《2階のベランダから》遠くに大阪湾が見える
一階デッキの屋根に積もった雪
2階西側の窓からデミオの屋根に雪が積もっていた
「着いたわ。今朝はめっちゃ冷たい。手がかじかんで凍りそうやわ。
下りは道が凍っていてタイヤが滑りそうだった。時間がかかると思うけど気をつけて帰る」
毎朝の自転車トレーニングにでかけた主人からの朝一番の携帯からの電話。
起きると辺り一面うっすらと雪が積もり、道路以外は真白。
夜中に降ったのだろう。
門の鍵、自転車の鍵が凍って解錠できず、お風呂の残り湯をかけて溶かした。
家の北側においていたバケツの水も凍っていた。
この冬2度目。
8時過ぎでまだ-2℃、寒くて冷たい朝だった。
*
「わあ、久しぶり! ずいぶん長い間会っていなかったけど元気だった?」
何年ぶりだろうか、昔の友人Pさんに会うのは。
お正月2日目の午後、彼女からの突然のメールで今日の再会、ランチを約束したのだった。
彼女はタイ人。
相変わらずそれほど上手だとは言えない日本語で話すが、
彼女の持つ明るさ、ざっくばらんさ、おもしろさ、大阪弁は昔と全く変わらず嬉しかった。
私は町の西の端に住み、彼女は東の端に住む。
お互いに忙しく、私がボランティア活動をやめてから会う機会がなくなっていた。
Pさんとの出会いは、国際交流センターのボランティア活動、日本語教室で習った日本語を
使っての会話の相手をするというサークルの場でだった。
当時、引越ししてきたばかりの街で誰一人知る人もいなかった私は、親しく話せる友達が
欲しく、これならばできると入ったサークルだった。そこに彼女は週一で通ってきていた。
明るくてハキハキしているが、少し頑固で、自己主張が強く、何事にもポジティブな、しかも
すでにいろんな場所でボランティア活動をしていたPさんの話し相手を希望する人は少なく、
そのグループに入ったばかりの私にそれとなくその役目がまわってきたのだった。
Pさんは日本人の歯科医と結婚し、小さな女の子が一人いた。
アメリカの大学で心理学を学び卒業、その後再び大阪大学に留学、大学院で児童教育を学んだ
Pさんだったが、そんな彼女にとっても日本語は相当難しくかなり苦労していたのを覚えている。
彼女は全く変わっていなかった。
去年還暦を迎えたというが、むしろ昔に比べ若々しく魅力的に感じた。
会っていなかった間の積もる話で時間はあっという間に過ぎ去った。
話題は尽きなかった。
子どもの話、ボランティア活動の話、英語教師としての話、人間関係の話、心理学の話、英語の勉強方法の話、今読んでいる本やこれから読みたいと思っている本、今までに読んで感動し本などの話、姑の生き方が自分の反面教師になっている話、一人娘の反抗期と自分の更年期の時期が重なり大変だったこと、今現在興味を持っていること、これから先やりたいと思うこと、夢、旅行等々。
話題はあちこちに飛び、広範囲にわたった。
何時間あっても足りないくらい、お互いに相手の話に耳を傾けながらしゃべりまくった。
楽しい心弾む時間だった。
最後にPさんは言った。
「ぜひ聞いてもらいたい話があるの。私ね、思いもかけない還暦の贈り物をもらったの。
嬉しくて嬉しくて涙がとまらなかった」
26年前の1992年にタイの貧しい子供たちを支援するグループを彼女が中心になって立ち上げ、当時毎月2500円(500バーツ)の奨学金をタイの一人の貧しい中学生に支給するという活動を始めた。喫茶店に入り高いコーヒーを飲まない、できるだけ自転車移動をしバスやタクシーを使わないなどグループのメンバーがそれぞれ自分でできる節約を考え、貯めたお金で2500円/月の奨学金を一人の学生に学業が終わるまで送り続ける。子供との約束は、送られたお金で必ず勉強する、毎月必ず彼女に状況を説明する手紙を英語で書くというものだった。
初めてのタイの里子はこのお金をもとに一生懸命勉強し、高校にそして大学にまで進学できた。しかし、就職したという手紙を最後に突然連絡が途絶えてしまい、全く消息がわからなくなってしまっていた。
ところが驚いたことに、その彼女から、去年、18年ぶりにPさんのFacebook に連絡が入り、お礼のメールが届いたのだった。
彼女は手紙の中で次のようなことを書いていた。
・自分の名前。
・25年前に奨学金をもらった15歳の中学生であるということ。
・2500円/月の奨学金で諦めていた高校への進学ができ、その後大学への進学もできた。
・文通(連絡のメール)ができなくなった理由。大学卒業後洪水で手紙など一切が流されてしまったこと。
・FacebookでPさんを探し続け、やっと去年巡り合え嬉しくて叫んだこと。
・大学卒業後テレビ番組制作会社で働き、今は情報ネットワーク企業の管理職をしている。
・昔(Pさんと)手紙でした将来貧しい子どもを支援する約束を実行している。
・今、村の貧しい子どもたちに10年以上に渡り奨学金を送っている。
・あなたの奨学金のお陰で今の私がある。
・講演を頼まれると、親は農家で貧しかったけれど、日本に住む会ったことのない女性から支援を受け、高校、大学を卒業できたこと、貧しかったことを恥ずかしく思ったことはないことなど、誇りをもって話す。
この手紙は彼女にとって最高の還暦祝いになったという。
話を聞いていて私ももらい泣きをしてしまった。
自分の生まれ育った国を離れ、他国で生活することに言うに言われぬ苦労があったことだろう。
でも、持ち前の明るさと、人懐っこさ、活発さで自分のやりたいことやボランティア活動をエネルギッシュにこなしてきた結果の嬉しい感謝のメール。
最高の還暦祝いだと思った。
彼女が眩しく見えた。
このメールをもらった後に、去年タイに帰った時彼女と再会でき抱き合ってお互いに喜んだという。
どんなに嬉しかったことだろう。
Pさんのしてきた活動は貴重な尊いものだとあらためて彼女を尊敬したのだった。
還暦後も、「All Together In Dignity (全ての人が人間としての尊厳を持てる世の中に)」という願いを胸にできることを行なっていきたいと、胸を張っていう彼女を尊敬の眼差しで見つめてしまった。
3時間あまり、スターバックスでしゃべり続けた時間は私もまた何かやってみたいと思う元気をくれたように思えた。
最高の楽しい時間だった。
次は滝まであること約束をし帰ってきた。