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世界のフルーツ切手

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2、3日前 、主人がついにビデオデッキを壊してしまった。
修理をしようとして分解したのがいけなかった。
どこかの何かが外れたか折れたようなカチャッという音が聞こえた。
ついに修理不可能になってしまったのだった。

この時 側で 一応修理の様子を眺めていたが、
ふと横に目をやると、テレビの隣りにある本棚に立てられていたある雑誌が目に入った。
何気なく取り出して見る。
「暮らしの手帖・別冊・ご馳走の手帖 95年版」だった。
なんと1995年に出版された本である。
22年前というと、まだ大阪市内に住んでいた頃。
何を思って買ったのか、この95年版の他に94年版、96年版があり、全部で3冊もある。
改めてこれら3冊をざっと見てみると、その時は気づかなかったおもしろそうな記事がたくさんあるではないか。これからしばらくこの3冊の雑誌を読んで楽しめると嬉しかった。


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95年版に「世界のフルーツ切手」(新宿高野・天野秀二)という記事があり、
何故フルーツの切手を集めるようになったのか、どのようにして集めたのかという文章と、
集められた切手の写真が掲載されていた。

果物屋さんの天野さんは果物には限りなく興味がある人で 果物の歴史を簡単に書いている。

紀元前、メソポタミア文明が栄えた古代オリエントのあたりでは、
聖書に出てくるりんご、プラム、いちじく、ぶどう、ざくろ、シトロン(オレンジ)など果物の宝庫だった。民族の移動、隊商などの交易によって世界のあちこちに伝わっていく。
中世の大航海時代には、新大陸の果物も発見された。
やがて七つの海を渡り、世界をかけめぐり、今のようなおいしい果物が栽培されるようになる。

彼は初めは旅先で目に付いた切手を少しづつ求めていたのだが、だんだんと面白くなり
世界中の切手を集めてみようと思うようになったという。
集め始めてからかれこれ30年。今までに約155カ国、約5000枚の切手が集まった。
時には人に頼み、時には自分の旅行先で購入した。
「好きでこそできることだなぁ」と。

私も好きでよく記念切手を買うが、日本では果物の切手は殆どと言っていいくらい見かけないように思う。また何人かいる海外の友人からの手紙に貼られた切手も、今までに果物の切手は貼られてなかった。大抵は花好きの私のためにと、花の切手が多い。一度だけ音楽好きの若い人からベートーベンの切手が貼られた手紙をもらったことがあった。ドイツからの手紙だった。
これから記念切手を買うときに、果物の絵柄の切手はないか注意して見てみようと思わせてくれる記事である。

またこれだけの数の、色もデザインもすばらしい美しい果物の切手をながめていると
何故か疲れが吹っ飛び、気力が湧いてくるような気がする。
果物の色は元気の源かもしれないと思った。



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by PochiPochi-2-s | 2017-05-06 23:31 | 読書 | Trackback | Comments(2)
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アマドコロ or ナルコユリ?



吉野 弘の詩に「 I was born 」という詩がある。
中学校で英語を習い始めしばらく経った時、
"生まれた"が " I was born"というのだと教えられた。
「be 動詞 + 過去分詞 」の受動態である。
何故受動態で言われるのか理由はわからないまま、
「私は生まれた」は「 I was born.」なんやと覚えたのだった。
でも、その後もずーっと疑問に思っていた。
「何故受動態なのだ?」と。
そんな時、吉野弘の詩「I was born 」に出会ったのだった。
この詩人の書く詩に魅了され、夢中になるのに時間はかからなかった。
一昨日も書いたようにエイちゃんが無事退院できこの上ない幸せを感じたのだが、
やはり思った。何故 I was born なのかと。

ここに彼の詩を転記しておきたいと思う。

I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 宵
い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ
てくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女
の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟
なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世
に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれ
る〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと
諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
ー やっぱり I was born なんだね ー
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返し
た。
ー I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね ー
その時どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。そ
れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとっ
てこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
ー 蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん
だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる
のかと そんな事がひどく気になった頃があってね ー
僕は父を見た。父は続けた。
ー 友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だだと
いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く
退化し食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入
っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と
ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ
そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目ま
ぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが咽喉もとま
でこみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの
粒々だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉という
と 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことが
あってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお
前を生み落としてすぐに死なれたのは ー。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ
とつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたもの
があった。
ー ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで
いた白い僕の肉体 ー。








by PochiPochi-2-s | 2017-05-04 23:48 | 読書 | Trackback | Comments(2)

『絵具』

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所用があり、午後から大阪市内に車で出かけた。
新御堂筋を降り、阪急ホテル・インターナショナル、JR福島駅を通り過ぎ、なにわ筋を走っていた時だった。薄い芽吹きの色の若葉をたくさんまとった銀杏並木が目に飛び込んできた。「わあ、この淡い、薄い黄緑色。安野光雅の絵の世界みたい!」そう思いながら次から次へと流れていくイチョウの若葉の列を車窓から眺めていた。

