カテゴリ:「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅( 35 )

今年に入り「さあ続きを」と思いながら予期せぬことが起こり、今まで延び延びになってしまった。
いちおう落ち着いたのでまた続きを始めようと思う。
冬の間に夏の話をと思っていたが、もうすぐ夏がやってくる。



一、花都(フィレンチェ)の西瓜

8月5日(木)、日本を立って二週間が過ぎた。
旅の疲れもそろそろ出てくるところだが、「外国」で しかも言葉の障壁がかえって気を引き締め、疲れを感じさせないから不思議である。
気候も各国さまざま。セーターを羽織ったかと思えば、裸同然の出立ち。それでも湿気がないせいか、エアコン無しでも快適に過ごせるのは有難い。
"ペンショーネ・セントラーレ"(ホテル名)は、フィレンチェ駅から歩いて約10分。メディチ廟(びょう)、「サンロレンツォ教会」の丸屋根が、窓から眺められる ー 町の中心に位置する。
ホテルから一歩外に出ると雑踏の真只中。露天の犇(ひし)めく「サンロレンツォ広場」だ。
しかし、一歩ホテルに踏み込めば静寂の世界。教会の鐘の澄んだ音色が心を和(なご)ませてくれる。


「ああ、おいしッ!」
「こんなおいしいスイカはじめて」
「サンロレンツォ広場」の出店は、土産物、古着、カバン、古道具、その他種々雑多な品物が山積みされている。
その露天の一つに、西瓜の切り売りに忙しいおじさんがいる。
彼の包丁にかかると、大きな西瓜の玉がものの見事に薄切りにされ、赤い実が鮮やかに売り台を賑わす。
一切れ、1000リラ(役200円)。
なつかしい日本の夏の味をフィレンチェで味わえるとは夢にも思わなかった。
農家育ちの妻が、下宿した時一番驚いたことは、都会(まち)では西瓜を切り売りしていることだったという。
畑にころがっている玉を井戸につけて冷やし、割って食べることが常だったそうだ。


「フィレンツェのスイカ、おいしかった!」といまだに子供たちは言う。
日に透かせば向こうの見えそうな芸術的な薄切り。でも、味の記憶は厚く、強烈だからおもしろい。


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もっちゃんの絵



二、ショッピング

「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」(花の大聖堂)の東隣に小さな美術館がある。その名を「ドゥオモ美術館」という。
ミケランジェロ作の彫刻(レリーフ)が所狭しと展示されているのには驚く。
小さなものから大きな像までなんの制約もなく鑑賞できることは感激だ。フィレンツェを貫流するアルノ川には数本の橋がかかっている。
その一つ、ベッキオ橋は有名だ。両側には小さな店が軒を連ねている。
聖堂から橋までの散策は実に楽しい。中世の石造りの建物、それに石畳。まるでシェイクスピアの劇「ヴェニスの商人」や映画「ローマの休日」の舞台である。
「このカメオは、品質保証の品物。彫りといい、金飾りといい本物の手造り。最級品です」
ひやかしで入った店の主人の熱心なすすめについつい乗せられ記念に小さなカメオ一つ買った。
「結婚指輪」交換の儀式を省いたつけが回ってきたということか。
値切って78$(約2万円)也。今も大切に、出かける時には服につけ、思い出に浸っているらしい。


「左利きの人の財布ありますか?」
「?????」
ホテル近くは、革製品を販売するみせが5〜6軒ある。餞別を弾んでくれた妻の母への義理もあり尋ねてみた。
三つ四つ出された財布は全て左利き用だ。主人に言わせると別誂でもなく、左利き用、右利き用の区別などないと首をかしげる。
あった!左利きのが……。頼まれたものがあったので一安心。
「このバッグいかがです。ブランドものではありませんが高級品ですよ」と商売上手な店主の言葉につい財布の紐が緩み土産に三つ購入。(続く)


【あのね日記】
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More 古いアルバムより
by PochiPochi-2-s | 2017-05-20 20:57 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(0)
『モスクワの気温は1月7日の夜、最低気温が-29.8℃だった。
21世紀になって以来最も低い気温である』

今日朝のwebsiteのニュースで知り、
Sashaは大丈夫メールだろうかと思い、慌ててメールを送った。
学生時代、冬期、クラブの山小屋で-12℃までは経験したが、それ以上の寒さは
わからない。-12℃といえば、炭酸系の飲み物の栓を開けたとたん、あっという間にガラス瓶の表面から見事に凍っていった。パチパチパチパチ……という音とともに。
印象的だった。その 結晶が透き通るようにきれいで、2〜3本たて続けに栓を抜き、先輩から大目玉を食らったことを思い出す。
それほど一瞬のうちに凍っていく過程がおもしろかった。
"寒い"という言葉では言い表すことができないほどの寒さだった。

