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遥かな友に乾杯!

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トリーア大聖堂
(Web siteから拝借しました)



最高気温36.4度の頭がくらくらとするような暑さの午後、長年の友人リさんから嬉しいメールが届いた。ドイツ・トリーア大学内にある中国文化センター(Cofucius institute)からの inviation letterが添付されていた。
「やったぁ!」
嬉しくて、思わず大きな声で叫んでしまった。
まるで自分のことのように嬉しかった。

約一ヶ月前、彼女はメールで私に知らせてきていた。
「私の勤務先の大学がヨーロッパで設立した中国文化センターが中国語を教える人を募集していたのを知り、もう一度海外で働きたいと思い、申し込み書類を大学の方に提出した。今 結果待ち。わかり次第あなたに連絡する。この前行ったイギリス以外のヨーロッパの国になると思うが、どこの国になるかは今はわからない」

この一ヶ月、結果を知らせる彼女からのメールを心待ちにして過ごしてきた。
今度はどこの国に行くのだろうか?
中国のパスポートについてはよくわからないが、赴任先の国以外の国への移動や旅行は許されないというから、国土の広い、訪れる場所の多い国だといいのになぁ。
イギリスから中国に帰って早4年が経った。そろそろもう一度海外へ行きたのだろうなぁ。
思いっきり自由にものを言いたいのだろう。
あの中国で、全く自分の能力だけで、自分の進みたい道を切り開いていこうと頑張っている。なんてすごい、エネルギッシュな人なんだろう。
そう思っていた。

しかし、ドイツとは夢にも思っていなかった。
ましてアルザス-ロレーヌに近いトリーアだとは。
できたら、以前から何度も私に言っていたフランスに行きたかったのだろうが、
ドイツもまた彼女にとっては印象に残る魅力的な国になるだろうと思っている。
そして何よりも中国とドイツは貿易で強く結びついている。
持ち前の明るい笑顔と熱心さで、彼女なら、きっとそこでいい仕事をするだろう。
今年の9月からの2年間、彼女はドイツで生活をすることになる。
来年か再来年の夏、私も再びドイツに行き、彼女と思いっきりおしゃべりをしたくなった。
さぁ、再び英語のブラッシュアップをしなければ。

夜、リさんとの出会い、彼女の住む厦門(アモイ)への旅行、イギリスへの旅行などを思い出し、彼女の大ファンである主人と二人で、遥かな友に梅酒で乾杯をしたのだった。
遠い日本からエールを送りたかった。


遥かな友に

しずかな夜ふけに いつもいつも
おもいだすのは おまえのこと
お休みやすらかに たどれ夢路
お休みたのしく こよいもまた

あかるい星の夜は はるかな空に
おもいだすのは おまえのこと
お休みやすらかに たどれ夢路
お休みたのしく こよいもまた



by PochiPochi-2-s | 2017-07-20 23:13 | 思い | Trackback | Comments(0)
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描きかけの合歓の木の花
どのような花になるかな?

花言葉 : 「歓喜」「胸のときめき」



『生きるかぎりは歌いながら行こうよ。
道はそうすれば、
それだけ退屈でなくなる』

(ウェルギリウス・古代ローマの詩人)



昨日、絵の帰り、ほんのちょっとしたことが気にかかり、心が沈んでいた。
帰る方角の違う友達たちと別れ、気分を変えようと、
いつものように、いつもの書店に立ち寄り、好きなコーナーの本棚を見るともなく見ていた。
ふっとおもしろい本が目に入った。
ぱらぱらとめくってみると、一日に一つの言葉、一年間で365の言葉と美しい写真が、
カレンダーのように日にち毎に編集されていた。

「ふ〜ん、おもしろいなぁ。今日は7月12日。どんな言葉が載っているのだろうか?」
7月12日のページをめくってみると、最初に書いた『生きるかぎりは…』の言葉が載っていた。
「"歌いながら行こうよ"か。
そうだなぁ。歌うことによって心は明るく晴れやかになる。軽くもなる。笑顔も出てくる。
毎回 絵の教室の隣の教室から聞こえてく歌声も楽しそうだしなぁ」
そう思うと、なんだかそれまで沈んでいた気持ちが、一気に明るくなったと感じたのだった。

