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長年愛用のカシミアのセーター

ぶるッぶるぶるッ!
寒ッ!
「さっむいなぁ。今日、絵に教室に行く日やのになぁ。
そうやわ、あのセーターを着て行こう♪」


朝起きると薄い氷が張っていた。
この冬初めて。
台所北側の出入り口のドアの外に置いていたバケツの水に薄く氷が張っていた。
7時半、デッキの温度計は0℃を指していた。
部屋の中は10℃。
ストーブを2筒全開にしてもなかなか温度が上がらない。
午前10時、やっと外の温度は8℃、部屋の中は20℃になる。
太陽の光が部屋いっぱいに広がった。

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早めのお昼ご飯をすまし、長年愛用のカシミアのセーターを着て出かけた。
思ったとおりこのセーターは暖かかった。
からだがほかほかするくらい暖かく冷たい風も気にならないくらいだった。

もう20年近く前になるだろうか。
近くの洋服屋さんで偶然このセーターに出会い、一目惚れだった。
しかし、その値段の高さに驚いた。
私の許容範囲をはるかに超えていたのにもかかわらず、何故だかわからないが
どうしても欲しく、清水の舞台から飛び降りる気持で「エイッ」と買ったのだった。
私には珍しいことだった。
買い物は成功だった。
20年近くたった今でも着心地は満点。毛糸が痩せたりフェルト化したりすることもなく、着るといつもふあっとした暖かさに包まれる。

その時以来、『めっちゃ(最高に)寒い日のセーター』と呼ばれ、
“この冬最高の寒さと言われる日”には必ず登場するセーター2代目となったのだった。

1代目は?
1982年初めてヨーロッパへ家族で行った時訪れた最後の国イギリスで買ったセーターだった。
夏のバーゲンで売られていたセーターだったが、その暖かかったこと!
めっちゃ寒いと感じた日や風邪を引きそうな日には必ずと言っていいほど着たものだった。
このセーターも長年愛用し、毛糸が擦り切れるまで着たものだった。

『めっちゃ寒い日のセーター』
寒がり屋の私には必需品である。


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もうすぐクリスマス。
鍋敷きを変えてみた。
この赤色と緑色の取り合わせが美しく、何年か前に購入した鍋敷き。
「このシーズンにぴったりだなぁ」と一人でひそかに心の中でつぶやいた。


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アンジーへのプレゼントに編んだネックウォーマーの毛糸を買った時、
もう一玉買っていた毛糸で再び編み始めたネックウォーマー。
今度の毛糸もフンデルトヴァッサーの絵、Der Blake Mond(青い月)をイメージした毛糸。
寒色系の好きな私にはいいかもしれないとひそかに楽しんでいる♪
さてどのような感じのネックウォーマーになろのだろうか?


今日の教室で
来年2月の作品展に出す絵を先生に相談して決めた。

シラキの紅葉
アオツヅラフジ
朴の花と露
マムシグサ
ヤマリンドウ
フジ





# by PochiPochi-2-s | 2017-12-13 23:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

希望


《YouTubeから》


現地時間12月10日、国際NGO「核兵器廃絶キャンペーン」(ICAN)へのノーベル平和賞授賞式が行われ、オスロ市庁舎でカナダ在住のサーロー節子さん(85)が被爆者として初めて授賞式に臨み、受賞記念演説をした。サーロー節子さんは広島の原爆体験者で、今まで原爆体験を広く世界に伝えてきた人である。
* ICAN = International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (核兵器廃絶キャンペーン)

彼女の受賞記念演説に深く感動したので、その日本語に訳された全文をここに載せておきたいと思う。(ウェブサイトから拝借しました)
『核なき世界の実現』こそICANの目標であり、また私たち、世界の平和を望む人たちの願い、目標でもあると思う。



両陛下、ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち、淑女、紳士の皆さま。

 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

▼座視しない

 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

 私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

 私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

▼叫び声聞こえた

 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

 米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ十三歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。八時十五分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。

 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

 そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

 幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

 このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と三百五十一人の級友が含まれています。

▼愚行を許さない

 その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

 広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。

▼終わりの始まり

 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。

 責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。

 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

▼光に向かって

 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」

 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。 

(オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる




# by PochiPochi-2-s | 2017-12-12 23:40 | 思い | Trackback | Comments(4)

サルトリイバラ

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サルトリイバラ


師走も10日が過ぎ、いよいよ今年も残り少なくなってきた。
スーパー近くの花屋さんの前では、毎年このサルトリイバラで作られたリースが売られる。
毎年楽しみにしているこの時期の風物詩。
店頭に見つけた途端に買いたくなるのは何故なのだろうか。
この実の赤い色がなんとも魅力的なのである。

