「うん、おいしいわ!」
昨日、偶然 おいしいイチゴが手に入った。
たまたま立ち寄ったスーパーで、配送中のイチゴパックの入った荷物がひっくり返り
売り物にならなくなったイチゴが売られていた。4パック入りが1パック分の値段。
何段か積まれていたので、少し下の段の箱のイチゴを見て見た。
「きれいじゃない。なぁ〜んも傷ついてない。買うわ」
レジに並んだ頃にはもうそのイチゴはなくなっていた。
帰ってすぐに一つ食べてみると、甘酸っぱくてとてもおいしい。
ラッキーだった。
早速、昨日と今日の2日かけて、丁寧にイチゴジャムを作ってみた。
毎年 父が 畑に植えてくれたイチゴの苗の世話をし育てるのが、
小さい頃の私の楽しみの一つだった。
その頃の私には、イチゴの苗の植え方がおもしろくてならなかった。
円錐形に砂を積み上げ、その真ん中のてっぺんを崩し、火山の広〜い噴火口のような
形にする。そして、そこに苗を植える。
十分に水をあげてから、竹ヒゴのような細い棒を十字に土の上にさし、その上に三角
錐の形の透明ナイロンの袋をかける。周囲を土で埋める。
このようにしておけば、日中 太陽の熱で水分が蒸発し、ナイロンの内側にくっつく。
夜中に温度が下がると、その水分が土の上に雫となって落ちる。
このことの繰り返しで、毎日水をやらなくとも苗は育っていく。
小さかった私にはこの水の循環がおもしろく、興味津々だった。
毎日 朝から 畑に走っていっては、何時間もじっと見つめていたものだった。
最近読んだ「料理と人生」(文・海原純子・心療内科医)というタイトルのショート
エッセイを思い出した。
その中に次のような文章がある。
「人生は料理だ」と常々思っている。料理は、自分が無理なく買えるものを求め、あるいは手持ちのものを活かしてするのに、なぜ人生となると言い訳と後悔と羨望ばかりになるのか。「あの人みたいに能力がないから」「もう若くないから」「器用じゃないから」…。
そう、そんな言葉はやめたいと思う。生きるのに才能なんていらない。自分の今もっているものを、しっかりみつめよう。高い食材ではなくてもおいしいものができるのと同じように、自分がもっているものを最大限に活かすこと、そして自分だけのエッセンスを加えて一味ちがうようにすると、人生が楽しくなる。
おいしい料理とは自分の口にあう、自分の心身に必要な料理だ。それを作るのは、他人ではなく自分。おいしい人生とは、自分が幸せと感じられる生活だろう。それを作るのは自分自身。さあ、人生の料理をはじめよう。
さあ 私も、エルキュール・ポワロのように灰色の脳細胞を最大限活用し、
自分も含めみんなが喜ぶおいしい料理を作り、幸せと感じれる生活をしよう。
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今日ブログ友Dekoさんから頂いた
シラユキゲシが
咲いた!
なんとも言えず清楚である