「さあ 帰ろう、エルキュール・ポアロを見たいから」
本屋さんを出て駅の方に歩いて行くと、嬉しいことに懐かしい人に出会った。
偶然だった。
彼女、Mさんはこの駅から少し離れた住宅地に住み、以前私たちの教室に通っていた。
セミプロ並みに風景画を描かれるご主人と超高齢の自分の母親と3人で住んでいる
と聞いていた。
立ち話だったが、話は弾んだ。
お母さんは100歳を越えるまで元気に過ごされたが、2年ほど前に亡くなられ、
今はご主人と二人の生活だという。

「水泳はまだ続けてられるの?」
私の問いに、
「絵に通っていたあの頃は、午前中2、3キロ プールで泳ぎ、午後、絵の教室に行っていたのよ。もう泳ぐのがしんどくて、そんなに距離は泳げない。でも、それでも週一回は泳いでいるわ。今は水泳よりエアロビクスの方がおもしろくて! 毎日通ってるのよ」

パッと晴れやかな笑顔で、Mさんは答えてくれた。
なんともすてきな笑顔だった。
私の心がぐっと掴まれてしまったような気がした。
虜になりそうな、魅力的な笑顔だった。
80歳を少しすぎた人とは決して思えない、最高に美しい、若々しい笑顔だった。
健康で、生き生きとした姿勢に憧れに近いような気持ちを持ったのだった。
常に新たなやりたいことを持ち、明るく、朗らかに毎日を過ごす。
気持ちの張りが感じられ、年齢よりずっと若々しく見えたのだった。
「いいなぁ〜」と。

帰りの電車の中で、何度も彼女の明るい張りのある声、輝くような笑顔を思い出し、
私も彼女のように生きたいなぁ、彼女の笑顔をお手本にしたいなぁと思ったのだった。
また、
「絵を始める前は市民合唱団に所属していてかなり熱心に歌を歌っていたのよ。歌うのが大好きだったの。しかし、突然、喉にポリープができ、取り除く手術とともに、合唱団で歌が歌えるような声が出なくなってしまったの。それで主人の勧めもあって絵の教室に通い始めたのよ 」
と、以前聞いたことを思い出した。

多分彼女は心の中で、今でも歌を歌いながら毎日を過ごしているのかもしれない。
そう思ったのだった。


More ラッキー!
by PochiPochi-2-s | 2017-07-13 18:39 | 思い | Trackback | Comments(4)
今日は土曜日。
土曜の朝の楽しみのひとつ、ゆすらうめさんのブログ「土曜の一曲」をのぞいてみた。
今日の一曲は ビートルズの「Let it be」(あるがままに)。

この曲を聴いているうちに、さまざまなことが心に浮かんでは消えていった。
学生時代、クラブの一つ年下の後輩で、熱烈なビートルズファンがいた。
彼はほとんど全てのレコードを持っていた。
何故か彼はいつも私に声をかけ、言った。
「ビートルズ、最高でっすね! レコードを貸しますよ。ぜひ聴いてください」
彼から薦められるままにビートルズのレコードを下宿でよく聴いたものだった。
いつの間にか私もビートルズが好きになっていた。
その彼が卒業後暫くして癌で亡くなったと他の後輩から聞いたときには、
ショックで、悲しくて言葉も出なかったことが今でも思い出される。
ビートルズの曲を聴くと、彼のあの優しい、人の良い、明るい笑顔を思い出す。
ビートルズの話をしていた時のあのキラキラと輝いていた目を思い出す。

「らしくあれ」
この言葉も、心に浮かんできた一つだった。

先月中頃のこと、中学時代の友人から電話があり、
4月にあった1泊2日の白浜での同窓会の様子とその後のみんなの近況を知らせてくれた。
私は当日断れない先約があったので同窓会には出席していなかった。

「あの数学のM先生が亡くなられたのよ。同窓会に出席してもらうように頼みに行った時は、
すごく元気で喜んでいたらしかったけど、同窓会の直前に急に亡くなられたとのこと。
心筋梗塞だったらしい。一番健康で元気そうだったのに…」
友達は電話の向こうでそう言っていた。

