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忘れがたい南アルプス大縦走

12月27日、Nickさんのブログには、真っ青な青空を背景に美しい雪で覆われた南アルプスの山々の写真が載せられていた。

あまりにもきれいで見入ってしまった。
じっと眺めているうちに、大学3回生の夏、友人2人と私の女3人で大胆にも決行した
南アルプス大縦走を懐かしく思い出した。
思い出深い山行で、生涯忘れることがないだろう。


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Wikipediaより・南アルプス(赤石山脈)上空より


入学時、大学は学園紛争で学生側が占拠し、キャンパスは封鎖されていた。
7月に入りようやく封鎖解除され、それとともにクラブ活動も活発になった。

私は、南アルプス(赤石山脈)とは縁が深い。
私にとっての本格的な登山は、
先輩に連れられて初めて登った南アルプス甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳だった。
降り立ったJR伊那北駅は、当時はまだ無人駅で、乗ってきた電車の乗車券を改札に
おき、登山口のある戸台までバスでいった。北沢峠にテントを張り、甲斐駒ヶ岳と
仙丈ヶ岳をピストンした。
2年生の夏合宿も南アルプスだった。
夜叉神峠から鳳凰3山、早川尾根を歩き北沢峠まで。
この時も甲斐甲斐駒ヶ岳と仙丈ヶ岳をピストンした。
仙丈ヶ岳のカールに残っていた残雪でフラッペをつくり、友人Mさんの20歳の誕生日を祝ったのだった。

「ねぇ、南アルプスの南の方の山に登りたいなぁ。女だけで行けるかなぁ?」
3年になったばかりの春、誰ともなく言い出した。


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《古いアルバムに記してあった簡単な山行の略図と日程》


大阪駅を夜行電車で出発し、金谷に到着するのは早朝早い時間だった。
寝過ごし乗り過ごさないように、前もって車掌さんに頼んではいたが、興奮していた
のもあってか一睡もできなかった。ここから身延線に乗り換え、身延で降りる。

伝付峠を越え二軒小屋から入るコースである。
荒川三山(悪沢岳)→ 赤石岳 → 兎 → 聖岳 → 茶臼岳 → 光(てかり)岳 → 寸又峡温泉
6泊7日の大縦走だった。

当時の山小屋、特に南アルプスはどの小屋も、小屋の建物が建てられているだけで
管理人もおらず、食事の用意は全部自分たちでしなければならなかった。
当然食料は全部担いで持っていかなけれならず、登り始めた時の荷物は女性には
かなり重いものだった。
登っても登っても高度が稼げないこともあった。



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Wikipediaより赤石岳



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古いアルバムから・赤石岳山頂


目指すは赤石岳
当日は快晴。青空がどこまでも広がり、360度見渡す限りの大展望だった。
遠く日本海側に白山、その向こうにかすかに日本海、太平洋側には、富士山と太平洋
が見えた。この上ない景色で嬉しくなり山登りの鉄則を忘れ、山頂で2時間ほど大はしゃぎをして遊んでしまった。赤石岳の下りは思いのほかガレており、下山に時間がかかり、その日の宿泊小屋・百間洞山の家まで急がなければならない羽目に陥ってしまったのだった。


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古いアルバムから・聖岳山頂



この長い縦走の途中ですれ違ったのはたった一人(男性)だった。
重い荷物とカメラを担ぎ、黙々と登りながら、時々カメラを取り出しては山の写真を
撮っていた。若かった私には魅力的な男性のように思えた。

忘れられないのは、それまで最高だった天気が、茶臼岳を過ぎた頃から急変し、
茶臼岳から光岳までは大雨の中の縦走だった。
光岳に着く頃には豪雨になっており、慌てて山小屋に飛び込んだ。
そこにはすでに男性二人が避難していた。
私たち3人をいれて5人が震えながら時間を過ごしたのだった。

山小屋は森林の中にあったが、周りの木を切り開きオープンスペースになっていた
場所のど真ん中に建てられていたので、小屋の周囲を流れる雨水の音、吹きすさぶ
風の音で、怖さがなお一層つのったのだった。
「小屋ごと流されてしまうのではないか」と怖くて震えながらその小屋で二日間を
過ごした。



