渋滞

朝からコートが要らないくらい暖かい日だった。
所用で大阪市内へ車で行くことになり、この冬以来初めてコートなしで出かけた。
ブレザージャケットで充分の暖かさだった。

千里中央から新御堂筋線に入ってすぐに渋滞が始まった。
カーナビ表示にはまだ渋滞を示す赤い線が道路の横に表示されてはいなかった。
しかし、しばらく走ると、さらに渋滞がひどくなり前方に進めなくなった。
いったいどこまでこの渋滞が続いているのだろうか?
ナビの地図で調べて見ると、江坂近くまで続いていた。
「江坂付近で事故でもあったのだろう。
こうなったら仕方がない。なるようにしかならない。
横道にそれることもできないし…」
そうなると、ふたりの間でおしゃべりが始まり、
そのうちに、渋滞の話から娘の高校の卒業式の日のことを思い出したのだった。


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クラブの仲良しの仲間と



彼女と兄(長男)が通った高校は、
公立高校だが 制服はなく、卒業式も服装には何の決まりもなく全くの自由だった。
娘は、卒業式の日には、母が昔私のために作ってくれた振袖を着ると決めていた。
卒業式当日の朝、当時住んでいた家の近くの美容院で早朝から振袖の着付けをして
もらい、私が自動車で天王寺にあった彼女の学校まで送って行くという計画だった。

当日、朝8時前の長居までの道は予想以上に渋滞していた。
なかなか車は思うようには進まなかった。
このままでは遅れると少々焦りだした頃、ふっと思った。
「渋滞でもバスが時間どうりに走れるようにバス路線だけはあけられている。
そのバス道を走ればいいじゃなか。目の前にバスが見えれば横の車線に入ればいい」
怖いもの知らずとはこういうことを言うのだろう。
バス路線を走り、バスを見つければ横の車線に移り、なんとか長居までは行けた。
しかし、次の関門があった。
普段『開かずの踏切』と呼ばれている踏切がJR長居駅の北側にあり、その踏切を通過しなければ彼女の高校には行けなかった。予想どうり『開かずの踏切』は待っても待っても開かなかった。
このままでは学校が指定した集合時間に遅れると、
「急遽すぐ近くのJR長居駅に戻り、そこからJR美章園駅まで電車で行くこと」
を娘に勧め、彼女も同意した。

その後一人になった私は踏切が開くのをゆっくりと待ち、
前以て下調べをしていた場所に自動車を駐車し、卒業式に参列したのだった。
当日の生徒の集合時間は卒業式が始まる1時間前だった。
正門の受付で、主人の元同僚の知り合いの先生に声をかけられた。
「お嬢さんは十分間に合いましたよ。安心して式に参列してください」
なんとも恥ずかしいことだった。

その日学校から帰り私の顔を見た途端、彼女は言った。
「美章園の駅から学校の正門まで、着物姿でどれだけ走ったことか!
みんな呆れた顔して私を見てはったわ。
上手に着せてくれてたから着物が着崩れなかったのが嬉しかった」

担任の先生は娘に言ったそうだ。
「そんな格好してくるなんて。思いもしなかった。
一度も遅刻をしたことがないのに何故やろうかと思ってたんよ。
でも、よく似合ってるわ。特に帯がいいわ。この日のために作ってもらったの?」
娘は答えたという。
「うううん、違うわ。お母さんの振袖やねん。
おばあちゃんが気に入ってお母さんのためにこしらえたと聞いています。
私もこの着物が好きなので、今日絶対に着ようと思ってたんです」

式の後、クラブの男子からは「僕と二人のツーショットの写真を撮って欲しい」
と頼まれ、とっても忙しかったらしい。
「今日だけは超人気ものやったわ!」
嬉しそうな顔で彼女はしゃべっていた。

今でも渋滞と聞いたり、渋滞にはまってしまった時に思い出す話である。

予想通り江坂付近で乗用車、二輪車、マイクロバスの衝突事故があり、
1車線が閉鎖されていた故の渋滞だった。
普段なら10分程度で通り抜けれるところを1時間余かかったのだった。