サルトリイバラという名前は、茎が節ごとに曲がり、棘もあるので、通りがかる猿でもこの棘に引っかかるという意味から名付けられたという。また端午の節句の柏餅のカシワの代わりにこのサルトリイバラの若葉を使われることもある。

以前この若葉の頃のサルトリイバラを描いたことがあった。
若葉のみずみずしい、やわらかくきれいな薄緑色に魅せられ、描きたいと思ったのだった。
今の時期の枯れた葉とは全く違う魅力があった。

今日は朝からずいぶん冷え、いつものようにストーブに火をつけ部屋を温めたのだが、部屋の温度は15、6度で止まりなかなか20度に上がらなかった。
午前中は庭掃除に精を出し、午後からの時間は絵を描くことに当てた。
夕方、絵はやっと完成した。

ふと欅の木をみると、どれだけあるのだろうかと思っていた葉ほとんど散り落ち、先日まできれいに紅葉していた紅葉もすべて散ってしまっていた。
「いよいよ冬。これからは寒さに向かうのだなぁ」
身が引き締まる思いがした。

お正月まであと20日となった。




# by PochiPochi-2-s | 2017-12-11 23:16 | 習いごと(絵・水泳) | Trackback | Comments(6)
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メイン会場東公園のルミナリエ

わぁ!
やっぱりきれいやわ。


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「日曜日(12/10)は雨みたいやから、今夜(9日)めっちゃ寒いらしいけど行こうか。
刑事フォイルが終わってからゆっくり出かければいいから」

夕方6時過ぎ、防寒対策をきっちりとして足早に最寄りの駅に向かった。
夜空には冬の星座がきれいに瞬いていた。
「冬の星座」の歌を歌いながら歩いていると、心は自然と弾んでいた。
遠くに千里中央付近の夜景がきれいに見え、寒いが気持ちがよかった。

毎年必ず行く神戸ルミナリエ。
第一回目を見逃したので私たちにとっては今年で22回目となり、
今ではまるで我が家の年中行事にようになっている。
振り返れば、もう22年という年月が過ぎたことになる。
この間実にいろんなことがあった。
長男が大学生になり続いて長女、少し離れて次男と、それぞれにそれぞれの場所で
学生生活を送り社会人になった。今は長男と娘は結婚しそれぞれ2人の男の子の父、
母になった。
義母が亡くなり、続いて叔母、私とかなり年の離れた父方の従兄弟、母、叔父、父、主人の叔父と、わずか10年ぐらいの間にまるで世代が交代するかのように次々と続いて亡くなってしまい、ずいぶん寂しい思いをした。
長い間の夢であった海外への旅行もできるようになり、主人と、あるいは一人で何度か海外へ出かけた。海外で出会った人たちとのメール交換や手紙のやり取りという楽しみも増えた。
絵を習い始め、最近はやっと“描いている時間が楽しい”と言えるようになってきた。
河原で拾ってきて育てたポチも死んでしまった。
拾われてきてから16年間、私たちの心を慰めてくれ、毎日楽しい思いをさせてくれた、みんなに可愛がられ好かれた犬だった。ポチは、特に小さい子供が大好きだった。

まだまだたくさんの出来事があったが、22年と言葉で言えば実に短く聞こえるが、
決して短くはなかったし楽しいばかりでもなかった。
しかし、毎年ふたりで神戸に行きこの光の饗宴のルミナリエを楽しめる時間を持てるのは
幸せなこと。
「今年も何事もなく無事一年が終わろうとしている。
感謝して来年もまた無事に一年が過ぎますように」
そう思いながら、このきれいな光の中を歩く嬉しさ。
始まった当初は、ルミナリエを見に行くことになんの(身体の)不安も感じず、行くのがさも当然であるかのように思っていたが、いつの頃からか“今年も無事に行けたなぁ。来年も行って楽しめるように健康に気をつけよう”に代わってきた。
22年という年月はそういう長さだとあらためて思ったのだった。

出かけるのが遅かったので帰宅したのは真夜中12時前。
実によく遊び、よく食べ、よく歩いた。約12000歩。
来年も元気に見にゆきたいと思ったのだった。

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市役所25階から




『神戸ルミナリエ』は1995年1月17日に起こった神戸明石大震災後、甚大な災害被った神戸の人たちを励まそうと翌年から始まり、震災の記憶を後世に語り継ぎ神戸の夢と希望を象徴する行事として毎年開催している。
今年で23回目の開催となる。