85歳ぐらいだったと思う。
背は低いが、背筋がしゃんと伸びて格好のいい先生だった。
駅の階段も決してエスカレーターを使わず、一段飛ばしで昇る先生だった。
70歳を過ぎてから、奥さんと二人でドイツに何度か旅行していた。
日独の戦争に関係のある場所を訪ねて回りたいのだと、ドイツ語も英語も全く話せないのに
個人旅行で訪ねて回っていた。ミュンデ、キール、ハンブルグなどを。
私は、その旅行の話を同窓会で聞くのが楽しみだった。
「 M先生らしいなぁ」
話を聞くたびにそう思っていた。
その先生が亡くなられた。暫くは寂しい思いで悲しさで胸があふれんばかりだった。

「らしくあれ」
中学校の卒業時に私達100人余りの生徒にくださった言葉。
いつも立ち止まっては考える、考えさせられる言葉。
「私らしく生きればいいか。あるがままに」
最近はそう思うようになった。

所用があり京都への行き帰りに自動車の中でも、
この 「Let it be」と「らしくあれ」をずーっと考えていた。

今日のゆすらうめさんの土曜の一曲はいろんなことを思い出させてくれる一曲だった。



by PochiPochi-2-s | 2017-07-08 23:35 | 思い | Trackback | Comments(4)

西瓜

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「おばあちゃん、西瓜ありがとう。甘くておいしかったぁ!」
西瓜大好きのリョウちゃんからのいつもの"ありがとうコール"に触発されて、
今回は自分たちのためにも西瓜を買ってみた。

「うん? この西瓜のにおい! あの昔の懐かしいおいしい西瓜のにおいだ」
心は 一気に、子どもの頃よく遊んで過ごした畑に飛んでいった。

子どもの頃、3箇所にあった畑の一つの一角に、父は他の作物と一緒にスイカやマッカウリ(マクワウリ)を植えてくれ、夏休みになると、毎日、私や弟、従兄妹のカッちゃんやケイちゃんを連れていった。
その頃の私たちは畑で思いっきり走りまわって遊ぶのが好きだった。
野菜やその他の作物の間に小鳥の巣を見つけたり、その巣の中に卵を見つけたり、
畑には 楽しくて興味をそそるのものがたくさんあった。
みんなで笑い転げながら草引きをしたり、水やりを手伝ったりして遊んだものだった。

「オーイ、ちょっと休憩や。冷やしておいたスイカでも食べようか。よう冷えててうまいぞ」
父は 何時も畑に来るとすぐに食べ頃の西瓜を選び、畑の井戸の中で冷やしてくれていた。
何故だかわからないが、父の選ぶ西瓜はいつも甘くて、シャキシャキとしていておいしかった。
ある時あまりに不思議に思ったので、どのように選ぶのか、何を基準に選ぶのかを父に聞いたことがあったが、いつも「さあな」「なんとなくかな」「感覚やな」最後には「美味しそうなにおいを感じるのや」などと、そんなことしか言わなかった。多分父にもはっきりと言える理由がなかったのだろうと今になって思うのだが。

西瓜の縦の縞模様に沿って爪でキズをつけ、最後にはポンと拳骨で叩く。
西瓜は見事に真っ二つに割れる。時にはうまく割れずにバラバラになる時もあったが、
それもまたおもしろく、大笑いしたのだった。
包丁など全く必要なかった。
畑で、手で割ったスイカを食べる時のそのおいしさ!
今でもその光景を思い出すだけで、思わずゴックンとつばを飲み込みたくなるくらいだった。

「わあ、西瓜が6当分や8当分に切って売られている!」
大学生になり、都会で生活するようになって最初に驚いたことだった。
田舎育ちの私には全く想像できないことだった。

西瓜には思い出があまりにも多い。

「何の屈託もない、無邪気な幸せな時間だったなぁ。
果物の中で、やっぱり西瓜が一番好きやわ」

あの懐かしい、おいしいにおいのするスイカを食べながらそう思ったのだった。



by PochiPochi-2-s | 2017-07-05 23:32 | 思い | Trackback | Comments(12)

