あらっ、綿毛!
朝、庭の枯葉を掃いていたとき秋明菊の綿毛に気がついた。
「旅立ちの時がやってきたなぁ。どこに飛んでいくのかしら」
その真っ白な、まるで綿そのもののような綿毛をしばらく眺めていた。
♪ 園小百合 撫子 垣根の千草
今日は汝をながむる 終わりの日なり
おもえば涙 膝をひたす
さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷
故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷
故郷さらば
ふと気がつくと、何故かこの歌が心の中を流れていた。
そして3人の子供達の旅立ちの時のことを思い出していた。
彼らにとっての旅立ちの時とは、大学に入り親から離れ独立する時だったと私は考えている。
三人三様だった。
長男は後に続く妹と弟のことを考えて、長男の自分は自宅から通える大学に進もうと思ったと、ずいぶん後になってから言っていた。本当は親元から離れ、下宿生活をして一人暮らしをしたかったし行きたい大学もあったが、諦めたと。母親の私はそんな彼の気持ちは全く知らなかった。もちろん主人も知っているはずはなかった。長男が一人で思い、一人で考え、一人で決めたことだった。もし知っていれば、「そんなことは考えなくてもいい。自分の行きたい大学に行きなさい」と言っていたと思う。子供の心親知らずの全く鈍感な母親だった。彼は学部修士と6年間家から通い続けたが、受験する大学を決めたとき心はすでに親から独立し、旅立っていた。
長女(娘)は、兄とは異なり、あくまでも自分の希望が第一で、自分の行きたい大学はここだけと強く主張し、親の思いもふりきって北海道に行ってしまった。6年間、親元を離れ、そこでの生活を楽しんだようだ。辛いことも数多くあっただろうが親にはそのようなそぶりは一度も見せたことがなかった。休暇で帰ってきたときはいつも笑顔の彼女だった。親の思いをふりきって行ってしまったとき、この時が彼女の旅立ちの時であった。
次男の旅立ちの時はなかなか大変だった。
年の離れた兄・姉の後に自分もまた続きたく、彼なりに必死に頑張っていた。
家族親戚の中で一番年下でみんなから可愛がられて育った彼は、何事にもおっとりとしていて、家から通学できる大学に行くか遠く離れた大学に行くかで最後の最後まで迷いに迷っていた。
結局は、両親、兄姉、高校時代の友人たちみんなに勧められ、家から離れた遠くの大学に行くことにした。生まれて初めてのアパートでのたった一人の自炊生活。寂しかったのだろう。
「お母さん、………」と寂しそうな声でよく電話がかかってきたものだった。
しかしその次男も次第に一人暮らしに慣れていったのか、7月になり「運転免許証を取りたいから自動車学校の費用を貸してほしい。アルバイトをして必ずお父さんに返すから」と言ってきたときには 「ああやっと落ち着いたのだ」とほっとしてなんだかじーんときてしまったのだった。就職し東京に行く前に家に戻ってきた彼は、6年間の大学生活が自分にとっていかに最高のものであったか、たくさんの仲の良いすばらしい友人や尊敬できる先輩や教授に巡り会えることができたかと写真を見せながら滔々としゃべっていた。
“あのお母さんという寂しそうな声“で電話をかけてきたのと同じ人物だとは思えないほどの、
逞しい成長だった。
「ああやっと旅立ちの時だなぁ」
その時やっとそう思えたのだった。
安野光雅・画文集「歌の風景」の中に、
「故郷とは子どもの時代のことなのである」という一文がある。
旅立ちとは子ども時代との決別の時だと思った。
3人それぞれの旅立ちの時から随分時は経った。
たんぽぽ(堀文子・画文集「無心にして 花を尋ね」より)
庭の秋明菊の綿毛を見ていて思い出したものがもうひとつあった。
たんぽぽの綿毛を描いた堀文子の絵だった。
家に入り、早速画文集を本棚から取り出し、もう一度じっと眺めた。
四方八方に向かっておもいおもいの格好で飛んでいく綿毛。
どこに飛んでいくのだろうか。
ひとつひとつの描かれた綿毛からまだ見ぬ地へ飛んでゆく楽しさを感じる。
なんだか嬉しそうに歌っている歌が聞こえてくるようだ。
まさに次の世代(新しい土地)への旅立ちの時。
この絵が大好きである。
いつかこのような楽しそうな歌が聞こえてくるような絵を描きたいなぁ。
今朝偶然見つけた秋明菊の綿毛はいろんなことを思い出させてくれたのだった。