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あらっ、綿毛!
朝、庭の枯葉を掃いていたとき秋明菊の綿毛に気がついた。
「旅立ちの時がやってきたなぁ。どこに飛んでいくのかしら」
その真っ白な、まるで綿そのもののような綿毛をしばらく眺めていた。

♪ 園小百合 撫子 垣根の千草
今日は汝をながむる 終わりの日なり
おもえば涙 膝をひたす
さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷
故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷
故郷さらば

ふと気がつくと、何故かこの歌が心の中を流れていた。
そして3人の子供達の旅立ちの時のことを思い出していた。

彼らにとっての旅立ちの時とは、大学に入り親から離れ独立する時だったと私は考えている。
三人三様だった。
長男は後に続く妹と弟のことを考えて、長男の自分は自宅から通える大学に進もうと思ったと、ずいぶん後になってから言っていた。本当は親元から離れ、下宿生活をして一人暮らしをしたかったし行きたい大学もあったが、諦めたと。母親の私はそんな彼の気持ちは全く知らなかった。もちろん主人も知っているはずはなかった。長男が一人で思い、一人で考え、一人で決めたことだった。もし知っていれば、「そんなことは考えなくてもいい。自分の行きたい大学に行きなさい」と言っていたと思う。子供の心親知らずの全く鈍感な母親だった。彼は学部修士と6年間家から通い続けたが、受験する大学を決めたとき心はすでに親から独立し、旅立っていた。

長女(娘)は、兄とは異なり、あくまでも自分の希望が第一で、自分の行きたい大学はここだけと強く主張し、親の思いもふりきって北海道に行ってしまった。6年間、親元を離れ、そこでの生活を楽しんだようだ。辛いことも数多くあっただろうが親にはそのようなそぶりは一度も見せたことがなかった。休暇で帰ってきたときはいつも笑顔の彼女だった。親の思いをふりきって行ってしまったとき、この時が彼女の旅立ちの時であった。

次男の旅立ちの時はなかなか大変だった。
年の離れた兄・姉の後に自分もまた続きたく、彼なりに必死に頑張っていた。
家族親戚の中で一番年下でみんなから可愛がられて育った彼は、何事にもおっとりとしていて、家から通学できる大学に行くか遠く離れた大学に行くかで最後の最後まで迷いに迷っていた。
結局は、両親、兄姉、高校時代の友人たちみんなに勧められ、家から離れた遠くの大学に行くことにした。生まれて初めてのアパートでのたった一人の自炊生活。寂しかったのだろう。
「お母さん、………」と寂しそうな声でよく電話がかかってきたものだった。
しかしその次男も次第に一人暮らしに慣れていったのか、7月になり「運転免許証を取りたいから自動車学校の費用を貸してほしい。アルバイトをして必ずお父さんに返すから」と言ってきたときには 「ああやっと落ち着いたのだ」とほっとしてなんだかじーんときてしまったのだった。就職し東京に行く前に家に戻ってきた彼は、6年間の大学生活が自分にとっていかに最高のものであったか、たくさんの仲の良いすばらしい友人や尊敬できる先輩や教授に巡り会えることができたかと写真を見せながら滔々としゃべっていた。
“あのお母さんという寂しそうな声“で電話をかけてきたのと同じ人物だとは思えないほどの、
逞しい成長だった。
「ああやっと旅立ちの時だなぁ」
その時やっとそう思えたのだった。

安野光雅・画文集「歌の風景」の中に、
「故郷とは子どもの時代のことなのである」という一文がある。
旅立ちとは子ども時代との決別の時だと思った。

3人それぞれの旅立ちの時から随分時は経った。


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たんぽぽ
(堀文子・画文集「無心にして 花を尋ね」より)


庭の秋明菊の綿毛を見ていて思い出したものがもうひとつあった。
たんぽぽの綿毛を描いた堀文子の絵だった。
家に入り、早速画文集を本棚から取り出し、もう一度じっと眺めた。
四方八方に向かっておもいおもいの格好で飛んでいく綿毛。
どこに飛んでいくのだろうか。
ひとつひとつの描かれた綿毛からまだ見ぬ地へ飛んでゆく楽しさを感じる。
なんだか嬉しそうに歌っている歌が聞こえてくるようだ。
まさに次の世代(新しい土地)への旅立ちの時。
この絵が大好きである。
いつかこのような楽しそうな歌が聞こえてくるような絵を描きたいなぁ。