安野光雅の絵を好きになったのは、いったい いつの頃からだったのだろうか?
子供たちが小さかった頃、
特に次男が幼稚園に入園した頃から時間があればよく美術展に出かけていた。
天王寺にある大阪市立美術館、難波や梅田にあるデパートでの美術展、時には京都岡崎にある市立美術館や国立美術館に。
長男と長女が小学校に行った後 8時前には次男を幼稚園に預け、お迎えの2時までに戻って来るという冒険(私にとっては)をよくした。京都では2時間はたっぷり美術展を楽しみ、1時間は岡崎から八坂神社まで、或いは京阪3条の駅までのぶらぶら一人歩きを楽しむことができた。往復の電車の中も気晴らしになり車窓の景色に心が和んだのだった。「主婦にだって休息が必要。リフレッシュが必要」などと屁理屈をこね、子供達がそれぞれ小学校・幼稚園に行っている間によく飛び歩いていた。いろんなことからいっとき解放され、自分のためだけに自由に使えるひとり時間。楽しくないはずはなかった。お迎え時間の頃には心は充分に満たされ、気持ちは溌剌としていた。

ある時、大阪のデパートで安野光雅の原画展が開かれ、彼の絵に一目惚れしてしまった。この時が彼の絵との初めての出会いであったように思う。以来、何度も繰り返し安野光雅絵画展に足を運ぶようになった。私にとっては初めての画文集を一冊手に入れたのもこの頃だったと思う。
画文集は絵を見ながらその絵に関連した文章を読むことの楽しさを私に与えてくれた。「絵を見て想像する → 文章を読んで推測する → もう一度絵を見、文章を思い出し、あらためて描かれている風景を想像する」こんな楽しいことはなかった。特に、イギリスや、フランス、スペインなどヨーロッパの国々を訪れ、様々な場所を描き、文に書いたシリーズの画文集は、その書かれた内容が私の心を捉え、いつも興味津々で読んだものだった。知りたがり屋の私は彼の書くエッセイに夢中になった。何冊か随筆集を購入し、子供たちが学校や幼稚園に行っている間に読み耽ったものだった。

この「空想画房」はこの中の一冊である。
1984年に出版され、すぐに買った。本のカバーはボロボロになり破れて所々セロテープで貼ってある。毎朝本棚の前で腹筋運動をする時いやでも目に入るので、つい2、3日前に手にとって読んで見た。ずいぶん久しぶりであったが、その中に『絵具』という題のエッセイがあったので思わず読んでしまった。

「今思えばあの頃(昭和初期)はなんとも不景気だった。商店が倒産して、家具、雑貨がセリにかけられるというできごとが、小さな町のあちこちであった。そんなセリで私の父が、子どもの玩具にでもなると思ったのか、一かかえもの絵の具を買ってきた」

エッセイはこのような文章で始まっている。
続いて書かれた次の文章には思わず吹きだしてしまった。

「ホーローびきのパレットを開けると、乾燥した絵の具の固まりがはりついているもので、絵具というよりお菓子と見えた。私たちは口のまわりを、赤くしたり紫に染めたりして絵具を食った。化粧品のクリームに似た甘みがあり、それは色によってちがうように思われた。
近所の子が、黄色は毒で食べられぬ、と聞いてきたので食べるのは止めたが、毒性は黄に限らぬことが後になってわかった。あのまま食べつくしていたらカドミウム中毒になっていたかも知れぬとゾッとするが、絵具はある意味での中毒症を呈し、私は絵描きになってしまった」

思わず自分の持っているホーローびきのパレットを思い出した。
Winsor & Newtonの24色 + ヴァン・ゴッホ で計39色ほど入っている。
"初めて固形の絵の具を見た小さな子供がこれらの絵具をお菓子と思って、食べた""化粧品のクリームに似た甘みがあった"というくだりには、「なるほどなぁ」,「小さい子どもなら食べるかも知れない知れない」,「でも甘みがある?」「化粧品のクリームに似た甘みって、食べたことあるの?」などと思ったが、ふと小学校高学年の頃の出来事を思い出した。
今でこそチーズは食卓に上るようになったが、この頃は、特に私の育った田舎では非常に珍しいもので、ほとんどの子供は見たこともなかったし、実際どのようなものかも知らなかった。
ある日、村の中では裕福だと言われていた家の同級生の男の子がチーズを学校に持ってきてみんなに見せびらかした。「これ、チーズっていうもんやで。おいしいで。食べて見たいやろう」と。次の日もう一人の男の子が言っていた。家に帰って同じようなものがあるか探して見たら、色のよく似た、同じように硬いものがあったのでかじってみたら、まずくて食べられたものではなかった。僕のかじったのは石鹸やった。チーズって石鹸みたいなもんやと思ったんやけど。ちがうのかなぁ」と。その話を聞いてみんな吹き出した。「アホやなぁ、チーズと石鹸を間違えてかじるやなんて」
今でこそアホな笑い話だけれど、その頃の子供にとっては真剣な話でチーズってどのようなものだろうかという興味からなされた行為だった。
固形絵具というものを知らずにお菓子と間違えて食べたという話によく似ているなぁ、子どもってこういうものなんだと思ったのだった。

