんでこんなに細かく描けるの?
花の塊と葉の重なり…」




朝起きると一面の霧。
裏山さえ隠れてしまうほどの霧だった。
むわぁ〜と、この時期にしては暑い(?)霧の中 、
友人と待ち合わせ、最終日の今日、梅田で開催されている絵の教室の片山先生の
作品展に行ってきた。

毎年「今年はどのような絵を描かれたのだろう」と楽しみに出かける作品展。
期待どおりのうつくしく、繊細な絵が展示されていた。
絵に費やされた時間と情熱を考えると、
ただただ「凄いなぁ」の一言しか出てこない。
並大抵の集中力、テクニック、感性 それにプラス努力、情熱でできるものではない。
あとは、絵の前でじっと眺めるのみ。
無言で…

「 I さん、この絵に描かれてる花のように見えるこの植物、知ってる?」
先生が突然聞きはった。
ヒッツキモンツキの初めの頃の様子。
あのヒッツキモンツキの9月ごろの様子なんや。
真ん中の蕊のような塊の周りにまるで花びらのように葉っぱがついてるやろ?
この葉が一枚一枚落ちていって最後にはヒッツキモンツキの形になるんや。
最初はまるで花みたいに見えるからおもしろいんや。
それで描いてみようと思ったんや」

写真は撮れなかったが、本当におもしろいと思った。
植物が大好きな先生の一面を表す絵だなぁと思った。
ただ残念なことに正式名を見てくるのを忘れてしまった。
あまりにも絵ばかりに気を取られていたのだろう。
次の教室の時に先生に聞いてみようと思っている。

いい時間を過ごせ、豊かな気持ちになれたのは嬉しかった。
帰りにいつもの画材屋さんに立ち寄り、ほしかった絵の具を3本買って帰った。



【今年のカレンダーから】
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フクジュソウ




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コバノミツバツツジ




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ヤマザクラ




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トキソウ




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マムシグサ


More : うれしいメール
by PochiPochi-2-s | 2016-11-16 11:45 | 絵画 | Trackback | Comments(12)

再び、堀文子

昨日は11月11日、1が4つ並ぶ日だった。
家から少し離れたところにあるショッピングモールの中のイタリアンの店で、
夕方5時以降 普段一皿1000円のピザ・マルガリータが500円でサービスとでていた。
この店が家の近くにあった時にはよく食事にいっていたので、
「久しぶりに行ってみようか」ということになり二人で出かけ、
ピザ・マルガリータとワタリガニの入ったスパゲティを二人で楽しんだ。
こんな時間もいいものだと。


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画文集『無心にして花を尋ね』より




帰りに立ち寄った本屋さんで、
堀文子さんの特集記事「堀文子・一心不乱に生きる」に偶然出会った。

「死が生涯の華々しい
収穫の時だという事を、
ひまわりから学んだ
あの日を私は忘れない」ー
自然を師とし
変わりゆく日々の驚きを
描き続ける画家は
なぜ、枯れた花に真実を見ぬき
戦時下に
心の自由を保つことができたのか?
群れず、安住せず、孤独を引き受けて生きる98歳。
いま、伝えたいこと。

特集記事の最初にこのように書かれた文章が載せられていた。

彼女の絵に興味を持ったのは、
『サライ』という雑誌に載った彼女の絵と文章によるところが大きい。
また 彼女へのインタビュー記事を読み、
「まぁ すごい女性がいるものだ!」と驚いたものだった。
それ以来、彼女の書く文章と描く絵に魅かれ、何冊か画文集を購入することに。
絵を眺めながら、書かれた文章をゆっくり読む。
最高の贅沢を楽しめる時間である。

この短い特集記事の中で、
"描くことは生きること"と言い描き続けてきた98歳の彼女が、次のようなことを
言っているのが印象的で、考えさせられた。

・女性は理性がない(と彼女が考える)が、理性を高めるためには
自分の手で種をまき、育て、観察し、生命というものに驚くべきである。
・あんな見すぼらしい種が100年も生きていく。
この世の生命というものは驚くべきものであるが、若い時にはそういうものが
見えない。
・美術学校の教師になったとき、学生に言った。
「花屋で買ってきた花なんて描いてはだめ。自分で種をまいて育て、そして咲くのを、毎日毎日いつくしんで、それを描きなさい」と。
しかし、生徒は手が汚れるからいやだって、土に手を入れなかった。
人間がきれいになってしまっている。
・自分の目で見て、本当のことを命がけで見ぬかないと、生きていけない。