今朝偶然見つけた秋明菊の綿毛はいろんなことを思い出させてくれたのだった。




by PochiPochi-2-s | 2017-11-22 23:18 | 思い | Trackback | Comments(4)

『心の傘』

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描き始めたマムシグサ



昨夜から降り続いた雨が午後も降り続き、夕方になってやっとやみ、
そのあとにはきれいな空が広がり、時々は日も差し始めた。
夕日に照らされた裏山の紅葉は ほんの少しだが きれいになってきた。
朝と夕方に2度外出しなければならず、その合間にと思い、気になっていたマムシグサの下書きをもう一度気にいるまで描きなおし、ほんの少しだけ薄く色をつけてみた。
雨の日にひとり、ピアノ演奏のCDを聴きながら絵を描く。
最近の私の一番好きな時間かもしれない。

CDから流れる心地よいピアノの音に、昨日読んだ梅原純子さんの『人生の雨降りに』(婦人之友・「心の深呼吸」)という短いエッセイを思い出していた。

文章は、最近見つけた楽しいビニール傘との出会い、待望の雨の日にその傘をひろげた時の楽しさについて書かれ、大人だろうが、子供だろうが、もっと生活を楽しくすることを大事にしてもいいのではないかしらと続き、最後に次にような文集で締めくくられていた。

「人生には雨降りの日がある。その雨の日を明るくする、ちょっとした何かをみつけたい。落ちこみそうな心を支え、明るく照らし、ちょっと後押ししてくれるのは大げさなものでなくていい。友だちと話すことだったり、花を飾ることだったり、自然と触れ合うことだったり、料理をすることだったり、詩や文章をつづることだったり、ひたすら歩くことだったり。
晴れた日に機嫌よく過ごすのは難しいことではない。でも人生の雨降りを明るくしてくれる、心の傘をみつけるのは難しい。ひとつ年を重ねるたびに、ひとつ新しくみつけませんか。」
〈婦人之友「心の深呼吸(83)」より抜粋・梅原 純子・文〉


『人生の雨降り』『心の傘』
なるほどなぁ。
自分を振り返ってみても、その時の体調や人間関係などで心が落ちこみそうになることは多い。
そんな時いったいどうしているだろうかと思い出してみた。
つい最近の出来事で、落ち込むまではいかなかったが無性に腹の立つことがあった。
“人生の雨降りの日”だったかもしれない。
思い出すごとに腹がたち、思いっきり主人に自分の思いや不満をぶちまけていた。
私の個人的な人間関係のことで彼には全く関わりのないことなのに、
妻の不満をことあるごとに聞かなくてはならなかった彼も辛かっただろう。
でも私には彼の気持ちを考えるゆとりもなく、その時間が必要だった。
自分の中で一応気持ちの整理がつき、落ち着くまで言い尽くさなければ解消できなかった。
それほど腹立たしいことだった。
こんなことはほんとうに珍しくめったにないことだが、
この時ばかりは自分の好意でしたことが裏切られた思いだったので辛かったのだった。
私にとっては一番ありがたい『心の傘』かもしれない。

友人ととりとめもなくお喋りをすること、庭に出て草花を見たり手入れをしたりする
こと、好きな音楽を聴くこと、ケーキを焼くこと、美術館に行くこと、海を眺めること、ハイキング、神戸に街を歩き回ること、時には旅行も。
そして、何よりもエイちゃんの無邪気な笑顔。リョウちゃんのおもしろい言葉。
ハルとアサヒの成長。
あらためて考えてみると、私には、『人生の雨降りを明るくしてくれる、心の傘』は
意外と多いかもしれない。

ふっと嬉しくなった。

再びピアノ曲を聴きながらマムシグサの色を塗りはじめた。



by PochiPochi-2-s | 2017-11-14 23:25 | 思い | Trackback | Comments(6)
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昨日とはうってかわり、今日は朝からよく晴れ、道に散った庭の欅の落ち葉を掃いていた。