エッセイはその後小学生時代の絵具の思い出、チューブ入りの絵具について、戦争中の絵具のこと、戦後すぐの頃の絵具の値段などが書かれている。
最後に森鴎外が訳した『洋画手引き草』の中にWinsor & Newtonのものが最良とされており、安野光雅氏もこの絵具を愛用していると書かれている。

絵具は人それぞれ好みがあると思うが、私もWinsor & Newtonの色が好きであり、おもに花や葉、木の枝などを描くので、他のメーカー、Van Gogh,やホルベインの色も混ぜて使っている。製造された国によって同じ色でも微妙に違うところがまたおもしろいと思う。太陽光線の強さ(緯度?)によって異なってくるのではないだろうかと思っているのだが確信はない。

この本を買った当時は 後に絵を習うようになるとは夢にも思っていなかったが、今 野の花を描いている私には久しぶりにおもしろいエッセイであった。


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Winsor & Newtonののホーローびきパレット
固形絵具



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固形絵具とチューブ入り絵具
Van Gogh(オランダ), Winsor & Newton(イギリス),
ホルベイン(チューブ入り・日本)


More 最近のエイちゃん
by PochiPochi-2-s | 2017-04-25 23:24 | 読書 | Trackback | Comments(4)

ワスレナグサの花芽が!

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去年のこぼれ種から育ったワスレナグサ
ここしばらく寒いので、咲き始めるまでもう少し時間がかかるかな?


ワスレナグサ。
花ひとつひとつが小さくて可愛らしい。
山野草のヤマルリソウにも似ている花。
大好きな花である。
春に植えると夏までよく花を咲かし、
秋の終わり頃気がつくと、こぼれ種から発芽した新しい芽をたくさん見つける。
その芽をもう一度植え替えて、大きく育て、冬越しをさせる。
この一連の作業が楽しくて、また次の年も同じようなことを繰り返す。
今年の寒かった冬も、多少冬枯れ状態の葉や寒さで赤く色が変わった葉もあったが、
無事に何事もなく育ち、もうすぐ花を咲かせようとしている。
うれしくて心が弾む。

この花はまた英語で"フォーゲット ミー ノット"( forget- me-not )と呼ばれる。
和名のワスレナグサはこの英語名を訳したものである。
花の名前は、
ドナウ川の岸に咲くこの花を恋人ベルタに贈ろうとして、騎士ルドルフは誤って川に落ちて死んでしまう。その後ベルタは彼の言葉、" forget me not" を忘れず、この花を一生髪に飾り続けたとういうドイツの騎士ルドルフの物語に由来している。


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ワスレナグサ
《星野道夫『アラスカ Alaska 永遠なる生命(いのち)』p193 より》


星野道夫「旅をする木」の中に 『ワスレナグサ』というエッセイがある。
この本の中で最も好きなエッセイである。
その中から好きな箇所をここに抜き書きして見たいと思う。

・私たちは、アリューシャン列島で咲くワスレナグサが、アラスカ本土のものとどこが違うのか、ずっとその花を探していた。アリュート族の島に人に聞いて、山のガレ場を登ったが、どうしても見つからない。そしてふと腰をかがめた時、ワスレナグサはすぐ足元に咲いていたのである。見つからないはずだった。それは私たちの知っている風に揺れるワスレナグサではなく、岩陰にはいつくばるように咲く、見過ごしてしまいそうな小さな花だった。
ワスレナグサは、英語で、foget-me-not、このいじらしいほど可憐な花が、荒々しい自然を内包するアラスカの州花であることが嬉しかった。
「アラスカ州の花って知っている?」
と幾分自慢げに、これまで何人の人に話してきただろう。一瞬の夏 、その限られた持ち時間の中で一生懸命開花する極限の花は、ワスレナグサに限らずどれだって美しいのだが………。

・結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頰を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい……ふとたちどまり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れて行く時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じてていたい。

"アラスカの岩陰にはいつくばるようにさく、見過ごしてしまいそうなワスレナグサ"
どのような風情で咲くのだろうか?
想像の域を出ないが、かつてスイスの山を歩きながら見た高山植物のように、
アラスカではこのワスレナグサは地面にしっかりと根を張った強い花なのだろう。

最近あわただしくしく時間が過ぎてゆく中で、
"心のゆとり"を忘れてしまっている自分に気がついた。


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ウチョウランの新芽が出てきた!

ブログ友Dさんに貰ったウチョウラン。
この冬の寒さで枯れてしまったのではないかと、
ずいぶん心配をした。
しかし、今日この新芽を見つけた。
どれほど嬉しかったことか!

