カテゴリ:読書( 64 )

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「あらッ、いいなぁ〜。
昔よく買っていた山渓のフラワーカレンダーやアルパインカレンダーみたい。
どのページを開いても山の写真を見ることができるし、
その写真を見ながらいろんなことに想いを馳せることができる。
きっと秘密のひとり時間を楽しめる!」

昨日のNickさんのブログでこの本が紹介されていた。
アップされていた写真を見、説明されている文章を読んでいるうちに、
どうしてもこの本を手元に置きたくなってしまったのだった。
すぐにアマゾンで調べ、注文した。
嬉しいことに、今日出かける直前に届き、早速持って出かけたのだった。
持っているだけで、何だか心楽しくハミングが出てきそうだった。

ああこの山。あああの山。あの時はこうだったなぁ。いつも笑い声があって楽しかったなぁ。
快晴だったなぁ。横なぐりの雨だったなぁ。台風の大雨だったなぁ。
疲れてふと足元にみたチングルマやハクサンフウロ ……

山や高山植物の花の写真を見、登山道・地図コースタイムや山小屋・施設情報をみていると、
何故だかわからないがワクワクしている自分に気がつき、思わずひとりクスッと笑ってしまったのだった。

これから きっと楽しい時間が増える!

※ 9/24 追記
Nickさんの説明によれば、高山植物136種の内、39種はNickさんの写真だそうです。
画像の提供者は8名で全員素人ということです。


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More もうひとつの楽しみ
by PochiPochi-2-s | 2017-09-23 23:36 | 読書 | Trackback | Comments(4)
「頑張ってセンニンソウの絵を仕上げなくては…」

午後、いつものようにセンニンソウの絵を取り出し、描き始めた。
この細かい、白い花を、"センニンソウらしく"描けるだろうか?
ずーっと、そのように思いながら書き足しては消し、消しては書き足している。
エイッと諦め、放ってしまえば簡単なのだが、そうすることが悔しくてできない。
失敗でもいいから、納得するまで描き続けたい。
「しつこいなぁ〜」
我ながらあきれ果ててしまった。


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※ (9/12 朝、この写真と取り替える)



気分転換に花屋さんに行きたくなった。
「あら、可愛い」

半耐寒性多年草
耐寒性 -7℃位
春〜晩秋 、草丈30cm

ちょうど植木鉢が空いていたから、デッキに飾るのにいいだろうと購入した。
まだしばらくは十分楽しめるだろう。
明日植え替えてあげよう。
花びらが何とも言えず可愛いし、小さい花の色も好き。

夕方もう一度センニンソウの絵に取りかかった。
きっとこの新しい花がエネルギーをくれたのだろう。
明日一日で完成するかなぁ。

🍀

久しぶりに吉野弘の詩を読みたくなった。

四つ葉のクローバー

クローバーの野に坐ると
幸福のシンボルと呼ばれているものを私も探しにかかる
座興以上ではないにしても
目にとまれば、好ましいシンボルを見捨てることはない

四つ葉は奇形と知ってはいても
ありふれて手に入りやすいものより
多くの人にゆきわたらぬ稀なものを幸福に見立てる
その比喩を、誰も嗤うことはできない

若い頃、心に刻んだ三木清の言葉
《幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか》
を私はなつかしく思い出す

なつかしく思い出す一方で
ありふれた三つ葉であることに耐えきれぬ我々自身が
何程か奇形ではあるまいかとひそかに思うのは何故か




by PochiPochi-2-s | 2017-09-11 23:46 | 読書 | Trackback | Comments(2)

海の色

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芦屋沖から見る大阪湾の海
遠くにかすかに友ヶ島、淡路島が見える


「あらっ、今日はプールの水がきれいだわ。9月に入り水を入れ替えたのかな」
プールに入ろうとした時に、水のきれいさにふっとそう思った。
クロール、背泳と泳いでいる間に、先日読み、このブログに書いた東山魁夷『日本の美を求めて』の中の「自然と色彩」の章を再び思い出していた。

この前は日本の風景の色彩についての部分を引用したのだったが、
今日思い出したのは、それに続くの日本の海の色彩について書いている部分だった。
「私はここで日本の海の色彩についても語らなければならない」
この文で始まっている。