泉に沿いて 繁る菩提樹
慕い行きては うまし夢見つ
幹には彫(え)りぬ ゆかし言葉
うれし悲しに 訪いしそのかげ

何故か『菩提樹』のメロディが心のなかを流れていた。
安野光雅の『歌の風景』の「菩提樹」の章の挿し絵を無意識のうちに思い出していたのだろう。
その時ふいに声をかけられた。

「おはようございます。落ち葉がすてきですね。風が吹くとはらはらと舞いながら散っていく。
この欅の木、上から歩いてくると立派で大きくて。黄葉がきらきら輝いてきれいでなんですよ。
植えられてからずいぶん時間が経ってるのでしょうね」

声がした方に顔を向けると、見知らぬ女性がにっこりと笑って立っていた。
坂の上の方に住む人らしく、毎朝私を見かけるらしい。
散ったまま自然に重なって積もっている落ち葉を見るのも好きだとも言っていた。
ここ2日ほど、雨降りと忙しさで道に散った落ち葉は掃いていなかった。
その人は きっとその光景も見ていたのだろう。
でもそういうわけにもいかず、
ひとしきり掃きおわると、体がポカポカし汗が流れるくらいに暖かくなっていた。

ここ2、3日で急に散り始めた庭の欅の黄葉。
これからしばらくの間は、毎朝汗をかきながら落ち葉を掃くことになる。
道行く人に会うたびに、「お掃除大変でしょう?」と声をかけられる。
しかし、ふっと思った。
「落ち葉を掃ける幸せというものもあるのだなぁ」

春先に淡い黄緑色の新芽が出はじめ、初夏を過ぎる頃からだんだんと緑色が濃くなる。
真夏には庭で緑陰を楽しめ、前の道を通る人たちもこの木陰で立ち止まりひと休みをする。
そして今この季節、全ての葉を緑色から黄色に変え、舞い散っていく。
私たちの目を楽しませてくれる。
「幸せだなぁ」
そう思う季節(とき)がやってきた。


More まあ、歯が!
by PochiPochi-2-s | 2017-11-09 23:02 | 思い | Trackback | Comments(4)

時間がかかる

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南天
(2017年1月)


朝、水泳教室にいくまでの間、今まで描いた何枚かの絵を出してきて眺めていた。
来年2月の作品展に出す絵6枚(予備2枚を含む)を12月の初めまでに決め、
提出しなければならない。
いざ選ぶとなると、つい迷ってしまう。
「あっ、その南天の絵、年賀状に使ったらどう?」
背後から声がかかった。
「年賀状に? ああもうそんな時期か。
今年の年賀状はカラスウリとスズメウリの絵やったなぁ。
来年はこの南天がいいかもしれない」
そう思いながらプールへ急いだ。

「嬉しいわ!」
伏し浮きから始まる一連の基礎練習を終わり、クロールを泳いだときだった。
すぐ前の人に遅れずについて泳げたのだった。
習い始めて、そして一段階上のこのクラスに入れられて始めてのことだった。
いつもなら、私でグーンと遅れ、背泳で引き返す時さらに遅れる。
しかし今日、初めて引き離されずに前の人について泳ぐことができた。
しかもそれほど苦しくはなかった。
ここ何回かの日曜日の自主練習(?)のいい結果なのだろうか?
「やっと水泳が楽しくなってきた。そう思えるって嬉しいなぁ」
帰りの自動車の中でいつの間にか心は弾んでいた。
全く泳げず習い始めてから3年という時間が経っていた。

ふり返ってみると、絵もそうだった。
習い始めの頃、全く描けなくて絵の教室に通うのが嫌な時が多かった。
午前中の仲間との英語のサークルのあと、絵の教室に電車で通うのが億劫だった。
誰に勧められたわけでもなく、習いたいと自分で思い、通い出したのだが、
思うようには描けずに嫌になり始めていた。

そんな時、同じサークルの、ひとまわり年上だが仲のよかった友人Hさんが、
私に諭すようによく言ってくれた。
「習い事というのは、毎回休まずにきちんと行って習ってこそ習い事なのよ。
私は雲雀(ヶ丘)までだから、川西は一つ手前の駅。一緒に行きましょう。
休んではダメよ」