真冬に真夏の記事もまたよいのではないかと、
今年初めての"ズッコケ家族の旅"の続きを載せようと思った。


🍀

一、Il Latini (イル・ラチーニ)

「"Gucci"(「グッチ」イタリア高級バッグメーカーのブランド)の本店にはどう行けばいいですか……?」
(" この人もやっぱりか……" とうんざりした様子で)
「"Gucci","Gucci"とフィレンチェを訪れる外国の方はよく言われますが、安くて品のよいバッグは "Gucci"以外にいくらでもあります。そう、"Pucci" (「プッチ」)というのは私たちの目から見ると とても使いよく最良のバッグですよ」
「……………………」
「このすぐ近くにあります。お教えしましょう」
青い目の金髪(ブロンド)の長い髪、ジーパンに白いブラウスをラフに着こなしたグラマーなイタリア美人。彼女はフロント・デスクに乗り出して地図を書き始めた。
イタリア語まじりの英語、片言しか話せないが、必死になって単語を並べる。"流暢(りゅうちょう)な英語よりかえって間があって理解しやすいから助かる。




「いいえ、ちがうんです。私たちバッグを買いたいのではないんです」
「……………………………」
「スイスで出会った学生旅行者が、『フィレンチェに行ったら、"ブカラッピ"というステーキハウスに行きなさい。場所は"グッチ"本店のすぐ近くです』と、教えてくれました。是非行ってみたいと思って、"グッチ"を聞いたのです」
彼女はやっと納得。早速"グッチ"本店を教えてくれた。


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マックちゃんの絵



「"ブカラッピ"は閉店してます」
新聞スタンドのおじさんに地図を示すと、英語で返事がかえってきた。
「他においしいステーキハウスは?」との問いに、親切に"ブカレッチ"を教えてくれた。
おじさんの書いてくれた地図をたよりに"ブカレッチ"まで行くと、ここも運悪く閉まっていた。
向いの靴屋の主人(マスター)、地図を見てほとんどイタリア語に近い発音で英単語を並べ地図を書いてくれた。



"Il Latini" 木製看板が一枚店先に掲げてある。味の良い店は洋の東西を問わず、お客が列をなしている。店構えも決して豪華とはいえない。
店の窓越しから梁に吊るされた肉の塊、"生(生)ハム"が見える。待つこと30分、席につき出されたステーキの大きさにびっくり。
横約25cm、縦約12cm、厚さ約3cm、端骨付き。重さ約1kgはあるだろうか。
"レア(生焼き)で出されたその巨大な肉の塊。香辛料を振りかけ食べ始める。
スパゲティ、ミネストローネ(スープ)を食べていた子供も加わって奮闘。動けない程にたらふく食って、果ては生肉にあたって翌日は"急行列車"と覚悟。味のよさには勝てない。
腹一杯食べてさて勘定は………、恐る恐る計算書を見る。
「35000」にドッキリ。しかし、リラは5で割る。7000円なり。信じられない思いに、胸は軽く、栄養足りて元気はつらつ。
翌日、何ら"後遺症"もなく気分爽快だった。


二、 家族連れ


私たちの隣の食卓に、イタリア人一家四人がやはりステーキを頬張っている。
「イタリアのステーキって、こんなにボリュームがあるのですか」と聞くと、フィレンチェのステーキは特に旨味があって有名とか。ソフィアローレンそっくりの奥さん、それに14才の男の子が、さかんに英語で話しかけてくる。
イタリアの海は汚染されていて海産物はよくないとか。子供がおもちゃ代わりに使っている太陽電池(ソーラバッテリー)の計算機を手に、日本の工業製品絵の良さを賞め讃える。
奥さんの話題の尽きないおしゃべりに、ご主人は"早く"の合図。
「英語を話せてよかったです」との別れ際に、奥さんと握手。素敵な奥さん(マダム)だった。(続く)




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by PochiPochi-2-s | 2017-01-09 18:09 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(2)
一、 花の聖母寺

" Shoulder! Shoulder! " (「肩ッ!肩ッ!」)
背広を着込みネクタイをきちんと締めた男性二人、扉の前に立っている。
"ショルダー、ショルダー"と強い口調で発せられた英単語、はっきりと聞きとれはしたものの、一体何を意味するのか解(げ)せない。
妻の肩に掲げられた"ショルダー"バッグに「注意せよ」とのことか。(イタリアは治安が悪く、盗難被害にあいやすいと聞かされていた。)




「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」(花の聖母寺)大聖堂は13世紀終わりから15世紀中頃に建造されたゴシックの聖堂。巨大な丸屋根(クーポラ)は、高さ89m、直径13m。イタリア=ルネサンス建築最初のモニュメント(記念塔)となったという。
大聖堂前の石畳は、ヨーロッパ各国からの観光客で溢れている。服装も思い思い、真夏の太陽の下、肌を露(あら)わに軽いスタイルの老若男女が行き交う様は、日本のそれとは大いに異なる。


