懐かしいリューベック

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ホルシュテイン門(2002年6月撮影)



水泳教室のある月曜日の午後は疲れきって何もする気になれない。
グタッとしてソファーにもたれ本を読んでいた。
東山魁夷『泉に聴く』

彼の書くエッセイは好きでよく読む。
ぼんやりとなんとなく読んでいると、突然「リューベック」という文字が目に入ってきた。
この題で書かれたエッセイだった。
「北方の門へ」、「広場にて」、「ブッデンブロークの家」、「追想の港」、「バルト海」、「北の水都」と副題のついた文を読み進めていくうちに、2002年ハンブルグ郊外に住む友人メミングさんを訪ねて初めて一人でヨーロッパに行った時のことを思い出していた。
子供たちが大きくなり、主人は仕事があったので休めず、不安がいっぱいの、全くの一人旅だった。彼女の家に宿泊させてもらい、そこを起点に自分の訪れたい街に、電車を使い日帰りで行くという計画だった。勿論滞在日数の半分ぐらいは彼女たちと一緒に過ごしたのだったが、行ってみたい街はたくさんあった。ハンザ同盟の盟主として実権を握り「ハンザの女王」と呼ばれていたリューベックもその中の一つだった。

彼はこのエッセイの最後に町の様子を次のように描いている。(昭和46年出版『馬車よ、ゆっくり走れ』)
【昔、バルト海の女王と呼ばれたこの町は、長い間、その余光によって照らされていた。第二次大戦で受けた大きな傷痕は、市民の、大変な努力で、よく癒されているが、東西ドイツの分割によって辺境の町になってしまい、広大な背後地を失った。しかし、やはり、歴史の年輪が重厚な雰囲気となって漂い、心に残る多くのものを持つ町である。私達は、真直ぐにホテルへ帰らずに、古風な街灯のともる家並みを、ゆっくり歩いて、聖マリア教会のそばを通り、広場へ出た。市庁舎や教会の塔に当てられた照明が、夜霧で散光されて、すべての建物に夢幻的な雰囲気を与えている。広場には人影はなかった。】

東山魁夷のエッセイで描かれているリューベックの街の様々な場所やシーン、そこに住む人々との会話の場面などが、私を再びリューベックの街に連れていったのだった。
懐かしい思い出が再び目の前に浮かび、赤煉瓦の古風な駅に着いた時の高揚した気持ち、ホルシュテイン門をくぐった時の喜び、聖マリア教会の塔にのぼり街を一望した時の感動、教会の建物の大きさ、そのまるで地中深く根を張っているのではないかと思えるほどドッシリとした存在感のある建物に圧倒されたこと、石畳の道路の美しさ、そこから中世の時代の人たちに生活に思いを馳せたこと、市庁舎前の広場で日向ぼっこをして時間を過ごしていた老人たちとした立ち話、市庁舎の建物の美しさに目を見張ったこと、帰り際たまたまお土産に買ったマジパンをメミングさんが大喜びしたこと、自分の夕食を減らしてまでもマジパンを食べたがったこと(このマジパンは一年に一度、クリスマスに親しい人たちの間でプレゼントされるものらしい)、トーマス・マンのブッデンブロークの家までの道のり、そしてその中を見学したことを話した時メミング夫妻が何故か大喜びをしたこと等、次から次へと懐かしい思い出の場面が浮かんできたのだった。

また、東山魁夷は、このエッセイの中でリューベックの町への想いを次のように書いている。

【これらの小説は、マンの自伝的な要素が多く含まれ、共にリューベックを舞台にしている。殊に、『トニオ・クレーゲル』の中では、この町の「北方の港町」としての感情が、強い郷愁を含んだ音楽的な諧調で奏でられている。
私は青春の日に、それらを読んで、深い共感を味わうと共に、いつのまにか、リューベックの雰囲気、町並み、路地が、心の中に描きこまれていたのである。それは勿論、現実のリューベックではなく、マンの郷愁としての町であり、私にとっては、殊に、霧の中の幻想のようなものであった。
以前、ドイツに留学していた時は、私はこの町へは来なかった。私自身、ここに郷愁を感じる年齢ではなかったからであろう。それからずっと後のことである。若い日々が、遥か彼方に沈み去った後で、私は再びこの小説を読み、深く心を打たれたことがある。私にはもう一つの町のイメージが二重になって、背後に浮かび上がってくるのを感じていて、そのために、一層感じ方が強かったのであろうか。この北の港町とは、風土的には全く異なった環境にあるが、私にとっては故郷としての意味を持つ、瀬戸内海の港町、神戸である。】(エッセイ「リューベック」より)