また楽しみが一つ増えた日だった。





by PochiPochi-2-s | 2017-04-02 23:35 | 読書 | Trackback | Comments(7)

吉野 弘 「祝婚歌」

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ヒメオドリコソウ

今朝、偶然 ウッドデッキ横の雑草の中に見つけた♪
昨年絵の先生に貰って、この辺りに植えたのかもしれない。




「お母さん、今日の朝からエイちゃんがNICU(新生児集中治療室)の保育器から普通の赤ちゃんベッドに移れたんやわ。これからは窓越しでやったらエイちゃんを見れるから、明日お父さんが病院に迎えにきてくれる時に一緒に来てエイちゃんを見てくれる?窓越しやけど」

昨日娘から嬉しいメールをもらっていた。

「まあ、かわいらしい!
初めまして。よろしくね。
ほら、こっち向いて。 お目目をあけて」

窓越しでの対面であったが、こんな幸せな時間はなかった。
主人も私もそれぞれ自分のデジカメでエイちゃんを窓越しに夢中になって写した。

生まれてからやっと1ヶ月と半分が過ぎた。
運よく丈夫に生まれついたのか、今までのこの1ヶ月半、成長段階ごとの心配事をひとつひとつ難なくクリアし、ほっと胸をなでおろしてきた。全ての機能が順調に発達、成長しているとのこと。幸運な赤ちゃんだと思う。窓越しにエイちゃんと対面できる日を楽しみにして、主人も私も精一杯娘をサポートしてきたのだった。
体重も今日2000gを超えたという。
こんな嬉しいことはない。

家に帰り、エイちゃんのことを主人と二人で話していたときに、
長男夫婦も娘夫婦も春の初め、3月に結婚式を挙げたことを思い出した。
彼らにとって3月は"新しい人生へのスタートの月"だった。

ふっと吉野弘の「祝婚歌」という詩を思い出した。

祝婚歌

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
悲しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい



今日も庭で新芽を見つけた。
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イカリソウ


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黄花イカリソウ
友人に貰い、この春初めて咲く。


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タツナミソウ


More 1) 娘に 2) 今日の朝食
by PochiPochi-2-s | 2017-03-30 23:24 | 読書 | Trackback | Comments(10)
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花芽?
挿し芽で育ったラショウモンカズラ


最近、月曜日の午後はかなり疲れる。
午前の水泳教室で、今年度のこの3期(1月スタート)からクラスが1段階上がった。
ずいぶん長い間このクラスで泳いでる人たちに追いつきたいと、
自分の力量も考えずに、必死になって泳いでいるからなのだろう。
平泳ぎもおぼつかないのにバタフライの導入までするのだから大変だ。
しかも、前のクラスとは泳ぐ距離が格段に違う。
25mのプールだが往復する回数が違い、泳ぐ密度が違う。
一番最後尾で泳ぐ私が泳ぎ始める時には、もうすでに 一番最初に泳いだ人が戻ってきている。何度泳いでも同じだ。私は休む間もなく次の課題で泳がなければならない。
その上、いつも使っている自動車が当分の間使えないので、電車で通わなくてはならないことも、その疲れを倍増させている。行きはよいのだが、帰りはかなりきつい。
水泳で疲れているうえに、プールから駅まで足取りも重く歩き、電車を途中で一度乗り換え、最寄りの駅からもう一度坂を登って歩いて帰る。
「ああ年をとったなあ」と感じる瞬間(とき)である。


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夜になってもまだ疲れは取れず、何もする気が起こらなかったので、
たまたまテレビをかけた。
BS4で「大人のヨーロッパ街歩き」が放送されていた。
今回はブルガリアのヴァルナが舞台だった。
その街を旅人が訪れ、その街に住む日本人女性がガイドをしていた。

ヴァルナは黒海に面した街。
黒海からの心地よい風にあたりながら、海岸を散策する旅人と日本人女性ガイドの姿が画面に映し出された時、何故か宮本輝『ドナウの旅人』を思い出していた。
『ドナウの旅人』の最後の場面の街が、同じ黒海に臨むルーマニアの小さな漁村スリナだったからかもしれない。

この小説には、以前にもこのブログで書いたが、
ドナウ川に沿って西ドイツ(当時)のドナウエッシンゲン(ドナウの源流のある街・ここからドナウ河が始まる)からルーマニアの黒海沿岸の小さな漁村までの3,000kmを旅する主人公の母親と彼女の年下の愛人、その母親の娘とドイツ人の恋人の2組の男女の心境の変化と成長を、旅の途中で出会う異国の人々、風景とともに描かれている。
当時、宮本輝は新聞小説に応募。当選し、昭和60年(1985年)6月から朝日新聞朝刊に連載され始めた。私は、偶然、この小説を新聞紙上に見つけ、長男と長女が小学校へ行き、1歳半の次男が一人遊びをしている朝のいっとき、この新聞小説を夢中になって読んだ。内容もさることながら、『ドナウの旅人』という題名が私の心を掴んだのだった。


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ドイツ南部に位置するドナウエッシンゲンに源を発し、そこから延々と6カ国を流れ、最後に黒海に注ぐドナウ河。その河に沿っていつか旅をしてみたいという途方もない夢を私に抱かせた小説だった。
小説の中で不倫の末、黒海を臨む、ルーマニアの小さな漁村スリナで、娘の母・絹子は息をひきとる。ただただ黒海から登る朝日を拝みたいという思いだけで、地の果てとも思われるこのスリナまで旅してきた絹子の思いを考えた時、私もいつか黒海から昇る朝日を眺めたいと思ったのだった。
強烈な印象を受けた。
いつか、この小説に出てくる場所を訪ねながらドナウ河に沿って旅をしたいという願いを持ちながら時間を過ごした。