" Shoulder! Shoulder! "
再び扉の前の男性が叫ぶ。彼らの背広姿は、その場には不似合いなように見える。
「一体何故あんな格好をしているのか…」
訳がわからず、「ショルダー」バッグは大丈夫しっかりもっていますと、英語で言い身振りをするが、なおも二人は扉に立ちはだかっている。
ふと周りを見ると、やはり声をかけられている人がいるではないか。
呼びとめられすぐにバッグからスカーフを出し肩にかけた。と、その途端男性は道を開け観光客を通すのである。
何と、正装し扉前を固めている彼らは服装チェックをしているのである。露出度のチェックをしている。
肩丸出しルックのタンクトップ。暑いフィレンチェを快く歩き回るために着替えたのに…、と不満顔の妻。
あいにくスカーフの持ち合わせもなく、あえなく外で待ちぼうけということになってしまった。



後に気付いたことだが、そういえば広場の出店にはスカーフが山と積まれていた。
ー500リラ(100円)でー


二・ クーポラ(丸屋根)


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マックちゃんの絵


「ワタシ、お父さんと一緒に行くッ」
"女人(にょにん)の肌はご法度" 思わぬズッコケで聖堂内に入れぬ妻と、教会と美術館に食傷気味の「お兄ちゃん」を残し、私たち二人は聖堂に入った。
中は、正面入り口上の壁面ステンドグラスから差し込む採光のみが際立つ暗がりの堂である。
「クーポラ入り口」をやっと見つけ1,000リラを払い、昇りはじめる。大人一人がやっと昇れる狭い階段。観光客のお尻を見ながら進むとドーム回廊に出る。下をのぞくと聖堂が見え、人影が豆粒のようだ。
思わず足が竦(すく)むが、後ろから追われ先に進むしかない。再び階段。今度は一層勾配(こうばい)がきつくなる。いよいよ丸屋根(クーポラ)裏の階段を昇りはじめた。下を思うと不安が過(よ)ぎる。
やった!やったぞ!フィレンチェの街が一望できるクーポラの上、地上89mの高さまで、足を運んだ爽快さ…。澄みきったフィレンチェの空の青さは格別である。
建物という建物は、赤褐色の屋根、ベージュ色の壁。両者の色の調和が独特の雰囲気を醸(かも)し出している。
それはまるで、プラータの「大観覧車」最上から見たウィーンの街の風景のようだった。



下りはまるで花魁(おいらん)スタイル。"デイバック"を胸に○○kgの「お荷物」を背に急な階段を約一時間。精根尽き果てる思いだった。(続く)


* * *


この時から27年後、今から7年前、
再びフィレンチェの街を訪れ、クーポラの上に昇ることができた。
夕暮れ時ピンク色に輝くフィレンチェの街がどんなに美しかったことか!
その喜びは言葉では言い表せなかった。
ついに長年のリベンジが果たせたのであった。



by PochiPochi-2-s | 2016-12-02 23:20 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(0)
6月11日にスタートしてからはや5ヶ月が経過。
今回でまだやっと32回目。
このあとの回数を考えると、ゆっくりとアップしていこうと思う。
ここに登場するマックちゃんは今年12月末で41歳に。小6と小2の男の子の父親に
なり、もっちゃんは来年5月初め40歳を目前にして二人目の子供の母親になる予定。
当時の彼らは6歳7ヶ月(小1)と5歳2ヶ月(幼稚園年少組)だった。
現在32歳の次男はまだ生まれていない。
考えてみれば、"34年"という年月は本当に長いものであるように思われる。


* * *


一、アクア・ミネラーレ・ナチュラーレ

「このホテルの水は飲めますか」
「いいえ、飲めません。飲料水はお買い求めください」
「………!!!」
"水飲めますか"なんて日本国中どこを捜しても、そんなことを確かめねばならないホテルなどお目にかからないだろう。



随分(ずいぶん)昔の事で、記憶も朧(おぼ)ろになってしまった話(また聞きかも)。ヨーロッパでオリンピックが行われた時のこと。日本選手団は体調を崩し、予想外の結果に終わったと…。
「体調崩れ」の原因がなんと水だったという。つまり、ホテルの洗面所の水を知らずに飲んだため下痢を起こしたためだとか。その話が正確な事実なのか、また事実にしても一体いつのことなのか確かめる術(すべ)もなく、「ヨーロッパの水は飲めない」と決めつけていた。



宿泊登録(チェック・イン)が済むと必ずについての可否を尋ねた。パリ、モントレー、グリンデルワルト、そしてウィーンで。しかし、どこでも答えは"イエス"だった。ということは「ヨーロッパの水は飲めない」とは、私の取り違えか、誤った事実に基づく偏見なのか。
それはちょうど「日本の国鉄は世界で一番"時間通り"に運行する」「欧米の列車は、ダイヤ通りには走らない」(決してこんなことはない)という誤った考えと同じではないかと考えはじめるようになっていた。