東山魁夷は少年期を神戸で送っており、須磨の海岸で泳いだり淡路島で夏を過ごしたという。
その時の海の様子を次のように描いている。

夜明けの空が水平線の近くで茜色に染まり、万物の生命の象徴としての太陽が、若々しく生まれ出る荘厳な一瞬。磯近くは澄んだ緑色に、遠く沖のほうは青く塗り別けられた海面を、しろい縞模様を幾段にも描いて波頭が打ち寄せてくる真昼。空も海も透明な薄紫に沈んで、宵の明星が刻々と輝きを増す砂浜の静寂。暗黒の沖に点々と漁火が並び、渚に砕ける波が燐光を放つ夜 ー それらは今でも生き生きとした情熱となって私の中に残っている。

私は、海のそばで生まれ、育った。
小さい頃の遊び場は、いつも砂浜の波打ち際だった。
海に沈む夕日が好きで、夕方になるとよく見に行ったものだった。
東山魁夷の描く海の風景は、そっくりそのまま私の中の海の風景と重なるように思う。

彼は美術学校を卒業して間も無くの頃、ヨーロッパに旅し、2年間の留学生活を送っている。
船で約2ヶ月をかけて行き、再び2ヶ月をかけて帰国したという。
東支那海、南支那海、インド洋、紅海を経て地中海へ。 更にマルセイユで船を乗り換え地中海からビスケー湾、英仏海峡、北海を経てエルベ川を遡ってハンブルグへ。
帰りはナポリから乗船し、再び同じコースを辿って帰国した。

「海の色は天候や時間に大きく左右されるのは言う迄も無いが、それでも、その国なり地方固有の色調があると思わないではいられない」
この章の中でそのように言っている彼が日本の海の色について特に感じたのは、
留学を終えて帰国した時であったという。
殊に、船が瀬戸内海へ入ってきた時、「これが日本の海の色だ」と思ったと書かれていた。
日本画の色彩に、古来、最もよく使われている群青緑青という絵の具の色、
群青に緑青を混ぜることによって得られる微妙な色感の色だと思ったという。

小さい時から慣れ親しんでいる海や、今まで行ったいろんな海を思い出した。
太平洋側の海、日本海側の海、北海道や九州の海、またドーバーをフェリーで渡った時の海の色やバルト海の海の色、ハワイの海の色、サンフランシスコの海の色、カーディフやトーキーで見た海の色、スペインで見た地中海の海の色、ナポリ周辺の海の色など。

言われてみればそうだなぁ。
瀬戸内海の海の色が日本の海の色かもしれないと、私もまた思ったのだった。
(東山魁夷も私も関西育ちだからかもしれないが)

静かな、穏やかな海の色。
何かあると必ず見に行きたいと思う海の色。
じっと眺めていると心が安らぎ、いつの間にか気持ちが平静になっている海の色。
いつも心に浮かぶ海の色。
この色が群青と緑青を混ぜた色なのか。

さあもうひと泳ぎ。
「水泳が楽しくなってきた」とこの私が思うなんて信じられるだろうか?
3年前全く泳ぐことができず、水泳教室で苦労していたことが信じられない。
なんでもやってみるものだなぁと、嬉しくなったのだった。




by PochiPochi-2-s | 2017-09-10 23:07 | 読書 | Trackback | Comments(2)

「真夏の雪」

先週5日連続で「関口知宏ヨーロッパ鉄道の旅」(NHK BSプレミアム)が放送されていた。
偶然にも最初に見たのはドイツ編だった。
ブレーメンの街の光景が画面に映し出されていた。
懐かしく思い、ついそのまま最後まで見てしまったのだった。
電車を乗り継ぎ、北ドイツのブレーメンから南ドイツのバイエルンアルプスまで旅をする。
様々な人たちと出会い、話し、笑う、楽器を奏でる、歌を歌う。
そして旅の途中で頭に浮かんだ音、メロディで作曲をし、作詞をする。
旅の終わりには見事に曲が完成している。

途中トルコからギリシャにかけての番組は見ることができなかったが、
スペイン編、イギリス編、最後のスイス編は思わず見てしまった。
それらの国々や訪れた街・場所等は、私もかつて旅した国々・街・場所であり、懐かしく思い出す景色、出会った人々、彼らとの会話等がたくさんあった。また、番組の中で関口さんが感じたこと考えたこと等よく理解でき、思いを同じくすることも多かった。


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車窓に雪が… (2010/06/17)