今から思うと、彼女がいたからこそ欠席せずに通い続けることができたのだろう。
(彼女とはのちに、ハンブルグとブレーメンを一緒に旅行した。)
そのうちにだんだんとデッサンができるようになり、絵の具も使えるようになっていった。
そしてほんの少しだけ“もうちょっと上手になりたい”という欲がでてきたのだった。
習い始めてからかなりの時間が経っていた。

自動車の運転も同じ。好きになるまでかなりの時間が経っている。
ケーキを焼くのも同じ。
私はどうもこのような性格なのかもしれない。

“好きこそ物の上手なれ”と言われるが、
その前の段階、何事も好きになるまでかなりの時間がかかるようだ。




by PochiPochi-2-s | 2017-11-06 23:22 | 思い | Trackback | Comments(11)
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雨に濡れる ダールベルグデージー
葉の石鹸の香りが好き
今日も雨


昨日のお昼前、電話が鳴った。
リョウちゃんとエイちゃんと娘をマンションまで送りとどけ、ホッとしていた時だった。

「〇〇ちゃん、私、Tです。ずいぶん久しぶり。元気やった?
〇〇ちゃんの声が聞きたくなって、電話をかけてしまったんやわ。
今、ちょっとだけ時間あるかなぁ」

ずいぶん久しぶりだった。
Tさんは中学校の同級生。
一学年100人余、3学級の小さな田舎の中学校だった。
前々回の同窓会で会って以来だから、かれこれ4年ほど前になる。
突然の電話。
いったい何があったのだろうか?
私の声が聞きたくなったとは。

私が中学生の頃は昭和30年代後半で、日本はまだまだ豊かではなく、
私の住んでいた村の周辺にもまだまだ貧しい生活を送っている人が多かった。
同じ学区の隣村に、Tさんはお父さんと弟の3人で住んでいた。
そこには戦前大きな織機工場があったのだが、その当時既に工場経営は破綻し、その工場の内部に、まるで舞台小屋にような格好の、部屋とも言えないような小さな、二部屋続きの部屋がたくさん並んでいた。簡単な薄い平板で仕切られた、4畳半と6畳の二間と1畳ぐらいの台所の部屋。玄関はなく、入り口に長い暖簾がかかっているだけで戸もなかった。部屋には畳はなく板床の上にゴザが敷かれていた。食卓にする丸テーブル以外は何もなかった。そのような部屋に彼女は住んでいた。お母さんは家を出て行き、残された病気のお父さんと弟と彼女が住んでいたのだった。

子どもの目から見てもかなりの貧しさだったが、彼女は底抜けに明るく、何時も前向きだった。
そんなTさんの性格が好きだったのか、クラブ活動のない日などは私はよく彼女と遊んでいた。
中学時代の恩師A先生は、毎日放課後、密かに誰にも見つからないように自転車に乗り彼女の家に差し入れを持って通っていた。おそらく食材だったのだろうと思うのだが、はっきりしたことはわからない。きっと先生も彼女の家の状態を見て見ぬふりはできなかったのだろう。A先生にも私たちと同年齢子供がいたから。今時このような先生の存在は考えられないが、当時はまだまだのんびりした時代で、他人の辛さや苦しみを自分のことのように考えることができる先生はたくさんいた。A先生もそのような先生の一人だった。
中学卒業後、このA先生の粘り強い就職先探しと交渉で、彼女は遠く離れた千葉県で働きながら夜間高校に通えることになった。その後、努力して美容師の資格を取り美容師として働くうちに理容師のご主人と知り合い、二人で店を持ち働くようになった。子どももでき、それなりの幸せな人生を送ってきた。

どん底から自分の努力で這い上がってきた彼女。
同窓会でいつ会っても、必ず私に真っ先に声をかけてくれ、明るい愛嬌のある笑顔で話し始めるのだった。話していると私の気持ちまで明るくなる。彼女はそんな女性。

そのTさんからの突然の電話。
驚いたのはいうまでもないことだった。
電話の向こうで彼女は言っていた。
「この5月なかば、主人が癌で亡くなり、つい最近納骨をすませたんよ。
長い間苦労に苦労を重ね生きてきて、自分たちの理容院も息子が継いでくれ、
これからやっと楽ができると喜んでいた矢先だった」