「アクア・ミネラーレ・ナチュラーレ(飲料水)一本(約1000cc)1300リラ(260円)です」
やっぱり……"水を買う"というのは、本当の話だった。
「水飲めますか…」なんてもう聞かなくてもいいのではないかと思っていた矢先のことだった。
「ヨーロッパの水は飲めない」とはイタリアのこと? オリンピック云々(うんぬん)はローマ大会のことか……。
それはともかく水の値段コーラのそれとが同じか、高いなんて……。
"アクア・ミネラーレ・ナチュラーレ" 私の数少ないイタリア語語彙(ごい)(ボキャブラリー)に生きたイタリア語が加わったことはイタリアへ行った成果だ。(子供も覚えている)
それにしても、我国でも、「六甲の水」なんて、おいしい水は買わなければならなくなってきているのだ。


二、 二重のロック


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サンタマリア・デル・フィオーレ(花の聖母寺院)の屋上で
(もっちゃんの絵)



ホテル「ペンショーネ・セントラーレ」は「メディチ家礼拝堂」が近く、私たちの部屋からそのクーポラ(塔)が窓の真前にに見えた。
広場には、衣類、カバンを売る露天が店開きし、イタリア人や観光客が買い物、観光に行き交っている。
大通りは、バス・タクシー・車がひしめく雑踏。耳をつんざくばかりの騒音に閉口する。おまけに、道は石畳ときているから、車のタイヤの軋(きし)む音が一層耳を突き刺す。
だが一歩ホテルに踏み入れば、そこは静寂の世界だ。信じられぬ程の静けさをとりもどせるから実に助かるのである。



ホテル玄関にはガードマンが常駐し、重い扉は夕方には閉ざされ、くぐり戸のみが開閉できる。
建物はいわゆる"雑居ビル"なのか、1,2階は商社オフィス。3階からがホテルになっている。広い階段を上るとホテルのフロントが見える。
ドアは開かない。押しても引いても開かない頑固なガラス戸で、外部をシャットアウト。ドア横のベルを押し、予約票を見せると、やっとフロント係の女性がロックを外してドアを開けてくれる。
"二重のチェック"はこの国の治安に対する不安を推測するに足る事実である。"テロ""誘拐"等への緊張を思わせるのであった。(続く)




【「あのね日記」より】
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by PochiPochi-2-s | 2016-11-18 22:05 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(4)
一、夜行急行"リーマス"号

8月4日(水)、急行"リーマス号"は、イタリアに入った。
「音楽の都」ウィーン、森と緑、歴史と伝統の街ウィーンから約12時間の夜行列車の旅である。
前夜(8月3日)定刻9時に列車は、「ウィーン南駅」を発車した。
夜汽車の単調な轟音、それに振動は、客室車(コンパートメント)で横になっている私たち4人を、いつしか深い眠りに誘い込んだのだった。


ガタン!突然全身に強い衝激(ショック)を感じ目を覚ました。カーテンの間から強い夏の日差しが漏れる。
「ボローニャ」の駅名表示板がはっきり見えた。時計は午前6時を少し回っていた。
ボローニャはイタリア最古の学園都市という。世界史の授業で一度は出てくる有名な都市だ。
知識だけにしろ、一度聞き憶えた町の名前に出くわすと親近感を抱くのはおそらくこの私だけではあるまい。
「"大学"はあれか?」なんて車窓に映る街並みにいつしか学んだ歴史的建物を一目でも見ようと必死に眼を凝らしたものだった。



イタリアの風景、特に田園風景は、これまでに"通過した"フランス、スイス、オーストリアのそれとは全く異なったものだった。
一言でいうならば、強い日差しと、地中海の影響を受けて(?)か、地は褐色を帯び、乾いた感じがした。
建物も、レンガを主体にしたものが多く、壊れかけたものも時には目に入ってくるのは、なぜか親しみを感じるのである。
抜けるような青空、強い夏の太陽。「オー・ソレ・ミオ」を子どもたちに歌って(?)聞かせるうち、列車は、定刻午前9時24分、目的地フィレンチェに到着した。

二、 ペンショーネ・セントラーレ

「お父さん遅かったなあ。2時間も予約にかかるなんて…」
フィレンチェ「中央駅」は、イタリア人や外国人観光客でごったがえしていた。
案内所(インフォーメーション)前は数珠繋(じゅずつな)ぎの人の列。1時間や2時間待ちは「常識」と割り切って構えるものの、子守りの妻にしてみれば相当「重労働」らしい。
こちらにすれば列を離れ"近況報告"をすれば、並んだ努力が元の木阿弥(もくあみ)になる。ついつい"鉄砲玉"の如く居所不明になってしまう。
その間、妻はトイレにも行けず、子どもと荷物の晩に張りつかねばならない。
だがその待ち時間中にもいろいろの人との接れ合いがあり結構おもしろい。
今回は「黒衣」の牧師さん二人が、待合室で子どもの相手になってくれたり、話しかけてきたり…。
但し、イタリア語で…。全然わからない。しかし身振り、手振りで結構意思は通じるという。