母と娘

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道路に面した花壇の花


「お義姉さん、母が退院したので東京に帰ってきました。
母からくれぐれもよろしくとのことでした。
預かってきたものを送ります。明日届きます」

一昨日、東京に住む義妹からのメールが届いた。
ほぼ一ヶ月余前、実家の母の入院・看病のために和歌山に帰るというメールが届いていたので、やっと退院されたのだなぁと思い、電話をかけてみた。

「お義姉さん、自分の母ながら一ヶ月も一緒に生活していると、母の、私が"うん?"と少し疑問に思うところがやたらと目につきだし、最後には"もうッ!"と少し腹立たしく思うことも多くなり、自分の母とはいえその世話はなかなか大変やったわ。これじゃ、母の近くに住んでいる弟やお嫁さんが大変な思いで世話をしてくれているんやろなぁと申し訳ない気持ちになってしまって…」
開口一番、彼女は電話の向こう側でそう言った。

ふっと 、母が生前最後の入院から戻ってきた頃に、従姉妹に言ったという言葉を思い出した。
「あんた(従姉妹)みたいに、(私を)近くに置いておけばよかった。この辺りの人、少なくとも和歌山の人と結婚させればよかった」
母のお葬式の後、この言葉を従姉妹から聞いた時、愕然としたのを今でも鮮明に覚えている。
「あの気丈な母がそんなことを言うなんて…。 自分から進んで子どもが遠くに行くことを望んだのに。小さい時からそういう風に私たち子ども3人を教育したのに…」
信じられない気持ちでいっぱいだった。
上の弟家族との同居ゆえの(私自身の)安心感と、それ故に感じる(母の)寂しさを十分にわかっていながら、自分の家族のことで振り回され、母の望むような看病をしてあげられなかった悔しかった思いも一緒に思い出した。

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母と私は同じような性格ゆえか、小さい頃からあまり気が合わなかった。
当時としては珍しい働く女性であったこともあって、常に気を張って緊張していたのかもしれなかった。
世間一般の優しいお母さんというイメージではなかった。
父のような穏やかな、優しい性格だったらどんなによかっただろうとよく思ったものだった。
母の、私に対する思い、愛情はよくわかっていたが、それ以上に、できるだけ早くこの家から
出て行きたい、大学受験がいい機会だと思っていた。
大学に入り、母から離れ、自分のやりたいことが自由にできる開放感が嬉しくてならなかった。
就職も自分で神戸と決め、故郷には戻らなかった。
結婚相手も故郷の人ではなく、京都生まれ大阪育ちの人で、結婚後は大阪に住むことになった。
母はいつもニコニコと笑い、私のすることに何一つ反対はしなかった。
しかし、ただひと言、一度だけぽつりと言ったことがあった。
「和歌山で教師になってくれると思っていた」と。
「寂しかったのだろうなぁ。母も世間並みの母親だったのだ」と、今でこそ 当時の母の気持ちがよく理解できるのだが、その頃の私には全く考えもしなかったことだった。

近所のスーパーや、絵の帰り立ち寄るデパート、電車の中で、あるいは 旅行に行った時に出会う仲の良い母娘を見るたびに、また友人たちの仲の良い母娘の関係を見聞きするたびに、自分の母娘の関係を思い出し考え込んでしまう。決して仲が悪かったわけではないが、ものすごく仲が良かったということでもなかった母と娘の関係を思い出しては考えてしまう。

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最近は頼まれてよく娘の家に行くことが多く、私と娘の会話でさまざまなことが話題になる。
自分の娘とはいえ、高校卒業と同時に家を離れた娘。
親の元で過ごした時間よりもすでに長い時間を親から離れて過ごしている。
また彼女は仕事を持った働く女性でもある。
親子と言えども考え方が違うのは理解できるし世代間差(ギャップ)があるのも当然なのだが、
それでもやはり時々、"うん? そうじゃないでしょう"と思うこと、感じることが多い。親子ゆえの遠慮なさから出てくるものだと思うが、カチンと頭にくることが多い。その点、主人は鷹揚でサラッと受け流すが、私はどうしても引っ掛かってしまい、腹の立つことが多い。
母娘の関係とはそういうものなのだろうか?
他所の家でも同じなのだろうか?

