祖母の東京土産の大きなミルクのみ人形の服をよく作っていたことを。
彼女は、ここ2〜3日のブログ(9/18・19・20)の中で、
「小さな靴を履いた人形の着せるために、スカートやズボン、シャツ、ブラウス、
籠、帽子等を作くった。またイラストの帽子をかぶった猫の絵の立体化も試み、
その小さな人形と、その人形に着せる服やズボン、マフラー等の小物もいろいろと
作った。できあがった作品を楽しむより、制作前の思考期間、製作中の方が楽しい」
と書いている。
彼女のブログを訪れるたびに、
「ええ〜っ、こんなこともできるんや。凄いなぁ」
と、びっくりし、そして、感心してしまう。
「はい、これ東京のお土産。欲しがってた大きなミルク飲み人形や。ケイちゃんと
2人で仲良く遊ぶんやで。忘れたらあかんから、東京に着いてすぐに買ったんや。
これ2つと大きなトラクター(弟へのお土産)を持っていろいろと回るの大変やった。
皇居の二重橋を見れてほんま 嬉しかった。いい思い出になったわ」
当時私は小学校の3〜4年生。従姉妹のケイちゃんは私より2つ年上。
昭和30年代半ば頃の話。
祖母は、農協の仲間に誘われ、意を決して東京見物の大旅行に出かけたのだった。
当時、和歌山から東京までは なかなか行けるものではなく、何か一大事がない限り
東京は遠い別世界だった。東京に行ったことのある人は ほとんどいなかった。
「いい死に土産になるわ」
そう言って祖母は出かけたのだった。
ケイちゃんと私は大喜びだった。
私の周りでは、誰一人このような大きな可愛いミルク飲み人形は持っていなかった。
「さすが東京土産や。ええなぁ〜」
友達はみんな羨ましがったものだった。
「ねぇ、うちにようさん端切れがあるから、それでこの人形の服をつくらへんか?
着替えがなかったら可哀想や。できひんかったら教えてあげるから一緒に作ろう」
ある時 ケイちゃんが私に言った。
おばちゃんは家で和裁の仕立てをしていたし、私たち2人のワンピースやスカートを
お揃いでよく縫ってくれたりもしていたので、端切れはたくさんあった。
毎日学校から帰るとケイちゃんの家に行き、人形のスカートやブラウス、
時には下着のパンツまで作ってはそれぞれの人形に着せて遊んだ。
まるで 当時 女の子がみんなよく遊んでいた紙でできた着せ替え人形のように。
着ているものを脱がせ、紙の上に置き、適当に型紙を作った。
針と糸を使い手で縫った。時にはミシンも使った。
私はミシンを踏むのが大好きだった。
夏用のブラウスやスカート、冬用のブラウスとスカートやズボン等、何枚も作った。
「そうや、セーターも要るわ」
ふと思った。
幸い母も父も毛糸を編むのが上手だった。
表編みと裏編みを教えてもらって、一生懸命練習した。
直線編みのセーターが編めるようになり、熱中して何枚も編んだものだった。
ある時 また思った。
「毛糸でワンピースを編みたい。できるかな?」
小さいながらも一生懸命に考えた。
「そうや、セーターを編むようにまっすぐ上に編み上がり、ウエストの部分で
減らし目をすればいい。そしてそのまま背丈分編み上がればワンピースになる。
ウエストのところは、ギャザーをよせたように見えるわ」
母から古い毛糸をたくさんもらい、早速試してみた。
できた!
嬉しくてみんなに見せて回っては、
「ようやったな」と誉めてもらい嬉しくてならなかったのを覚えている。
今私の趣味の一つはセーターを編むこと。
子供たちが小さかった頃、兄妹のをお揃いにして正月用にとよく編んだものだった。
(色は同じだが編み込み模様のパターンの位置を変えた)
主人のセーターも何枚か編んだ。
結婚前にクリスマスプレゼントとして編んだセーターは、本当に嬉しかったらしい。
今でもその話を時々することがある。
fusk-enさんのブログが私に
このような“なんにもなかったけれど楽しかった日々のこと”を思い出させてくれた。
*
昔のアルバムから
人形の毛糸のワンピースをを編む小さい頃の私
20年以上も前に編んだセーター毛糸の色が気に入り、いっきに編んだ
このセーターも大好き少しモヘアが混ざり、軽くて暖かい
「暮らしの手帳」に載っていたパターンが気に入り何枚か編んだうちの一枚
一番最近編んだセーターボートネックで下にエンジ色のヒートテックのタートルをよく着る