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もっちゃんの絵





「しまった! ホテルの名前を聞く(発音)のを忘れた」
案内所(インフォーメーション)では必ず「予約カード」と位置を印した地図を手渡される。渡された「カード」を見てびっくり。すべてイタリア語で書かれているではないか!
どれがホテルの名前なのか、書き込まれた綴り字も解読しがたい。もう一度列に戻る気もなく、地図を頼りに目指すホテル近くまで来た。
英語?全く通じない! 仕方なく「カード」を行きずりの人に差し出し、身振りで説明するが要領を得ない。
ホテル名らしい箇所を指差し、ここに行きたいと手まね。
彼は納得。しかし行きついたは銀行。 "Cambio…"とは銀行のことか…と頭をかく。
では次の行か? 荒物屋さんの店に飛び込む。
「ペンショーネ・セントラーレ」
やっと我が意が通じ、ホテル名と場所がわかった次第だった。親切なあおじさんに助けられ宿泊手続き(チェック・イン)完了。( 続く)


* * *

【あのね日記】

(8月3日)
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(8月4日)
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by PochiPochi-2-s | 2016-11-04 22:20 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(0)
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インディオの演奏
(長男の絵)


ウィーン雑感

一、「レコメン」(予約確認)


" I'd like to reconfirm my reservation." (「予約の確認をお願いします」)
オペラ座に面した通りを東へ一駅。"鶴"のマーク、JALのオフィスがある。
カウンターに女性二人、座席予約や確認実務に忙しい。
「8月21日、051便、東京ー大阪間4人。名前は○○○○○です」
ブロンドに青い目の女性職員に確認を申し出ると奥の方から日本人職員が顔を出す。
「ご予約の確認ですか。ご苦労さまです」と、一言。すぐにデスクに戻り、電話の応対に忙しそうだ。



「"status ok"(予約完了)とチケットには記(しる)されていますが、リストには載っていません」
これはややこしいことになってきた。彼女はデスクの日本人職員にたずねるがどうも埒(らち)が明かないらしい。
女性職員は再びコンピュータの端末機をたたくが「回答なし」とのこと。「あっそうか」代理店職員(エージェント)が、"status WL"(予約待ち)云々と言っていたことを思い出した。
"WL"?と訂正するとたちまち画面に○○○○○の表示。
チケットに"WL"の訂正シール。ほっと一息。
その間約30分。マネージャー(日本人)は"助け舟"を出せない程忙しかった。
パリのJALオフィスでは、日本人女性職員が大勢いて、予約に来たスイス人観光客との間で、フラン vs スイスフランの交換中立ちを買ってくれる親切ぶり。
お陰でコミッション(手数料)なしで有利な交換ができたのだった。




JALオフィスからさらに東へ一駅。アエロフロート(ソ連国営航空)オフィスがある。
鉄製バリケードに囲まれ、警官が厳重に警戒している。パリでも何故かとたずねたが、同じ答えがかえってきた。右翼グループの襲撃に目を光らせているという。
「東西」の緊張、落差を感じさせるに充分な光景であった。


二、" Off Limit "


オペラ座西隣に、"Burg garten"(王宮庭公園)がある。ゲーテ、モーツァルトの像が置かれ、市民の憩(いこ)いの場所だ。
門を入ると、一面の芝生。まるで緑の絨毯(じゅうたん)のようだ。
子供たちは、久しぶりの開放感に浸ってか、小径(こみち)を走り出した。追っかけっこが高じつい芝生の上に乗ってしまった。と、その途端、今までニコニコ眺めていた老婦人たちが急に冷ややかな厳しい表情に。
門扉横の注意書きに"Off Limit"(芝生内立入り禁止)と小さく書かれてあった。


三、 D & J.


ウィーンは、19世紀末に城壁を壊し"リンク"といわれる環状道路をつくったそうである。その道路に沿って、二両編成のトラム(市電)が走っている。トラム屋根には行先系統を示すアルファベット板を掲げている。
D・J の系統は、ホテルから中心地オペラ座への"常用"した線だ。
"リンク"に沿って多くの歴史的建造物があったのに。
今になって「こんな近いところにあったのか…」なんて残念がることしきりである。


四、 「有料体重計」


街角を歩いていてよく出くわす新聞スタンド。世界中どこでも同じように思える。しかしウィーンでは一風変わった「売り物」がある。コインを入れ体重を計る道具、つまり「有料体重計」(?)
あちこちの売り場に見られ、おもしろかった。女性には気になる。(?) (続く)



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by PochiPochi-2-s | 2016-10-17 18:05 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(2)
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34年前(1982年)のウィーンの街角で
インディオの演奏