# by PochiPochi-2-s | 2017-12-10 23:35 | お出かけ | Trackback | Comments(8)
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娘のマンションから見た12月8日の夕暮れの景色


昨日のこと。

「今日は12月8日、真珠湾攻撃の日やなぁ。この日から太平洋戦争が始まったんやった」
そう思い、母の遺した小冊子『太平洋戦争を体験して』を思い出しながら朝食を食べていた。

母は「最後に」という言葉で始まるあとがきに戦争への思いを次のように書いている。

《私は、直接は焼夷弾も被らなければ爆弾を受けたこともない。
夫も義弟も、栄養失調にはなったものの戦死は免れた。
仲良しの従兄弟がニューギニアで戦死し、悲しい思いをした。私の家では米こそないものの、
畑で作るものはあった。また、海が近いので小魚には不自由しなかった。
こう考えると、私などは戦争体験者の中でも幸せな方だったに違いない。
しかし、それでもいまから考えれば正に毎日が地獄であったと思う。
鳥が鳴いても耳には入らない。桜が咲いても、目には見えても花を愛でる気もなかった。
桜は一人で咲いているようだ、勝手に咲いていればよいというような思いであった。
雲の様子を見ても、今夏か、今冬かと感じるだけ。暑いのも、寒いのも苦にならない。
暑くても寒くても防空頭巾を被り、モンペをはき、空襲警報のサイレンにだけは敏感に反射する日々。
出征兵士を送ったり、白布で包んだ遺骨を迎えたりの単純な、折々の気候なんて生活の中にない無感動な毎日を送った青春の日々を今思い出している。
戦争は、人々に人間としての生活を許さないものだ。
今の世でも常に不服はあるが、お豆腐の形が四角であることすら忘れかねないほどのひもじい
思い . . .
戦争は、人々に、息をするため生きるために苦労させるだけである。何一つ得るものはない》

突然携帯音がなった。
娘からのメールだった。
「今日、家にいてる?リョウが熱出して、こども園行かれへんねん。
エイちゃんがお昼から病院で予防注射の日なんやわ。
病院に行っている間お母さんとこで預かってもらえたら嬉しいんやけど。
預かってもらえるかな?」

午後から出かける予定だった。
しかし、そんなことは言ってられない。
予定は急遽変更し、
娘の病院への送り迎えとその間のリョウちゃんの世話を引き受けたのだった。
「真珠湾攻撃の日」への想いは飛んでしまった。

午前中はリョウちゃんの大好きなハンバーグ、ネジネジのマカロニサラダ、フライドポテト、
ひじきの煮物などを作り、おいしい林檎、バナナなどを持って、昼食後娘の住むマンションへ
出かけた。
その時何気なくふっと思った。
「アップルパイは間に合わなかったなぁ。次の時でいいや」

でも予感が的中し、私の顔を見るなりリョウちゃんは言った。
「おばあちゃん、アップルパイ持ってきてくれた?
リョウちん(自分のことをこんなふうに言う)アップルパイ大好きやねん。
おばあちゃんのアップルパイおいしかったもん」
「今度遊びにきた時にはアップルパイを焼くね」
「うん!」

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こども園(保育園)生活はこんな小さな子供でも逞しく育つのか。
少し熱がありしんどいだろうにそのそぶりも見せず安心したように遊ぶ。
ハルとアサヒが使いリョウちゃんにと譲られた、小さな部屋いっぱいのおもちゃと絵本。
次から次に取り出しては、「一緒に遊ぼう」「この本読んで」。
最後には、お母さんに貰ったアマゾンの空のダンボール箱で一緒に新幹線を作り、電車ごっこ。
白い紙に新幹線の絵を2枚描き箱の横に貼る。
箱は筒状にして頭から被り両手で箱を抱え、走る。
まるで新幹線になったような気分で部屋中を走り回る。
「発車しまーす」「新大阪、新大阪、到着しました」「次は京都でーす」

3時間近く経っただろうか、
「ただいま。帰ったよ。えらかったねぇ」
お母さんの言葉にリョウちゃんの顔は輝くような笑顔に変わった。
おじいちゃんがママとエイちゃんを病院に迎えに行っている間にリョウちゃんと二人で見た
ベランダからの風景。
どんよりした雲間から微かに射す陽の光。
その風景の中、どこから飛んできたのだろうか飛行機が一機伊丹空港へ向かって飛んでいった。
遠くには弁天町の建物、その向こうには冬の大阪湾の海が光り、
さらに遠くにはうっすらと大阪と奈良を隔てる金剛葛城の山脈が見える。
なんとも平和な、穏やかな12月8日。
76年前のこの日、真珠湾攻撃があり太平洋戦争が始まったとは思えないような日であった。
父や母の世代の苦労のおかげの結果だと思うと、この平和な日常を是が非でも守り続けなければ彼らに合わせる顔が無いように思う。