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3日目ようやく晴れ、いっきに寸又峡まで下山することにした。
しかし、この下山の山道は大変だった。
木材を切りだすためのトロッコ電車の軌道が山道になっていたので、
歩きにくく足が疲れ、どうしようもなくしんどいものだった。
薄暗いトンネルがいくつもあり、気がつくと白い登山用のハイソックスが
赤く染まるほどヒルに血を吸われていた。
これほどしんどい思いをして下山したことはなかったので、
「もう2度とこんな道は通りたくない」と思いながら降りたものだった。



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古いアルバムより・寸又峡夢の吊り橋


寸又峡温泉で一泊した翌朝、偶然光岳小屋で一緒に宿泊した2人の男性とも再会し、
もう一度、あの怖かった小屋での1日について賑やかに談笑したのだった。


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大学のキャンパスに戻り時計台を見た時、何故かほっと安心したのを今でもはっきり
と覚えている。

懐かしい、忘れがたい思い出の山行である。

もう一度登りたいとは思うが、もう登ることもないだろう。



Commented by echaloterre at 2015-12-30 01:50
その時代でしたか。
私は80年代ですが、学生時代、私も南アルプスに大学の仲間と登りました。
北沢峠から甲斐駒、それから鳳凰三山へ行きました。
nickさんの山の写真を見ると登山の思い出が蘇りますよね。
私の時代は、今のようなカラフルなザックやテントがちょうど使われ始めた頃です。
私たちはまだそんな素敵なのは使えず、6人や8人用の家が他のテントを使ったり
縦長じゃなくて横長のキスリングと呼ばれるザックでした!
キスリングって、久しぶりにこの名前を思い出しましたよ!!
携帯なんかない時代だから、登る前の準備も大変でした。
でも、PochiPochiさんの時代も私の時代も山、そのものをたっぷりと楽しめた時代ですね。
私もまた上りたいと思う山はたくさんありますが、実際に登るためには、かなりえいっと思い立たなければ・・・
そんな山々の姿を思いつつ、PochiPochiさん、どうぞよいお年をお迎えくださいね♪
Commented by saheizi-inokori at 2015-12-30 11:02
長野育ちなのに本格的な山歩きをしないまま古希を過ぎました。
今頃テレビやブログで山の楽しさを想像して、ああ、今度生まれ変わることが合ったら、と思っています。
北村薫の「八月の六日間」http://pinhukuro.exblog.jp/22864837/なども楽しかったなあ。
Commented by linden2151026 at 2015-12-30 14:15
pochipochiさん.こんにちわ。
山登りしたことがない私ですが、pochipochiさんの読ませていただいたら、私はどうしてしなかったんかしらと思いました。
pochipochiさんの思い出に残る青春の1ページですね。
年末年始お忙しいと思いますが、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
Commented by PochiPochi-2-s at 2015-12-31 00:04
echaloterreさん

わぁ〜、ずいぶん若いのですねぇ。
ホント、もう一度山に登りたいって思います。
それ程美しい魅力的な写真ですもの。

“キスリング”ねぇ。懐かしいわ。“大キス”って言ってました。(笑)
テントもビニロン(?)だったか、生地の名も忘れてしまいました
が、雨に濡れると2倍に膨らんで大変でした!
山の話になれば話は尽きないですが、
echaloterreさんもよいお年をお迎えくださいね。
来年もよろしくお願いしますね。
Commented by PochiPochi-2-s at 2015-12-31 00:12
saheizi-inokoriさん

案外とそんなものかもしれないと思います。
近くにいて毎日見慣れているから登ろうとも思わないのかも。登山にしてもスキーにしても遠くにいるからこそ憧れが強く、ぜひ登ってみたい、やってみたいと…

北村薫のこの本は知りませんでした。
読んでみたいと思います。

saheiziさん、よいお年をお迎えくださいね。
来年もどうぞよろしくお願いします。
Commented by PochiPochi-2-s at 2015-12-31 00:15
lindenさん

機会があれば登って下さいね。
ロープウェイやケーブルなど利用できるものは利用して、あと少しだけ歩くという山登りもいいものですよ。

ありがとうございます。
lindenさんもよいお年をお迎えくださいね。
来年もどうぞよろしくお願いしますね。
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by PochiPochi-2-s | 2015-12-29 22:40 | 思い出 | Comments(6)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s