スイス編を見ていた時だった。
番組の途中、冬でもないのに(服装からすれば夏だと思われる)雹が降ってきた場面があった。
その場面を見た瞬間ある景色を思い出した。
夏だのに一瞬雪が舞った景色だった。
サンモリッツからベルニナ線に乗り終点のイタリア・ティラノを往復した時のことだった。
行きは気持ちよく晴れ、快晴。車窓からの景色は言葉も飲み込んでしまうほどの絶景。
車両は天井までガラスの展望車だった。
同じ車両に乗っていた観光客は皆一様に大きく目を見開き、この瞬間を見逃すまいと必死の様子だった。写真を撮るカメラのシャッター音だけが鳴り響いていた。
終点のティラノに着くまで絶景ポイントを通過するたびに、車内はこの光景の繰り返しだった。


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車窓に雨 ( ティラノ → サンモリッツ)


行きは車窓からの景色を堪能した。
しかし、ティラノの街を散策した後、再び帰りのサンモリッツ行きに乗車する頃には天気は急変し、雨が降り出した。山国はこんなものだろうと思ったものだった。帰りはずーっと雨だったので、片道だけの人には気の毒な景色だった。雨ゆえ、ゆっくりと雨の景色を眺めたかったので、一等車の乗車券を持っていたが帰りは二等車で帰った。

電車が路線の最高地点(2253m)にあるオスピツィオ・ベルニナ駅に近づいた時だった。
急に雪が舞い散ってきた。
高度が上がると同時に気温が低くなり、雨が霙に変わり、霙が雪に変わったのだった。
そのちょっと前から少し肌寒くは感じていたが、まさか雪になるとは!
気がつくと、車内には暖房が入っていた。思いもしなかったことだった。
車掌にたずねてみると、この路線ではよくあることだとの返事が帰ってきたのだった。
その後高度が低くなるにつれ、再び車窓からの景色は雨になった。

TV画面を見ながらその雪の景色を思い出していた時、もう一つ頭に浮かんだものがあった。


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新田次郎「アルプスの谷 アルプスの村」(新潮文庫)。
その本の中にやはり「真夏の雪」という章があった。
その中で彼は、真夏の最中にサンモリッツで雪に降られた経験を書いている。
そして雪の中ピッツ・ナイールへロープウェイで登り、その展望台で見た霧の中に見え隠れする山の景色から、スイスの画家セガンティーニの絵を想い、セガンティーニが暮らし、彼のアトリエがある村マローヤを訪れたこと、そこで感じ思ったこと等が書かれている。

いつだったか忘れたが、この文庫本を見つけ夢中になって読んだ時があった。
2010年、友人のアンジーとメミングさんを訪ねて再びドイツに旅行に行くことに
なった時、この本を思い出し、もう一度読み耽ったものだった。
日本ではおそらく見ることができないだろうセガンティーニの三部作をぜひとも見たい、マローヤの村を訪ね、新田次郎がしたもと同じようにマローヤ峠からの景色を眺めたい、彼のアトリエを見たい、お墓にも行ってみたいと思い、アンジーの住むウルム(南ドイツ)からメミングさんの住むハンブルグ(北ドイツ)への移動の途中に、サンモリッツでの滞在を付け加えたのだった。
楽しく、心弾む時間だった。
あの時からもう7年が経った。
懐かしく思い出していた時、番組が終わった。

(※ 今日は夕方からアサヒちゃんの誕生会)





by PochiPochi-2-s | 2017-08-19 13:58 | 読書 | Trackback | Comments(8)

懐かしいリューベック

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ホルシュテイン門(2002年6月撮影)



水泳教室のある月曜日の午後は疲れきって何もする気になれない。
グタッとしてソファーにもたれ本を読んでいた。
東山魁夷『泉に聴く』

彼の書くエッセイは好きでよく読む。
ぼんやりとなんとなく読んでいると、突然「リューベック」という文字が目に入ってきた。
この題で書かれたエッセイだった。
「北方の門へ」、「広場にて」、「ブッデンブロークの家」、「追想の港」、「バルト海」、「北の水都」と副題のついた文を読み進めていくうちに、2002年ハンブルグ郊外に住む友人メミングさんを訪ねて初めて一人でヨーロッパに行った時のことを思い出していた。
子供たちが大きくなり、主人は仕事があったので休めず、不安がいっぱいの、全くの一人旅だった。彼女の家に宿泊させてもらい、そこを起点に自分の訪れたい街に、電車を使い日帰りで行くという計画だった。勿論滞在日数の半分ぐらいは彼女たちと一緒に過ごしたのだったが、行ってみたい街はたくさんあった。ハンザ同盟の盟主として実権を握り「ハンザの女王」と呼ばれていたリューベックもその中の一つだった。