そう考える時にもまた考え込んでしまう自分がいるのに気がつくことが最近は多くなってきた。

エイちゃんをあやしながら、ふとそんなことを考えていた。


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More
by PochiPochi-2-s | 2017-07-03 23:32 | 思い | Trackback | Comments(10)
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昨日の絵の教室で完成しなかったウリハダカエデのスケッチを仕上げておかなくてはと、
午後からの時間をスケッチにあてた。
じっと見ていると、
プロペラのような形をした若い果実が幾重にも重なり、なんともおもしろい形を作っている。
濃い緑色、薄い緑色、黄緑色、橙色やもう少し濃い赤色などの自然の色の取り合わせに心が惹きつけられた。

絵具で上手く表現できるだろうか?
この色のぼかし方、難しいなぁ。
実のプロペラも形を取るのは難しいわ。

いろいろなことが心に浮かんでは消えてゆく。

そのうちに、笑い話で終わった、つい昨日の絵の教室のできごとを思い出し、
もう一度 ふっと笑ってしまった。

前回の教室でのこと。
この教室が始まって以来20年間、ずーっと通い続けたKさんが、帰り際に「今日でこの教室に来るのが終わりです。みなさん、さようなら」と言って、教室が始まってしばらくしてから早々と帰っていってしまったのだ。
80歳を幾つかすぎた彼女は、最近では2時間絵を描くことがしんどくなってきたのか、
定刻よりかなり早く教室に来て、始まってしばらくすると、早々と帰ることが多くなっていた。

「ええっ、やめはるの? この教室が始まってからの一番古いメンバーやから、何もしないで
はい さようならではネェ。何かお別れ会でもしない? ケーキ焼いてくるから」
私のひと言に、Tさんが、私もケーキを焼いてくるわ。1人2切れあれば十分でしょう」と。
またNさんは「じゃぁ、私、紅茶でも用意するわ。紙コップでいいよね」と。
すぐに話が決まったのだった。

ただ、心配が一つあった。
6月の最後の教室(昨日)に来られるかどうか、彼女の帰り際の言葉ではわからなかった。
みんな突然の"やめる"という言葉にびっくりし、後の言葉が続かないうちに彼女が帰ってしまったのだった。ケーキを焼いてきたが彼女が来なかったら、話にならない。
言い出した私が今週初めに彼女に電話をかけ、TさんとNさんに連絡すると約束をした。

「はいKです。6月の最後の教室は出席します。やめるのじゃなくて、7、8、9月とお休みするだけで、10月からまた通わせてもらいます。ただ忙しいだけで、体はどこも悪いところはないのですよ」
電話の向こうでKさんはそう言っていた。

ああ、電話で聞いてよかった。
やめるのではなく、お休みするのだということがわかり、思わず笑ってしまった。
なんという勘違い!
すぐにTさんとNさんに連絡。電話の向こうとこちらで私たちの早合点を大笑いをしたのだった。翌日、気になっていたのか、先生からも電話で問い合わせがあった。
またまた先生とも「な〜や。そうだったのか!」と思わず笑ってしまったのだった。

昨日の教室でKさんは、はっきりとみんなに言っていた。
「7、8、9月は、用事があるのでお休みします。10月にはまた来ますから」

私もまだまだ大丈夫と思っているとはいえ、加齢とともに何をするにもあらゆることが難しくなってくると思う。
"言葉"もその一つかもしれない。
Kさんは、「自分でははっきりと理由を言って、帰った」と思っていたかもしれない。
しかし、そうではなく、教室にいたほとんどの人がその理由を聞いてはいなかった。
"できたつもり"、"言ったつもり"がへんな誤解の引き金になりかねない。

今回は笑い話で終わったからよかったけれど、
「いい経験だったな。これから気をつけよう」と思ったのだった。

さあ、やっとスケッチが完成したかな。
どのような絵になるのだろうか?




by PochiPochi-2-s | 2017-06-29 23:15 | 思い | Trackback | Comments(4)

ニガイチゴを描きながら

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描きかけのニガイチゴ


昨日は夏至だったが、
その前夜から降り続いた雨が朝になっても降り止まず、結局は午後まで降り続いていた。
かなり激しく雨が降り、風も強く吹いていた。
庭の草花がなぎ倒されてしまい、かわいそうな姿でひたすら風雨を凌いでいるような感じだった。
「さあ、明日は雨でぐしゃぐしゃになった庭の手入れをしなくては」
寝る前にそう思っていたからか、今朝は意外と早く目が覚めたのだった。
雨は降っていなかった。