その後通った なにわ筋の銀杏並木は、まだ新芽も出ていなかった。
「暖かいとは言えど、まだまだ本格的な春ではないなあ」と思ったのだった。




🍀



「おばちゃん、もっちゃん(娘)元気? 赤ちゃん大丈夫?
お母さんから聞いたんやけど、心配で」

夕方帰宅して暫くしてから電話があった。
二番目の義姉の、東京に住んでいる長男M君からの電話だった。

以前大阪市内に住んでいた頃、子供達が生まれた頃からお互い近所に住んでいて、
毎日のようにどちらかの家で遊んでいた。
Mちゃん、弟のTちゃん、うちの長男のマック、長女のもっちゃん、次男のとっくん。
女の子は一人だけだったが、5人兄弟姉妹にようにして遊んでいた仲だった。
大人になり、勤務先の関係で みんな今はバラバラに離れて住んではいるが、
良い時も悪い時も何かあった時は、お互いが気になるようだ。

そんなM君が娘のことを心配して、わざわざ東京から電話をくれた。
小さい時から変わらない優しい気持ちに嬉しくなって、
私の方も少々ハイテンションになっていたかもしれない。
その夜は嬉しくて、いつになく、いつまでも主人に話しかけていたのだった。




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Commented by pallet-sorairo at 2017-03-21 10:14
幸せな時間は、
いつもいつまでもキラキラとしていますね。
ちょっとうらやましいです(^^。
Commented by PochiPochi-2-s at 2017-03-22 00:28
☆ pallet-sorairoさん

みんな同じじゃないですか?
今思うと、子育てをしていた頃は、少ししんどかったけれど
それだけに楽しみも多かったなぁ〜と。


Commented by Deko at 2017-03-23 18:10 x
車の移動時間が見当つきませんね。それでも間に合ってほっとされましたね。懐かしい記憶ですね。公立高校の卒業式華やかですね。時代でしょうか最近では小学校の卒業式にも袴の人が多いと報道されていました。親御さんは大変ですね。
娘が着物を着たのは成人式だけでした。大学の卒業式もスーツでした。
Commented by PochiPochi-2-s at 2017-03-24 19:43
☆ Dekoさん

こんにちは。
懐かしい思い出です。
長男の卒業式(同じ高校)の時に振袖を着ている女子が5、6人いたので、
これはいいと娘にも勧めたのです。
この学校は服装は全くの私服で3年間ほぼTシャツとGパン、
クラブのジャージ上下でした。また学校の所在地が天王寺区なので
在日韓国人や中国籍の学生も多く、卒業式では、特に女子学生の服装が
華やかでした。北朝鮮籍の女子はチマチョゴリを着ているし、中国籍
の女子は正装のチャイナドレスを着てましたから、日本人の女子も振袖を
着てもいいのではという考えでした。大抵はスーツかレンタルの羽織袴
でしたが、親の振袖や羽織袴を着ている女の子もいましたよ。
彼女の学年で振袖を着たのは珍しく彼女一人で、特に目立ったようでした。
国旗掲揚国歌斉唱の時も、「この学校には外国籍の人も多くいますが、
あなた達の友人の国の国旗国歌ですから敬意の気持ちを持って一緒に
起立斉唱してください」という校長の一言がありました。
まだまだいい時代でしたね。
当時の自宅から彼らの高校まで自動車では30分ぐらいでした。
自転車だと20分ぐらいでしたが。自転車の場合は地図的には三角形の斜辺を
走るような感じですし、自転車だけが通れる近道などもありますから。
雨の日も風の日も3年間自転車通学でした。地下鉄を待つの時間がもったいない
と言ってましたね。
彼女はこの着物が大好きで、結婚するまで5、6回ぐらい着ていましたね。

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by PochiPochi-2-s | 2017-03-20 23:06 | 思い | Trackback | Comments(4)

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by PochiPochi-2-s