結局行くことができたのは、ドイツ、オーストリア、ハンガリーまでだった。
いつかまだ見ぬ国、ブルガリアやルーマニアにも行ってみたい。
黒海から昇る朝日を眺めてみたいと思っている。
その時いったいどういう気持ちになるのだろうか?
想像はできないが、楽しみでもある。

また、20年ほど前、いま住む町に大阪市内から引越してきた時、大阪外国語大学でブルガリアからの女子留学生に出会ったことを思い出した。
「この"明治ブルガリアヨーグルト"はとってもおいしいです。特にフルーツ味が。
ブルガリアはヨーグルトで有名だけれど、ブルガリアにはこんなおいしいヨーグルト
はないわ。毎日一つ食べているのよ」
彼女はウインクしながらそう言った。
可愛い女学生だった。

この小説をはじめて読んでから、35年の時が経った。
しかし、いまだにまだまだ私に大きな影響を与え続けている。
この本は、そのような本である。

なお、この小説を書くにあたり宮本輝が取材旅行した時の紀行文集異国の窓から』も同時に読むと、さらにこの小説家の思いがよくわかるのではないかと思う。
小説『ドナウの旅人』の原風景、ソ連崩壊以前の東ヨーロッパの人々の暮らし等が、この紀行文の中に書かれている。


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More 1ヶ月
by PochiPochi-2-s | 2017-03-14 21:30 | 読書 | Trackback | Comments(2)

『故郷を離るる歌』

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安野光雅「歌の風景」より『故郷を離るる歌』
ヘルマン・ヘッセの故郷カルブの風景



「あと9日でハルちゃんの卒業式だなぁ」

お父さんの仕事の関係で東京から大阪に戻ってきたのが、3歳の時だった。
東京の言葉が1ヶ月もしないうちに大阪弁になってしまった。
その彼が17日に小学校を卒業する。
4月からは中学生。
ずいぶん大きくなったものだ。
「最近は何をするにもお父さん(長男)そっくりになってきた。
父と息子、二人の持つ雰囲気が全くそっくりなのは見ていておもしろいなぁ」と、
朝、絵の教室に行く準備をしながら何気なく思っていた。

そして、ふと何の脈絡もなくこの安野光雅の画文集「歌の風景」を手に取った。
その中に『故郷を離るる歌』という題のエッセイがある。
安野光雅氏が、ヘッセが書いた彼の故郷カルブについての文章を読むうちに、自分の故郷の津和野にそっくりだと思いはじめ、ドイツへ行った折、ついにその町まで行って見たという。ヘッセは13歳の時に神学校に行くことになったが、傷つきやすい年ごろのへッセにとって神学校のある町にいるのは辛く、一年で学校をやめ別の高校へ行くことになるのだが、その学校も彼には合わず、退学してしまう。

安野光雅氏が描いたこの絵は、丘にのぼってカルブの町を見下ろしたところである。
「ヘッセがカルブの町を発つ時は悲しかっただろう」
と安野光雅氏はヘッセの気持ちに思いを馳せ、この絵を描いたようだ。

彼はエッセイの中で書いている。
《丘からこの町を眺めると、堰の水車小屋、いつも泳ぎにきた川、曲がった柳、そのほかたくさんのものが見えるが、それらはみんな「思い出」というものに結晶している。
「つくし摘みし岡辺よ 社の森よ 小鮒釣りし小川よ 柳の土手よ」
と、数え上げるそれらの風物は、すべて子どもの時代に結びついている。ほかの人にとってはなんでもない垣根の花も、小学校の傷んだ黒板も、いまは無残にかづけてしまわれたが、あのカラタチやポプラでも、よその土地のポプラとはまったく違うのだ。それらは故郷を離れるとき、心に刻むようにして別れてきた、思い出の手がかりなのだ。
故郷とは子ども時代のことなのである。》

今改めて自分を振り返ると、大学入学とともに故郷を離れ、そこで過ごした年月の2倍以上の年月を故郷以外の土地で過ごしてきた私には、「故郷を離れる」とは「子ども時代への決別」だったのかもかもしれないと、彼のエッセイを読んで思ったのだった。

9日後に小学校の卒業式を迎える、私にとって最初の孫のハルちゃんにも、
いつか生まれ育った故郷を離れるときがやってくるだろう。
そのとき彼は故郷のことをどのように思うだろうか?
いつか聞いてみたいものだ。


「故郷を離るる歌」

園小百合 撫子 垣根の千草
今日は汝をながむる 最終の日なり
おもえば涙 膝をひたす
さらば故郷
※ さらば故郷 さらば故郷
故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷
故郷さらば