去年の4月に神戸で行われた彼女の作品展に行った。
96歳になるまでに描いた作品の集大成といった作品展だった。
いまあらためてその作品展のことを思い出してみると、
その強い意志、絵を描くことに対するエネルギーを感じずにはおれない。
真剣に、一度限りの生を一生懸命に生きている。
すごい人だなぁと。
絵を見る人の心を魅了する絵である。

偶然出会った特集記事だったが、
堀文子さんの生き方を再び思い出させてくれたのだった。

* * *

【白寿記念 堀文子展 2016…現在(いま)】
2016年11月10日 (木)〜30日(水)
11時〜18時半(会期中無休)
ナカジマアート 東京都中央区銀座5-5-9アベビル3階
☎︎ 03(3574)6008
入場無料



by PochiPochi-2-s | 2016-11-12 22:59 | 絵画 | Trackback | Comments(6)
「久しぶりにポプラでランチはどうかな。
11月1日(月)、何か予定がある?
そのあと六甲アイランドの小磯良平美術館に行かないか。
小磯良平の植物画が見たいと言ってたから」

昨夕からの雨も朝6時過ぎには止み、少し寒かったが天気は上々。
ランチをいつもの関学の同窓会館内にあるレストラン・ポプラで食べ、
夙川、芦屋川を通り、国道43号線から六甲アイランドに自動車を走らせた。


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以前に一度、この美術館で植物画展を見たことがある。
イギリス・キューガーデンにあるマリアン・ノース ギャラリー所蔵のボタニカル
アートの何点かが展示され、その時同時に小磯良平の植物画も展示されたのだった。
絵を習い始めてしばらくたった頃だったと思う。
ただただ絵の上手さに感心し、このような絵が描けたらなぁと憧れの目で見ていた
のを思い出す。

今回は小磯良平の植物画と牧野富太郎の植物画が展示されていた。
小磯良平の植物画は武田薬品工業株式会社の月間機関誌『武田薬報』の表紙として掲載されたものである。1956年2月号の《オモト》から、1968年12月号の《センキュウ》に至るまでの約13年間、ほぼ毎月欠かさず絵筆を取り、表紙として150点、その後『薬用植物画譜』刊行のために描きなおした作品などを加えると173点もの植物画を描き続けたと、案内パンフレットに書かれていた。

《13年間、ほぼ毎月欠かさず絵筆をとる》
そのエネルギーは凄いものであっただろうなぁと。
とても真似できるものではない。

そう思いながら、展示されていた薬用植物画24点をゆっくりと心ゆくまで鑑賞した。
平日のお昼過ぎという時間帯のためか人も少なく、絵の前で誰に邪魔されることもな
く気のすむまで心おきなく鑑賞できたのはどんなに嬉しかったことか。
時間の過ぎるのも忘れ、気がつくと2時間ほどが経っていた。

パンフレットに小磯良平の制作の様子が書かれていた。
担当社員によってアトリエに運ばれてくる植物を、まず鉛筆で綿密に写生する。
植物の形が細部まで画面にあらわれると、次に水彩で丁寧に彩色していった。
植物が1枚につき、5時間ずつ2日はかかったそうである。1日6、7時間かけても彩色には至らず、その作業が次の日に回ることも多かったらしい。製作中には小磯自身が成功したものから失敗したものまで様々な試行錯誤があり、作品1枚1枚が挑戦だったそうだ。

じっくり見ていくうちに、
観察することの重要さ、写生力の必要さがよくわかった。
牧野富太郎の植物画にも同じように観察力と写生力を感じる。
植物に対する深い愛情がなければ決して描けない絵だと思った。
ああこのようにスケッチできたらなぁと思いながらの2時間だった。


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美術館の中庭


《購入した絵はがきから》
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Website より
小磯良平のヒガンバナ
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牧野富太郎のヒガンバナ
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《ほしいと思い購入した植物画集》
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More ポプラのランチ と関学のキャンパス
by PochiPochi-2-s | 2016-11-01 22:57 | 絵画 | Trackback | Comments(8)

デトロイト美術館展

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「ねぇ、明日土曜日、朝から出かけたら3時のポアロまで帰ってこれるかなぁ?」

以前から見に行きたいと思っていたデトロイト美術館展
しかし、異常に暑かったこの夏のお出かけはなんとなく気がすすまず、
今日まで延び延びになっていた。
「あっ、早く行かなきゃ。終わってしまう」
はっと気がついたのは金曜(9/9)の夜。
9月は何かと忙しい。
朝9時過ぎに出かければ、ランチを食べて3時までには充分帰ってこれるだろう。

