一、 「国際的」おばあちゃん
写真に見るスイスの山と湖、緑と水、花と雪渓、牧場と山小屋(シャレー)。誰もが一度は見たことのある光景であろう。
だが写真に写った観光名所へ行くと失望させられることが多いこと。レンズの魔術と角度(アングル)が「売り物」に厚化粧を施しているためだ。
しかし、ことスイスに関してはその常識は当てはまらない。むしろ「全方位」撮影をしたい衝動に駆りたてられるのはこの私だけではあるまい。
路傍の草花、街角、畑の一軒家、すべてが絵になる ー それは単に異文化に接した驚きというより、私たち「日本人共通の憧れ」を具現したかのような風景がそこにあるからなのだ。
入江泰吉氏の「大和」に一脈通じるルーツがそこに感じられるのである。
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ホテル「べラリー」の夕食はミート=パイだった。久しぶりに味わう「家庭料理」は最高の味だ。(夕食付は最初で最後)
新鮮な野菜、ミルク、それに特製スープは何度でも「おかわり」ができる。しかも料理した家族の人たちが総出でサービスに努める。料理にまつわる話から旅の話まで。あちらこちらのテーブルで家族の方との対話が始まり、旅人同士へと輪が広がっていく。まさに夕食(ディナー)を楽しむとは、このことなのだ。お互いに言葉も習慣も異なる外国旅行者なのに、「同じ釜の飯」の効果は世界共通らしい。
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"Bon Soir" "Guten Abent" "Good evening" 「こんばんは」対話の輪を広げていく「立役者」は何と言っても、ホテル「べラリー」のおばあさん。彼女の言語力たるや、英語だけであくせくしている私たちには神業としか思えない。
独・仏・英・ロマニッシュ語は自由自在。片言の日本語も話す。テーブル同士の橋渡し(通訳)も手慣れたもの。
彼女のお陰で、シュツットガルトから来たドイツ人夫妻とも親しくなり、マックちゃん、モッちゃんは、広い庭で食後のひと時を彼らとのゲームに興じたのだった。
「愛車はトヨタ」と誇らしげにご主人。「ワーゲンは人気者」と私。お互いの「舶来志向」に苦笑。ドイツで、そして日本での再会を誓い固い握手を交わし、翌日彼らを見送った。
二、 アイガー北壁
「お父さん、お母さん、ほら! 山が見えたッ」
庭でドイツ人夫妻と遊んでいた子供たち、息を切らして、食堂に飛び込んできた。
食後の交歓に華やいだ雰囲気が一瞬緊張。皆総立ちになり視線はベランダへ一直線。
「見えた、見えた!」感嘆のどよめきがおこる。
急ぎベランダに出る。目前に聳(そび)える岩山。これこそアイガー北壁そのものである。霧のベールに包まれ、裾野がほんのわずか見えかくれしていたのが嘘のようだ。
「こんな近くに!」
皆が一様にそう言っているように聞こえてくる。手にとるように見えるとは、正しくこのことだろう。
霧のもたらす遠近の効果、特に山間での役割は抜群である。ファインダーをのぞき込み、ピント合わせの時に感じる一時の張りつめた気持ち。それに似ている。
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数年前、同僚四人と信州旅行したことがあった。
伊那インターを下り、高遠(たかどお)を経由、細く曲がりくねった地道を走ること1時間余り。「杖突峠」に出た。
そこからの展望は、「日本のスイス」と言われる。八ヶ岳を背景にした茅野市全景に感動したものだ。
本物のスイスとの比較を楽しみながら日暮れ遅くまで山(アイガー)を眺めた。(続く)
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今日の文を読んでみて
「現在のホテル・べラリーはどのようになっているのだろうか、
まだ現在もホテルとして存続しているのだろうか」
と思い、調べてみた。
三つ星ホテルになっていた。
ホテルの佇まいは当時のまま。
とっても懐かしかった。
あの時以来、
少なくとも2回は再訪できる機会があったのに
何故再訪しなかったのだろうと、
今になって少し残念に思う。
当時の経営者のおじいさん、おばあさんはすでに亡くなられていて、
現在は娘夫婦(主人は日本人)と息子で経営してるらしい。
ホテル・べラリーのおじいさんとおばあさん(「グリンデルワルト便り」より拝借)
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《古いアルバムから》
当時のホテル・べラリー
ホテルの庭でふざける二人(6歳半と5歳)あと半年で41歳になる長男と39歳になったばかりの長女。二人とも今ではいいお父さんとお母さんになっている。特に 長男の子供達、男の子2人は、もうすでにこの時の長男の年齢を超えている。
やっと見えたアイガー北壁
アイガー北壁にかかる月
いつまでも眺めていた。