つくし摘みし岡辺よ 社の森よ
小鮒釣り小川よ 柳の土手よ
別るる我を 憐れと見よ
さらば故郷
※ くりかえし

此処に立ちて さらばと 別れを告げん
山の蔭の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて たそがれたり
さらば故郷
※ くりかえし



* * *


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ヘルマン・ヘッセといえば、若かかった頃、「車輪の下」や「デミアン」「シダールタ」「青春は美わし」などを読み、彼の小説に一時夢中になったことがあったが、ここ何年かはこの「庭仕事の愉しみ」「我が心の故郷 アルプス南麓の村」の2冊を楽しんでいる。

特にこの「庭仕事の愉しみ」には、エッセイ12編、詩27編、叙事詩『庭でのひととき』、未完の小説『夢の家』、童話、手紙などが収録されており、訳者のあとがきには次のような文章が記されている。

《心から自然を愛するヘッセが、花づくり、野菜づくり、草むしり、焚き火などの庭仕事を通して、樹木や草花への愛、「一区画の土地に責任をもつ」ことの歓びと愉しみをしみじみとと語っている。庭仕事は、それによって文筆の仕事や日常生活の雑事からの開放感を味わうとともに、ヘッセにとって、思索と創造を生む素晴らしい瞑想のひとときであった。》

好きな音楽を聴きながら、この本を読んで過ごす時間も『至福の時』である。




by PochiPochi-2-s | 2017-03-08 23:22 | 読書 | Trackback | Comments(6)
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《開花しはじめたセリバオウレン》


今日で2月も終わり。
あっという間に過ぎ去ってしまったが、今日は朝からとても暖かい。
先日まだ頭が持ち上がったばかりだったセリバオウレンが開花しはじめている。

今日は 詩人 まど・みちおさんが104歳で亡くなられた命日の日。
明治42年に生まれ、平成26年2月28日に亡くなられた。
明治、大正、昭和、平成と、実に4つの時代を生きられた。
この4つの時代をどのように考え、どのように感じて生きてこられたのだろうか。
戦後生まれの私には到底知りようもない深い思いで、真摯に、純粋な気持ちで
生きてこられたのだろうと思う。
この詩人に関しては、人それぞれ思うところがあるだろうが、
私にとってはやはりいろんな詩(歌)が印象に残っている。
3人の子育てをしている最中に出会ったさまざまな歌が、いま頭に浮かんでくる。
「ぞうさん」、「やぎさんゆうびん」、「おにぎりころりん」、「一ねんせいになったら」、「ふしぎなポケット」など。
幼稚園や家で、大きな口を開けて、大きな声でリズムをとって歌っていた子供たち
の様子が今でも目に浮かぶ。
今更ながらにその詩人の純粋な心、自由な感性に深く心を揺さぶられる。
所有している彼の本から好きな詩や文章を2、3選び、ここ載せておきたい。
そして、静かに冥福を祈りたいと思った。

* * *

「ぼくがここに」

ぼくがここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることはできない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも

その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として

(「言わずにおれない」)

* * *

「虹」

色というものは、大きな自然の光の中に置いておくと、ピカッとひとつの色で終わるということはありえません。忘れていたことをふっと思い出すそのときも、お恥ずかしいこと、素晴らしいこと、大失敗したこと、楽しかったことなど、本当に虹のように、いろいろな色に思い出されます。そのおかげでこの世の中は楽しくなるんです。
虹は、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍(あい)、菫(すみれ)の七色でできています。虹を描くときは、この順に半円で描くのが普通ですし、そうだということに慣らされております。でも私は、ふざけて順番を変えたり、まっすぐに描いたりして面白がっておるのです。
私は虹の色彩が大好きです。色彩がなかったら私は耐えられないかもしれません。この部屋におりますと、大きな虹は見えませんからむなしくなりますが、ランなどの花は虹の香りがするものがあって、そういうものがあると、「こういう虹の香りのする絵が描きたいなあ」と思ったりします。
大きな虹は見えませんが、小さな虹はいつも身近にあります。自分自身がさまざまな色を持っておるのです。自分のまつげのところにはいつも虹がある。涙が出さえすれば、まつげのところに小さな虹が出るのです。私は見えませんけれども、自分のまつげのところに、今虹が出ておるなと思うと、本当にできているようです。涙というのは涙を出した本人にはとっても身近なもので、本人が頼りにしているもので、最後の一滴のようなものです。ああ、涙が持っている虹っていうのは素晴らしいですよ。
体からは、汗が出たり、おしっこが出たり、大便が出たり、あくびが出たり、しゃっくりが出たり、いろんなものが出てきますけど、そういうもののひとつとして、いちばんひんぱんに出るのが涙じゃないですかね。年寄りになってくると、本当にうれしいときにもいい顔をせずに涙を出すようになります。私もそうです。かなしいときも、うれしいときも、まず涙が飛び出します。おそらく、どんな人でもそうだと思います。どうしてだかその理由はわかりませんが、体ってそういうものがそういうふうにつくられているにかもしれません。
涙でなくても、松の葉っぱからしずくが落ちようとしているときにも、朝露なんかにも、虹が見えます。ふつうの光と思っておっても、角度を変えたらみんな虹に見えるんですよ。朝焼けも夕焼けも、あれは虹の色です。虹はいつも目の前にあるのだけれど、そのことに関心をもたないで何かをしているときには見えません。ふっとものを考えたり、寂しいな、どうしようかなと思ったりしているときには虹が見えるわけです。それは、虹を見たいという気持ちがあるからですね。ちょうど、誰かに会いたいなと思ったら、その人の顔が見えてくるようなものです。
虹は本当に素晴らしい。その真下に赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいるとなお素晴らしいなと私は思います。そういう、お母さんが子どもにおっぱいをあげているようなやさしさというのは、人間だれしもが持っているはずです。世の中はいろいろ大変ですが、人間だけが生きているんじゃないんですからね。全ての生き物が生きているんですから、いのちの全部に感謝しながら暮らしていくことで、自分もほかの人も幸せになるんじゃないかと思います。(「百歳日記」)