彼はこのエッセイの最後に町の様子を次のように描いている。(昭和46年出版『馬車よ、ゆっくり走れ』)
【昔、バルト海の女王と呼ばれたこの町は、長い間、その余光によって照らされていた。第二次大戦で受けた大きな傷痕は、市民の、大変な努力で、よく癒されているが、東西ドイツの分割によって辺境の町になってしまい、広大な背後地を失った。しかし、やはり、歴史の年輪が重厚な雰囲気となって漂い、心に残る多くのものを持つ町である。私達は、真直ぐにホテルへ帰らずに、古風な街灯のともる家並みを、ゆっくり歩いて、聖マリア教会のそばを通り、広場へ出た。市庁舎や教会の塔に当てられた照明が、夜霧で散光されて、すべての建物に夢幻的な雰囲気を与えている。広場には人影はなかった。】

東山魁夷のエッセイで描かれているリューベックの街の様々な場所やシーン、そこに住む人々との会話の場面などが、私を再びリューベックの街に連れていったのだった。
懐かしい思い出が再び目の前に浮かび、赤煉瓦の古風な駅に着いた時の高揚した気持ち、ホルシュテイン門をくぐった時の喜び、聖マリア教会の塔にのぼり街を一望した時の感動、教会の建物の大きさ、そのまるで地中深く根を張っているのではないかと思えるほどドッシリとした存在感のある建物に圧倒されたこと、石畳の道路の美しさ、そこから中世の時代の人たちに生活に思いを馳せたこと、市庁舎前の広場で日向ぼっこをして時間を過ごしていた老人たちとした立ち話、市庁舎の建物の美しさに目を見張ったこと、帰り際たまたまお土産に買ったマジパンをメミングさんが大喜びしたこと、自分の夕食を減らしてまでもマジパンを食べたがったこと(このマジパンは一年に一度、クリスマスに親しい人たちの間でプレゼントされるものらしい)、トーマス・マンのブッデンブロークの家までの道のり、そしてその中を見学したことを話した時メミング夫妻が何故か大喜びをしたこと等、次から次へと懐かしい思い出の場面が浮かんできたのだった。

また、東山魁夷は、このエッセイの中でリューベックの町への想いを次のように書いている。

【これらの小説は、マンの自伝的な要素が多く含まれ、共にリューベックを舞台にしている。殊に、『トニオ・クレーゲル』の中では、この町の「北方の港町」としての感情が、強い郷愁を含んだ音楽的な諧調で奏でられている。
私は青春の日に、それらを読んで、深い共感を味わうと共に、いつのまにか、リューベックの雰囲気、町並み、路地が、心の中に描きこまれていたのである。それは勿論、現実のリューベックではなく、マンの郷愁としての町であり、私にとっては、殊に、霧の中の幻想のようなものであった。
以前、ドイツに留学していた時は、私はこの町へは来なかった。私自身、ここに郷愁を感じる年齢ではなかったからであろう。それからずっと後のことである。若い日々が、遥か彼方に沈み去った後で、私は再びこの小説を読み、深く心を打たれたことがある。私にはもう一つの町のイメージが二重になって、背後に浮かび上がってくるのを感じていて、そのために、一層感じ方が強かったのであろうか。この北の港町とは、風土的には全く異なった環境にあるが、私にとっては故郷としての意味を持つ、瀬戸内海の港町、神戸である。】(エッセイ「リューベック」より)

もう一度、『トニオ・クレーゲル』を読みたくなった。
そして、この町を訪れたくなった。

もうあの時から15年も経った。
私も彼女もまだまだまだ若く、溌剌としていた。
もう一度近いうちにぜひ会って心ゆくまで話をしたいと思っているのだが、
なかなか重い腰を上げられないでいる。

『光陰矢の如し』

「過ぎゆく時間を大切に毎日を一生懸命生きていきたいなぁ」と改めて思い、
「さあ!」と夕食の支度にとりかかったのだった。
何故か元気になっていた。
思い出に元気をもらった日だった。


それにしても水泳は疲れる。
苦手意識の方がまだまだ先に立つからだろう。
水中での呼吸が苦手で、レッスンの最後に「何を泳いでもいいよ。ダウンだから」と言われると迷わず背泳を選ぶ私を先生はいつも笑うのだが、こればかりは仕方がない。