早朝6時半頃、私の携帯のメール音が鳴った。
「うん、誰だろう? こんなに早くから」
珍しく次男からだった。
7/1付けでの異動の知らせ と これからも頑張って仕事をしっかりやるという嬉しいメール。
「普段はほとんど自分からメールを送ってこないが、大事なことだけはきちんと知らせてくるのだなぁ」と思うと、嬉しくて気持ちに弾みがついた。

3人の子供の中で、私にとっては一番心配した、手のかかった子供であり、年の離れた兄や姉に比べて、何事もゆっくりと、おっとりと育った子供であった。それだけになお一層、彼のことが かわいく、心配であった。

「子供が成長し、社会人として一生懸命働く大人になっているにもかかわらず、いつも母親の後を追いかけ、くっついていた小さかった子供の頃のように、大人になった子供をいつまでも心配する。母親とはこのようなものなのだろう」

午後 少し時間ができたので、描きかけのニガイチゴを描きながら、朝一番の次男からのメールを思い出し、そんなことを考えていた。


More ブラックベリー
by PochiPochi-2-s | 2017-06-22 23:17 | 思い | Trackback | Comments(10)

7年前の写真を見ながら

昨日(6/15)早朝 犯罪を計画段階から処罰できる共謀罪が参議院本会議で自民・公明・日本維新の会など賛成多数で可決し、成立した。
政府与党が圧倒的な数を占めている現状では結果は自明の理ではあったが、彼らの態度に釈然としないものを感じ、いまだに腹立ちを抑えることができない。
そんなことは横に置いて描きかけのニガイチゴの絵を描こうとするのだが、いっこうに気持ちがのらなかった。


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サンモリッツの湖


ふっと今日撮った写真をiPadで見ようとアルバムを開いた時、iCloudが勝手に編集した『この日・2010年6月16日』というファイルが出てきた。、開いて見ると、サンモリッツの湖やセガンティーニ美術館の写真が目の前に現れ、懐かしさでしばらくじっと見入ってしまった。

わあ、もう7年も経ったの?
時間の流れの速さに改めて驚きながら、その日付に釘付けになった。
この旅行は南ドイツ・ウルムに住むアンジーと北ドイツ・ハンブルグ郊外に住むメミングさんを訪ねての2度目のドイツへの久しぶりの一人旅だった。初めての旅から8年も経っていた。
この二つの町では 彼らの家に泊めてもらうことになっていた。
「ぜひに」と親切に言ってくださる誘いの言葉を断りきれなかったのだが、友人の家から友人の家への連続の宿泊は気疲れで疲れると思い、途中で息抜きにサンモリッツに立ち寄ることにした。美しい景色はもちろんだが、長い間見たいと思っていたセガンティーニの三部作「生成(生)」「存在(自然)」「消滅(死)」を見るだけでもいいと思っていた。きっと息抜きになるだろうと。実際この計画は成功だっだ。予定外のザンクトガレンにも立ち寄ることができ、あの美しい中世の図書館の見学もできたのだった。

楽しい旅行だったなぁと、しばらくは思い出に浸っていたのだったが、
腹立たしさはまだ治らなかった。

もう一度絵の続きをと思うがなかなか気持ちが集中できず、なんとなく他の人たちのブログを読ませてもらっていると、2、3のブログで樺美智子さんの名前が出てきたのだった。
57年前の1960年(昭和35年)6月15日、新安保条約反対のデモが国会を包囲し、全学連の約8000人が国会構内に突入した。警察隊と大規模な衝突がおこり、東大生の樺美智子さんが圧死した。
当時小学生だった私には何もわからなかったが、母たちが話していたのだろう。この事件のことはかすかに覚えいる。後に大きくなってから、彼女のお母さん(光子さん)が編集し、出版した遺稿集「人しれず微笑まん」と'69年に出版された『友へ - 樺美智子の手紙』を夢中で読んだものだった。誰が書いたのかはっきりと覚えていないが、「二人の美智子」という言葉がいまだに頭に中にある。一人はこの樺美智子さん、もう一人は当時皇太子妃となった正田美智子さんである。

