今日は今年に入って初めて暖かい日だった。
昨夜も お気に入りのBSテレビ番組を楽しんだ。
BS・TBS「スペイン横断800キロ 平岳大と情熱の巡礼路」
キリスト教三大巡礼地(バチカン・エルサレム・サンテイアゴ・デ・コンポステーラ)
の一つ、サンテイアゴ・デ・コンポステーラへ続く世界遺産の道。
(サンテイアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂・Bingの画像より)
(Bingの画像より)
彼は、スペインのオンタナスという町からこの巡礼路を歩き始めた。
途中、ブルゴス、レオンに立ち寄り、レオン大聖堂に感嘆する。
毎年たくさんの人たちがこの巡礼道を歩くという。スタート地点はさまざま。フランスからピレネーを超えて歩く場合には、1ヶ月以上かかると言われている。
「彼らは、いったい、何を考え どのような思いを持って歩くのだろうか?」
平岳大さんは、行く先々で、出会った人たちに尋ね、会話をする。国籍はさまざま。思いも、考えも、悩みも、人それぞれ。
(巡礼道・Bing画像より)
村から村へ 街から街への途中、周りに何もない、どこまでも続く一本の道を
ただひたすら、サンテイアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩く。
彼は途中で、
“何も考えていない、ただひたすら歩くだけの自分”に気づいた。
ふっと、昔の山行を思い出した。
遠い昔、大学時代、女性3人で行った南アルプス縦走を。
赤石岳から光岳まで。
(Bing画像)
二軒小屋から入り、荒川三山、悪沢岳、赤石岳、兎岳、聖岳、茶臼岳、光岳を縦走、
寸又峡温泉におりた。
(赤石岳・Bing画像)
赤石の山頂では、非常に珍しく、雲ひとつない晴天。
遠く北の方に白山とうっすらと霞む日本海、南の方に富士山と太平洋が見えた。
嬉しくて有頂天になり、みんなではしゃぎまわった。
山頂で2時間あまりも過ごしてしまったことを懐かしく思い出す。
茶臼小屋から光小屋までは、台風の影響で雨。光小屋に着く頃には土砂降りの雨。
小屋ごとすべて流されてしまうのではないかと思われるほどの凄い雨だった。
雨音も それまで聞いたことがないほどのものすごい大きな音だったので、
怖くて一晩中ぶるぶる震えながら過ごした。全く眠れなかった。
私たちの他に、男性が2人いたので、少しは安心だったが…
寸又峡温泉への下りも、考えていた以上にきつい、しんどいものだった。
木を切り出すための木道を ひたすら黙々と歩いて下りた。
気がつかないうちに足に蛭が食らいつき、靴下が血に染まっていた。
「何故山に登るの?」
「 何がいいの?」
よく聞かれた。
答えられない。
でも、登り終わった後の開放感、充実感は言葉には言い表せない。
また登りたいと思う。
人はさまざまな思いを持って山に登る。
ただひたすら登る。登り始めたら降りるまで、ただ歩くしかない。
いろんなことを考えながら、時には美しい景色に感動し、健気に咲く高山植物に
励まされ、行程をひたすら歩く。
今夜、この巡礼路を歩く平岳大さんの姿と巡礼路を見ていて、
「ああ、山登りと同じやなあ」と思ったのは間違いだろうか?
彼の最後の言葉が印象的だった。
要約すると、
「サンテイアゴ・デ・コンポステーラに無事に到達し、大聖堂でミサに参列した後、
巡礼者はみんな、最後にこの岬に来る。ここで今まで身に付けていたものを焼き、
新たに自分のこれからの人生に向かって出発するらしい。
しかし、この岬から先は海。大西洋。
彼らは何かを求めてここまでやってくるが、そこに在るのはただ深い海。
何も教えてはくれない。沈黙があるのみ。
結局は、自分で考え、自分で解決しなければならないということだろう」
四国48か所巡りのお遍路さんも同じなのだろうと思った。
いつかチャンスがあれば、ぜひとも歩いてみたい。
そう思った。
心に深く残る番組だった。