場所は大阪市立美術館。
阿倍野の天王寺公園を通りぬけた所にある。
家からは阪急、JR環状線を使い 約1時間。

入るとすぐに、(エミール ) カミーユ・ピサロの絵がかけられていた。
この絵(帰宅後、検索してみたが探せなかった)を見た途端、来てよかったなぁと。


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デトロイト美術館
(パンフレットから)


入館時もらったパンフレットによると、
デトロイト美術館は1885年に創立。
自動車産業の繁栄のもとに、自動車業界の有力者らの資金援助を通じて、世界屈指の
コレクションを形成してきたアメリカ合衆国を代表する美術館の一つであり、ゴッホ
やマティスの作品をアメリカの公共美術館として初めて購入している。
しかし、2013年7月のデトロイト市の財政破綻により、存続の危機に陥る。
市の深刻な財政難により、収蔵する美術品の売却の危機も取り沙汰されたが、市民
の寄付や国内外からの資金援助により、美術品は売却されることなく存続している。

かつて美術画集等で親しんだモネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌ、マティス、
ピカソ、モディリアーニ等、たくさんの作品が展示されていたのには、正直驚いた。
時間をかけてゆっくり見ることができ、思いきって来てみてよかったなぁと。


気に入った作品。
(美術館のサイトから借りました)


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ワシリー・カンディンスキー
《白いフォルムのある習作》


好きな作品、親しみのある作品は、よく見ている作品等は数多く展示されていたが、
中でも、このカンディンスキーの作品に何故か魅きつけられた。
色の使い方、構図に魅せられたのだろう。



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フィンセント・ファン・ゴッホ
《自画像》


一番多くの人が絵の前に立ち見ていた作品。
他の作品に比べ 思いのほか小さかったので少々驚いたが、
その色使いと絵筆のタッチに魅き込まれるものがある。
背が低いのが幸いしてか、絵の前で じっと暫くの間 立ち止まって観ていても
文句は言われない。幸せなひと時だった。


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クロード・モネ
《グラジオラス》


花に光る太陽の光や、庭の空気感を感じることができた。
妻のカミーユのドレスの青、グラジオラスの赤やピンク、葉や茎の緑、背丈の低い
花々の赤、青等々、その色の取り合わせに心の安らぎを覚える。


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ポール・セザンヌ
《サント=ヴィクトワールの山》

この柔らかい色合いが印象的だった。


おいしいランチを食べ、家に帰り着いたのは2時40分頃。
3時から始まるポアロにぎりぎり間にあった。
エルキュール・ポアロファンとしては嬉しい時間。
ビデオを取ればいいものをといつも子供達に揶揄されるが、私にはその習慣はない。
まあ、見たかった絵を見ることができ、美味しいハンバーグランチも食べることが
でき、そのうえ、"エルキュール・ポアロ" も楽しめた。
幸せな一日だった。

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東洋亭のハンバーグランチ

丸ごとトマトのサラダがおいしかった。




More かぼちゃプリンのレシピ
by PochiPochi-2-s | 2016-09-11 22:47 | 絵画 | Trackback | Comments(10)
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『緑のハイデルベルク』
東山魁夷小画集「ドイツ・オーストリア」より



今日も気持ちのいい風が吹き、爽やかな朝だった。
朝食時、何かのことから主人がいま読んでいる本の話を始めた。
司馬遼太郎「街道をゆく 3・陸奥の道ほか」
話につられて、私も最近はまっている星野道夫の「旅をする木」について話した。
お互いしばらく喋ったあと、
ふっと東山魁夷の『緑のハイデルベルク』という絵を思い出した。

「あのハイデルベルクを、絵の大部分を緑の濃淡だけで描くなんて!」
初めてこの絵を見たときにそう思ったものだった。
作者は言っている。

〈ネッカー河にかかる石の橋、山の中腹に見える古城。
ハイデルベルクを私は緑の色調で描いた。
緑は青春の色である〉

初めてハイデルベルクの町を訪れたのは、1982年の夏。
いま時々このブログに載せている「ズッコケ家族の旅」をした時だった。
「あのハイデルベルク、学生時代の第二外国語の授業で一年間聞かされた続けた
ハイデルベルク」と思うと、気分が高まり少々興奮したものだった。