* * *

「絵は本職ではありませんが」

私は詩人と呼ばれておりますが、ほんとは絵のほうが好きなんです。絵はぱっと見たらわかりますね。ぱあっと目に入って、あとからじっくり考えることはあるでしょうけれど、誰にでもわかります。詩はじっくり読まなきゃならないから時間もかかります。読む人が努力をしなくちゃならんのです。
絵はいつも描きたいと思っておりますし、描くのを楽しんでおります。一日に何枚も描くこともあります。とにかく、何か描いたものが自分なりにでも、あるひとつの世界になっているというものがいちばん素晴らしいですね。絵を描き終わったときに「ああ描いたな」と思えるときにはいい気分です。だけれども、「大したもんじゃないな」と思うときは寂しいもんです。
最近はハートを使うことが多いですが、ハートの形は心臓の形ということなんでしょうね。あらゆるところにみなさんがハートを使っているのに、それを利用しない手はないと思ってね。でも、使うにしても、ふつうとは違うような使い方をしてやりたいと思っているんです。自分だけの使い方ができたらなあということです。
マルもたくさん使います。マルは贅沢ですよね。無駄がない。マルは全部マルの中に入ってしまいます。マルに生まれてマルに終わるのであります。マルを使っていちばん描きたい絵はもう頭の中にあるんです。見えないくらいに小さい極小のマルを描いて、スケッチブックよりも、もっと大きい極大のマルを描きたいんです。けれどとってもできないですね。
色もつけておりますが、何色が好きかとは言えません。好きな色は日によっても、体調によっても変わります。例えば白のそばに赤があったらそれはそれでいいし、同じ赤でもその周りに別な色があると、その色との関係である感じが生まれます。その色だけでどうこうはいえんのです。もちろん白いところも利用します。もとの紙の白、修正液の白。白は白でいろんな感じるものがありますから。白という色の単調さをあえて生かしたものを描きたいと思うのです。
私も忙しいもので、絵を描こうとしているときに、ちょうど「石田さん注射ですよ」とくるから困ります。体温を計ったり、脈拍を計ったり、本職の病気が忙しくてそれに支配されております。絵を描くのは本職ではありませんからね。(「百歳日記」)




by PochiPochi-2-s | 2017-02-28 15:36 | 読書 | Trackback | Comments(8)

白籏史朗『山の花抒情』

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2、3日前、お正月まではまだ時間があるからと、2階の大きな本棚の整理をした。
いつもはハタキをかけるだけだが、その日はなんとなく本を並び替えてみようと
何冊かの本を入れ替えた。

「あらっ、この本、懐かしいわ…」
白籏史朗写真集『山の花抒情』だった。
いつ買ったのだろうか。
ずいぶん昔のことで忘れてしまっている。
初版発行が昭和61年だから、そのころ買ったにしてもずいぶん昔のことになる。
長男が11才の頃、
夏休みはキャンプ春休みはスキーと、毎年 1年に2回信州へ足繁く通っていた頃だ。
たぶん買ったのはこの頃だろう。

学生時代の登山は、ただただ黙々と山に登り 山頂に立つのが面白く、
景色は楽しむが 足元に生える高山植物の花には何の興味もなかった。
チングルマとハクサンフウロだけしか知らなかったように思う。
しかし、いつの頃からか山の花にも興味を持つようになり、
高山植物の本や持ち歩きできるカード状になったものを持つようになった。
この白籏史朗の本もまたそのうちの一冊であった。

この写真集の最後に、
「山の花 愛する小さな友人たち」とういう題で 彼は文章を書いている。

その中に次のような文章がある。

「春にさそわれて山に行く。
森閑とした山道を歩いて行くと思いがけない出会いがしばしば私をおそう。
それは人であったり、小鳥であったり、地中からやっと這い出たむしであったり、時には臆病な野ウサギや小リスの場合もある。歩きつかれ、乾いた落ち葉のしとねに寝ころんでいると、動かないのに安心してか、ヤマドリやキジがすぐそばを気付かずに通り過ぎたりもする。
それらのできごとは、私に驚きとともに大きな歓びをあたえてくれ、生きることのすばらしさを再確認させてくれる。
しかし、それらのいかなる出会いにもまして、すばらしい出会いというか、発見というか、私にはそれがある。
何だろう……? それが花との出会いなのである。」