あの時からもうすぐ60年という長い年月が過ぎたことになる。長男家族が近くに住んでいることもあり、時々母校のキャンパスに散歩に行くこともあるが、あの当時のタテカンだらけのキャンパスはもうそこにはなく、遥か遠い昔のように感じる。美しく手入れされた、まるでどこかの公園のようなキャンパスを見ていると、あのときの出来事はいったい何であったのかと一瞬不思議な気持ちになる。
これから先、この国はどこへ向かって行くのであろうか?
心配が深まったこの二日間であった。
7年前も社会はそれほどいい状態ではなかったが、それでもまだ今のような心配はなかったなあと、写真を見ながら思っていた。



by PochiPochi-2-s | 2017-06-16 23:14 | 思い | Trackback | Comments(0)

「花からの挨拶」

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5月10日にひとつ目の花が咲いた蘭の花。
今日7つ目が咲いた。
最初蕾が8つ ついていたが、気がつくといつの間にか最先端の蕾が落ちてしまっていた。
そんな訳で今年最後の蕾が開き、嬉しくて朝から気分が少しハイテンションだった。
約1ヶ月余かかって次から次へと7つの花が咲いたことになる。
ラッキーセブン。今年何かいいことがあるかもしれない。
一番最初に咲いた花がまだ元気そうなので、
もう暫くは楽しめるだろうと思うと朝から幸せな気持ちになった。

その嬉しさの勢いで、運転免許証の更新に行き、
帰り道、いつもの本屋さんに寄っていつものように立ち読みを楽しんだ。
暮らしの手帖88・6-7月号が棚に並んでいた。
すぐに『すてきな あなた』のページを開く。
「花からの挨拶」
なんとも魅力的な言葉に魅かれ、早速その短いエッセイを読んでみる。

花が好きで、よく花を生ける作者には、花店を営む友人がいる。
生け花を長持ちさせる方法は、花瓶をきれいに洗うことと、水揚げをきちんとすることだと、
その友人が教えてくれたという。

「水揚げは、楽しいものです」
この言葉で始まる段落には、花を長く楽しむための花扱いの方法、水揚げについて書かれていた。
・草花なら鋭い刃物で斜めに切る。
・菊の茎は手でパキッと折る。
・繊維の強いものは、切り口から2センチほど叩いてほぐす。
・少し元気のない花は新聞紙で包み、花顔の真下まで水を入れておく。
→翌朝には、葉や花びらの先までしゃっきりと水が通っている。

私も絵を描くときに、花をできるだけ元気な状態に保っておきたいので、
これらの方法はよく知っており、常日頃実行していることである。

また、この友人がもう一つ教えてくれたことがあった。
興味深い話で、次にように書かれていた。

「毎日手をかけた花は、最後まで咲ききってくれる。アネモネならある日突然音をたてて花びらを散らすし、いくつかの種類によるバラは、最後にざくろ石のようにつややかな花芯をそっと覗かせる。このことが(自分には)花からのさよならの挨拶のように見える」

「なるほどなぁ。"さよならの挨拶か"。 植物とだって心を交わすことができるのだ」
と感心した。
私はもまた草花が好きで、毎朝水をやりながら植えている草花に声をかけている。
こちらから草花に声をかけると、草花の方からも挨拶の声が返ってくるらしいー
おもしろいなぁ。

この1ヶ月余、頑張って咲き続けてきた蘭の花。
その蘭の花から、最後はどのような挨拶が聞こえるだろうか?
心待ちにしてそれまでは花を楽しみたい。




by PochiPochi-2-s | 2017-06-13 23:46 | 思い | Trackback | Comments(6)
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去年描いたホタルブクロ


昨日水泳教室の更衣室でホタルの話になった。
「もうそろそろホタルが飛ぶ季節になってきたね」
「近所の人が見に行ってきたわ」
「私も見に行きたい。幻想的やもんなぁ」
みんな口々にいろんなことを言っていた。