東山魁夷小画集「ドイツ・オーストリア」
時間のある時、ほっとしたい時、よくこの本を手に取り、
"心の窓辺にひろがる風景たち"と呼ばれた東山魁夷の絵を眺め、
そこに載せられている文章を読む。
彼の絵と文章に、若い時から惹きつけられている。

特に、この小画集は、
かつて彼が若かりし頃、青春時代を過ごしたドイツを再び訪れたいと、
1969年(昭和44年)の早春に奥さんを伴ってもう一度旅に出た時の記録である。
そこには、その時の旅日記、描いた絵、スケッチ、絵に添えられた短い説明文等が
載せられている。
この本をぼんやりと眺めている時は、
読んでいて いろんなことを想像し、自分が訪れたことのある場所を再び思い起こし
たりするのが何よりも好きである自分に気がつく一瞬でもある。

この時の彼の旅は、彼の文章を引用すると、『古いハンザ都市の面影を残す渋い赤煉瓦の建物と、霧に包まれた石畳みの道の港市リューベック』から始まり、ハンブルク、リューネブルクツェレ、ゴスラーと続きマインツ、フランクフルト、ヴォルムス、ハイデルベルクへと。さいごはオーストリアのザルツブルグで終わる。

ハイデルベルクの説明は、
「ドイツ・オーストリアを旅して」という文の中に次のように書かれている。

〈ネッカー河に臨むハイデルベルク、この名高い学都は、対岸からの緑の山麓に眺めた景観が最も美しい。河にかかる石の橋、古い家並み、教会の塔、大学の建物、なだらかな山の中腹にある古城。すべてが緑の中にある。〉

私が彼の絵が好きなのは、このような絵に対する誠実な、純粋な画家の気持ちが
反映されているからかもしれない。

この時以降も、度々ドイツへの旅やその他の国々への旅を繰り返してきた彼であった
が、その彼の『旅』への思いを綴った文章がある。

〈いままで、なんと多くの旅をして来たことだろう。そして、これからも、ずっとつづけることだろう。旅とは私にとって何を意味するのか。自然の中に孤独な自己を置くことによって、解放され、活發になった精神で、自然の変化の中にあらわれる生のあかしを見たいというのか。
いったい、生きるということは何だろうか。この世の中に、ある時、やって来た私は、やがて、何処かへ行ってしまう。常住の世、常住の地、常住の家なんて在るはずがない。流転、無常こそ生のあかしであると私は見た。
私は私の意志で生まれてきたわけではなく、また、死ぬということも私の意志ではないだろう。こうして、いま、生きているというのも、はっきりと意思が働いて生きているわけでもないようだ。したがって絵を描くということも……
私は何を言おうとしているのか、力を尽くして誠実に生きるということを尊いと思い、それのみが、私の生きている唯一の意義であるはずだと思ってはいるのだが、それは、上述の認識を前提とした上でのことである。
私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。生かされているという宿命に中で、せいいっぱい生きたいと思っている。せいいっぱい生きるなどということは難しいことだが、生かされているという認識によって、いくらか救われる。
(東山魁夷画文集「風景との対話」) 〉

東山魁夷の画文集が何よりも好きな自分を再発見した朝であった。


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ツェレの家


木組みを窓の外にあらわした装飾的な家々。
一階から二階、三階へと、前にせり出した古風な造り。
色彩豊かなツェレの町に見る
昔の人のゆとり。





More 昨日のパウンドケーキ
by PochiPochi-2-s | 2016-08-31 13:39 | 絵画 | Trackback | Comments(2)
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小さな町(アンダルシア・1987年)



昨日のことだった。

「あっ、三岸節子さんの絵だ。
懐かしいなぁ。もう一度見たいなぁ」

何時ものように買い物帰りに近所の書店に立ち寄り、雑誌のコーナーで気に入っている雑誌をパラパラとめくった時だった。

その雑誌は、「ザ・女の一生」という特集記事で三岸節子さんを取り上げていた。
タイトルは、
『三岸節子の描くこと生きること
いのち炎のごとく』。
思わずのめり込んで立ち読みしてしまった。

もうずいぶん前のこと、偶然立ち寄った絵画展で彼女の絵に出会い、その色彩、特に強烈な赤に衝撃を受けた。しばらくその絵の前に立ち尽くしていた。何か心をぎゅっと掴まれるような感じがしたのだった。


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《使われなかったチケット》



その時以来、彼女の絵が何時も心のどこに引っかかっていた。
ある時、
「そんなに好きなのなら、これで行って見てきたら?」と言って、
当時親しくつきあっていた友人がこのチケットをくれた。
しかし、その頃の私は何かと忙しく、たった6日間という短い期間に、
彼女の絵を見に行く時間的ゆとりはなく、そのままになってしまったのだった。