※ この日、12月8日が真珠湾奇襲攻撃の日であり、この日から太平洋戦争が始まったといこうとをいったいどれだけのテレビやマスコミが伝えただろうか。
気にして過ごした一日だったが、ほとんどそのニュースは耳に入らなかった。
さらに米大統領トランプ氏による「エルサレムをイスラエルの首都と認める」という驚くべき言葉がニュースに流れ、英独仏はじめヨーロッパの国々が次々と反対を表明するなか、日本だけが自分の意見を言えず煮え切らない態度を取っているその様子に、憤りを超え情けなく思う日でもあった。

やり切れなさと昼間の疲れで記事もかけず早々と寝てしまったのだった。


《この日のリョウちゃんとエイちゃん》
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はいはいで前進できるようになった
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リョウちゃんの恐竜コレクション
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More 今日の朝(12/9) 雪が…
# by PochiPochi-2-s | 2017-12-09 13:48 | 思い | Trackback | Comments(6)
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朴の葉
(購入した絵葉書から)


「今年も先生の作品展に一緒に行く?」
先週絵の教室の友人Mさんから誘われていた。
寒いなか、阪急梅田駅で待ち合わせ、
もう一人の仲の良い友人Tさんと3人で作品展が開催されている画廊へと向かった。
去年までの画廊は閉鎖され、今年の作品展は急遽別の画廊で開かれので、
開催時期もいつもより遅れ12月になってしまったらしい。
しかし、新しい画廊は以前の画廊より広く、かなりゆったりとじっくりと作品を鑑賞
できたのが嬉しかった。

「ほら見て。この実。ここの光らせ方。どうしたらこんなに描けるんやろうか?」
「ふふ。以前言ってはったけど、白を5回も重ねて塗っているらしいよ」
「こんな小さな点に5回も?」
「そうらしいわ。一回一回ぼかしながら塗り、最後は濃い白を置くらしい」
「言われてみればそうやなぁ。でも、5回とはなぁ。言われたとおりしているん?」
「いや、せいぜい3回ぐらいが関の山やわ。それに一回一回スプレーはかけていないし…」

実の光らせ方に興味のある私たちの会話。いつまでも続いていた。

また葉の塗り方にも興味があり、ビナンカズラの絵の前で再び私たちは立ち止まってしまった。

「ねえねえ、この葉の描き方見て。それにこのストレリチア(極楽鳥花)の茎の細かい点々とぼかし方。どうしたらこのように塗れるんかな?
いつもボロボロになってしまうか、ベタッと塗ったような感じになってしまうんやけど」
「ああ、これ? この塗り方やったら私は少しはわかるわ。
絵の具を比較的薄くとき、太い筆でポンポンポンと強弱をつけながら筆を置くような感じで塗っていくのやわ。そして周囲をぼかす。木の枝や幹を塗る時そのような塗り方をよくするけど」
「ふーん、そうなん。今度一度やってみるわ」

「ねえ、こんな細い線描ける?気が遠くなりそうやわ」
「そうやねぇ。あの一番細い00の先の細い絵筆やったらなんとか…
面相筆は無理やわ。よう使わんもん。
やっぱり先の細い、書道の筆ような絵筆が私には一番使いやすいかも」

展示されている何枚かの気になる絵の前でのMさんと私の2人の会話は続いていた。

「今年の絵はなんだか見ていて楽しいなぁ。描かれた花や草が歌っているように感じるなぁ。
自分自身が楽しんで描かなければ、このような楽しい絵は描けないだろうなぁ」
そう思いながら絵を鑑賞していた。


《片山先生の2018年のカレンダーから》
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アメリカセンダングサ


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ビナンカズラの実



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ゴクラクチョウカ(ストレリチア)



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ジオウソウ



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八重のドクダミあ



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アカシデ



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キキョウ



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カリンとアケビ



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アキノキリンソウ



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アオギリの果実


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ホオズキ
(購入した絵葉書から)


More 元気なんやわ
# by PochiPochi-2-s | 2017-12-07 23:39 | 絵画展 | Trackback | Comments(2)

生きている喜びを感じられるように生活したい


by PochiPochi-2-s