* * *

一、El Condor Pasa


「あッ! 『エステバン』の曲!」

オペラ座からステファン寺院までは一本の通りで結ばれている。「ケルントナー通り」といわれ、いわば"歩行者天国"といったところか。広い通りの両側は、"ブランド"ものを陳列したウィンドウ、お菓子を売る店、ハンバーガー=スタンド等が「雑居」した活気に満ちた街路だ。ヨーロッパの街風景でよく紹介されている"カフェ=テラス"も、通り中央まで「出張」している。



"El Condor Pasa"(コンドルは飛んで行く) ー S & G つまりサイモンとガーファンクルがパリでロス・インカスの演奏を聞き、感銘をうけたサイモンが詩をつけたという。(CBSソニー、S&Gシリーズ)
NHKが、「太陽の子エステバン」にテーマ=ソングとして使ったので、子供の耳に馴染(なじ)んでいたのだろう。
通りは、夕方(と言っても9時頃まで明るい)になると、大道芸を披露するグループ、それを観る人々の輪があちらこちらにできる。ソロ演奏、歌劇、カルテット、あらゆるジャンルの音楽を低料金で鑑賞できる庶民の"青空オペラハウス"といったところだ。




インディオのグループが何処からともなく現われ、演奏開始。
ギターとそれに民族楽器の笛と打楽器の奏でる澄んだ音色についついひきこまれ足を止める。
子供たちも、すわりこみ珍しそうに聞き入る。
二人仲よく膝をたてて座る様子が「かわいい」(⁉︎)と旅行者数人が、カメラをパチリ、パチリ。
輪のムードが最高潮に達し、「コンドルは飛んで行く」が始まるや演奏と客席が一体となって合唱。演奏が終わり、インディオの人が帽子をもって回ると、次々に皆がコインを入れる。
ステージは終わり、輪はくずれ散った。


二、ステファン寺院


久しぶりに聞いた「エステバン」に二人は大喜び。コインを何回か帽子に投げ込んだ
。列車の発車時刻にはまだかなり時間がある。ハンバーガーをかじりながら、通りをブラブラ。しばらく行くと石畳の広場に出た。前方に荘厳なゴシック建築の建物、ステファン寺院の尖塔が見える。


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長男の絵




急傾斜の大屋根は、金、白、緑、黒色の「釉瓦(うわぐすりかわら)」の織りなす幾何学模様が人目を惹(ひ)きつけずにはおかない。魚の鱗のように一枚一枚整然と貼り付けられてあることも驚くべきことである。



広場には、ベンチが置かれ旅行者達が、ハンバーガーを食べたり、ジュース・ビールを飲んだりして寺院を鑑賞している。
「どちらから来られたのですか」
年老いた婦人観光客、隣の席に腰掛けるなり話しかけてきた。
アメリカからやってきたという。"Remaus"(急行「リーマス号」)でイタリアに行くことを話すと、「素晴らしい。フィレンチェは特に素晴らしい。ローマ、ベニスは観光客で混んでいますが…」と、親切に情報を提供してくれた。




「あの馬車に乗りたいなあ」
寺院横から二頭立て観光馬車が巡回する。白い馬二頭。"目隠し"をしてあるのがおもしろいらしい。
「馬のウンチ、ボールみたい」
初めて見る馬糞(ばふん)に目を丸くしている。
…………………………………
残念なことに馬車待ちの列は一向に短くならない。
仕方なく、寺院の周辺を歩き回り、ウィーン最後の観光を終えることにした。
三泊限りのウィーンだが語るに多き美しい街であった。(続く)


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シュテファン寺院(大聖堂)
(Wikipediaから借りました)




More 再訪時のウィーン雑感
by PochiPochi-2-s | 2016-10-08 15:21 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(4)
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オペラ座
(1982年当時購入した絵葉書)


* * *


オペラ座ツァー


「一番いい席(シート)の料金(フェア)は、いくらですか」
「あなたは、役得で最高のオペラをただで見れますか」
「あなたは、舞台裏や練習風景(リハーサル)等オペラ公演中も自由に出入りできるのですか」
「今までどんなオペラ歌手の方々と話されました? 印象はどうでした?」
「ところで一番安い立見席なんてありますか。今日にでも切符(チケット)、手に入りますか」
「オペラ公演中は、案内(ガイド)の仕事は休むのですか」




ウィーン「オペラ座」
オペラを志す人なら誰でも一生に一度は公演を夢見ると言われている。
1945年の爆撃で破壊されはしたものの、10年で再建されたとのこと。ここにもオーストリア国民の芸術への情熱をうかがえるのである。
私たちが訪れた時はあいにく外壁の垢(あか)落とし工事の最中で、大理石製の壁を水洗いしていた。石造りの建物の維持管理(メインテナンス)は結構大変らしい。
「朽ち果てる」木の文化、"スクラップ=アンド=ビルド"(壊して再建)をいとも容易(たやす)くやってのける文化とは趣は異なるのである。