チケットを見れば、会場は大阪北浜にあった三越デパートの7階である。
その三越も今ではもう大阪の北浜にはない。
ずいぶん昔の話である。
おそらく20年以上も前の話。
しかし、よほど彼女の絵を見に行きたかったのか、諦めきれなかったのか、
このチケットは大事に本の間に挟まれていた。
そして、ごく最近、偶然にも 引っ張り出した本の間から出てきたのだった。
この春、御影にある香雪美術館で久しぶりに三岸節子絵画展が開催されていたのも知らなかった私に、「もう一度見に来てくださいね。心のゆとりを持って生活してください」とこのチケットが言ってるように思われてならなかった。


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(アルカディアの赤い屋根・カディスにて 1988年)


「お母さん、マイレージが貯まったけど、使える期間中は忙しく時間的余裕がないの
で、お母さんにプレゼントしたんやけど。お父さんは仕事があるだろうし。札幌に来るといいと思う。昼間は実験で忙しいけど、夕食なら一緒に食べれるし、何よりも私が一緒でなくてもお母さん一人で十分遊べるやろう?」

当時北大生で大阪ー札幌を飛行機で行き帰りしていた娘からの嬉しい提案だった。

宿泊先は娘のアパート。
行きたいところはたくさんあった。
一日は小樽、一日は日高温泉(札幌からの1日バスツアー)などに行き、
一人の楽しい時間を過ごした。
3日目、「今日は何をしようかな」と札幌駅まで歩いてきた時に、
「三岸節子絵画展」のポスターがインフォメーションの壁に貼られているのが
偶然目にはいった。

「あらっ、行って見たいなぁ。三岸好太郎美術館で開催されているのか」
三越での絵画展を見逃した悔しい気持ちがその時まだ心のどこかに残っていたの
だろう。すぐにその日の予定はたった。


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(花・1985年)


衝撃的だった。

また彼女の強烈な赤色に出会った。
何故だかわからないのだか、心がざわつくような赤。
人の心の奥底まで入り込み、強烈な印象を残す赤。

やはり、しばらくの間 その絵から離れなかった。

夫の三岸好太郎は夭折の天才画家と言われているが、
惹かれたのは奥さんの三岸節子の絵の方だった。


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(さいたさいたさくらがさいた 1998年)


特集記事を書いた記者は次のように書いている。
「大地に根を張った太い幹から、天を覆うように枝々が伸び、今、あふれんばかりに咲き誇る桜。なんのてらいもない、どっしりとしたおおらかさに、絵の前に立つ者までも気持ちが晴れやかに広がってゆく。そこには長い歳月を生き抜いてきた者だけがもちうる、つきぬけた明るさがあった」

19歳で結婚し、夫三岸好太郎と死別するまでの10年間の結婚生活。
生活の苦労が全部彼女の肩にかかっていたという。その後、1968年63歳でやはり画家になった息子黄太郎一家と南仏カーニュに移住。そこでの生活を始める。20年余りほどの滞在後1989年に帰国。1999年94歳で死去。彼女の94年の生涯は、彼女の言葉を借りれば まさに“時々刻々戦いぬいた”生涯で、炎のごとく情熱的に生きたのだ

彼女の絵の赤色は、その情熱の色、心に燃やし続けた炎の色かもしれないと思った。

今日このブログ記事を書いていて、
「いつか三岸節子記念美術館でゆっくりと彼女の絵を見たい」
と密かに願っている私がいるのに気がついた。

(尚、ブログに載せた絵は、雑誌とwebから拝借しました)



by PochiPochi-2-s | 2016-07-04 16:01 | 絵画 | Trackback | Comments(4)
「あらっ、モランディ展のチケットが売られてる」

先月神戸に出かけた時、チケット屋さんで偶然みつけ、その名の懐かしさに
思わず買ってしまったのだった。
会場は神戸県立美術館。会期は2月14日(日)まで。


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《モランディ展のホームページより》



モランディの絵を初めて見たのは、ずいぶん昔、30歳過ぎの次男がまだ幼稚園の頃
だった。8時過ぎに、彼を自転車で幼稚園に送り、その足で地下鉄、京阪電車で京都
まで行き、岡崎にある美術館まで歩く。12時過ぎまで心ゆくまでじっくりと絵を
鑑賞、再び徒歩、京阪、地下鉄で帰り、2時のお迎えに間に合うように自転車で幼稚
園へ急いだ。わずか2時間余りの鑑賞時間だったが、私には一人で自由にものを考え、感じ、楽しめる自分だけの幸せな時間であった。電車に揺られて車窓からの景色を
ぼおーっと見ている時間や何も考えずにただ絵だけを観ている時間が、何よりも嬉し
かった。その時間を持ちたくて、好きな絵の展覧会があるたびに、このようにして
よく京都まで絵を見に出かけたものだった。
モランディの絵もそのようにして見に行った。