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街の全景(絵葉書から)


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駅舎 (2002年撮影)


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市庁舎(webサイトから拝借)



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聖マリア教会の上からのリューベックの町(2002年撮影)




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チケット





by PochiPochi-2-s | 2017-06-12 23:46 | 読書 | Trackback | Comments(4)

世界のフルーツ切手

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2、3日前 、主人がついにビデオデッキを壊してしまった。
修理をしようとして分解したのがいけなかった。
どこかの何かが外れたか折れたようなカチャッという音が聞こえた。
ついに修理不可能になってしまったのだった。

この時 側で 一応修理の様子を眺めていたが、
ふと横に目をやると、テレビの隣りにある本棚に立てられていたある雑誌が目に入った。
何気なく取り出して見る。
「暮らしの手帖・別冊・ご馳走の手帖 95年版」だった。
なんと1995年に出版された本である。
22年前というと、まだ大阪市内に住んでいた頃。
何を思って買ったのか、この95年版の他に94年版、96年版があり、全部で3冊もある。
改めてこれら3冊をざっと見てみると、その時は気づかなかったおもしろそうな記事がたくさんあるではないか。これからしばらくこの3冊の雑誌を読んで楽しめると嬉しかった。


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95年版に「世界のフルーツ切手」(新宿高野・天野秀二)という記事があり、
何故フルーツの切手を集めるようになったのか、どのようにして集めたのかという文章と、
集められた切手の写真が掲載されていた。

果物屋さんの天野さんは果物には限りなく興味がある人で 果物の歴史を簡単に書いている。

紀元前、メソポタミア文明が栄えた古代オリエントのあたりでは、
聖書に出てくるりんご、プラム、いちじく、ぶどう、ざくろ、シトロン(オレンジ)など果物の宝庫だった。民族の移動、隊商などの交易によって世界のあちこちに伝わっていく。
中世の大航海時代には、新大陸の果物も発見された。
やがて七つの海を渡り、世界をかけめぐり、今のようなおいしい果物が栽培されるようになる。

彼は初めは旅先で目に付いた切手を少しづつ求めていたのだが、だんだんと面白くなり
世界中の切手を集めてみようと思うようになったという。
集め始めてからかれこれ30年。今までに約155カ国、約5000枚の切手が集まった。
時には人に頼み、時には自分の旅行先で購入した。
「好きでこそできることだなぁ」と。

私も好きでよく記念切手を買うが、日本では果物の切手は殆どと言っていいくらい見かけないように思う。また何人かいる海外の友人からの手紙に貼られた切手も、今までに果物の切手は貼られてなかった。大抵は花好きの私のためにと、花の切手が多い。一度だけ音楽好きの若い人からベートーベンの切手が貼られた手紙をもらったことがあった。ドイツからの手紙だった。
これから記念切手を買うときに、果物の絵柄の切手はないか注意して見てみようと思わせてくれる記事である。

またこれだけの数の、色もデザインもすばらしい美しい果物の切手をながめていると
何故か疲れが吹っ飛び、気力が湧いてくるような気がする。
果物の色は元気の源かもしれないと思った。



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by PochiPochi-2-s | 2017-05-06 23:31 | 読書 | Trackback | Comments(2)
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アマドコロ or ナルコユリ?



吉野 弘の詩に「 I was born 」という詩がある。
中学校で英語を習い始めしばらく経った時、
"生まれた"が " I was born"というのだと教えられた。
「be 動詞 + 過去分詞 」の受動態である。
何故受動態で言われるのか理由はわからないまま、
「私は生まれた」は「 I was born.」なんやと覚えたのだった。
でも、その後もずーっと疑問に思っていた。
「何故受動態なのだ?」と。
そんな時、吉野弘の詩「I was born 」に出会ったのだった。
この詩人の書く詩に魅了され、夢中になるのに時間はかからなかった。
一昨日も書いたようにエイちゃんが無事退院できこの上ない幸せを感じたのだが、
やはり思った。何故 I was born なのかと。

ここに彼の詩を転記しておきたいと思う。

I was born

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 宵
い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ
てくる。物憂げに ゆっくりと。

女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女
の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟
なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世
に生まれ出ることの不思議に打たれていた。