「そうだわ。私も駅の近くを流れているM川に見に行かなくては」
そう思った時、去年描いたこのホタルブクロの絵を思い出したのだった。
この時期に咲く大好きな山野草のひとつ。
何故か私に中では、蛍とホタルブクロがつながっている。
この時はじめてF6の大きな画用紙を使ったのも思い出した。
それまでのF4サイズの画用紙からワンサイズ大きなF6の画用紙に描いてみようと挑戦したのだった。かなりゆったりと描け、それまでとは少し趣きの変わった絵が描けて嬉しくてしようがなかった。

今年で、絵を習いだしてから何年経ったのだろうか?
誰かに勧められて習い始めたのでもなく自分から習いたいと思い申し込んだのだったが、
「今日は気がすすまないなぁ。行くのが嫌だなぁ。さぼりたいなぁ…」
思うようにスケッチができず、またスケッチができても色を塗るのが難しかったりして、
ついさぼりたい気持ちになることが多かった。

「もうちょっとやってみたら?習いごとは休まずに通ってはじめて習い事になるのよ」
絵の教室がある日の午前中、他のサークルで共に活動していた年上の友人に諭され、「最寄りの駅まで一緒に行きましょう」と半ば強引に連れていかれ、嫌々ながら通ったこともまた同時に思いだしたのだった。私が通う教室の近くに住んでいた彼女に毎回促され、通っているうちにだんだんと絵を描くことの楽しさがわかるようになり、今では「習っていてよかったなぁ。あの時やめなくてよかったわ」と 彼女に感謝の日々である。

最近本棚の整理をしていた時に、「あれっ、この言葉」と思う題のエッセイが目についた。
心の深呼吸(65) 「もうちょっとやってみたら?」 (文/海原純子・心療内科医)。

《「私って不器用だし向いていないんです」
「才能がないですから」
仕事や趣味を、こうした言葉と共にやめてしまうかたはおおい。そんなとき私は、「ほんとかなあ、確かめてみた?」とたずねたくなる》
エッセイはこういう書き出しで始まっており、
海原さんは自分のことをエッセイの中で次のように言っている。
《たとえ他人から「あなたは向いていないですね」と言われたとしても、自分でやってみて納得しないと、やめないたちであり、もうちょっと続けてからやめてもいいのでは、と思ったりするので、長い間続けていることが多い》

彼女にはどうみても自分には向いていないからやめようかなと何度も思った経験があった。
ジャズを習ったときのこと。
リズム感も英語の発音もネイティブとは比較にならないし、発声自体にも不満足だった。
数年経ち、仲間のミュージシャンが驚くようになった。「別の人みたい」と。
発音だけでも少しマシに、と思って英語のテープを聞くようになり、また数年経った。
ネイティブの友人に「発音がいいかんじ」と言われるようになった。
それから20年、尊敬する大先輩のピアニストがいいね、と言ってくれた。

海原さんは言う。
《「もうちょっとやってみたら?」は自分のポリシーであると。
さまざまな角度からダメな自分を受け入れつつ何度も確かめる。そのうちに自分を受け入れられるようになり、うまくいかなくて苦しんでいる他者を受け入れられるようになる。確かめながら歩む道のりが、やがて自分を変えてくれる。人生が少し豊かになっていく。「もうちょっとやってみたら?」の言葉を多くの人にプレゼントしたいと思う》

つい昨日の水泳教室でのこと。
「もうちょっとやってみたら? こんなの慣れやから。もう一往復泳げると思うよ」
いつも穏やかに話す男性から声をかけられた。
最後尾から2番で泳いでいる私には、みんなが5往復できるところが4往復しかできない。ついてゆくのがやっと。毎回ふうふう言いながら途中で何度か立ち止まりながらも必死になって泳いでいる。

声をかけられたのは、最後の一往復の時だった。
いつも先頭で泳いでいる男性が私がスタートするときにはもう戻ってきていた。
しんどかったら4回でもいいよと先生が言っていたのだから、もうやめとこうかなと思っていた。積極的に泳ぐ気はなかった。
その時だった。
まるで私の心を見透かしたようにその男性から声がかかったのだった。
「よ〜し、もうちょっとやってみようかな」
がんばって泳いでみたら、なんと最後の一往復が泳げたのだった。

『もうちょっとやってみたら』
水泳教室での私にとっては大切な言葉になった。



by PochiPochi-2-s | 2017-06-06 23:05 | 思い | Trackback | Comments(6)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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