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「ツァー」は午後3時に始まった。その日の最後に運よく間に合った。
英語・独語・仏語・伊語の各グループ約30名のガイド・ツァーである。(料金は、大人25シリング、約500円、小人6シリング)
案内係は、青い瞳にブロンド、長身でスリムな美しいお嬢さんだ。
淡いピンクのパンツに白のブラウスをラフに着こなし、愛想よく説明をしてくれる。
赤絨毯(じゅうたん)をしきつめた廊下、天井から吊された豪華なシャンデリア。子供たちは目を見張るばかりだ。
リハーサル=ステージの大きさたるや、本番のステージと客席をも優に吞み込む程の大きさである。舞台の数々の仕掛けなどもここに集中しているのである。




グループは、楽屋を見学し、客席へ。ローマの"コロセウム"を想わせるようなボックス席が5、6階まで重なっている。
一階客席に実際に腰かけて説明を受ける。客席内の装飾は案外シンプルで、壁も深いヴェージュ色で落ち着いた雰囲気を醸(かも)し出している。やはり、オペラに神経が集中するようにとの配慮からだろうか。




約1時間半のツァーは終わりに近づいた。
「何かご質問はございますか」と彼女は水をさし向けた。
堰(せき)を切ったように、次々に手が上がる。
「ええ、私たち役得で公演中は裏から見ることもできます」
「ほらご覧下さい。後ろの方の立見席なら、当日10シリングで見れる場合もあります。ボックスはとても私たちの給料(ペイ)では及びませんが」
一つ一つの質問に丁寧に答える。質問者も実に具体的かつユーモアを交えて、気軽にたずねるので聞いていて楽しい。




大学2回生の初めての「英会話」
米人講師ピアスという先生の演習を受けた時、彼の「質問は……」に誰ももじもじ。口を開かぬ私たちにあきれた表情で溜息。さぞかし日本人の笑みの不気味さと無口には閉口したことだろう。
説明したこと、話したことには、必ず質問をする。どんな簡単なことでも。
しかし、ユーモアを忘れずに。なかなかまねることは難しいが、礼儀として何か質問をせねばならないとなれば、案外意識して見聞きするものである。ユーモラスな質問はツァーを楽しく締めくくってくれた。(続く)





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by PochiPochi-2-s | 2016-09-30 17:37 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(0)
一、 予定外の旅程


8月3日(火)、森と音楽の街ウィーンを立つ日が来た。
ホテル"スタディオン"は、「ウィーン・ロケ」に出かけるタイの映画関係の人でロビーが混雑していた。
タイの俳優さん、子供連れの姿を見るや近づいてきて、親しげに話しかけてきた。
約二週間の予定の「ウィーン・ロケ」。シェーンブルン宮殿へ行くとか。外で待つ女優さんの呼ぶ声に、「よい旅を…」と忙しく出て行った。




「一度日本に行ってみたいです」
親切なフロント係の青年が、別れを惜しみ、玄関まで見送ってくれた。
"Aufwiedersehen!"(さようなら)
ホテルをチェック・アウトし、ひとまず Sud Bh (スード・バンホフ=ウィーン南駅へ直行した。
トランク二つを駅コインロッカーに預け、列車予約に。
さて何処(いずこ)へ………。
「イタリアに行きたい」と、妻が言い出した。
どうして、イタリアかって?
30年間小学校の教員をした義母、「退職」記念にと夫婦で欧州ツアーに。1978年春のことだった。
「イタリアがよかった…」 何度もその話を聞かされた妻としては、心の隅に無意識のうちにイタリアへの憧れが残っていたのだろう。
いや実はもう一つの理由、義母に頼まれたことも心をイタリアへと動かしたにちがいない。
左利きの財布を…と餞別を弾んでもらっている義理もあるのだろう。いやはや打算と現実的な旅程といわざるを得ない。



「"Remus"(リーマス)の予約うまく行きましたよ」と、係りの職員が予約カードを手渡してくれた。21時発の夜行列車で、首尾よく一部屋(コンパートメント)をとることができた。
さて、出発までの10時間、最後のウィーン観光へと。


二、 王宮美術館


「南駅」の通りを一つ隔てて大きな公園がある。旅程(スケジュール)に間をとり、疲れを癒すにはもってこいの場所である。
子供たち、久しぶりの水遊びに大喜び。鳩を追って走り回る二人の表情にはもはや旅の疲れは消え失せていた。



ベルヴェール宮殿は、「南駅」斜め向かい。
広大な敷地にバロック風宮殿を彼方に臨む。
大屋根の緑青(ろくしょう)が大理石壁のヴェージュ色に映える華麗な宮殿である。
真夏だというのに芝生は青々とし、ベゴニアの花が色鮮やかに咲き乱れている。
何とこんな素晴らしい宮殿が今は美術館として一般に公開されている。それもたった10シリング(約二百円弱)で…。