女はゆき過ぎた。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれ
る〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと
諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
ー やっぱり I was born なんだね ー
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返し
た。
ー I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね ー
その時どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。
僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。そ
れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとっ
てこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
ー 蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん
だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる
のかと そんな事がひどく気になった頃があってね ー
僕は父を見た。父は続けた。
ー 友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だだと
いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く
退化し食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入
っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と
ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ
そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目ま
ぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが咽喉もとま
でこみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの
粒々だったね。私が友人の方を振り向いて〈卵〉という
と 彼も肯いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことが
あってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお
前を生み落としてすぐに死なれたのは ー。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひ
とつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたもの
があった。
ー ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで
いた白い僕の肉体 ー。








by PochiPochi-2-s | 2017-05-04 23:48 | 読書 | Trackback | Comments(2)

『絵具』

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所用があり、午後から大阪市内に車で出かけた。
新御堂筋を降り、阪急ホテル・インターナショナル、JR福島駅を通り過ぎ、なにわ筋を走っていた時だった。薄い芽吹きの色の若葉をたくさんまとった銀杏並木が目に飛び込んできた。「わあ、この淡い、薄い黄緑色。安野光雅の絵の世界みたい!」そう思いながら次から次へと流れていくイチョウの若葉の列を車窓から眺めていた。

安野光雅の絵を好きになったのは、いったい いつの頃からだったのだろうか?
子供たちが小さかった頃、
特に次男が幼稚園に入園した頃から時間があればよく美術展に出かけていた。
天王寺にある大阪市立美術館、難波や梅田にあるデパートでの美術展、時には京都岡崎にある市立美術館や国立美術館に。
長男と長女が小学校に行った後 8時前には次男を幼稚園に預け、お迎えの2時までに戻って来るという冒険(私にとっては)をよくした。京都では2時間はたっぷり美術展を楽しみ、1時間は岡崎から八坂神社まで、或いは京阪3条の駅までのぶらぶら一人歩きを楽しむことができた。往復の電車の中も気晴らしになり車窓の景色に心が和んだのだった。「主婦にだって休息が必要。リフレッシュが必要」などと屁理屈をこね、子供達がそれぞれ小学校・幼稚園に行っている間によく飛び歩いていた。いろんなことからいっとき解放され、自分のためだけに自由に使えるひとり時間。楽しくないはずはなかった。お迎え時間の頃には心は充分に満たされ、気持ちは溌剌としていた。

ある時、大阪のデパートで安野光雅の原画展が開かれ、彼の絵に一目惚れしてしまった。この時が彼の絵との初めての出会いであったように思う。以来、何度も繰り返し安野光雅絵画展に足を運ぶようになった。私にとっては初めての画文集を一冊手に入れたのもこの頃だったと思う。
画文集は絵を見ながらその絵に関連した文章を読むことの楽しさを私に与えてくれた。「絵を見て想像する → 文章を読んで推測する → もう一度絵を見、文章を思い出し、あらためて描かれている風景を想像する」こんな楽しいことはなかった。特に、イギリスや、フランス、スペインなどヨーロッパの国々を訪れ、様々な場所を描き、文に書いたシリーズの画文集は、その書かれた内容が私の心を捉え、いつも興味津々で読んだものだった。知りたがり屋の私は彼の書くエッセイに夢中になった。何冊か随筆集を購入し、子供たちが学校や幼稚園に行っている間に読み耽ったものだった。

この「空想画房」はこの中の一冊である。
1984年に出版され、すぐに買った。本のカバーはボロボロになり破れて所々セロテープで貼ってある。毎朝本棚の前で腹筋運動をする時いやでも目に入るので、つい2、3日前に手にとって読んで見た。ずいぶん久しぶりであったが、その中に『絵具』という題のエッセイがあったので思わず読んでしまった。

「今思えばあの頃(昭和初期)はなんとも不景気だった。商店が倒産して、家具、雑貨がセリにかけられるというできごとが、小さな町のあちこちであった。そんなセリで私の父が、子どもの玩具にでもなると思ったのか、一かかえもの絵の具を買ってきた」

エッセイはこのような文章で始まっている。
続いて書かれた次の文章には思わず吹きだしてしまった。

「ホーローびきのパレットを開けると、乾燥した絵の具の固まりがはりついているもので、絵具というよりお菓子と見えた。私たちは口のまわりを、赤くしたり紫に染めたりして絵具を食った。化粧品のクリームに似た甘みがあり、それは色によってちがうように思われた。
近所の子が、黄色は毒で食べられぬ、と聞いてきたので食べるのは止めたが、毒性は黄に限らぬことが後になってわかった。あのまま食べつくしていたらカドミウム中毒になっていたかも知れぬとゾッとするが、絵具はある意味での中毒症を呈し、私は絵描きになってしまった」