「ありがとう。声が聞けて嬉しかった。また元気になれるわ。
そのうちに会って、ゆっくりと話でもしたいわ。その時はよろしくね」

ご主人を亡くした寂しさを、懐かしい昔の友人と話すことで少しでも元気を取り戻したかったのかもしれない。
近いうちに彼女と会ってゆっくり話を聞いてあげよう。
そう思ったのだった。
運よくコンサートに出かける直前のことだった。



by PochiPochi-2-s | 2017-10-29 22:48 | 思い | Trackback | Comments(10)

『生きる』 谷川俊太郎

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描きかけのガマズミ



今朝も雨で始まった。
早くカラッとした秋の空、”天高く馬肥ゆる秋“になってほしいと心の底から願いたくなる。

台風の影響か、午後から雨がさらに強く降るようになり、雨の中出かけるのも嫌だったので、
昨日に続きガマズミの絵を描くことにした。
ほんの少しだけ真ん中の実に赤い色をつけてみた。
写真は全体のほんの一部だけアップしたものだが、何時もながら実を描きすぎかなと。
まあ、もう少し描いてみなければ判断はできない。

雨の日に静かに絵と向かい合っていると、昨日も書いたのだが、じつにさまざまなことが心の中に浮かんでは消えていく。
「この状態を小説に書くとするならば、その小説はまるで、”意識の流れ“の作家ジェイムズ・ジョイスの書く小説のようになるのだろうなあ」などと、つまらぬことも考えるようになる。

たくさんの赤い実を描くのに疲れ、いつものように本棚に目がいった。
何かしら詩を読みたい感じだった。
谷川俊太郎『生きる』-わたしたちの思い ~第2章~
この本を開いてみたくなった。
最初の詩「生きる」が大好きである。
声に出して読んでみた。
読んでいるうちに、最近、来年の作品展のことで少しいらいらしていた心が鎮まった。
ひとり静かに詩を読む時間が好きである。


生きる (谷川俊太郎)

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ



by PochiPochi-2-s | 2017-10-21 23:40 | 思い | Trackback | Comments(16)

ほんまに 珍しい

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昨日も朝から雨が降っていた。
冷たく、寒いと感じる雨だった。
「今日は10月16日」
昨日の午前中、プールへの行き帰り、心の中でづ〜っと思っていた。

水泳教室から帰り、小さい頃のアルバムを開いた。
いつの頃の写真だろうか?
父と一緒に写った写真が目にはいった。
小学生の頃、好きな写真を自分で貼り付けたアルバム。説明もしていない。
しかし、はっきりと覚えていないが、この写真はよく覚えている。
着ている服も場所も。

着ている服から考えて、多分小学校3、4年生の頃。
場所は大阪国際空港(伊丹空港)。
もう60年近く前の写真。
飛行機はプロペラ機。観客席と滑走路を分けるためにロープが張られている。
滑走路のすぐ近くまで行き、飛行機を見ることができたようだ。
戦前グライダー操縦の資格を取り、四国でよくグライダーに乗っていた父(と聞いている)。
飛行機をみるのが好きだったのだろうと思われる。
この頃、神戸港にもよく行っている。
和歌山から神戸は遠かっただろうにと思うのだが、
大きな客船も、戦地へと向かったときの思いが重なっていたのだろう。
あの戦争が終わり、その後手に入れた平和のありがたさを感じていたのかもしれない。

この写真には、父と私、あどけない顔のすぐ下の弟も一緒に写っている。
カメラマンは多分母親。
いつもは父がカメラマン。
母と私と弟の写真、あるいは祖母や従兄姉たちとの写真が大半で、若い頃の父の写真はほとんどない。写真を撮るのが好きで、自分が撮ってもらうより撮る方が好き。ほとんど父が撮影していたのだろう。ほんとうに珍しい貴重な写真だ。

今世の中はかつて進んだ道をもう一度進もうとしていると言われている。
戦後生まれの団塊の世代最後尾に属する私には、両親、特に母親から聞いた体験談、母が遺した体験記しか知識はないが、戦争の恐ろしさ・悲惨さはよくわかると思っている。両親たちの世代が、耐え難い悲惨な経験・苦労の後に手に入れた『平和憲法』を是が非でも守りたい。
最近はそう思うことが多くなった。

空の上で、この地上の出来事を見ながら、南方の小さな島で戦かい、その後平和であることのありがたさを心の底から享受していた父は、今、どのように思っているだろうか?