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モランディはイタリア・ボローニャに生まれ、生涯、卓上の壜や容器、花瓶などを繰り返し繰り返し描き続けた画家である。展示されている作品の大半が、このような壜
や容器、花瓶の絵であり、花瓶に活けられた花や彼の住んでいた村の風景の絵であっ
た。

「何故彼の絵を好きなのか?」
そのことを考えながらずーっと観ていた。
何故なのかは言葉で表すのは難しいけれど、ただ言えることは、
『モランディの絵から感じる静けさによって、なんとなく心が落ち着く』から。
同じようなモチーフの連続、色彩の柔らかさ、光の使い方から受ける優しさ。
どこまでも静かな、観ていてほっとする絵だった。
いい時間を過ごせたなぁと思った。



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美術館のすぐ裏の海。
晴れ渡った空、雲がきれいだった。



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美術館の隣の建物のガラス窓に映る他の建物の形がおもしろかった。



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帰ってきて駅から見た裏山の山頂付近
望遠で撮影

木の枝の色がなんとなく春の色になってきているように思う。




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家に帰ると、蘭の花芽が出ていた。




by PochiPochi-2-s | 2016-02-11 22:30 | 絵画 | Trackback | Comments(6)
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「紅梅」
103歳、最後の梅の絵
1998年
(婦人画報・3月号より)


「う〜ん、生きている! 力強いなぁ」
しばらく言葉が出なかった。
この絵に見惚れてしまった。
小倉遊亀、103歳の紅梅の絵。

「どのようにしたらこんな力強い絵が描けるのだろうか?」

久しぶりに行った美容院に置かれていた「婦人画報」3月号。
「日本列島 花の旅へ!」の言葉に興味をひかれ、
その雑誌を手に取り、パラパラとめくった時だった。
この絵が目に飛び込んできた。
一瞬にして、惹きつけられてしまった。

記事によると、
31歳での院展入賞、30歳年上の禅徒小倉鉄樹との結婚と死別、自分の病気、養子に
した最愛の息子の死など長い人生の間にたくさんの苦難を抱える中で描き続けたと
いう。禅の世界では厳しい修行に耐え、悟りを開いた境地にたとえられる梅。鉄斎
が愛し、庭のあちこちに植えてふたりで愛でた梅。息子の一家とともに愛しんできた
梅。梅は遊亀の人生の大半に寄り添うパートナーそのものだったという。


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「無月紅梅」
91歳で描いた庭の紅梅
1986年
(婦人画報・3月号より)



見開き2ページに掲載されていたもう一枚の紅梅の絵にも見入ってしまった。
力強い。生命力を感じる赤い色に心を奪われた。

彼女の創作の源泉は、描きたいと思う材料にぶつかること。
庭を散策し、(孫・健一さんによれば)「必ず咲いている状態で花を見て」、
心が動いたものだけを画室に置いて、夢中で描き続けたという。
また、数ある花々のなかで梅だけを「紅梅さん、白梅さん」とさんづけで呼び、
会話をするように花に語りかけていたという。

梅を描き始めたころから花よりも枝や幹に宿る強靭な生命力に引き込まれ、描きた
いという思いがあって「色、形、自分の心持ちの色合い」に工夫をこらすという。

103歳で、《紅梅》を描き上げたとき、しみじみと語った言葉。
「こんなに穢れのないものは人間には作れない。自然はすごいねえ」

《年をとるほどに深まった梅への思い。描きたい。だから生き抜いた》

“人の思い”ということをあらためて考えさせられた時間だった。



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《アオギリの実》


小倉遊亀さんの紅梅の絵に感激して帰ったあと、
描きかけのアオギリの実に色をぬってみようと、しばらく絵筆を取った。
“描きたいという思い”をこめて。
見本に置いた本物の果実と比べ、「さあ 描けているかしら?」



by PochiPochi-2-s | 2016-02-05 22:45 | 絵画 | Trackback | Comments(8)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s