思わず自分の持っているホーローびきのパレットを思い出した。
Winsor & Newtonの24色 + ヴァン・ゴッホ で計39色ほど入っている。
"初めて固形の絵の具を見た小さな子供がこれらの絵具をお菓子と思って、食べた""化粧品のクリームに似た甘みがあった"というくだりには、「なるほどなぁ」,「小さい子どもなら食べるかも知れない知れない」,「でも甘みがある?」「化粧品のクリームに似た甘みって、食べたことあるの?」などと思ったが、ふと小学校高学年の頃の出来事を思い出した。
今でこそチーズは食卓に上るようになったが、この頃は、特に私の育った田舎では非常に珍しいもので、ほとんどの子供は見たこともなかったし、実際どのようなものかも知らなかった。
ある日、村の中では裕福だと言われていた家の同級生の男の子がチーズを学校に持ってきてみんなに見せびらかした。「これ、チーズっていうもんやで。おいしいで。食べて見たいやろう」と。次の日もう一人の男の子が言っていた。家に帰って同じようなものがあるか探して見たら、色のよく似た、同じように硬いものがあったのでかじってみたら、まずくて食べられたものではなかった。僕のかじったのは石鹸やった。チーズって石鹸みたいなもんやと思ったんやけど。ちがうのかなぁ」と。その話を聞いてみんな吹き出した。「アホやなぁ、チーズと石鹸を間違えてかじるやなんて」
今でこそアホな笑い話だけれど、その頃の子供にとっては真剣な話でチーズってどのようなものだろうかという興味からなされた行為だった。
固形絵具というものを知らずにお菓子と間違えて食べたという話によく似ているなぁ、子どもってこういうものなんだと思ったのだった。

エッセイはその後小学生時代の絵具の思い出、チューブ入りの絵具について、戦争中の絵具のこと、戦後すぐの頃の絵具の値段などが書かれている。
最後に森鴎外が訳した『洋画手引き草』の中にWinsor & Newtonのものが最良とされており、安野光雅氏もこの絵具を愛用していると書かれている。

絵具は人それぞれ好みがあると思うが、私もWinsor & Newtonの色が好きであり、おもに花や葉、木の枝などを描くので、他のメーカー、Van Gogh,やホルベインの色も混ぜて使っている。製造された国によって同じ色でも微妙に違うところがまたおもしろいと思う。太陽光線の強さ(緯度?)によって異なってくるのではないだろうかと思っているのだが確信はない。

この本を買った当時は 後に絵を習うようになるとは夢にも思っていなかったが、今 野の花を描いている私には久しぶりにおもしろいエッセイであった。


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Winsor & Newtonののホーローびきパレット
固形絵具



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固形絵具とチューブ入り絵具
Van Gogh(オランダ), Winsor & Newton(イギリス),
ホルベイン(チューブ入り・日本)


More 最近のエイちゃん
by PochiPochi-2-s | 2017-04-25 23:24 | 読書 | Trackback | Comments(4)

ワスレナグサの花芽が!

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去年のこぼれ種から育ったワスレナグサ
ここしばらく寒いので、咲き始めるまでもう少し時間がかかるかな?


ワスレナグサ。
花ひとつひとつが小さくて可愛らしい。
山野草のヤマルリソウにも似ている花。
大好きな花である。
春に植えると夏までよく花を咲かし、
秋の終わり頃気がつくと、こぼれ種から発芽した新しい芽をたくさん見つける。
その芽をもう一度植え替えて、大きく育て、冬越しをさせる。
この一連の作業が楽しくて、また次の年も同じようなことを繰り返す。
今年の寒かった冬も、多少冬枯れ状態の葉や寒さで赤く色が変わった葉もあったが、
無事に何事もなく育ち、もうすぐ花を咲かせようとしている。
うれしくて心が弾む。

この花はまた英語で"フォーゲット ミー ノット"( forget- me-not )と呼ばれる。
和名のワスレナグサはこの英語名を訳したものである。
花の名前は、
ドナウ川の岸に咲くこの花を恋人ベルタに贈ろうとして、騎士ルドルフは誤って川に落ちて死んでしまう。その後ベルタは彼の言葉、" forget me not" を忘れず、この花を一生髪に飾り続けたとういうドイツの騎士ルドルフの物語に由来している。