10月16日。
昨日は父の祥月命日だった。
父が逝ってからもう13年も経った。

この日はどんなことがあってもいつも晴れていた。
しかしここ一週間ほど雨の日が続いている。
父の日に雨が降るなんて、こんなことは ほんまに珍しい。





by PochiPochi-2-s | 2017-10-17 10:06 | 思い | Trackback | Comments(4)

歌声

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庭の片隅・雨に濡れる風知草


秋の山行く 人の心は
流れる雲に 乞わば教えん
(山行く人の心)

昨日のことだった。
朝起きた時降っていなかった雨がお昼前ごろから降り始めた。
特に出かける予定もなかったので、午後からは一昨日の絵の教室で描き終わらなかった
ガマズミの実のスケッチの続きを始めた。
疲れてデッキに降る雨をぼんやりと眺めていたとき、ふっとこの歌が口をついて出た。
そして山の歌が大好きで、よく歌っていた1学年上の先輩の顔がはっきりと目に浮かんだ。
彼女が亡くなってからもう30年近く経つ。
ご主人の赴任先の札幌で病気で亡くなられたと、
彼女が亡くなられてからずいぶん後で聞き、 何となく寂しく思ったのを覚えている。
彼女とは、指導する立場の者と指導される立場の者としての先輩後輩の関係と特に早行きの彼女とは学年は違うが同じ歳だったので、常に緊張状態にあり心はいつも対立していたように思う。

「今度の休みに比良山系の藤原岳に登らない?」
1年の秋、彼女は私に声をかけてきた。
「何故私と? たったふたりだけで?」
彼女の気持ちは分からなかった。
「ふたりだけで山に行くのは嫌だなぁ」とは思ったが、
「ひょっとしたら、ふたりだけで行動することでもっとたくさん話もでき、もう少しお互い分かり合えるようになるかもしれない。あまり良くはない彼女との関わりを改善でき、もう少し親しみがわくかもしれない」
そう思い直し、一緒に藤原岳に登ることにしたのだった。

最初に峠まで急な登りがあった。
登ってみると、峠の上は一面の背丈以上のススキの原であった。
背の低い私の目に入るのはススキだけだった。
ススキの海の中にポンと放り込まれたような感じだった。
一瞬どきっとし、少し怖くなり引き返そうかとも思ったが、
言い出せずに先輩の後について歩き始めた。
天気は曇ってはいたが、雨の降る気配は全くなかった。
ススキの原の中の道は一本道にように、私には見えた。
ススキを両手でかき分けどんどん前に進んだ。

「あれ?雨?」
かなり進んだ時だった。
ポツンと落ちてきたきた雨粒に気がついた。
ススキで視界の悪い雨の中を進むのは危険だということで、持っていたツェルト(簡易テント)でしばらく雨が止むまで雨宿りをすることにしたのだった。
しかし雨は止むどころかだんだんと激しくなり本降りの気配になってきた。
天気予報からは考えられず、思ってもみなかったことだった。
ツェルトでは間に合わなくなった。
急遽引き返し、翌日の始発バスの中で泊まらせてもらうように頼もうと決めた。

「あれ〜ッ?」
峠に戻ろうと引き返し始めた時、
行きは一本道だとばかり思っていた道が途中で何本にも分かれていることに、
初めて気がついたのだった。
どの方角から来たのか全く分からなくなってしまった。
周囲の山も雨にけむり、全く判断ができない。
磁石も使えなかった。
途方にくれ、とにかく来た方角と思える方に向かって歩いたが、
暫くすると、同じ場所をくるくる回っているだけだと気づき立ち止まってしまったのだった。
雨具は着ているが、ほぼ全身ずぶ濡れだった。
危険な状態だった。

雨が降り テルテル坊主は泣いても 私達は泣かないで
山を見つめる 山の子は山の子は みんな強いぞ

何処からともなく微かに遠くの方から歌声が聞こえてきた。
「人がいる。それも何人かの人がいる。助かったわ!」
先輩とふたりでその歌声のする方に必死で走るように歩いた。
足元の道の悪さ、ブッシュも気にならなかった。
歌声に向かって突進した。
そんな感じだった。