もう一度、『トニオ・クレーゲル』を読みたくなった。
そして、この町を訪れたくなった。

もうあの時から15年も経った。
私も彼女もまだまだまだ若く、溌剌としていた。
もう一度近いうちにぜひ会って心ゆくまで話をしたいと思っているのだが、
なかなか重い腰を上げられないでいる。

『光陰矢の如し』

「過ぎゆく時間を大切に毎日を一生懸命生きていきたいなぁ」と改めて思い、
「さあ!」と夕食の支度にとりかかったのだった。
何故か元気になっていた。
思い出に元気をもらった日だった。


それにしても水泳は疲れる。
苦手意識の方がまだまだ先に立つからだろう。
水中での呼吸が苦手で、レッスンの最後に「何を泳いでもいいよ。ダウンだから」と言われると迷わず背泳を選ぶ私を先生はいつも笑うのだが、こればかりは仕方がない。


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街の全景(絵葉書から)


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駅舎 (2002年撮影)


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市庁舎(webサイトから拝借)



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聖マリア教会の上からのリューベックの町(2002年撮影)




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Commented by sternenlied2 at 2017-06-13 14:43
リューベックは大好きな街の一つですね。
新世紀の始まる少し前2年間ほど、シュヴェリーンに
住んでいたのですが、そこからリューベックはそれほど遠くなく、
度々出かけましたよ。時には一人で列車に乗って。
そんな時は駅から歩いて街の中心部まで向かいました。
リューベックは訪れる度に暖かく迎えてくれる街でした。
川辺に沿って歩いたり、小路を巡ったりするのも楽しかったです。
家々の間に設けられた一人が通り抜けられる程のトンネルのような細い道を通ると、
家々の建物に囲まれた中庭のようなところに出るのですが、そこにも隠れ家のような
素敵なかわいい家並みがたくさん並んでて。
一度そういう場所で素敵な家ねと夫と一緒に惚れ惚れと見上げていたら、
そこに住んでる人がいらっしゃいと家の中を見せてくれたことがありました。
リューベックには楽しい思い出がたくさんありますね。
Commented by PochiPochi-2-s at 2017-06-13 18:39
☆ sternenliedさん

まあ、そうでしたか。
落ち着いたいい町ですね。
私も 近くだったら何度も出かけたい町です。
私も駅から歩きましたよ。
他に、ロストクやワイマール、ビスマルクなどへも行きたかった
のですが 、彼女の家からでは ちょっと遠すぎました。
いつかまた機会があるでしょうと諦めました。

今回改めて 東山魁夷のエッセイを読み、
またドイツへ行きたいという気持ちに拍車をかけられました。


Commented by hanamomo08 at 2017-06-13 22:08
きれいな街ですね。
1995年ごろ私の連れ合いも出張でこの街に行きました。
ホルシュテイン門は少し傾いていたと聞いた事がありました。

でも PochiPochiさんよくお一人で出かけられましたね。
すごい!
東山魁夷のエッセイ、読んでみたいものです。
Commented by PochiPochi-2-s at 2017-06-14 20:49
☆ hanamomoさん

こんばんは。
まあ そうでしたか。
リューベックはハンザ同盟で栄えた町で、
ドイツではかつてハンザ同盟に所属していた町というのは
何か特別な感じ(誇り?)を持っているようで、車のナンバープレート
に表れているように思いました。かつてのハンザ同盟の町のナンバー、
プレートはすべてハンザを意味するHから始まります。
例えば、リューベックはHR(ハンザ リューベック)、ハンブルグはHH
(ハンザ ハンブルグ)で始まります。
静かな、落ち着いた、きれいな町です。
リューベックからハンブルグまでの車窓の景色は北海道のように感じましたよ。

東山魁夷はたくさんエッセイを書いています。
文庫版でたくさん出ていますので、気軽に読めるかなと思います。
『風景との対話』『馬車よゆっくり休め 』『日本の美を求めて』
『ドイツ・オーストリア』『泉に聴く』は手元にあります。
ぜひお読みになってください。



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by PochiPochi-2-s | 2017-06-12 23:46 | 読書 | Trackback | Comments(4)

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