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ワスレナグサ
《星野道夫『アラスカ Alaska 永遠なる生命(いのち)』p193 より》


星野道夫「旅をする木」の中に 『ワスレナグサ』というエッセイがある。
この本の中で最も好きなエッセイである。
その中から好きな箇所をここに抜き書きして見たいと思う。

・私たちは、アリューシャン列島で咲くワスレナグサが、アラスカ本土のものとどこが違うのか、ずっとその花を探していた。アリュート族の島に人に聞いて、山のガレ場を登ったが、どうしても見つからない。そしてふと腰をかがめた時、ワスレナグサはすぐ足元に咲いていたのである。見つからないはずだった。それは私たちの知っている風に揺れるワスレナグサではなく、岩陰にはいつくばるように咲く、見過ごしてしまいそうな小さな花だった。
ワスレナグサは、英語で、foget-me-not、このいじらしいほど可憐な花が、荒々しい自然を内包するアラスカの州花であることが嬉しかった。
「アラスカ州の花って知っている?」
と幾分自慢げに、これまで何人の人に話してきただろう。一瞬の夏 、その限られた持ち時間の中で一生懸命開花する極限の花は、ワスレナグサに限らずどれだって美しいのだが………。

・結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頰を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい……ふとたちどまり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れて行く時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じてていたい。

"アラスカの岩陰にはいつくばるようにさく、見過ごしてしまいそうなワスレナグサ"
どのような風情で咲くのだろうか?
想像の域を出ないが、かつてスイスの山を歩きながら見た高山植物のように、
アラスカではこのワスレナグサは地面にしっかりと根を張った強い花なのだろう。

最近あわただしくしく時間が過ぎてゆく中で、
"心のゆとり"を忘れてしまっている自分に気がついた。


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ウチョウランの新芽が出てきた!

ブログ友Dさんに貰ったウチョウラン。
この冬の寒さで枯れてしまったのではないかと、
ずいぶん心配をした。
しかし、今日この新芽を見つけた。
どれほど嬉しかったことか!

また楽しみが一つ増えた日だった。





by PochiPochi-2-s | 2017-04-02 23:35 | 読書 | Trackback | Comments(7)

吉野 弘 「祝婚歌」

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ヒメオドリコソウ

今朝、偶然 ウッドデッキ横の雑草の中に見つけた♪
昨年絵の先生に貰って、この辺りに植えたのかもしれない。




「お母さん、今日の朝からエイちゃんがNICU(新生児集中治療室)の保育器から普通の赤ちゃんベッドに移れたんやわ。これからは窓越しでやったらエイちゃんを見れるから、明日お父さんが病院に迎えにきてくれる時に一緒に来てエイちゃんを見てくれる?窓越しやけど」

昨日娘から嬉しいメールをもらっていた。

「まあ、かわいらしい!
初めまして。よろしくね。
ほら、こっち向いて。 お目目をあけて」

窓越しでの対面であったが、こんな幸せな時間はなかった。
主人も私もそれぞれ自分のデジカメでエイちゃんを窓越しに夢中になって写した。

生まれてからやっと1ヶ月と半分が過ぎた。
運よく丈夫に生まれついたのか、今までのこの1ヶ月半、成長段階ごとの心配事をひとつひとつ難なくクリアし、ほっと胸をなでおろしてきた。全ての機能が順調に発達、成長しているとのこと。幸運な赤ちゃんだと思う。窓越しにエイちゃんと対面できる日を楽しみにして、主人も私も精一杯娘をサポートしてきたのだった。
体重も今日2000gを超えたという。
こんな嬉しいことはない。

家に帰り、エイちゃんのことを主人と二人で話していたときに、
長男夫婦も娘夫婦も春の初め、3月に結婚式を挙げたことを思い出した。
彼らにとって3月は"新しい人生へのスタートの月"だった。

ふっと吉野弘の「祝婚歌」という詩を思い出した。

祝婚歌

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
悲しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい



今日も庭で新芽を見つけた。
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イカリソウ


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黄花イカリソウ
友人に貰い、この春初めて咲く。


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タツナミソウ


More 1) 娘に 2) 今日の朝食
by PochiPochi-2-s | 2017-03-30 23:24 | 読書 | Trackback | Comments(10)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s