この文章を読んだ時、ある場面がふっと心に浮かんだ。
大学3回生の夏の終わり、女3人で南アルプス縦走を企て、実行した。
二軒小屋から入り、荒川3山、赤石、兎、聖、茶臼、光岳を縦走し、
寸又峡温泉まで下る。
今とは違い当時の山小屋は避難小屋と言ってもいいくらいのもので、
小屋があるのみで、そこには誰もいなかった。自炊のため食糧は全部自分たちで運ばなければならず、ザックはとてつもない重さだった。当時の私達には大冒険だった。
それでも景色を楽しみ、たまに話しながら歩く山行は楽しいものだった。
当時南アルプスはまだまだ不便で山小屋の設備もなかったからか、
登る人は少なかったように思う。途中の山道では人に出会うことも殆どなかった。

聖岳への登りを黙々と登っていた時だった。
「こんにちは」
突然声が聞こえた。
誰だろう? 振り返ると男の人が一人大きなザックを背負って歩いてきていた。
たった一人で。
大きな重い荷物を背負って。
おまけにカメラ一式を持って。
黙々と歩いて行き、時々立ち止まっては、景色を眺めシャッターを切っていた。
その人の寡黙な姿、雰囲気に圧倒されたのをいま再び思い出した。
何故だかわかないのだが、この白籏史朗さんの本を久しぶりに見て、
白籏史朗さんととその人がダブって見えるように思った。
何だか不思議な感覚である。

山を愛する人の写真は美しい。
まして山の花や野の花に魅了された人の撮る花の写真は見る人の心を虜にする。
いまならピークハンターにならずに、
ゆっくりと花や景色を楽しみながら登れるだろう。

久しぶりに美しい写真集を見、もう一度山に登りたい気持ちが強くなった日だった。


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by PochiPochi-2-s | 2016-12-30 23:20 | 読書 | Trackback | Comments(6)
ここ一週間ほど忙しい毎日であった。
昨日の夜、「明日の夜は今年最大の満月が見える」とのニュースであったが、
残念なことに朝から小雨。
夕方からは本格的に雨が降り出し、残念ながら観月は諦めざるをえなかった。
しかし、午前中の水泳のあと、
午後から久しぶりに落ち着いて絵を描けたのは嬉しかった。
紅葉した木の葉を描くのは時間がかかるのだが、
一歩一歩丁寧に進めるしかないのだろう。
楽しみで描くことにしようと思うと、なんだかこころ楽しくなったのだった。



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晩秋の風知草




疲れてふっと外を見ると、風知草の黄色くなった葉が目に飛び込んできた。

「春先の新緑の芽がで始めるころ、初夏の葉の色が濃い緑色になる頃も大好きだが、
晩秋のこの時期の風知草もまたいいものだなぁ」
そう思った時、以前読んだ素敵な短い文章を思い出した。
本当に短いのでここに載せておこうと思う。
(「すてきなあなたに」- よりぬき集 - 暮しの手帖社より)


『秋のプレゼント』

今朝、郵便受けをのぞいたところ、カナダの友だちからのたよりが入っていました。
「あらっ」と思わず入ってしまったのには、わけがあります。
それというのも、この友だちは、いつもEメールで便りをくださる人だからです。
もらうばかりで なかなか返事を書かない私に「どうしてなの」とEメールでお叱り。
「だってEメールって、お手紙もらった感じがしないんですもの」
という返事を出したのが10日ほど前のこと。それも、へそ曲がりにも郵便で出したのでした。そんなわけで、彼女も航空便でくれたようです。
机のまえにすわり、ゆっくり封を切りました。
すると、たたんだ便箋に、カエデの葉が一枚、入っていました。きれいな赤い葉っぱです。「………あなたは、メイプルシロップが好きでしたね。この葉は、メイプルシロップを採るカエデの葉です。そちらに着くまでに、この赤い色があせてしまわないようにと願っています。郵便だと、こういうのが送れるんですからやっぱりいいわね。
カナダはすっかり秋。こちらは冬が長いので、今のうちにと、毎日お散歩を楽しんでいます………」
やっぱり赤い郵便車、赤いバイクに乗った郵便屋さんがとどけてくれる手紙には、夢があるような気がするのです。
これから冬にかけて、夜の時間がどんどん長くなります。ご無沙汰しているあの人、この人に、ひさびさに便りを出してみよう………、そんなことを思いながら、これを書いています。



つい先日、手紙を書きたくなり書いて出したばかりだが、
この文章を読むと、また手紙を出したくなってしまった。
真っ赤に紅葉したカエデが同封された手紙。
「こんな手紙もありなんだ」
真似をしたくなってしまったのは、きっと私だけではないだろう。



by PochiPochi-2-s | 2016-11-14 22:56 | 読書 | Trackback | Comments(6)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s