そこは早朝に通った峠の上の平らな場所だった。
大きなテントが張られ、その中で雨で登山を中止した5、6人の人たちが歌を歌っていた。
聞くと、急に雨が降ってきたので雨が止むまでの間の雨宿りだと言っていた。
私達は翌日には学校に帰りたかったので、登山を中止しバス停まで戻ったのは言うまでもないことだった。全身ずぶ濡れで早急に着替えたかったということもあった。
思った通り翌朝の始発のバスが停車しており、その中で着替えゆっくりと寝ることができた。
幸運だったのはいうもでもないことだった。
翌日、大学の正門をくぐり時計台を見ることができた時には、生きていたと思い嬉しくて何だか気が緩み、へにゃとしてしまったことを今でも覚えている。

山の歌が大好きでいつも歌いながら山に登っていた先輩との唯一ふたりだけの山行は終わった。
山の歌を歌う歌声に救われた藤原岳登山だった。

あの時からもう半世紀近く時間は流れ、先輩の彼女が亡くなられてからも30年近く経つ。
いまでも時々ふっとしたした時に、彼女に教えてもらった山の歌を口ずさむことがある。
ショートカットで色黒、背はそれほど高くなかった。
いつもニコッと笑い親しげに話しかけてくれた。
ひとりっ子で育った彼女が、たった一人でそれぞれに癖のある8人もの新入生の後輩を指導しなければならなかった(彼女の学年は部員は彼女一人だった)。そのことだけでもどれほど緊張していたことか、今になってみればよくわかることだが、その時はみんな若く自分のことばかりで他の人のことは考えられなかった。

「もう一度彼女に会いたいなぁ。もう少し長生きしてほしかった。
今なら何のわだかまりもなくすなおに話せるだろうになぁ」
デッキに降る雨を眺めながらそう考えていた。

ガマズミ ヤブデマリ のスケッチは昨日も完成しなかった。

不思議なことに、夜に、やはりクラブの同級生だったT君から電話がかかり、
久しぶりにみんなで会おうやということになった。
何だか不思議な気持ちになったのだった。



by PochiPochi-2-s | 2017-10-13 11:17 | 思い | Trackback | Comments(6)
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この前の教室に先生がたくさんのアケビの実を持ってきてくれていた。
この実の、なんとも言えない、きれいな紫色を見た途端、「描いてみたい!」と思った。
この色に惹きつけられてしまったのだった。

「普通はさつまいものような色なんやけど、
今日のこの色のアケビは少なくてちょっと珍しいんや。
何ヶ所かこのアケビのあるところを知っているから、行って採ってきた」
先生はそう言っていた。

時間の経過とともに、実の色がだんだんと変わっていく。
焦りながらも、今日なんとか気にいるような実の色に描けたかなと、
ほんの少しほっとした。

明日はアサヒちゃんの運動会。
「見にきてください」と声をかけられているので、明日朝から出かけることにした。
チーズケーキ、無花果のジャム、ジェノベーゼ、焼き鯖寿司をお土産に持って。
「きっと喜ぶだろうなぁと思う」
嬉しくて絵を描きながらその合間に準備をしたのだった。

しかし、その一方で、描きながら心に浮かんでいたのは、ここ1週間の政治の動きだった。
一国民の目から見た政治家と言われる人たちの、自己中心的な恥ずかしい行動に
「あなた達、プライドというものがないのか」と言葉を投げつけたい思いでいっぱいであった。

平凡な一国民の思いからだんだんとかけ離れていく政治の世界。
「この国は一体どこに向かって進んでいくのだろうか?
どのような国になっていくのだろうか?
そう思うと、不安でならない」
そんな思いのする一日だった。

※ 9/25(月) 安倍首相、記者会見で9/28の国会解散を表明。
9/28木)国会解散。





by PochiPochi-2-s | 2017-09-29 23:25 | 思い | Trackback | Comments(4)
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ある日の主人がつくった朝食