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もっちゃんの絵


中に入ると、溜息の出るほどの名画コレクション。美術史、世界史の教科書に掲載されている画がゆったりと見れることには驚くばかりだ。(子供にとっては、多少迷惑な話であるが。)
キリストをモチーフにした宗教画たるや、その多様さ(ヴァラエティ)に少々うんざりするほどである。それは仏教文化を背景に持たない西欧の人々が、日本の仏像、仏画の多様さに辟易(へきえき)する(であろう)気持ちに似ている。




宮殿内の喫茶室でのウィンナー・コーヒは格別の味。
カップを傾けながら、しばらくの間、「バロック」の気分に浸ったのだった。(続く)




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by PochiPochi-2-s | 2016-09-25 23:18 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(6)
一、ウィーンの森の物語

昨年(1984年)9月16日(日)のことだった。"ウィーンフィルハーモニック・ポップス・オーケストラ"の来日公演が、「フェスティバル・ホール」で行われた。
"昼下がりのウィーン・ポップス"と銘うったこのコンサートのチケット、長時間並んだ甲斐(かい)あって、三枚手に入れることができた。
懐(なつ)かしの「シェーンブルン宮殿」を背景(バック)にあしらったチケット。出して入れ、入れては出し、公演当日が来るのを三人は心待ちにしていた。(妻は不公平だと…)



緞帳(どんちょう)が上り、白銀のライトがステージを照らす。紅潮した楽団メンバーの顔が、タキシード、ドレスの正装にひときは、映える。
金管楽器の奏でる美しい音色に圧倒され一言も言葉を発せられない。
「お父さんッ、"エーデルワイスの歌やッ」
"G線上のアリア""四季" 等レコードで聞き慣れた曲が次々に出てくると、緊張も和らぎステージ・客席が一体となっていく。
"エーデルワイスの歌"(合唱)で第一部は終った。




「ウィーンといえばワルツ。そう、ウィンナー・ワルツですネ。今日は、ウィーンに生まれ、ウィーンに育ち、ウィーンの森に青春を過ごした本場の皆さんにワルツの『
真髄(しんずい)』をご披露願います」
「世界のいたるところで、演奏されているウィンナー・ワルツ。99%までは演奏力で表現できます。が、あとの1%、大切な1%。それは、ウィーンに生まれ育ち、ウィーンの空気を吸い込んだ皆さんにしかできない1%。第二部はウィンナーワルツの特集です」
"ウィーンの森の物語" "美しく青きドナウ" ………
ヨハン・シュトラウスの名曲がホールに流れる。静かに目を閉じると浮かんでくるウィーンの風景 ……… オペラ座通り、シュテファン寺院、シェーン・ブルン宮殿、ヴェルべデール宮殿、プラータ等々。
大観覧車から一望したウィーンの街並み ー レンガ色の屋根にベージュ色の壁。60メートルの最上部から見た光景がニ年を経たのに鮮明に脳裏(のうり)に焼きつき、即座に記憶の糸(ルート)をたどってくるのである。
「ウィーンの空気…」を久しぶりに味わえた一日だった。


二、 "パンがなければ…"


8月2日(月)、"ハプスブルグ家"「夏の離宮」 ー シェーンブルン宮殿を訪れた。
フランス革命で断頭台(ギロチン)の露と消えたマリー・アントアネット。彼女の母君マリア・テレジアの離宮で、「東のヴェルサイユ」と呼ばれているらしい。
モーツァルト6才の時(1762年10月13日)、彼の"御前演奏"が大成功をおさめ、それ以後彼は「神童」の名を欲しいままにしたという。(6才のモーツァルトが群衆に交わった油絵が掲げてあった。)
「宮殿ツアー」は、英、仏、独、伊語の各グループに分かれ、約ニ時間。ガイド嬢の説明で案内される。
"絢爛豪華(けんらんごうか)"の一言につきる。
宮廷内は、黄金色調う、象牙色調。そして豪華なタピストリー。"庶民"にはなんとも落ち着かない寝室。廷内隈無(くまな)く回ること約ニ時間。"わび" "さび"等"幽玄"の文化に親しむ(?)私たちにとっては、少々、色彩と装飾のどぎつさにうんざりさせられるのである。"パンよこせ"の民の声が聞こえぬのも当然であろう。
"パンがなければ。お菓子を食べれば …… 」マリー・アントアネットの言葉がつい口に出てきたのである。
丘の上のあずま家は、どんな歴史を見つめてきたのであろう。(続く)


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もっちゃんの絵





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by PochiPochi-2-s | 2016-09-18 20:57 | 「四人ぽっち」欧羅巴 ズッコケ家族の旅 | Trackback | Comments(2)

生きている喜びを感じられるように生活したい


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