「えっ、この記事… おんなじことやっている男の人(夫)がいるのだ。
しかも2人とも80代。びっくりやなぁ…」

絵の帰り、ちょっと思うことがあり気分を変えるためにいつものように本屋さんに立ち寄った。
「この雑誌、発売日は昨日だったんや。
ここ一週間、あまりにもセンニンソウの絵のことばかりで頭がいっぱいやったから
気がつかなかったんやわ」(※ 「婦人の友」10月号・2017 October)

ふっと手に取りパラパラとページをめくった。
その時この言葉、「これはまかせて。朝食づくりは夫の仕事」が目に飛び込んできたのだった。

記事は退職後奥様に代わって朝食作りを始めた2人の男性(共に80代)が紹介されていた。

【一人目・A】
・17年前のリタイア後、奥さんに朝食づくりを申し出て、快諾を得て以来、食材の買い出しから食後の食器洗い、収納までを担当している。
・最初に伝授されたのは1日の食費予算と食品の目安量。
初めはハカリで野菜を一つひとつはかるところから。今は目ばかり・手ばかりができるようになった。
・散歩がてらに近隣のスーパーを覗くうち、同じものでも大きく値段が違うことを発見。
現在では、底値が頭に入り、ほとんどの食材調達は夫になった。
・夫が朝食づくりをしている間に奥さんはテレビ体操、掃除を終える。7時に食卓に。

お互い、自然に「お疲れさま」の言葉をかけ相手をねぎらい、和やかに会話が弾むという。
朝食づくりを始めたきっかけは、退職後、ふと、飲み会で言った先輩の言葉・「定年がない妻を思い朝食づくりをしている」だった。

《朝食》
おかゆ、おかゆに入れるトッピング、野菜7種類以上、温泉卵、 チーズ、果物。
《妻の意見》
・在職中はほとんど食事づくりとは無縁だっだので、将来一人になっても困らないようになればと歓迎した。
・幸いこの17年間1日も欠かさず続き、夫が夫妻の日は必ず妻の分が用意されている。

【二人目.・B 】
・夫81歳、妻79歳。
・単身赴任中の料理の腕を磨く。
・8年前(73歳)から朝食担当する。
・最近妻は腰や肩を傷めて軽々と家事をこなすのは難しくなったが、
朝食の準備を手助けと考えたことはない。
・つくりながら、味わいながら、海外や国内の赴任地で出会った人々とつながっているひと皿を作り続けている。
・あわただしく朝食をとる必要がなくなったので、1日の始まりを妻とゆっくり楽しむ。

《朝食》
オムレツ(その時々のアレンジ有)、ベーコン、野菜サラダ、妻の焼いたパン、果物とヨーグルト、コーヒー。
《妻の意見》
・仕事で東南アジアはじめ、国内、各地で生まれたつながりが献立にも生きている。
・夫は1日3食の後片付けにごみ出しもななくこなす日々である。
・お互いに感謝を口にすることを、忘れないようにしている。

まず朝食づくりをする夫の年齢に驚いたのだった。
そのうえ、つくられた朝食のバランスの良さ。
「これは負けてはいられない」と思うような朝食である。

私の家の場合は、ひとまわり年上の友人の一言(「主人の退職後、『映画のワンシーンのように一生に一度でいいからベッドで朝食をいただきたいのよ』と言ったら、朝食担当になってくれたのよ」)を聞き、主人が朝食をつくるようになったのだが、完全退職後朝食をつくり始めた当初に比べ 、最近はぐっと上達したように思う。
「男性もやればできるのだ。実際、学生時代のクラブの男子たちはみんな料理ができたじゃないか。合宿のため必要に迫られてだったが」とこの記事を読んで改めて思った。
また.自分の主人の日々の努力と、夫の料理訓練に励むブログ友や彼女の友人たちの奮闘ぶりを思い出していた。

このタイトルのような"朝食を担当する夫族"が増え、その光景がごく普通のものになる時がいつかくるのだろうか?
妻が朝食作りから解放される日がくれば、もう少しゆとりを持つことができるかもしれない。
そう思ったのだった。

♧ ♧ ♧

ピッカピカ!
冬用の絨毯にする前にワックスがけをしてくれた。
これも、我が家では 夫の仕事。

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by PochiPochi-2-s | 2017-09-14 23:26 | 思い | Trackback | Comments(8)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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